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旅行記は、何とかウィーンを出発するところまでこぎつけました。<br />ところが、前日の5月23日はベートーベンのホイリゲで美味しいワインをいただいて、一日が終わったわけではありませんでした。<br /><br />私にはもう1か所、どうしても行きたいところがありました。<br />「Haus der Music(音楽の家)」。<br />実は2017年にNHK国際報道特集で、「オーストリア『負の歴史』と向き合う」という番組をやっていまして、ナチスとウィーンフィル管弦楽団の関わりについて報道していました。<br />そして、今までウィーンフィルハーモニーの栄光の歴史を伝えてきた、いわばウィーンフィルの牙城である博物館「音楽の家」で、負の歴史についての新たな展示スペースが誕生したとのこと、これはぜひ行ってみなければ・・・。<br />幸い「音楽の家」はホテルから至近距離にあります。<br /><br />しかし「第三帝国」とか「ホロコースト」とか「アンシュルス」とか、私のマイナーな興味に、いつもお付き合いいただいているK氏やI女史には申し訳ないので一人で行くつもりでした。せっかくホイリゲでワインをいただいていい気持ちになっているのに、「またーそれ~!」ですよね。<br />ところがお二人とも一緒に行ってくださるとのこと。<br /><br />そして、3人で行ってまいりました。<br />ところが、「負の遺産展」はどんなに探しても見つからなかったのです・・・。<br />

2018 三たびで最後のシニア三人旅 ☆『音楽の家』 ウィーンフィルの「負の歴史」

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2018/05/23 - 2018/05/23

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frau.himmel

frau.himmelさん

旅行記は、何とかウィーンを出発するところまでこぎつけました。
ところが、前日の5月23日はベートーベンのホイリゲで美味しいワインをいただいて、一日が終わったわけではありませんでした。

私にはもう1か所、どうしても行きたいところがありました。
「Haus der Music(音楽の家)」。
実は2017年にNHK国際報道特集で、「オーストリア『負の歴史』と向き合う」という番組をやっていまして、ナチスとウィーンフィル管弦楽団の関わりについて報道していました。
そして、今までウィーンフィルハーモニーの栄光の歴史を伝えてきた、いわばウィーンフィルの牙城である博物館「音楽の家」で、負の歴史についての新たな展示スペースが誕生したとのこと、これはぜひ行ってみなければ・・・。
幸い「音楽の家」はホテルから至近距離にあります。

しかし「第三帝国」とか「ホロコースト」とか「アンシュルス」とか、私のマイナーな興味に、いつもお付き合いいただいているK氏やI女史には申し訳ないので一人で行くつもりでした。せっかくホイリゲでワインをいただいていい気持ちになっているのに、「またーそれ~!」ですよね。
ところがお二人とも一緒に行ってくださるとのこと。

そして、3人で行ってまいりました。
ところが、「負の遺産展」はどんなに探しても見つからなかったのです・・・。

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  • ハイリゲンシュタットのホリイケ(ホイリゲ)のぶどう棚の下で美味しいワインをいただいて、ほろ酔い気分でホテル近くに帰ってきた私たち、もう1か所どうしても行きたいところがあります。<br /><br />そこは、Haus der Musik(音楽の家)です。<br /><br />気が急いていたので、入り口の写真は撮っていません。<br />これはパンフレットから取ったものです。<br />

    ハイリゲンシュタットのホリイケ(ホイリゲ)のぶどう棚の下で美味しいワインをいただいて、ほろ酔い気分でホテル近くに帰ってきた私たち、もう1か所どうしても行きたいところがあります。

    そこは、Haus der Musik(音楽の家)です。

    気が急いていたので、入り口の写真は撮っていません。
    これはパンフレットから取ったものです。

  • もう8時半過ぎていますから急がなければなりません。<br /><br />入り口でチケットを購入しようとしたら、嬉しいことがありました。<br />夜8時以降に入場すると夜間割引で半額になるのですって。<br /><br />半額で6.5ユーロとは正常金額は13ユーロ、結構お高いですね。<br />10時までやっているそうですからまだ時間はあります。<br />

    もう8時半過ぎていますから急がなければなりません。

    入り口でチケットを購入しようとしたら、嬉しいことがありました。
    夜8時以降に入場すると夜間割引で半額になるのですって。

    半額で6.5ユーロとは正常金額は13ユーロ、結構お高いですね。
    10時までやっているそうですからまだ時間はあります。

  • 遅くなってもどうしても行きたいと、私を駆り立てたものはこれでした。<br /><br />「NHK特集オーストリア『負の歴史』と向き合う」。<br />2017年に放映していました。<br /><br />オーストリアが世界に誇るウィーンフィルハーモニー楽団、これまでナチスドイツと関わってきた「負の歴史」に目を背けてきました。<br />しかし、歴史を隠すことは間違いだ、正面から向き合おう、という議論が広がっている・・、と言うものでした。<br /><br />これは「音楽の家」に是非行ってみなければ・・・と思っていました。

    遅くなってもどうしても行きたいと、私を駆り立てたものはこれでした。

    「NHK特集オーストリア『負の歴史』と向き合う」。
    2017年に放映していました。

    オーストリアが世界に誇るウィーンフィルハーモニー楽団、これまでナチスドイツと関わってきた「負の歴史」に目を背けてきました。
    しかし、歴史を隠すことは間違いだ、正面から向き合おう、という議論が広がっている・・、と言うものでした。

    これは「音楽の家」に是非行ってみなければ・・・と思っていました。

  • 博物館はこの階段を登っていきます。<br />「音楽の家」らしく階段はピアノの鍵盤になっていて、ちゃんと音も出ます。<br />

    博物館はこの階段を登っていきます。
    「音楽の家」らしく階段はピアノの鍵盤になっていて、ちゃんと音も出ます。

  • 上の写真だけでは要領を得ないと思いますので、資料より写真をお借りします。<br /><br />壁には楽譜が貼られており、楽譜に沿ったメロディーが出るようです。<br />昼間だったら、大喜びで登ったり降りたりする子供たちの姿がみられたでしょうね。<br />

    上の写真だけでは要領を得ないと思いますので、資料より写真をお借りします。

    壁には楽譜が貼られており、楽譜に沿ったメロディーが出るようです。
    昼間だったら、大喜びで登ったり降りたりする子供たちの姿がみられたでしょうね。

  • ウィーンフィルと言えば、何と言っても毎年お正月に開催されるニューイヤーコンサートですね。<br /><br />最初の部屋は、世界で最も有名な新年のコンサート、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのコーナーです。<br /><br />各年ごとにCDが並んでおり、その下にはヘッドホンが下がっていますから、ここで過去のコンサートが聴けるようになっているようです。<br />

    ウィーンフィルと言えば、何と言っても毎年お正月に開催されるニューイヤーコンサートですね。

    最初の部屋は、世界で最も有名な新年のコンサート、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのコーナーです。

    各年ごとにCDが並んでおり、その下にはヘッドホンが下がっていますから、ここで過去のコンサートが聴けるようになっているようです。

  • 私も、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの大ファンです。<br />毎年お正月はこのニューイヤーコンサートをテレビで見るのを楽しみにしています。これがないと新年が始まらない。<br /><br />あら~懐かしい。<br />ムーティーにアーノンクール、それにダニエル・バレンボインも。<br />

    私も、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの大ファンです。
    毎年お正月はこのニューイヤーコンサートをテレビで見るのを楽しみにしています。これがないと新年が始まらない。

    あら~懐かしい。
    ムーティーにアーノンクール、それにダニエル・バレンボインも。

  • もちろん、我らが小澤征爾さんも2002年にタクトを振っています。<br />当時はズービン・メータに次いで、アジアで2人目の栄えある指揮者だったとか。<br />日本でも盛り上がりましたね。<br />

    もちろん、我らが小澤征爾さんも2002年にタクトを振っています。
    当時はズービン・メータに次いで、アジアで2人目の栄えある指揮者だったとか。
    日本でも盛り上がりましたね。

  • せっかくですから、歴代のニューイヤーコンサートの指揮者を列記します。<br />毎年指揮者が変わり、私たちがテレビを見るようになった1987年のカラヤンの年からです。<br /><br />1987 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1)<br />1988 クラウディオ・アバド(1)<br />1989 カルロス・クライバー(1)<br />1990 ズービン・メータ(1)<br />1991 クラウディオ・アバド(2)<br />1992 カルロス・クライバー(2)[4]<br />1993 リッカルド・ムーティ(1)<br />1994 ロリン・マゼール(8)<br />1995 ズービン・メータ(2)<br />1996 ロリン・マゼール(9)<br />1997 リッカルド・ムーティ(2)<br />1998 ズービン・メータ(3)<br />1999 ロリン・マゼール(10)<br />2000 リッカルド・ムーティ(3)<br />2001 ニコラウス・アーノンクール(1)<br />2002 小澤征爾(1)<br />2003 ニコラウス・アーノンクール(2)<br />2004 リッカルド・ムーティ(4)<br />2005 ロリン・マゼール(11)<br />2006 マリス・ヤンソンス(1)<br />2007 ズービン・メータ(4)<br />2008 ジョルジュ・プレートル(1)<br />2009 ダニエル・バレンボイム(1)<br />2010 ジョルジュ・プレートル(2)<br />2011 フランツ・ヴェルザー=メスト(1)<br />2012 マリス・ヤンソンス(2)<br />2013 フランツ・ヴェルザー=メスト(2)<br />2014 ダニエル・バレンボイム(2)<br />2015 ズービン・メータ(5)<br />2016 マリス・ヤンソンス(3)<br />2017 グスターボ・ドゥダメル(1)<br />2018 リッカルド・ムーティ(5)<br />2019 クリスティアン・ティーレマン(1)<br /><br />2020 アンドリス・ネルソンス<br /><br />懐かしい名前が並んでいますね。

    せっかくですから、歴代のニューイヤーコンサートの指揮者を列記します。
    毎年指揮者が変わり、私たちがテレビを見るようになった1987年のカラヤンの年からです。

    1987 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1)
    1988 クラウディオ・アバド(1)
    1989 カルロス・クライバー(1)
    1990 ズービン・メータ(1)
    1991 クラウディオ・アバド(2)
    1992 カルロス・クライバー(2)[4]
    1993 リッカルド・ムーティ(1)
    1994 ロリン・マゼール(8)
    1995 ズービン・メータ(2)
    1996 ロリン・マゼール(9)
    1997 リッカルド・ムーティ(2)
    1998 ズービン・メータ(3)
    1999 ロリン・マゼール(10)
    2000 リッカルド・ムーティ(3)
    2001 ニコラウス・アーノンクール(1)
    2002 小澤征爾(1)
    2003 ニコラウス・アーノンクール(2)
    2004 リッカルド・ムーティ(4)
    2005 ロリン・マゼール(11)
    2006 マリス・ヤンソンス(1)
    2007 ズービン・メータ(4)
    2008 ジョルジュ・プレートル(1)
    2009 ダニエル・バレンボイム(1)
    2010 ジョルジュ・プレートル(2)
    2011 フランツ・ヴェルザー=メスト(1)
    2012 マリス・ヤンソンス(2)
    2013 フランツ・ヴェルザー=メスト(2)
    2014 ダニエル・バレンボイム(2)
    2015 ズービン・メータ(5)
    2016 マリス・ヤンソンス(3)
    2017 グスターボ・ドゥダメル(1)
    2018 リッカルド・ムーティ(5)
    2019 クリスティアン・ティーレマン(1)

    2020 アンドリス・ネルソンス

    懐かしい名前が並んでいますね。

  • この胸像はリヒャルト・シュトラウス。<br /><br />オーストリア生まれの偉大な音楽家ですけど、ニューイヤーではタクトは振っていません。どうしてここに?<br /><br />ところでニューイヤーコンサートはナチスによって始められたプロパガンダだった、と言うことをご存じでしたか?<br /><br />1938年のオーストリア併合により、人々が不満をため込まないように、ナチスの命令で始められた音楽会だったそうです。<br />曲目はオーストリアの国民的英雄であるヨハン・シュトラウスのワルツやポルカを主に、1939年12月31日にジルベスターコンサートとして開催されたのがニューイヤーコンサートのはじまりだったそうです。<br />

    この胸像はリヒャルト・シュトラウス。

    オーストリア生まれの偉大な音楽家ですけど、ニューイヤーではタクトは振っていません。どうしてここに?

    ところでニューイヤーコンサートはナチスによって始められたプロパガンダだった、と言うことをご存じでしたか?

    1938年のオーストリア併合により、人々が不満をため込まないように、ナチスの命令で始められた音楽会だったそうです。
    曲目はオーストリアの国民的英雄であるヨハン・シュトラウスのワルツやポルカを主に、1939年12月31日にジルベスターコンサートとして開催されたのがニューイヤーコンサートのはじまりだったそうです。

  • ナチスには、歴史的にも国民と深いつながりがある音楽を、積極的にプロパガンダに使いたいという思惑がありました。<br />また当時のウィーンフィルはナチスの管轄下にあり、命令通りに動かなければならなかった。<br /><br />写真はテレビから拝借しました。<br />指揮者は最もナチスと関わりがあったとされるフルトヴェングラーですね。<br />

    ナチスには、歴史的にも国民と深いつながりがある音楽を、積極的にプロパガンダに使いたいという思惑がありました。
    また当時のウィーンフィルはナチスの管轄下にあり、命令通りに動かなければならなかった。

    写真はテレビから拝借しました。
    指揮者は最もナチスと関わりがあったとされるフルトヴェングラーですね。

  • ところで「負の歴史」の展示はどこでやっているのだろう。<br /><br />K氏I女史にはゆっくり回っていただくことにして、時間があまりありませんので、私は急いでそれを探します。<br /><br />階段の傍に立っている人物は「オットー・ニコライ」。<br />ウィーンフィルハーモニーの設立者です。<br />

    ところで「負の歴史」の展示はどこでやっているのだろう。

    K氏I女史にはゆっくり回っていただくことにして、時間があまりありませんので、私は急いでそれを探します。

    階段の傍に立っている人物は「オットー・ニコライ」。
    ウィーンフィルハーモニーの設立者です。

  • 駆け足で探します。<br />ここは4階(実質5階)まであるので大変です。もちろん使えるところはエレベーターを使います。<br /><br />この「音楽の家」は、親しみのある絵や、床にはこのようなカラフルなアートが施されており、「負の歴史」を展示する館にしては何か重みがない感じ。<br /><br />本当に展示はどこでやっているのだろうか?<br />係員に訊ねてみようか。でも何て聞けばいいの?<br />「ナチス時代の展示はどこにありますか?」でいいかしら。<br /><br />でも待てよ、そもそも「ナチス」って言葉を使っていいものか、不愉快にさせるのではないだろうか・・・。<br /><br />訊くのを止めました。<br />

    駆け足で探します。
    ここは4階(実質5階)まであるので大変です。もちろん使えるところはエレベーターを使います。

    この「音楽の家」は、親しみのある絵や、床にはこのようなカラフルなアートが施されており、「負の歴史」を展示する館にしては何か重みがない感じ。

    本当に展示はどこでやっているのだろうか?
    係員に訊ねてみようか。でも何て聞けばいいの?
    「ナチス時代の展示はどこにありますか?」でいいかしら。

    でも待てよ、そもそも「ナチス」って言葉を使っていいものか、不愉快にさせるのではないだろうか・・・。

    訊くのを止めました。

  • 4階まで探しましたが、見当たりませんでした。<br /><br />ここでハタと気が付いた。<br />NHKの番組は2017年(この時点で昨年)のもの。<br />私は「負の歴史展」は常設展に組み込まれたものと思っていたけど、あの時だけの特別展ではなかったのか?<br /><br /><br />ここは、ウィーンフィルのコンサートのハイライトを大画面で見せてくれるステージだそうです。<br />

    4階まで探しましたが、見当たりませんでした。

    ここでハタと気が付いた。
    NHKの番組は2017年(この時点で昨年)のもの。
    私は「負の歴史展」は常設展に組み込まれたものと思っていたけど、あの時だけの特別展ではなかったのか?


    ここは、ウィーンフィルのコンサートのハイライトを大画面で見せてくれるステージだそうです。

  • 結局、その時代のものとして探し出したのはこれくらいでした。<br />大巨匠たちと彼らが愛用した指揮棒が展示してあります。<br /><br />特別にナチスとの関係を示唆するものではなかったのですが、時代的にちょうどそのころ活躍した巨匠たちです。<br />第三帝国時代、彼らの演奏活動はどうだったのか、ナチスとの関わりはどうだったのか、調べてみました。<br /><br />その中でいろんなことが見えてきました。<br />

    結局、その時代のものとして探し出したのはこれくらいでした。
    大巨匠たちと彼らが愛用した指揮棒が展示してあります。

    特別にナチスとの関係を示唆するものではなかったのですが、時代的にちょうどそのころ活躍した巨匠たちです。
    第三帝国時代、彼らの演奏活動はどうだったのか、ナチスとの関わりはどうだったのか、調べてみました。

    その中でいろんなことが見えてきました。

  • 1列目左<br />◆左:リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)<br />彼が第三帝国音楽院の総裁の地位にあったこと、またナチスの要請に応じて音楽活動を行ってきたことなどから親ナチスの作曲家として知られている。<br />しかし彼の息子の嫁がユダヤ人であり、孫もユダヤ人のため、家族を守るためにナチスと良好な関係を続けなければならなかったという事実もあります。<br /><br />◆右:アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)<br />リヒャルト・シュトラウスとは反対に大の反ナチス。<br />ファシズムを嫌い、早くに故郷イタリアを捨てアメリカに亡命し、第二次大戦終了まで決して欧州では演奏活動は行わなかった。<br />ウラジミール・ホロヴィッツは娘婿。<br />

    1列目左
    ◆左:リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)
    彼が第三帝国音楽院の総裁の地位にあったこと、またナチスの要請に応じて音楽活動を行ってきたことなどから親ナチスの作曲家として知られている。
    しかし彼の息子の嫁がユダヤ人であり、孫もユダヤ人のため、家族を守るためにナチスと良好な関係を続けなければならなかったという事実もあります。

    ◆右:アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)
    リヒャルト・シュトラウスとは反対に大の反ナチス。
    ファシズムを嫌い、早くに故郷イタリアを捨てアメリカに亡命し、第二次大戦終了まで決して欧州では演奏活動は行わなかった。
    ウラジミール・ホロヴィッツは娘婿。

  • 2列目<br />◆左:ハンス・プフィッツナー(1869-1949)。<br />政治的に反ユダヤ主義の表明をしていた。ヒトラーから最も重要な音楽家として覚えもめでたく、1944年にはヒトラーより贈与金を受け取るなど、特別な扱いを受けていたようです。<br />戦後の裁判ではナチスに加担した一級戦犯として起訴された際、親しかったブルノー・ワルターが彼を弁護する書簡を出したことで、助けられたという経緯があります。(この項、横浜臨海公園様のコメントより)<br /><br />◆右:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)。<br />1927~1930年にウィーンフィルの首席指揮者を務めた。<br />ナチスとの関わりが最も深いとされたフルトヴェングラー。ヒトラーと握手している姿や、コンサートで最前列に座っているヒトラーに挨拶をしている姿など、ナチスとの関わりを覗わせる映像なども多く残っています。<br />

    2列目
    ◆左:ハンス・プフィッツナー(1869-1949)。
    政治的に反ユダヤ主義の表明をしていた。ヒトラーから最も重要な音楽家として覚えもめでたく、1944年にはヒトラーより贈与金を受け取るなど、特別な扱いを受けていたようです。
    戦後の裁判ではナチスに加担した一級戦犯として起訴された際、親しかったブルノー・ワルターが彼を弁護する書簡を出したことで、助けられたという経緯があります。(この項、横浜臨海公園様のコメントより)

    ◆右:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)。
    1927~1930年にウィーンフィルの首席指揮者を務めた。
    ナチスとの関わりが最も深いとされたフルトヴェングラー。ヒトラーと握手している姿や、コンサートで最前列に座っているヒトラーに挨拶をしている姿など、ナチスとの関わりを覗わせる映像なども多く残っています。

  • しかし、これもナチスにより巧妙に仕組まれたという見方もあるそうです。<br />フルトヴェングラーは当時ベルリンフィルの首席指揮者を務めており、クラッシック音楽会では神様のような存在でした。ナチスは国民的英雄の彼をプロパガンダとして使わない手はありません。宣伝相ゲッペルスは巧妙にナチスへの協力者として仕立て上げていきます。<br /><br />しかし反ナチのヒンデミットを擁護したことにより、ヒトラーの逆鱗に触れ、すべての要職を解かれてしまいます。<br />とは言うものの、国民的英雄フルトヴェングラーがいなくなった後のクラッシック界はさんざんで、ナチスは再び、フルトヴェングラーに歩み寄らざるを得なくなり、彼は指揮者に返り咲いたのでした。<br /><br />しかしフルトヴェングラーはナチスに反抗的な態度を取ったり、ユダヤ人の亡命を手助けしたりなどして、戦争末期にはゲシュタポ(秘密警察)に命を狙われることにも。そしてスイスに亡命しました。<br />

    しかし、これもナチスにより巧妙に仕組まれたという見方もあるそうです。
    フルトヴェングラーは当時ベルリンフィルの首席指揮者を務めており、クラッシック音楽会では神様のような存在でした。ナチスは国民的英雄の彼をプロパガンダとして使わない手はありません。宣伝相ゲッペルスは巧妙にナチスへの協力者として仕立て上げていきます。

    しかし反ナチのヒンデミットを擁護したことにより、ヒトラーの逆鱗に触れ、すべての要職を解かれてしまいます。
    とは言うものの、国民的英雄フルトヴェングラーがいなくなった後のクラッシック界はさんざんで、ナチスは再び、フルトヴェングラーに歩み寄らざるを得なくなり、彼は指揮者に返り咲いたのでした。

    しかしフルトヴェングラーはナチスに反抗的な態度を取ったり、ユダヤ人の亡命を手助けしたりなどして、戦争末期にはゲシュタポ(秘密警察)に命を狙われることにも。そしてスイスに亡命しました。

  • 3列目<br />◆右:ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)<br />彼はナチスに冷淡だったそうです。<br />1922年にブルーノ・ワルターの後任としてミュンヘンのバイエルン州立劇場の音楽監督に就任するも、1935年に突然その任を解かれる。後任は親ナチスのクレメンス・クラウスに。<br />終戦後、連合軍から「反ユダヤ主義」として活動を禁止されるが、それが誤った認識だったとして、後に連合軍から謝罪される。<br /><br />◆右:カール・ベーム(1894-1981)<br />ヒトラーの誕生日にワーグナーの「マイスタージンガー」を演奏したり、ヒトラーから勲章を授与されたりなど、ナチスの賛同者と言われていました。<br />戦後、連合軍により演奏活動停止命令を受けましたが、1947年には解除されました。<br />

    3列目
    ◆右:ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)
    彼はナチスに冷淡だったそうです。
    1922年にブルーノ・ワルターの後任としてミュンヘンのバイエルン州立劇場の音楽監督に就任するも、1935年に突然その任を解かれる。後任は親ナチスのクレメンス・クラウスに。
    終戦後、連合軍から「反ユダヤ主義」として活動を禁止されるが、それが誤った認識だったとして、後に連合軍から謝罪される。

    ◆右:カール・ベーム(1894-1981)
    ヒトラーの誕生日にワーグナーの「マイスタージンガー」を演奏したり、ヒトラーから勲章を授与されたりなど、ナチスの賛同者と言われていました。
    戦後、連合軍により演奏活動停止命令を受けましたが、1947年には解除されました。

  • 4列目<br />◆左:ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)。<br />カラヤンは積極的にナチ党員となった。その体制の中で自己の野心を優位に満たす道を選んだ。1939年にはナチスドイツの国家指揮者も務めている。<br />しかし、ヒトラーが臨席していた「マイスタージンガー」の公演で、失敗したのはカラヤンのせいだとしてヒトラーの逆鱗に触れ、表舞台から遠ざかります。<br />またカラヤンの2度目の妻がユダヤ人の血が流れていることも楽団から締め出される要因となりました。<br />ところがこれが幸いして、戦後の非ナチ化裁判ではシロと判断されました。<br />そこで戦後すぐに演奏活動を始めたカラヤンに、連合国のソ連やフランスから異議が唱えられたそうです。<br />それも長く続かず、フルトヴェングラー亡きあとは、一人天下となりクラッシック界に君臨したことは皆様の記憶にも新しいと思います。<br /><br />◆右:ヴィリー・ボスコフスキー(1909-1991)。<br />珍しくナチスとの関わりが見つからなかった指揮者です。<br />1938年から1979年までウィーンフィルのコンサートマスター、また1955年から1979年まで25回にわたりニューイヤーコンサートの指揮者を務めました。<br />

    4列目
    ◆左:ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)。
    カラヤンは積極的にナチ党員となった。その体制の中で自己の野心を優位に満たす道を選んだ。1939年にはナチスドイツの国家指揮者も務めている。
    しかし、ヒトラーが臨席していた「マイスタージンガー」の公演で、失敗したのはカラヤンのせいだとしてヒトラーの逆鱗に触れ、表舞台から遠ざかります。
    またカラヤンの2度目の妻がユダヤ人の血が流れていることも楽団から締め出される要因となりました。
    ところがこれが幸いして、戦後の非ナチ化裁判ではシロと判断されました。
    そこで戦後すぐに演奏活動を始めたカラヤンに、連合国のソ連やフランスから異議が唱えられたそうです。
    それも長く続かず、フルトヴェングラー亡きあとは、一人天下となりクラッシック界に君臨したことは皆様の記憶にも新しいと思います。

    ◆右:ヴィリー・ボスコフスキー(1909-1991)。
    珍しくナチスとの関わりが見つからなかった指揮者です。
    1938年から1979年までウィーンフィルのコンサートマスター、また1955年から1979年まで25回にわたりニューイヤーコンサートの指揮者を務めました。

  • 1938年のナチスドイツによるオーストリア併合は、楽団員にも大きな影響を及ぼしました。<br />ユダヤ人や、家族にユダヤ人を持つ楽団員は楽団を追放されました。<br />追放されたのは11名、そのうち9名が強制収容所などで犠牲になりました。<br /><br />また、ウィーンフィルの楽団員として、ナチス党員や支持者を積極的に採用しました。<br /><br />それが楽団内部で行われのですから、まさに楽団はナチスの政策に加担したのも同じです。<br />別な資料では、1942年当時のウィーンフィル楽団員123名の内、ナチ党、もしくは予備軍が60名いたそうです。<br />

    1938年のナチスドイツによるオーストリア併合は、楽団員にも大きな影響を及ぼしました。
    ユダヤ人や、家族にユダヤ人を持つ楽団員は楽団を追放されました。
    追放されたのは11名、そのうち9名が強制収容所などで犠牲になりました。

    また、ウィーンフィルの楽団員として、ナチス党員や支持者を積極的に採用しました。

    それが楽団内部で行われのですから、まさに楽団はナチスの政策に加担したのも同じです。
    別な資料では、1942年当時のウィーンフィル楽団員123名の内、ナチ党、もしくは予備軍が60名いたそうです。

  • ウィーンフィルハーモニーは、戦争が激しくなっても演奏会を続けました。音楽がどれだけ人々の心を癒し、心の拠り所になっていたか。<br />しかし1944年6月30日が最後の公演になりました。<br /><br />1945年3月、連合軍の爆撃によりウィーン旧市街は壊滅的な大打撃を受け、国立歌劇場も見るも無残な姿に変わりました。<br />

    ウィーンフィルハーモニーは、戦争が激しくなっても演奏会を続けました。音楽がどれだけ人々の心を癒し、心の拠り所になっていたか。
    しかし1944年6月30日が最後の公演になりました。

    1945年3月、連合軍の爆撃によりウィーン旧市街は壊滅的な大打撃を受け、国立歌劇場も見るも無残な姿に変わりました。

  • 戦後、ニューイヤーコンサートは1946年から再開されました。<br /><br />演奏会では、毎回新年の挨拶を指揮者が述べることになっています。<br /><br />1987年、カラヤンは「平和、平和そして平和」と呼び掛けて万雷の拍手を浴びました。<br />2009年ダニエル・バレンボインは「中東に人間の正義が実現しますように」と訴えました。<br />2007年にはズービン・メータが「ルーマニアとブルガリアの欧州連合加盟を歓迎します」と。<br />2005年は直近に起きたインドネシア・スマトラ島沖の大地震と津波災害への支援を呼びかけました。<br /><br />1939年にナチスのプロパガンダとして始まったニューイヤーコンサートですが、今は世界の平和を願う場となっています。<br />

    戦後、ニューイヤーコンサートは1946年から再開されました。

    演奏会では、毎回新年の挨拶を指揮者が述べることになっています。

    1987年、カラヤンは「平和、平和そして平和」と呼び掛けて万雷の拍手を浴びました。
    2009年ダニエル・バレンボインは「中東に人間の正義が実現しますように」と訴えました。
    2007年にはズービン・メータが「ルーマニアとブルガリアの欧州連合加盟を歓迎します」と。
    2005年は直近に起きたインドネシア・スマトラ島沖の大地震と津波災害への支援を呼びかけました。

    1939年にナチスのプロパガンダとして始まったニューイヤーコンサートですが、今は世界の平和を願う場となっています。

  • 「負の歴史展」はなかったけど、せっかく「音楽の家」へ入館したのですから時間が許す限り見学します。<br /><br />3階は大巨匠たちの部屋。<br /><br />まずはハイドンコーナーです。<br />館内はマルチメディア空間で、ゲームなどいろいろな遊びができるようになっています。<br />若い子たちはハイドンが見つめる前で何をやっているのでしょうか?<br />

    「負の歴史展」はなかったけど、せっかく「音楽の家」へ入館したのですから時間が許す限り見学します。

    3階は大巨匠たちの部屋。

    まずはハイドンコーナーです。
    館内はマルチメディア空間で、ゲームなどいろいろな遊びができるようになっています。
    若い子たちはハイドンが見つめる前で何をやっているのでしょうか?

  • ハイドンの弟子たち。<br />ベートーベン。<br />ジギスムント・リッター・フォン・ノイコム(1778-1858)作曲家、ピアニスト。<br />イグナツ・プライエル(1757-1831)古典音楽の作曲家、などがハイドンより教えを受けました。<br />

    ハイドンの弟子たち。
    ベートーベン。
    ジギスムント・リッター・フォン・ノイコム(1778-1858)作曲家、ピアニスト。
    イグナツ・プライエル(1757-1831)古典音楽の作曲家、などがハイドンより教えを受けました。

  • モーツアルトコーナー。<br /><br />床の絵が何とも雑然として、どうしても汚部屋に見えますね。<br />

    モーツアルトコーナー。

    床の絵が何とも雑然として、どうしても汚部屋に見えますね。

  • モーツアルト家族。<br />父レオポルト、姉ナンネン、母アンナ・マリア。<br /><br />手前のピアノは<br />「Tafelklavier ”Broderip &amp; Wilkinson&quot; London(18.Jh)の文字あり。<br />

    モーツアルト家族。
    父レオポルト、姉ナンネン、母アンナ・マリア。

    手前のピアノは
    「Tafelklavier ”Broderip & Wilkinson" London(18.Jh)の文字あり。

  • 暗闇に浮かぶ不気味なモーツアルトの顔、

    暗闇に浮かぶ不気味なモーツアルトの顔、

  • 「魔笛」の舞台装置<br />シェーンブルン宮殿マリオネット劇場

    「魔笛」の舞台装置
    シェーンブルン宮殿マリオネット劇場

  • ベートーベンコーナー。<br />ベートーベンが使ったというクラヴィアが気になり写真に撮りました。<br /><br />

    ベートーベンコーナー。
    ベートーベンが使ったというクラヴィアが気になり写真に撮りました。

  • ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111。手書き楽譜。<br /><br />下に何やら文字が書いてありますが、読めません。<br />

    ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111。手書き楽譜。

    下に何やら文字が書いてありますが、読めません。

  • Theodor Jachimowiczによる宮廷歌劇場の「フィデリオ」の舞台装置。<br />

    Theodor Jachimowiczによる宮廷歌劇場の「フィデリオ」の舞台装置。

  • 「フィデリオ」のプログラム。<br />

    「フィデリオ」のプログラム。

  • ベートーベンの胸像?でいいんですね。<br />今までのベートベンの絵や像の中で、これが一番ハンサムで、まるで別人のよう。<br />

    ベートーベンの胸像?でいいんですね。
    今までのベートベンの絵や像の中で、これが一番ハンサムで、まるで別人のよう。

  • ベートーベンのデスマスク<br />

    ベートーベンのデスマスク

  • シューベルトのコーナー<br />

    シューベルトのコーナー

  • シューベルトが使用したピアノ。<br />彼の所有のものかどうかは判らない。彼は自己所有のピアノは持っていなかったという説もあります。<br />

    シューベルトが使用したピアノ。
    彼の所有のものかどうかは判らない。彼は自己所有のピアノは持っていなかったという説もあります。

  • シューベルティアーデ。<br /><br />シューベルトが個人的に催す夜会サロン。<br />上の絵は、アッシェンブルク城でのシューベルティアーナ。ジャスチャーゲームをしているとこらしい。<br />

    シューベルティアーデ。

    シューベルトが個人的に催す夜会サロン。
    上の絵は、アッシェンブルク城でのシューベルティアーナ。ジャスチャーゲームをしているとこらしい。

  • シューベルトの兄弟たち。<br />父は学校の教師(経営者)。<br />彼には14人の兄弟がいたが成人したのは5名だけでした。<br /><br />シューベルトは31歳の若さで、兄フェルディナントの家で亡くなりました。<br />

    シューベルトの兄弟たち。
    父は学校の教師(経営者)。
    彼には14人の兄弟がいたが成人したのは5名だけでした。

    シューベルトは31歳の若さで、兄フェルディナントの家で亡くなりました。

  • シューベルティアーデの仲間たち?

    シューベルティアーデの仲間たち?

  • ヨハンシュトラウスの部屋。<br />

    ヨハンシュトラウスの部屋。

  • 音楽会の案内状

    音楽会の案内状

  • ヨハンシュトラウスとブラームス<br />

    ヨハンシュトラウスとブラームス

  • 「Johann Strau&amp;szlig; und seine Zeit」。<br />可愛い天使のイラスト入りの本?<br />

    「Johann Strau&szlig; und seine Zeit」。
    可愛い天使のイラスト入りの本?

  • グスタフ・マーラーの部屋<br />

    グスタフ・マーラーの部屋

  • マーラーの写真

    マーラーの写真

  • マーラー

    マーラー

  • マーラー交響曲第4番 <br />マーラーの弟子、ブルーノ・ワルターはこの曲を「天上の愛を夢見る牧歌である」と語った。<br />マーラーはよく避暑地のアルトアウス湖畔で過ごした。<br />

    マーラー交響曲第4番 
    マーラーの弟子、ブルーノ・ワルターはこの曲を「天上の愛を夢見る牧歌である」と語った。
    マーラーはよく避暑地のアルトアウス湖畔で過ごした。

  • マーラーのデスマスク。<br />1911年5月18日50歳で敗血症のため死去<br />

    マーラーのデスマスク。
    1911年5月18日50歳で敗血症のため死去

  • 「音楽の家」には楽しい催しがいろいろあります。<br />これはバーチャル・コンダクター。<br />世界のウィーンフィル・ハーモニーを指揮することができる装置。<br /><br />ヨハンシュトラウスの「美しき青きドナウ」やモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ブラームスのハンガリアン舞曲5番、ヨハンシュトラウス父のラデツキー行進曲など、有名な曲を思い通りに指揮できるのです。<br />

    「音楽の家」には楽しい催しがいろいろあります。
    これはバーチャル・コンダクター。
    世界のウィーンフィル・ハーモニーを指揮することができる装置。

    ヨハンシュトラウスの「美しき青きドナウ」やモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ブラームスのハンガリアン舞曲5番、ヨハンシュトラウス父のラデツキー行進曲など、有名な曲を思い通りに指揮できるのです。

  • マエストロ、ズビン・メータ氏は、「音楽の家」の名誉会長です。<br />

    マエストロ、ズビン・メータ氏は、「音楽の家」の名誉会長です。

  • 見残したところもありますが、閉館時間が近づいたので降りてきました。<br />ホーフは美しいパープルのライトアップ。

    見残したところもありますが、閉館時間が近づいたので降りてきました。
    ホーフは美しいパープルのライトアップ。

  • 上を見上げると星空?まさか~。<br /><br />このあと歩いてホテルに戻るつもりが、反対方向にドンドン進み、間違いに気が付いた時はシュテファン大聖堂の近くまで来ていました。<br />夜歩きは方向感覚を麻痺させます。<br />ホテルに帰り着いたのは11時過ぎていました。<br />

    上を見上げると星空?まさか~。

    このあと歩いてホテルに戻るつもりが、反対方向にドンドン進み、間違いに気が付いた時はシュテファン大聖堂の近くまで来ていました。
    夜歩きは方向感覚を麻痺させます。
    ホテルに帰り着いたのは11時過ぎていました。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • kaoluさん 2019/06/06 16:22:21
    特別展のようでしたね
    frau.himmelさん はじめまして
    興味の分野が似ているようなので、たびたび参考にさせていただいております。
    ご推察のとおり、3月29日までの特別展だったようですね。
    https://www.wienholding.at/Mediaroom/News/Haus-der-Musik-175-Jahre-Wiener-Philharmoniker
    今では、ウイーンフィルのHPにも1938年からのナチ時代の歴史がきちんとなされるようになっているようですが、日本語のページは存在しないようですね。

    私自身はいったい何時ウィーンに行けるのか・・不明ですが、楽しく参考にさせていただきます。

    frau.himmel

    frau.himmelさん からの返信 2019/06/06 20:34:20
    RE: 特別展のようでしたね
    kaoluさん、こんばんは。そして初めまして。
    コメントありがとうございます。

    私の間違いだらけの旅行記を読んでくださっているとのこと、お恥ずかしいかぎりです。

    >ご推察のとおり、3月29日までの特別展だったようですね。

    やっぱりそうでしたか・・・。
    あれだけNHKで大々的に放映していたのに、まるっきり見当たらないので不思議だと思っていました。

    教えていただいて、今ウィーンフィルのHPを見てまいりました。
    結構ページを割いて詳しく取り上げてありますね。
    辞書を片手にあとでゆっくり眺めて(笑)みたいと思っています。

    kaoluさんもこの時代の歴史にご興味がおありとのこと、私の旅行記は結構いい加減なところがありますので、間違いなどありましたら教えてください。

    今後ともよろしくお願いいたします。

    himmel
  • 横浜臨海公園さん 2019/06/04 10:37:24
    巨匠一覧
    frau.himmelさま、こんにちは。

    旅行記を拝見させて頂きました。
    第二次世界大戦中に於けるナチスと親密だったとされる指揮者で、プフィッツナーは、戦後、親ナチと認定されかかった際に、親しかったブルノー・ワルターが弁護する書簡を出し、助けられた経緯があります。
    当該旅行記には出ておりませんが、クレメンス・クラウスは明らかに親ナチで、戦後はユダヤ人から嫌悪の目線を突きつけられ、メキシコで客死し、ヴィーンに遺骸が運ばれ葬列の際に石が投げられた程、憎悪の感情を持たれた人物です。
    クナッパーブッシュも、ゲッペルス宣伝大臣からお気に入りの1人として、イスラエルでは、クナッパーツブッシュのレコードは販売禁止となっておりました。



    横浜臨海公園

    frau.himmel

    frau.himmelさん からの返信 2019/06/04 22:12:16
    Re: 巨匠一覧
    横浜臨海公園さま、こんばんは。
    早速のコメントありがとうございます。

    さすがにお詳しいですね。
    私の薄っぺらい調べ方ではとてもそこまで知ることはできませんでした。

    特にクレメンス・クラウス。
    旅行記を作成している最中に名前は出てきたのですが、さっと素通り。
    ところが今調べてみましたら、ものすごいドラマチックな生涯を送っているのですね。当然ナチスとの関わりは強く、かと言ってナチ党員ではなく、ちゃんと逃げ道を用意しているところが凄い(笑)。

    でも当時のあの世界では寄らば大樹の陰、家族のため、芸術のために、ナチスと形だけでも良好な関係を保たなければならなかった巨匠たちの気持ちもよく理解できました。
    あの時代、ウィーンフィルの楽団員の約半数がナチス関係者であったというのも肯けます。

    ところで、プフィッツナーをブルーノ・ワルターが救ったという経緯、旅行記に追記させていただいてよろしいでしょうか。

    これからもいろいろ教えてください。

    himmel

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