1979/03/06 - 1979/03/28
3458位(同エリア6061件中)
しぶちんさん
この旅行記のスケジュール
1979/03/08
1979/03/09
1979/03/13
1979/03/14
1979/03/16
1979/03/19
1979/03/21
1979/03/24
1979/03/26
1979/03/27
1979/03/28
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
旅も中頃になると日記をしたためるのがおっくうになってきます。この旅行でも、書かない日が次第に多くなってくるのを、43年程前の記憶をたどりつつ日記を補足し、旅行記として完成させたいと思います。後半はウィーンから帰国までの記録になります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
3月6日(火)ウィーン 曇
休養に充てる。昼食は、ユースの近くで豚のカツレツ、サラダなどを食べ、夜はパンとコーラで済ませた。(1Asは16円位)
食事:昼 カツレツ、ポテト、サラダ、紅茶100As 夜 パン、コーラ 20As
宿泊:ユースホステル 89As
3月7日(水)ウィーン 曇、晴
ぶらぶらとウィーン市内を散策。はじめにシュテファン大聖堂を訪ねた。(写真:シュテファン大聖堂の展望台)シュテファン大聖堂 寺院・教会
-
プラター遊園地まではタクシーを使ったが、何とベンツで驚いた。映画「第三の男」のロケ地を訪問できて大満足。(写真:シュテファン大聖堂のエレベーターの中だったと思う。)
シュテファン大聖堂 寺院・教会
-
ウィーン大学では学生と那覇市をしたり、写真を撮ったり楽しく過ごした。おいしくはなかったが、ウィンナーコーヒーを味わうことができて、日記では「最高!」と記してあった。
食事:昼 パン、ハム、レモネード22As 夜 ラムステーキ、ビール、ソーセージ85As
宿泊:ユースホステル 89As
(写真:ウィーン大学で学生さんと。)ウィーン大学 現代・近代建築
-
3月8日(木)ザルツブルグ 曇、雨、晴、夕方には雹
オーストリアでは、ゆっくりと旅をしている。ウィーンに2泊、そして3時間余りの距離にあるザルツブルグに1泊することになった。列車での移動中、そして、ザルツブルグに着いてからも、天気は慌ただしく変化し閉口してしまった。
山裾に貼り付くように所在する旧市街からケーブルカーで山上の要塞に移動。眺めはよかったが、天気のせいで建物を出たり入ったり、夕方には雹まで降ってきた。
この日は、ホテルのレストランで夕食を済ませ、早めに休んだ。
食事:昼 パン、コーラ30As 夜 パスタ・ハンバーグ・ビール85As
宿泊:ホテル 190Asマカルト橋 史跡・遺跡
-
3月9日(金)インスブルック 晴
せっかく、オーストリアの中央部まで来たので、もう少し西方へ行ってみようと、冬季オリンピック開催地インスブルックまで足を伸ばした。駅近くのホテルを確保し、ジャンプ台に行こうと、女性に道を尋ねると、親切にも案内してくれた。(写真:イン川の畔にて)
食事:昼 パン、コーラ30As 夜 パスタ・ポークカツ・パスタ・ビール100As
宿泊:ホテル 80As -
この女性、ベアテさんという人形のような美女だったが、年齢は高校生位の女子で驚いた。Kなどは、文通しようと口説いていたが、その思いがかなうことは無かった。この日は天候に恵まれ、夜にハーフェレカー山を見上げると山頂の施設の灯が星のように瞬いているのが印象的だった。
(写真:インスブルックオリンピックのジャンプ台にて)ベルクイーゼル ジャンプ台 現代・近代建築
-
(写真:インスブルックオリンピックのジャンプ台にて)
-
3月10日(土)インスブルック 晴
今日は、アルプスを越えてローマまでの長旅になった。コンパートメントはベッドになるのでつらくはないが、インスブルックからの移動となると、ウィーンへ戻り夜行に乗り換えてほぼ1日がかりという状況になる。
食事:昼 ソーセージ、コーヒー40As 夜 ソーセージパスタ・ビール90As
宿泊:車中泊
(写真:インスブルックオリンピックのジャンプ台にて) -
3月11日(日)ローマ 晴
テルミニ駅に降り立った瞬間から、夜行の疲れも何のその。金目の物は、みなショルダーバッグ側のポケットに入れ、バッグは右手でしっかりと持ち、ひったくり対策を万全にした。駅のホールでホテル案内人に会って、ホテルに連れて行ってもらい、荷物を置いて駅に戻った。そして見てしまった。アメリカ人の女性がベンチにハンドバッグを置いた瞬間、子どもが引ったくっていった。イタリア名物はあっという間の出来事だった。旅の途中で会うツーリスト誰もが,
「イタリアは気をつけろ!」と言っていた。実際目の当りにすると、度肝を抜かれて、一層警戒心を強くした。
しかし見るべき所は見なければと、バスでバチカンまで行き(100リラ=25円、1リラは25銭)、サンピエトロ寺院を見た。ミケランジェロのピエタは素晴らしかった。(この日は、暑いくらいの陽気だったが、社会の窓が壊れていてコートを脱げなかった。)
(写真:バチカン近くの川の畔にて)サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
-
その後、トレヴィの泉やコロッセオを見てまわったが、パンテオン近くのレストランで食べた昼食が、テラス席とはいえ6,000リラ(1500円)も取られたことが腹立たしく、一刻も早く立ち去りたい気分になった。
食事:昼 パスタ、ポテト、ビール6,000Lit
夜 ツーリストメニュー5,000Lit
宿泊:ホテル(ツイン) 18,000Lit
(写真:トレヴィの泉にて)トレヴィの泉 建造物
-
(写真:コロッセオ近くの路上にて)
コロッセオ 建造物
-
3月12日(月)ローマ 晴
11:00の列車でフィレンツェへ向かう。ローマの街中をリュック担いで回るより、電車の中でゆったりと過ごした方がまし、と判断したからだ。フィレンツェまで4時間。遅い昼食を摂り、ローマに一旦戻って夜行列車に乗った。いよいよ明日はスイスに入れる。好天を祈るのみだった。
食事:昼 パスタ2皿、マカロニ2,000Lit 夜 パン2個・コーラ2,000Lit
宿泊:車中泊 -
3月13日(火)グリンデルワルト 晴
シンプロントンネルを抜けると、青く澄んだ空が現れた。スイスに入ったと実感した。雪をかぶった山々が印象的だ。電車は緑の谷間を走り、シュピーツに着いた。
そこで乗り換え、今度は湖に沿ってインターラーケンへ向かう。インターラーケンオスト駅で、周遊券を買い登山電車に乗り込んだ。周遊券は77Fr(1Fr=約110円)。インターラーケンオスト駅 駅
-
雪解け水がせせらぎとなって流れる小川の脇を徐々に高度を上げていくと、やがてメッテンベルクが姿を現し、グリンデルワルトに到着。
ユースホステルに向った。アイガーは目前、何も言うことはない。同宿の日本人に「昨日まで3日間雨が降って、登山電車も動かなかった。」と聞かされ、自分の幸運さに驚く。
100人に5人くらいしか、アイガーやユングフラウをまともに見られないそうだ。見る物全てが素晴らしく、今日は興奮気味である。
明日は早朝、ユングフラウに上ろうと思う。明日も晴れますように・・・
食事:昼 子牛のカツレツ、スープ、ビール9.8S.Fr 夜 ユースの夕食5.5 S.Fr
宿泊:ユースホステル(2泊) 31.8 S.Fr
(写真:グリンデルワルト手前の列車内から)ベルナーオーバーラント鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
-
3月14日(水)グリンデルワルト 晴
登山電車で、ユングフラウに向かう。クライネシャイデックで乗り換え、途中、アイガーバントで停車。窓からアイガー北壁を望む。思わず、「映画「アイガーサンクション」でクリントイーストウッドがぶら下がっていたところ」という「地球の歩き方」(当時は発刊前のツアー参加者向けガイド)の記述を思い出した。
ユングフラウヨッホに到着し、外に出るとアレッチ氷河や周辺の山々の圧倒的な光景に大感動!空気が薄いせいかカラスが息苦しそうに飛んでいたのが思い出される。
(写真:ユングフラウヨッホ プラトーテラスにて)ユングフラウヨッホ (ユングフラウ) 山・渓谷
-
(写真:ユングフラウヨッホ スフィンクス展望台にて)
ユングフラウヨッホ (ユングフラウ) 山・渓谷
-
帰りはクライネシャイデックで人生初のスキーにチャレンジした。
クライネ シャイデック 山・渓谷
-
まさか、スキーデビューがアイガーの真ん前なんて!
アイガー 山・渓谷
-
しかし、なかなかうまくは滑れなかった。
-
YHでは、カナダ人カップルと知り合い、楽しく談笑した。男性が下ネタ連発で、この手の話題に国境はないと認識するに至った。
食事:昼 パスタ、ビール8.0S.Fr 夜 ユースの夕食5.5 S.Fr
宿泊:ユースホステルグリンデルヴァルト ユース ホステル ホテル
-
3月15日(木)グリンデルワルトからバルセロナへ移動 曇・雨
昨夜から風が出てきて、朝起きたときはアイガーの上半分は雲に隠れて見えなかった。今日来た人たちはかわいそうと思いながら、改めて自分たちの幸運を喜んだ。グリンデルワルド駅 駅
-
インターラーケンで食事をし、「さて、夜行までの時間をいかに過ごそうか」と考えたあげく、ローザンヌまで行き、駅に荷物をおいて、モントルーを訪れた。レマン湖のほとりの静かな街で、シヨン城が湖上にたたずんでいた。
(写真:レマン湖の畔のビューポイントにて)モントルー駅 駅
-
(写真:レマン湖の畔のビューポイントにて、YHで同宿の人たちと)
-
しかし、昨日のスキーのせいか、目が痛く頭がガンガンしている。夕食は豪勢にと考えていたが、結果として夕食代25 S.Frをペセタに替えた。体調が悪いと行き先が不安でしようが無い。
食事:昼 ソーセージ、ポテト、スープ8.0S.Fr
夜 ハンバーグとパスタ、スープ、ビール5.5 S.Fr
宿泊:車中泊ローザンヌ駅 駅
-
3月16日(金)バルセロナ 晴
バルセロナに着いたのは、11時前だったが、まだ朝という感じ。スペインは経度で言えばイギリスと同じくらいかそれ以西にもかかわらず、他の欧州諸国と同じ時間を採用するため、2時間くらいのズレが出てくる。
バルセロナ駅に着くやいなや、Kと、同行のM村さんと一緒にホステルを探した。トリプルで675ペセタ(Pt.)、一人225Pt.の安さ。(1Pt.は約3円)少し汚れた感じはするが、一応満足。
少し休んで、ブラッと出かけた。駅の近くの公園に行くと、昼寝をしている人がいる。「のんびりとした国だなぁ」という印象だが、日差しは春本番という感じで、日本人も眠くなる陽気だ。
(写真:シウタデリャ公園 (若い頃のガウディ作といわれる)噴水広場の前にて)シウタデリャ公園 広場・公園
-
何度となくあくびをしながら、世界で一頭という白いゴリラを見に動物園を訪れた。愛嬌があり、かなりのタレントで、地元の子どもたちや悪友Kも喜んでいた。
この後、サグラダファミリアに行くM村さんとは別行動を取り、我々は、スイスのYHでカナダ人に教わった「プエブロエスパニョーラ」(スペイン村)へ行った。スペイン各地の家屋が集まった施設である。スペインの家の色は、北から南へ行くにつれ、赤から白に変わるのだが、南部の家は余りなかった。しかし、パティオのある白壁の家は、非常に印象に残った。明日はマドリッド。旅も押し詰まってきた感じがする。
食事:昼 パエリア、ワイン、スープ、アイスクリーム435Pt.
夜 ステーキ、スープ、ビール320Pt.
宿泊:ホステル トリプル675Pt.バルセロナ動物園 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
-
3月17日(土)マドリッド 曇・雨
スペイン国鉄が誇る急行タルゴに乗り込んだ。スペインの線路は広軌で、しみじみ見たことのない我々には、日本の倍くらいに思えた。さぞ安定感があるのだろうと思いきや、揺れる、揺れる、乙女心のように!
最初の1時間は後ろ向きに座っていたので、上下の振動も加わってまるで起震車に乗っているようだった。おまけに、マドリッドまで9時間あまりのところ、10時間もかかって褒められたものではなかった。思わず、スペインって先進国?と疑ってしまった。
食事:昼 オムレツ、ステーキ、ビール、コーヒー4805Pt.(列車内)
夜 ステーキ、サラダ、スープ、ビール355Pt.
宿泊:ホステル ツイン700Pt.
3月18日(日)グラナダ 曇・雨
憧れの「ホテル カリフォルニア」(正しくはホステル カリフォルニアで、当時の旅行者投稿にあった、アルハンブラ宮殿への坂の途中にある宿。イーグルスの曲との関係は不明?)に泊まれるぞ!と勇んで駅を降りたものの、フィエスタを明日に控え宿なんて空いてないという話に。駅で一緒になったアメリカ人夫婦とアメリカ女性の5人で、宿探しの珍道中が始まった。やっと見つけたのは、モロッコとかにありそうな、白い石造りだが、扉のない、ゴキブリも出ないような物置部屋のような場所。
野宿にならならくてよかったが、明日が思いやられる。
食事:昼 ステーキ、ワイン311Pt.
夜 ステーキ、サラダ、スープ、ワイン190Pt.
宿泊:ホステル 180Pt.(一人)グラナダ駅 駅
-
3月19日(月)グラナダからマドリッドに移動。 曇・雨・晴
珍道中は今日も続く。アルハンブラ宮殿を5人で見てまわった。宮殿は、壁から天井まで彫刻だらけで、タイルが壁や床に貼ってあるわ、山の中腹にまで噴水があるわで、これが10世紀の建築物かと、目を疑った。
食事:昼 ハムサンド、ビール75Pt.
夜 シチュー、スープ、アイスクリーム、ワイン215Pt.
宿泊:車中泊アルハンブラ宮殿 城・宮殿
-
以下5日間は日記に書かなかったので、記憶を頼りに43年後の今になって書き足したもの。
3月20日(火)マドリッド 曇・雨・晴
夜行開けで、疲労困憊して、休養日を決め込んだ。周辺散策をしたと思うが、今ではほとんど記憶がない。当時は、フランコ政権後の王政復活間もない時期であり、あちこちの街角に機関銃を構えた兵士がいたことや屋台で買ったバレンシアオレンジのおいしさが印象に残った。
食事:昼 ?
夜 ?
宿泊:ホステル アメリカ(2泊)900 Pt.
3月21日(水)マドリッド 曇
この日は、写真で判断するとセゴビアに古代ローマの水道橋を見に行ったと思われる。セゴビアの駅から結構歩いた記憶があるが、半端ない規模の構造物に驚かされた。古代ローマ文明恐るべし!
食事:昼 ?
夜 ?
宿泊:ホステル アメリカローマ水道橋 建造物
-
3月22日(木)マドリッドからパリへの移動日 晴
ユーレールパスが失効するため、国境を越えてフランスに移動した。グアダラハラまでは見覚えのある光景が見られたが、その後どういうルートで行ったのかは全く記憶がない。
ただ一つの記憶は以下のとおり。
列車にはサラゴサ行きの車両が連結されており、分岐する手前の駅で切り離しのための停車中、悪友Kが「残った小銭で買い物したい。」というので列車のデッキで待っていたら、突然列車が動き出した。
彼も気づいて、スーパーマンみたいな勢いでかけてきた。200mくらい走ったかもしれないが追いつき、手を引っ張って乗せることができた。そのときのKの必死の形相と、その後、車内での食事中に彼の奥歯が取れたことを今でも鮮明に覚えている。
食事:昼 車中での遅い飯。自分は忘れたが、Kはシチューだった。
夜 ?
宿泊:車中泊
3月23日(金)ショワジー・ル・ロア(パリ郊外) 天気:不明
ユースホステルにチェックイン。偶然か否か、見知った顔ぶれが何人も同宿することとなった。何と、日本のホテルみたいに卓球台が置いてあり、久しぶりに卓球に興じた。
食事:昼
夜 ?
宿泊:ユースホステル -
3月24日(土)ショワジー・ル・ロア 天気:晴
この日は、ベルサイユ宮殿を訪れてみた。敷地は広大であった。きれいに整備された庭園では、「当時の貴婦人たちはこの片隅で用を足したのかぁ」という感慨にしばし浸った。
食事:昼 ?
夜 ?
宿泊:ユースホステルヴェルサイユの宮殿と庭園 城・宮殿
-
3月25日(日)パリ 曇・雨
ユースホステルを遅めに出て、集合場所であるホテルに来た。二つ星ホテルの割にロンドンのロイヤルナショナルホテルよりもきれいな感じの近代的ホテルであった。この日は、話のネタにするため、ツアー仲間8人で映画「愛のコリーダ」を見に行った。
食事:昼 ?
夜 ?
宿泊:ホテル ベルティエ・ラ・トゥール -
3月26日(月)パリ 曇・雨
この日は、パリで過ごせる最後の日。、ルーブル美術館、、エトワール凱旋門、エッフェル塔などを訪ねた。
食事:昼 ?
夜 ?
宿泊:ホテル ベルティエ・ラ・トゥール
(写真:チュイルリー庭園の西門付近からコンコルド広場越しにエッフェル塔を臨んだ一枚)コンコルド広場 広場・公園
-
(写真:オーステルリッツ記念柱)
ヴァンドーム広場 広場・公園
-
当時は、この近くに三越があったんですよね。(写真:オペラ座の前にて)
オペラガルニエ 劇場・ホール・ショー
-
(写真:エトワールの凱旋門前で。三越でお土産を買ったあとと思われる。)
凱旋門 建造物
-
(写真:エッフェル塔の前で。足が上がりません!)
エッフェル塔 建造物
-
3月27日(火)パリ 曇
ドゴール空港でツアー参加者の集合写真を撮り、帰国の途に就いた。経由地アンカレッジで土産用のウイスキーやたばこを買ったとの記録がある。
食事:昼 ?
夜 ?
宿泊:機中泊シャルルドゴール空港 (CDG) 空港
-
3月28日(水)帰国
成田空港に無事降り立った。この日は、近くの叔父の家に泊まったが、疲れと時差ぼけで、翌日の午後3時まで15時間くらい眠って、ヨーロッパの朝に目覚めたようだ。
※ かなうなら、いつの日かこの旅の再現をしてみたいと思う、今日この頃です。成田空港第1ターミナル 空港
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
グリンデルヴァルト ユース ホステル
3.21
この旅行で行ったスポット
もっと見る
ウィーン(オーストリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ウィーン(オーストリア) の人気ホテル
オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安
295円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 1979年2~3月 ダイヤモンドスチューデントツアー 欧州40日間
0
39