2019/05/13 - 2019/05/13
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横浜臨海公園さん
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36該区間は、明治36年(1903年)6月11日開通である。
即ち、初鹿野(現 甲斐大和)-甲府間27.1km開業の一環として開通した。
但し、該区間建設に際し、当初、明治29年(1896年)5月時点計画では、勝沼から甲府盆地に直進し、塩山、及び、山梨市通過は想定外だったが、測量の結果、該経路では勝沼-甲府盆地間連結勾配が45/1000‰を超過し、登攀困難と判定された事から、改めて、現在の該盆地淵経路が選定された。
此の為に、当時の東山梨郡内に於いて熾烈な停車場誘致合戦が繰広げられる事となり、鉄道停車場設置用地を地元の無償提供を条件とされた。
Ⅰ、及び、Ⅱは、当時の第10代山梨縣知事 櫻井 勉(さくらい つとむ)(天保14年(1843年)10月6日~昭和6年(1931年)10月12日)(明治29年(1896年)8月9日~明治30年(1897年)5月27日在任)に、当時の鐵道局宛添状差出を依頼し、駅設置に漕ぎ着けた。
Ⅰ)重川出水氾濫を理由に該河川以南に停車場設置 →塩山
Ⅱ)日下部村 →日下部(現 山梨市)
Ⅲ)東山梨郡岡部村、東八代郡甲運村、西山梨郡石澤村 →石澤(現 石和温泉)
他方、塩山地区に関しては、多くの問題が山積状態だった。
該区間、即ち、笹子(ささご)隧道4657.3m西坑口以西に於いて使用する建設工事資材運搬は、概ね、江戸期以来、甲州街道八王子-甲府間が存在する事から該資材類運搬は可能と思われたが、現実には、該道は街道とは名ばかりの連続屈曲狭隘たる現実から不可能と判定された為に、それ故、東海道本線岩淵(現 富士川)駅に貨車送致し、該駅に於いて積降後、富士川を筏で逆流送、鰍澤に於いて陸揚し、身延街道を甲府まで5里(19.6km)を馬車で搬送、更に、勝沼下集積場に転送し各工事現場に配送すると云う、現在では誠に信じ難い厄介な手段を用いざるを得なかった。
此の為に、同地区には、明治30年(1897年)に鉄道建設必要資材として小規模煉瓦製造工場たる山梨煉瓦製造所が設置稼動した処、該向上排出煤煙が原因で、周辺農作物、殊に、桑が枯死した事から、地元総代から東山梨郡長宛に御願が提出され解決を求められ、結果的に、該被害者に対し春秋養蚕期に於ける工場操業休止、及び、賠償代金支払に依る解決を見た。
該区間建設工事は、淺川(現 高尾)-与瀬(現 相模湖)間の小佛(こぼとけ)隧道2545.1m建設工事が、明治33年(1900年)8月に竣工した事から、該隧道工事従事作業員を該区間に移動させ工事着工させた。
該区間は、笹子隧道を抜け、ほぼ平坦な甲府盆地内に建設設置された為に、隧道工事こそ発生し無かったが、然し、笛吹川橋梁設置工事を必要とした。
該区間建設工事は、明治34年(1901年)3月に開始され、同年10月に敷設工事は概ね完成したが、前述の様に、当時の輸送手段では鉄道車両は勿論、橋梁用鋼材輸送は困難であり。該両橋梁は、橋脚、橋台完成後、橋桁架橋を待つのみとなった。
明治36年(1903年)2月1日附で、大月-初鹿野(現 甲斐大和)間18.2km開通に依り、鉄道輸送に依る構桁輸送が可能になり、該両橋梁工事再開の結果、同年3月末に該区間工事全工程が完了し、機関車入線の上、地固実施完了に依り同年6月11日開通に漕ぎ付けた。
明治40年(1907年)8月は天候不順で、山梨県内は冷夏で連日降雨だったが、特に、同月21日より28日まで記録的集中豪雨となり、該県東部地域各河川に土石流が発生し、該区間では笛吹川橋梁に被害が発生した。
更に、該河川は該集中豪雨影響に依り、河川流路が現在の流路に変化した。
日露(にちろ)戦争(明治37年(1904年)2月8日~明治38年(1905年)9月5日)終結後に於ける帝國陸軍常備兵力増強に対し、同年12月7日に甲府市会は、該市に該駐屯地設置要望を議決し陸軍省に上申し、更に、甲府市有力者若尾家は、陸軍省に対し、該兵力駐屯が決定される事を条件に相川村自家所有地14000坪無償提供を申出た事から、陸軍省内に於いて審議した結果、第1師団歩兵第49連隊衛戍地に決定し、明治42年(1909年)4月に進駐した事から、該以降、甲府市は軍都として街形成が成される事となった。
該線淺川(現 高尾)-塩山間は隧道が多く、八王子-甲府間直流1500V電化工事が行われていたが、昭和5年(1930年)に該工事が竣功し、翌昭和6年(1931年)4月1日甲府駅10時55分発飯田町行普通第406列車より電気運転が開始された。
同年5月1日には、甲府市主催に依る中央線電化祝賀会が開催された。
鐵道省は閑散時に於ける集客を目的にガソリン動車導入を決定したが、甲府機関庫にキハ41000型3両が配置され、昭和10年(1935年)3月15日より該線塩山-甲府-韮崎間30.1kmに運転を開始した。
該区間に於ける大東亜戦争中の空襲に依る被害は、
昭和20年(1945)
7月 6日 第21爆撃機軍団 第314航空隊 B29戦略爆撃機計132機
23時23分 警戒警報発令
23時53分 空襲警報発令
23時54分 空襲開始
2時20分 空襲警報解除
3時20分 警戒警報解除
甲府駅 電話交換室 車電区 機関区全焼
客車1両全焼
甲府管理部庁舎全焼
復旧7日14時
米軍資料に拠れば甲府駅鉄道操車場50㌫を破壊したと記録されているが、実際の鉄道施設被害は軽微だった。
但し、管理部庁舎が全焼被災した事で、該庁舎内に於いて保管されていた明治29年(1896年)4月28日附で八王子に名古屋八王子間鉄道局主張所が開設され、明治36年(1903年)4月1日に甲府移転して以来、創生期以来の八王子-塩尻-南木曾間建設工事関する貴重な原資料が烏有に帰した事は惜しまれる。
甲府駅に該線用省型電車初入線は、試運転を兼ね、昭和25年(1950年)10月10日に実施され、問題無き事が確認された為に、同年12月1日より新宿-甲府間1本が電車化され、同時に、塩山-甲府間区間列車が身延線富士電車区配置電車の間合運用で運転された。
昭和36年(1961年)石和に於いて温泉が噴出した。
実は、桃葡萄栽培に必要な水確保の為に田圃内に井戸を掘削中、突然温泉が湧出たもので、桃畑は高値で売買され、該町内は温泉成金が続出し、たちまち歓楽温泉街が出現した。
該区間複線化は、
塩山-山梨市間 昭和40年(1965年) 9月29日
山梨市-別田(現 春日居町)間 昭和43年(1968年) 1月28日
別田(現 春日居町)-石和(現 石和温泉)間 昭和41年(1966年)11月25日
石和(現 石和温泉)-酒折間 昭和44年(1969年) 1月28日
酒折-甲府間 昭和45年(1970年) 9月29日
である。
高尾-石和(現 石和温泉)間複線化は概ね昭和43年(1968年)9月迄に完成したが、他方、石和(現 石和温泉)-甲府間複線化は、住宅密集地通過故にゴネ得目的の地権者も多く土地収用に困難を来たし、最終的に強制執行に拠る土地収用を余儀無くさせられた。
身延(みのぶ)線富士-甲府間88.4kmは、日本国有鉄道時代は金手(かねんて)-甲府間のみ東京西鉄道管理局管轄以外、静岡鉄道管理局管轄だったが、民営分割を直前に控え、昭和62年(1987年)2月1日附を以って、局界点が従来の善光寺-金手間から金手-甲府間に変更された。
此の為に、甲府市中心部、中央本線、及び、身延線平走区間に於いて、個々所属旅客会社が異なると云う現象が発生した事から、個々会社使用機器相違と云う事態に発展した。
金手踏切は同一踏切たるにも拘らず、両社で警報機、及び、遮断機型式が全く異なる全国でも稀有例である。
表紙写真は、
東日本旅客鉄道線側から俯瞰した
金手(かねんて)踏切
全景
中央本線歴史的痕跡探訪記
~東京-飯田橋間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11227787
~飯田町-飯田橋-新宿間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11228675
~新宿-中野間編 大正浪漫~
~中野-三鷹間編 大正浪漫~
~三鷹-立川間編 大正浪漫~
~立川-八王子間編 明治頌歌~
~八王子-上野原間編 明治頌歌~
~上野原-大月間編 明治頌歌~
~大月-笹子間編 明治頌歌~
~笹子-塩山間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11303788
~塩山-甲府間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11488165
~甲府-韮崎間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11495714
~韮崎-小淵澤間編 明治頌歌~
~小淵澤-茅野間編 明治頌歌~
~茅野-岡谷間編 明治頌歌~
~岡谷-辰野間編 明治頌歌~
~辰野-塩尻間編 明治頌歌~
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
塩山(えんざん)駅
該駅は、明治36年(1903年)6月11日開業である。
該駅周辺たる大藤、及び、神金地区では少数ながら花崗岩が産出していたが、該駅開業前は輸送手段が無に等しく、該花崗岩買手は皆無だったが、該駅開業に伴い、地元の主要産業として高額取引が成される様になり、該駅貨物主要発送品となった。
該駅は、昭和59年(1984年)2月1日附で貨物取扱業務を廃止し、跡地活用を兼ね、駅本屋改築に着手し、昭和61年(1986年)9月3日に、現第2代駅本屋が竣工し合せて橋上化された。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=293塩山駅 駅
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東山梨(ひがしやまなし)駅
該駅は、昭和32年(1957年)2月25日開業である。
明治36年(1903年)6月11日に初鹿野(現 甲斐大和)-甲府間開通時に於いて東山梨郡内に停車場が設置されたのは、塩山、及び、日下部(現 山梨市)2箇所に過ぎず、駅設置運動に敗北した所は、再度、大正期に鐵道省に対し駅設置請願を行ったが、塩山-日下部(現 山梨市)間至近距離を理由に該請願を却下した。
然るに、昭和10年代ともなると鐵道省もガソリン動車導入に依るフリークエントサービスが本格化し、甲府機関区にもキハ41000型ガソリン動車が配置された事から、再度駅設置請願を行ったが、折しも、日華(にっか)事変(昭和12年(1937年)7月8日~昭和16年(1941年)12月8日)が勃発し、我が国は平時体制から準戦時体制へと移行し、ガソリン統制が行われ、該動車運転が困難になった事から、該請願も立消え状態となった。
大東亜戦争後、平和回復と共に、該地区駅設置運動が再燃し、日本国有鉄道東京鉄道管理局に対し駅設置請願をした処、地元全額負担を条件に設置許可が下りた事から開業に漕付けた。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1306東山梨駅 駅
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東山梨駅
全景
但し、開業当初はホーム有効長の関係で、塩山-甲府-韮崎間区間列車に限定停車駅だった為に、有効2両分全長40mに満たない。東山梨駅 駅
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東山梨駅
第1番ホーム
該区間単線時代設置の為に、該ホーム側壁は石積。
該工事は全部地元住民に依る手弁当で実行された。東山梨駅 駅
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東山梨駅
第1番ホーム
塩山-甲府-韮坂間に身延線富士電車区(静フシ)配置電車の間合運転を実施する事になり、該時に該ホームが延長され55mになった。東山梨駅 駅
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東山梨駅
第1番ホーム
該駅は平成期にホームが再延長され、6両編成停車が可能になった。
それまで、新宿・立川・高尾-甲府間運転列車は、ホーム有効長不足の為に該駅を通過していたが、延長工事完了と共に停車が可能になった・東山梨駅 駅
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東山梨駅
第2番ホーム
昭和40年(1965年)9月29日附で、塩山-山梨市間複線化時に設置。東山梨駅 駅
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東山梨駅
第2番ホーム
全景東山梨駅 駅
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山梨市(やまなしし)駅
該駅は、明治36年(1903年)6月11日開業である。
但し、開業当時は 日下部(くさかべ)驛と称した。
該駅開設時は、鉄道利用が無くとも鉄道の利便性に対する認識が有った事もあり、東山梨郡内では熾烈な停車場誘致運動が繰り広げられ、最終的に日下部村地区に設置が決定した。
該駅に於ける主要発送品は米、及び、農作物だったが、昭和57年(1982年)11月15日附時刻改正時に廃止された。
現駅名改称は、昭和37年(1962年)1月15日附である。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1609山梨市駅 駅
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山梨市駅
第1番ホーム山梨市駅 駅
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山梨市駅
第1番ホーム
旅客跨線橋
古軌条群
ペイント厚塗の為に原軌条判明し得ず。山梨市駅 駅
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山梨市駅
第1番ホーム
跨線橋階段山梨市駅 駅
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山梨市駅
駅構内
新橋上駅本屋が建設中。山梨市駅 駅
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山梨市駅
第2番ホーム山梨市駅 駅
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山梨市駅
第2番ホーム
跨線橋山梨市駅 駅
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山梨市駅
第2番ホーム
煉瓦積側壁が残存。
然し、351系振子電車導入に鑑み建築限界抵触が懸念された事から、開業来の側壁を一部研削。山梨市駅 駅
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山梨市駅
第2番ホーム
該駅は、昭和57年(1982年)11月15日附で貨物業務取扱を廃止したが、該取扱跡地を活用し、第3代駅本屋建設に伴い南口が設置される。山梨市駅 駅
-
山梨市-春日居町間
笛吹川(ふえふきがわ)橋梁
該橋は、明治36年(1903年)6月11日開通である。
全長163.0m
明治40年(1907年)8月発生の山梨県東部集中豪雨に依り、該橋梁にも被害が及んだ。
山梨市-別田(現 春日居町)間は、昭和43年(1968年)11月28日に複線化されたが、新橋梁は該河川下流側に架橋され、該日より新橋梁は下り線専用、既成橋梁は上り線専用となった。
山梨市上神内川無番地
中央本線山梨市駅 徒歩8分 -
山梨市-春日居町間
笛吹川橋梁
東京方
該河川は、明治40年(1907年)8月に発生した、山梨県東部集中豪雨被害に依り、該橋梁を挟み流路が著しく変化した。
山梨市上神内川無番地
中央本線山梨市駅 徒歩8分 -
山梨市-春日居町間
笛吹川橋梁
名古屋方
山梨市万力1825
中央本線山梨市駅 山梨市営交通自動車線万力停留所降車 徒歩3分 -
山梨市-春日居町間
笛吹川橋梁
名古屋方
山梨市万力1825
中央本線山梨市駅 山梨市営交通自動車線万力停留所降車 徒歩3分 -
山梨市-春日居町間
笛吹川橋梁
上り線用
第5番橋脚
該橋脚は該橋梁架橋当時の物。
山梨市万力1825
中央本線山梨市駅 山梨市営交通自動車線万力停留所降車 徒歩3分 -
山梨市-春日居町間
笛吹川橋梁
下り線側
橋梁
昭和43年(1968年)11月28日開通。
山梨市万力1825
中央本線山梨市駅 山梨市営交通自動車線万力停留所降車 徒歩3分 -
山梨市-春日居町間
笛吹川橋梁
上り線側
上路プレート・ガーダー桁
16.50m
山梨市万力1825
中央本線山梨市駅 山梨市営交通自動車線万力停留所降車 徒歩3分 -
山梨市-春日居町間
笛吹川橋梁
上り線側
橋台
山梨市万力1825
中央本線山梨市駅 山梨市営交通自動車線万力停留所降車 徒歩3分 -
山梨市-春日居町間
別田(べつでん)踏切
該踏切隣接の春日居町駅は、平成5年(1993年)4月1日附で、従来の別田(べつでん)から現駅名に改称されたが、踏切名に旧村名が残存。
笛吹市桑戸465
中央本線春日居町駅 徒歩5秒 -
春日居町(かすがいまち)駅
該駅は、昭和29年(1954年)12月1日開業である。
但し、開業当時は 別田(べつでん)駅と称した。
東山梨郡春日居村は、鉄道該区間開通に鑑み、笛吹川右岸日下部村と熾烈な停車場誘致合戦を繰り広げた結果、軍杯は日下部村側に下り、春日居村は停車場設置候補とならず該運動も自然消滅した。
駅設置運動が再燃するのは、昭和年(年)月日附で甲府機関庫にキハ41000型ガソリン動車両が配置され、塩山-甲府-韮坂間に運転開始された事で利便性向上となり、更に、当時の鐵道省は、該動車配置地域に対し、集客の為に積極的に簡易乗降場設置を奨励した事がきっかけで、該村は鐵道省名古屋鐵道局に対し、駅設置願を提出した。
然るに、時恰も日華(にっか)事変(昭和12年(1937年)7月8日~昭和16年(1941年)12月8日)勃発に伴う平時体制から準戦時体制への移行に依り、政府に依るガソリン統制が始まった事で、特別地区を除く該動車運転が次第に困難となった事で、該区間に於ける該動車運転は休止され、該村新駅設置運動も尻萎とならざるを得なかった。
大東亜戦争終結後、当時の身延線運用電車が全車鐵道省型式に統一された事で、静岡富士電車区配置電車運用で、甲府に於ける間合運用に依り、昭和25年(1950年)12月1日より塩山-甲府間に電車運転が導入された事で、該地区に駅設置運動が再発した。
日本国有鉄道東京鉄道管理局は審査した結果、駅設置必要用地、及び、不動産に対し地元無償提供を条件に駅設置に合意した事から、晴れて開業に漕ぎ付けた。
開業当初は駅員も配置され信号取扱業務を行っていたが、昭和43年(1968年)11月28日附で山梨市-別田(現 春日居町)複線化に依り該信号取扱業務は不要となり、且つ、乗車人員も過少な事から、昭和45年(1970年)10月1日附を以って無人化された。
現駅名改称は、平成5年(1993年)4月1日附である。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=437春日居町駅 駅
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春日井駅
全景春日居町駅 駅
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春日居町駅
第1番ホーム春日居町駅 駅
-
春日居町
第2番ホーム春日居町駅 駅
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石和温泉駅
構内
貨物取扱業務廃止後、完全に停留所化。
名古屋方
俯瞰 -
石和温泉(いさわおんせん)駅
該駅は、明治36年(1903年)6月11日開業である。
但し、開業当時は 石澤(いさわ)驛と称した。
該駅開業当初は跨線橋は設置されなかったが、大正4年(1915年)12月に跨線橋が設置されたものの、大東亜戦争最中に金属非常回収令に拠り、昭和19年(1944年)9月10日附で廃止撤去の已む無きに至ったが、戦後、世間が安定すると共に再設置された。
初代駅本屋は老朽化が著しかった事から、昭和11年(1936年)に改築され、第2代駅本屋が完成した。
長年、地元より要望が高かった特急列車停車は、昭和56年(1981年)10月1日附時刻改正より実施された。
該駅に於ける主要貨物発送品は酒類、及び、砂利で、平成11年(1999年)7月16日まで専用貨物線が存在した。
その後、第2代駅本屋が老朽化した事で改築が決定し、平成27年(2015年)3月25日に南口、翌平成28年(2016年)2月12日に北口が開設され橋上化された。
現駅名改称は、平成5年(1993年)4月1日附である。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=110石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
駅前
地元では薔薇が特産品目であり、季節ともなると薔薇の馥郁たる香に満る。石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
駅前広場
現第3代駅本屋竣功は、平成27年(2015年)3月25日附石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
改札口石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
北口
平成28年(2016年)2月12日開設。石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
北口石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
第1番ホーム石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
第1番ホーム
駅前同様、季節ともなると薔薇に満ちる。
但し、芳醇な香りに誘われ蜂亦多し。石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
第1番ホーム
名古屋方石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
第2番ホーム石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
第2番ホーム石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
第1番ホーム
東京方石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
旧貨物取扱施設跡
平成11年(1999年)7月16日を以って該駅貨物取扱業務は廃止された。石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉駅
旧貨物取扱施設跡
旧秩父セメント専用線として、昭和43年(1968年)4月1日附で開設され、昭和45年(1970年)2月18日に設備拡張された。
貨物取扱業務廃止後20年が経過したが、敷地内に撤去されず残存する線路跡。石和温泉駅観光案内所ワインサーバー〔ワイン試飲〕 by 横浜臨海公園さん石和温泉駅 駅
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石和温泉-酒折間
第2平等川(だいに びょうどうがわ)橋梁
全長33.5m
31.50m
笛吹市石和町天神無番地
中央本線石和温泉駅南口 徒歩9分 -
酒折(さかおり)駅
該駅は、大正15年(1926年)2月11日開業である。
該駅は、周辺地域産出の石材輸送を目的として請願に依り開設された。
その後、老朽化に依り、昭和44年(1969年)9月に第2代駅本屋が竣工したが、然し、該駅裏側が再開発に依る宅地化の進行、及び、山梨学院大学拡充に依り、再改築が決定し、現第3代目駅本屋は、平成18年(2016年)2月1日竣功した。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=726酒折駅 駅
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酒折駅
北口
平成21年(2009年)3月完成。酒折駅 駅
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酒折駅
連絡路
右 下り線連絡階段
左 上り線連絡通路酒折駅 駅
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酒折駅
連絡路
右 下り線連絡階段
左 上り線連絡通路酒折駅 駅
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酒折駅
第2番ホーム
連絡地下旅客通路酒折駅 駅
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酒折駅
第1番ホーム
殆どの部分で上屋が存在しない。酒折駅 駅
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酒折駅
第1番ホーム
該駅改築時に辛うじて設置された上屋。酒折駅 駅
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酒折駅
第1番ホーム
ホーム上屋
該位置にのみ上屋が存在するのは、当時の中央本線電車客車列車荷物車連結位置で、荷物雨棄損を防止の為。酒折駅 駅
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酒折駅
第2番ホーム
ホーム上屋
該位置にのみ上屋が存在するのは、当時の中央本線列車2等車連結位置に合せた名残。酒折駅 駅
-
酒折駅
第2番ホーム
ホーム上屋
支柱
古軌条使用。酒折駅 駅
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酒折駅
第2番ホーム酒折駅 駅
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酒折駅
第2番ホーム
ホーム上屋
地下通路口のみ設置。酒折駅 駅
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酒折駅
第2番ホーム
ホーム上屋酒折駅 駅
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酒折駅
第2番ホーム酒折駅 駅
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酒折駅
第2番ホーム酒折駅 駅
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酒折駅
日星株式会社本社
該社は架線、及び、信号機器保守担当企業。
http://www.nissei.ne.jp/ -
酒折駅
日星株式会社本社
本社敷地内に架線と共に、狭軌標準軌が設置。
該社許可を得て立入撮影。
http://www.nissei.ne.jp/02.html -
酒折駅
日星株式会社本社
本社敷地内に架線と共に、狭軌標準軌が設置。
該社許可を得て立入撮影。
http://www.nissei.ne.jp/02.html -
酒折駅
日星株式会社本社
本社敷地内に架線と共に、狭軌標準軌が設置。
腕木式信号機、腕木式通過信号機。
該社許可を得て立入撮影。
http://www.nissei.ne.jp/02.html -
酒折駅
日星株式会社本社
本社敷地内に架線と共に、狭軌標準軌が設置。
該社許可を得て立入撮影。
http://www.nissei.ne.jp/02.html -
酒折駅
駅構内
名古屋方
俯瞰 -
酒折-甲府間
甲斐善光寺(かいぜんこうじ)臨時停留所跡
甲斐善光寺が大開帳、及び、武田信玄公350年祭挙行の為に、大正6年(1917年)4月5日~同年6月4日に臨時開設された。
同年6月5日廃止。
甲府市善光寺3-28
中央本線酒折駅 徒歩10分 -
酒折-甲府間
中央本線・身延線平行区間
右中 中央本線(東日本旅客鉄道所属)
左 身延線(東海旅客鉄道所属) -
酒折-甲府間
誓願寺踏切
東日本旅客鉄道線側
身延(みのぶ)線富士-甲府間88.4kmは、日本国有鉄道時代は金手(かねんて)-甲府間のみ東京西鉄道管理局管轄だったが、民営分割を直前に控え、昭和62年(1987年)2月1日附を以って、分界点が従来の善光寺-金手間から金手-甲府間に変更された。
此の為に、甲府市中心部、中央本線、及び、身延線平走区間に於いて、個々所属旅客会社が異なると云う現象が発生した事から、個々会社使用機器相違と云う事態に発展した。
誓願寺踏切は同一内に存在するにも拘らず、警報機型式が両社で全く異なる。
甲府市城東1-5
身延線金手駅 徒歩3分 -
酒折-甲府間
誓願寺踏切
東日本旅客鉄道線側 -
酒折-甲府間
誓願寺踏切
東海旅客鉄道線側
甲府市城東1-1
身延線金手駅 徒歩3分 -
金手(かねんて)駅
該駅は、昭和4年(1929年)8月15日開業である。
富士身延鐵道依る開通区間だったが、鐵道省買収に依り身延線となった。
該駅は、昭和20年(1945年97月7日甲府大空襲に依り、付近一帯と共に全焼した事から、暫く営業休止となり該線列車は通過していた。
営業再開は、昭和28年(1953年)5月10日附である。金手駅 駅
-
酒折-甲府間
金手踏切
全景
甲府市東光寺1-3
身延線金手駅 徒歩15秒金手駅 駅
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酒折-甲府間
金手踏切
東日本旅客鉄道線側
甲府市東光寺1-3
身延線金手駅 徒歩15秒金手駅 駅
-
酒折-甲府間
金手踏切
東日本旅客鉄道線側
遮断機
中折式
甲府市東光寺1-3
身延線金手駅 徒歩15秒金手駅 駅
-
酒折-甲府間
金手踏切
東日本旅客鉄道線側
警報機
甲府市東光寺1-3
身延線金手駅 徒歩15秒金手駅 駅
-
酒折-甲府間
金手踏切
東海旅客鉄道線側
甲府市城東1-3
身延線金手駅 徒歩10秒金手駅 駅
-
酒折-甲府間
金手踏切
東海旅客鉄道線側
遮断機
腕木式
甲府市城東1-3
身延線金手駅 徒歩10秒
遮断機金手駅 駅
-
酒折-甲府間
金手踏切
東海旅客鉄道線側
警報機
甲府市城東1-3
身延線金手駅 徒歩10秒金手駅 駅
-
酒折-甲府間
211系上り普通電車 -
酒折-甲府間
長禅寺架道橋
甲府市愛宕町無番地
中央本線甲府駅南口 徒歩12分 -
酒折-甲府間
長禅寺架道橋
甲府市愛宕町無番地
中央本線甲府駅南口 徒歩12分 -
酒折-甲府間
長禅寺架道橋
身延線
橋台
昭和3年(1928年)3月30日開通
富士身延電気鐵道が開設。
東海旅客鉄道管轄。
甲府市愛宕町無番地
中央本線甲府駅南口 徒歩12分 -
酒折-甲府間
長禅寺架道橋
身延線
橋台
昭和3年(1928年)3月30日開通
東海旅客鉄道管轄。
甲府市愛宕町無番地
中央本線甲府駅南口 徒歩12分 -
酒折-甲府間
長禅寺架道橋
中央本線線
橋梁
明治36年(1903年)6月11日開通。
東日本旅客鉄道管轄。
甲府市愛宕町無番地
中央本線甲府駅南口 徒歩12分 -
酒折-甲府間
長禅寺架道橋
中央本線線
橋台
明治36年(1903年)6月11日開通。
東日本旅客鉄道管轄。
甲府市愛宕町無番地
中央本線甲府駅南口 徒歩12分 -
酒折-甲府間
東海東日本旅客鉄道線分界点
東海旅客鉄道線側
甲府市愛中央3-1
中央本線甲府駅南口 徒歩10分 -
酒折-甲府間
東海東日本旅客鉄道線分界点
東海旅客鉄道線側
甲府市愛中央3-1
中央本線甲府駅南口 徒歩10分 -
酒折-甲府間
東海東日本旅客鉄道線分界点
東海旅客鉄道線側
甲府市愛中央3-1
中央本線甲府駅南口 徒歩10分 -
酒折-甲府間
東海東日本旅客鉄道線分界点
東海旅客鉄道線側
甲府市愛中央3-1
中央本線甲府駅南口 徒歩10分 -
酒折-甲府間
東海東日本旅客鉄道線分界点
東日本旅客鉄道線側
甲府市愛中央3-1
中央本線甲府駅南口 徒歩10分 -
酒折-甲府間
愛宕(あたご)踏切
該踏切は、明治36年(1903年)6月11日設置である。
即ち、甲府市は鉄道通過地が該市中心部たる事から、鉄道線路を以って該市分断を忌避する為に、鐵道作業局に対し、該踏切設置を請願し認められたものである。
甲府市愛宕町75
中央本線甲府駅南口 徒歩5分 -
甲府駅
駅構内
名古屋方
俯瞰甲府駅 駅
-
甲府(こうふ)駅
該駅は、明治36年(1903年)6月11日開業である。
初代駅本屋は、大正13年(1924年)3月19日に失火が原因で全焼したが、鐵道省名古屋鐵道局に依り第2代駅本屋が設置され、該駅本屋は、昭和20年(1945年)7月7日の甲府大空襲時も被災せず無事だった。
現駅本屋は、昭和60年(1985年)10月に かいじ国体開催に合せ、改築された第3代目橋上駅舎である。甲府駅 駅
-
甲府駅
駅本屋
近接
該駅設置箇所に対し、当時の甲府市会は、明治29年(1896年)9月2日に、甲府停車場ノ位置ハ市ノ西北部ニ於テ現今市街ノ中心点ニ接地シタル土地ニ設定セアラルコトヲ望ム と決定し、当時の第10代 山梨縣知事 櫻井 勉(さくらい つとむ)(天保14年(1843年)10月6日~昭和6年(1931年)5月27日)(明治29年(1896年)8月12日~明治30年(1897年)5月27日在任)に対し、該意見書を提出した。
問題は、市中心部通過に鑑み、旧甲府城北部通過が決定したが、停車場必要用地約30000坪の確保に対し、鐵道作業局より無償提供の要求があったが、同時に線路敷設に伴う市中心部断絶防止の為に該駅東側に踏切設置を決定した。甲府駅 駅
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甲府駅
改札口
県庁所在地代表駅改札口とは思えぬ質素な印象。甲府駅 駅
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甲府駅
第1番ホーム甲府駅 駅
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甲府駅
第1番ホーム
開業当時の側壁が残存。
但し、351系電車導入時に建築限界支障が問題となり、削磨痕が生々しい。甲府駅 駅
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甲府駅
旧貨物取扱施設跡甲府駅 駅
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甲府駅
甲府駅 駅
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甲府駅
甲府駅 駅
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甲府駅
甲府駅 駅
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甲府駅
甲府駅 駅
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甲府駅
旧跨線橋鋳鉄主柱甲府駅 駅
-
甲府駅
旧跨線橋鋳鉄主柱
新橋工場は、現在の大井車両センター前身。甲府駅 駅
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甲府駅
旧甲府機関区跡
該機関区は、明治36年(1903年)5月1日附で開設された甲府機関庫が嚆矢である。
昭和5年(1930年)12月15日附で初めて電気機関車が配置された。
ED16型 5両
ED14型 4両
ED17型17両
が配置された。
ED17型はED50型旅客用電気機関車として横須賀線用として東京機関区庫に配置されていたが、該線電車化に依る余剰として、急遽、貨物勾配用に歯比数改造工事を実施し該庫に転用使用した。
昭和10年(1930年)5月1日より 八王子-甲府間に於いて回生制動使用試験が実施
EF11型4両使用し回生回収率30㌫を記録し成功を収めた。
昭和60年(1985年)3月15日に合理化に依り廃止され、跡地は日本国有鉄道清算事業団を経て各種団体に払下げられた。甲府駅 駅
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この旅行記へのコメント (2)
-
- JGC_SFCさん 2019/05/30 09:35:41
- 旅行記・・・より貴重なレポート、ありがとうございます (山梨出身です)
- 横浜臨海公園さま:
JGC_SFCです。おはようございます♪
中央本線の旅行記(と言うより、とても貴重なレポート)、興味深く拝見&すごく勉強になりました。
僕は、山梨の境川(現在は笛吹市の一部)出身で、高校までは実家から通学でした(バス通学でしたが)・・・高校が中央本線の沿線にありました。
授業中、列車・電車が走るのを横目で見ていたものです(笑)
記憶を辿ると、5歳くらいの時(50年以上前です♪)に、両親と横浜の親戚に行く時の事がほんのり思い出されます。
電気機関車に曳かれた客車列車、蒸気機関車とすれ違った記憶もある様なない様な・・・
高校卒業してからは、大学・就職は東京だったので、週末などには頻繁に中央本線に乗って実家に帰ってました♪
機関車に曳かれた客車から、70系(ゲタ電)、115系、165系、181系、183系など、懐かしい車両が思い出されます。
横浜臨海公園さまの旅行記の写真、見た事のあるものもたくさんあるのですが、歴史的な背景などは知らなかったものがほとんどです。
数え切れないくらい乗っている(平均、月一は乗っているので、今まで1,500回くらい?)中央本線ですが、沿線をじっくり見た(観た)事はないので、来月の山梨行きの際は、横浜臨海公園様の旅行記をテキストに、甲府~酒折(出来れば、石和温泉まで)を歩いてみようかな、と思います。
次回の旅行記(どこになるのだろう、塩山~笹子辺り?)も楽しみにしています。
では、長文失礼致しました m(__)m
JGC_SFC
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/05/30 11:17:50
- 拝復
- JGC_SFCさま、こんにちは。
拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
JGC_SFCさまが、あの辺の御出身だったは意外でした。
兎に角、中央線の旅行記作成は、万世橋-八王子間の甲武鐵道時代の記録は関東大震災の鐵道省本省庁舎全焼で消え、八王子-塩尻-南木曾間建設記録も甲府大空襲で甲府管理部全焼時に烏有に帰し、資料収集着手後2年目に旅行記作製はダメだと思えておりました。
今回、上程に漕ぎ着けたものの、東海道線編と比較して内容が薄いと感じられたかも知れませんが、実は、此の様な事情に依るもので、何卒ご了解を頂きたいと存じます。
兎に角、小生が記憶する昭和40年代半ばの中央線列車と言えば、ディーゼル車でも、上野駅では絶対に見られないキハ65型と碓井峠登攀用キハ57型が新宿駅で見られた事で、初めてキハ65型に乗った時は、座席ピッチが広くエンジン音と加給器音がウルサイとの印象でした。
その列車が、富士吉田行、小海線中込行、大糸線糸魚川行と併合分割され運転されていたとは、今では信じられない時代です。
普通列車でも、籠に入れて笹子餅を車内販売していましたね。
僅か数十年前の事とは言え、全てが隔世の感がしてなりません。
横浜臨海公園
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