2019/05/10 - 2019/05/12
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ワンダラーさん
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10連休も明けて静かになった奥会津から猪苗代湖、さらに泉崎から白河、最後に白河の関跡を訪ねる。
早春の山里を訪問し、残雪に輝く山々や、満開の山桜などをながめる温泉とドライブの旅。その3は白河周辺。
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「泉崎カントリーヴィレッジ」で朝のお散歩。
公共の宿は、ゆったりとした敷地だ。 -
「泉崎さつき温泉こがねの湯」で朝一番風呂。
加水・加温なしの44.5度の源泉が、かけ流しで湯船に供給されている。 -
泉質はアルカリ性単純泉だが、PHはなんと9.8もあって、ぬめりを感じる美人湯系統で、なかなか得難い温泉だ。
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白河市の南湖公園は、『寛政の改革で知られる名君・松平定信によって1801年に築造された日本最古といわれる「公園」』という。
寛政時代から無料なのに、35ヘクタールと規模が大きく、整備も行き届いている。
長さ700mもある大きな池と丘の配置が絶妙で、一部は車で通り抜け可能というのも良い。
今回5月の訪問時は新緑で、ツツジなどが咲き、正に花と緑と水が織りなす美しい風景。 -
南湖公園から南西に少し走ると、福島県営の遺跡歴史博物館「まほろん」がある。
屋外展示もある広い敷地。ツツジが満開。 -
県営で、何と誰でも無料。
児童生徒以外は200円くらいは徴収して運営費の一助にし、ボランティアガイド(現在は高校生を含む29名登録のみ)にも沢山参加してもらえば、もっともっと存在意義が高まりそうに感じる施設だ。 -
展示内容は多彩で、ジオラマなど、小学生でも理解できるような工夫もされている。
ただ、折角これだけの施設をつくるのであれば、白河市の代表的な観光地の南湖公園から徒歩圏にでもつくれば、もっとたくさんの観光客や市民利用者がいて、社会教育に役立つのであろうがと感じる。 -
縄文時代、弥生時代の昔から、人が住んでいた遺跡が発掘されているという。
気候が現在よりも暖かだった時代には、木の実なども多く、古代人も暮らしやすい環境だったのであろう。 -
白河の関は、「みちのく」防衛の拠点。
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「まほろん」をあとに、白河の関跡を目指す。
「まほろん」の少し東側の県道76号が、昔の街道で、白河の関跡を通っている。
白河の関跡の南側には、その駐車場や定期バスの回転場を兼ねて、
大きな「白河関の森公園」がつくられている。 -
このこんもりとした茂みが、白河の関跡が境内にある白河神社の杜。
奥州街道「白河の関」は(時代にもよるが)現在の県道76号とほぼ同じ位置を通って、関東から奥州へ、現在では栃木県と福島県の分水嶺の県境から数キロ北の白河市側の位置ににあったとされる。
現地に行っての想像だが、本当の峠は水の便も悪く、関所で多人数の役人などが常駐するのは不便だったのであろう。また、北からの攻撃では、南が急坂になるので防御もしにくい地形だったのではなかろうか。 -
神社の杜は、山藤の花が満開だ。
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「白河の関」跡はこの927年以前からこの地に鎮座しているという「延喜式内社 白河神社」の境内地になっているという。
鬱蒼と茂った小山の森は、石碑の多さもあって歴史ロマンを感じさせる箇所だ -
先ずは、白河神社に参拝。
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927年の延喜式文書にあるという「延喜式内社 白河神社」は、当時既に「官社」として認められていた。
解説板には由来や祭神、ご利益、境内社、相撲の二所ノ関部屋の発祥などが記されている。 -
「古歌碑」
平兼盛(~990年)、能因法師(988年~?)、梶原景孝(1189年)が詠んだ和歌の石碑 -
「古関蹟の碑」
白河藩主松平定信が1800年に調べさせ、ここが白河の関跡と断定して建立した石碑という。
その後の発掘調査で、間違いのないことが判明したという。 -
「幌掛けの楓」
源義家が前九年の役で、安部貞任打ちに行く途上、白河関を通ったときに幌を掛けて休憩したと伝えられる楓の木。
このあたりになると、本当なのか?という感もしないではないが。 -
鎌倉前期の詩人、従二位の位階を持った藤原家隆が手植えして奉納したと伝えられる約800年の老松。
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「奥の細道 白河の関」の石碑
「卯の花をかざしに関の晴着かな …曾良 」とある。
芭蕉の一行は、1689年新暦の6月8日に、白河の関を訪ねたようだ。
ドライブであれば1週間でも廻れるであろうが、徒歩では大変だったろう。 -
「白河関の森公園」の施設には、売店、藁葺き民家の「ふるさとの家」、そば打ち体験小屋、二所ノ関部屋発祥の地に因んだ「相撲道場」、芝生広場や遊具がある。
二所ノ関部屋の名は『関東と奥州の境にまたがる住吉と玉津島の二つの神社「境の明神」(福島県白河市・栃木県那須町)の異称が二所ノ関と呼ばれていたことに由来する。』とされている 。
早春の山里の花と温泉の旅が、歴史の旅に変わってきたが、大満足の白河周辺だった。
旧街道の県道76号を伊王野に下り、旧陸羽街道から大田原、矢板を経て帰京。
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