2019/07/07 - 2019/07/07
3位(同エリア179件中)
横浜臨海公園さん
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該区間は、明治36年(1903年)12月15日開通である。
該区間に対し、明治33年(1900年)に現地測量を実施し、該測量結果に基き翌明治34年(1901年)に現地土地買収を実施完了し、甲府-塩尻-宮ノ越間鉄道建設工事を、第22工区~第43工区に分割し施工が決定した。
該区間は、工事第23工区として明治35年(1902年)4月4日、及び、工事第24工区として同年5月22日に着工した。
途中、龍王-韮崎間に存在する塩川橋梁は、当該橋梁が曲線上に設置された事で、当時の技術では不安定な存在であり、後に、明治43年(1910年)8月9日発生の関東地方近現代最大の記録的集中豪雨に依る大災害発生に依り該河川に土石流が発生し堤防決壊時に、時に、該橋梁名古屋方橋台、橋脚根場が損傷し、内閣鐵道院中部鐵道管理局は、該橋梁東京方に仮乗降場を設置し、仮復旧する10日間は徒歩連絡を要する事態が発生した。
昭和10年(1935年)3月15日より、塩山-甲府-韮崎間30.1kmに、キハ41000型ガソリン動車を使用して区間列車が運転される様になり、此の為に、甲府機関庫に該車輌3両が配置された。
山梨県中心地たる甲府には、明治36年(1903年)4月1日附で、逓信省鐵道作業局甲府出張所開設以来、広範囲に亘り管理管轄業務を行使していた。
昭和17年(1942年)9月11日附で、従来の運転事務所制、保線事務所制が廃止され、新に管理部制が施行され、甲府市に名古屋鐵道局甲府管理部が設置されたが、該管理部管理管轄範囲は、
中央本線淺川(現 高尾)-田立間
小海線小淵沢-清里間
篠ノ井線塩尻-広丘間
身延線稲子-甲府間
諏訪自動車線全区間
を管轄していた。
その後、昭和19年(1944年)7月6日附で、東京鐵道局新橋管理部より、該線大久保-淺川(現 高尾)間が八王子管理部として独立し、同時に、淺川(現 高尾)-藤野間は甲府管理部管轄から八王子管理部管轄に移管された。
途中、昭和20年(1945年)7月6日未明の甲府大空襲時に該管理部本庁舎に焼夷弾が命中し全焼したが、戦争終結直後に直ちに復旧再建された。
昭和24年(1949年)6月1日附で日本国有鉄道が成立したが、既成管理部体制は維持されたが、翌昭和25年(1950年)8月1日附を以って管理部が全部廃止され、新に、全国各地に管理局が設置された。
管理局骨子は同年6月14日に決定したが、その予定骨子は同月9日の段階で決定しておらず、青森、山形、福島、甲府、及び、下関に鉄道管理局設置が内定有力視されていた。
然るに、結果的に当該地区に鉄道管理局は設置されなかった。
一説には。当該地区出身政治家には大臣経験者級の大物が存在せず、日本国有鉄道に圧力を掛けられなかった事が原因ともされた。
結局、甲府には新管理局は設置されず、長野の設置され、該線は、東京-甲府間が東京鉄道管理局、甲府-田立間は長野鉄道管理局に分割管理され、明治期開通時以来継続した甲府管理体制は発展的解消を遂げた。
該区間は、長らく通票閉塞式を使用していたが、昭和37年(1962年)12月9日附で、甲府-韮崎間が単線自動閉塞式を導入し、同時に信号機は色燈化され、該区間から腕木式信号機が消滅した。
甲府-上諏訪間76.8kmは、昭和39年(1964年)8月23日附で直流1500V電化された。
該区間複線化は、
甲府-龍王間 昭和43年(1968年) 9月28日
龍王-塩崎間 昭和43年(1968年) 9月25日
塩崎-韮崎間 昭和45年(1970年) 9月16日
である。
昭和44年(1969年)3月1日附で、東京鉄道管理局は、東京南、東京西、及び、東京北鉄道管理局分割されたが、甲府-小淵沢間は長野鉄道管理局管轄から東京西鉄道管理局管轄に再変更された。
然し、該区間が長野管轄だった痕跡は色濃く残り、東京西鉄道管理局駅使用の乗車券・料金券印刷が東京印刷所に於いて行われ現場配布されたのに対し、該区間に限り昭和55年(1980年)まで、新潟印刷所で行われていた。
表紙写真は、
塩崎-韮崎間宇都谷(うつのや)架最後
中央本線歴史的痕跡探訪記
~東京-飯田橋間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11227787
~飯田町-飯田橋-新宿間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11228675
~新宿-中野間編 大正浪漫~
~中野-三鷹間編 大正浪漫~
~三鷹-立川間編 大正浪漫~
~立川-八王子間編 明治頌歌~
~八王子-上野原間編 明治頌歌~
~上野原-大月間編 明治頌歌~
~大月-笹子間編 明治頌歌~
~笹子-塩山間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11303788
~塩山-甲府間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11488165
~甲府-韮崎間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11495714
~韮崎-小淵澤間編 明治頌歌~
~小淵澤-茅野間編 明治頌歌~
~茅野-岡谷間編 明治頌歌~
~岡谷-辰野間編 明治頌歌~
~辰野-塩尻間編 明治頌歌~
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
甲府(こうふ)駅
該駅は、明治36年(1903年)6月11日開業である。
初代駅本屋は、大正13年(1924年)3月19日に失火が原因で全焼したが、鐵道省名古屋鐵道局に依り第2代駅本屋が設置された。
第2代駅本屋は、昭和20年(1945年)7月7日の甲府大空襲時も被災せず無事だった。
現駅本屋は、昭和60年(1985年)10月に かいじ国体開催に合せ、改築された第3代目橋上駅舎である。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=671甲府駅 駅
-
甲府駅
駅構内
名古屋方
俯瞰甲府駅 駅
-
甲府駅
駅構内
東京方
俯瞰甲府駅 駅
-
甲府駅
駅構内
中央本線、及び、身延線、普通列車用車輌代表形式甲府駅 駅
-
甲府駅
駅構内
東京方
珍客甲府駅 駅
-
甲府-竜王間
荒川(あらかわ)架道橋
総煉瓦造
該橋は、明治36年(1903年)12月15日附開通の橋梁である。
甲府市飯田6-21
中央本線甲府駅南口 山梨交通自動車線八幡神社入口停留所降車 徒歩6分 -
甲府-竜王間
荒川架道橋
山側
該架道橋設置当時は我が国に自動車は存在せず馬車のみ存在した。
甲府市飯田6-21
中央本線甲府駅南口 山梨交通自動車線八幡神社入口停留所降車 徒歩6分 -
甲府-竜王間
荒川架道橋
内部
老朽化が著しく早急な保全処理が望ましい。
甲府市飯田6-21
中央本線甲府駅南口 山梨交通自動車線八幡神社入口停留所降車 徒歩6分 -
甲府-竜王間
荒川(あらかわ)橋梁
該橋は、明治36年(1903年)12月15日開通の橋梁である。
全長103.6m(340ft)
杉 文三(すぎ ぶんぞう)(生没年不詳)設計に依る
作35年式鋼鐡製上路プレート・ガーダー桁
24.4m(80ft)×4蓮
が架橋された。
橋台、橋脚は切石積構造。
該橋梁工事着工は、明治35年(1902年)4月。
該橋は、架橋設置工事中、橋脚部より多量湧水発生の為に、当初計画より基礎コンクリート覆厚を0.6m(2.5ft)から0.9m(3.0ft)に変更した。
該区間は、昭和43年(1968年)9月28日附で複線化されたが、新設橋梁は既成橋梁上流側に架橋され、該日より、新設橋梁は上り線専用、既成橋梁は下り線専用となった。
甲府市飯田6-21
中央本線甲府駅南口 山梨交通自動車線八幡神社入口停留所降車 徒歩6分 -
甲府-竜王間
荒川橋梁
全長103.0m
作35年式鋼鐡製上路プレート・ガーダー桁
24.4m(80ft)×4連
作35年式とは、明治35年(1902年)設定の鋼鐡製上路プレート・ガーダー桁を称する。
甲府市飯田6-21
中央本線甲府駅南口 山梨交通自動車線八幡神社入口停留所降車 徒歩6分 -
甲府-竜王間
荒川橋梁
東京方
橋台
荒川架道橋と一体化構造。
甲府市飯田6-21
中央本線甲府駅南口 山梨交通自動車線八幡神社入口停留所降車 徒歩6分 -
甲府-竜王間
荒川橋梁
東京方
甲府市飯田6-21
中央本線甲府駅南口 山梨交通自動車線八幡神社入口停留所降車 徒歩6分 -
甲府-竜王間
貢川(みつぎがわ)橋梁
全長13.3m
甲斐市大下条無番地
中央本線龍王駅南口 徒歩6分 -
甲府-竜王間
貢川橋梁
東京方
橋台
甲斐市大下条無番地
中央本線龍王駅南口 徒歩6分 -
甲府-竜王間
貢川橋梁
下り線
東京方
橋台
甲斐市大下条無番地
中央本線龍王駅南口 徒歩6分 -
竜王(りゅうおう)駅
該駅は、明治36年(1903年)12月15日開業である。
初代駅本屋は、昭和37年(1962年)11月増築されていたが、最早、激増する旅客数に対処し明治期建造物が対処し得る訳では無く、昭和42年(1967年)に鉄筋コンクリート造第2代駅本屋hが竣工した。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1689竜王駅 駅
-
竜王駅
駅構内
自由通路竜王駅 駅
-
竜王駅
竜王駅 駅
-
竜王駅
竜王駅 駅
-
竜王駅
竜王駅 駅
-
竜王駅
竜王駅 駅
-
竜王駅
竜王駅 駅
-
竜王駅
第1番旅客ホーム竜王駅 駅
-
竜王駅
第2番旅客ホーム竜王駅 駅
-
竜王駅
第2番旅客ホーム
211系普通電車竜王駅 駅
-
竜王駅
山側貨物取扱施設竜王駅 駅
-
竜王駅
山側貨物取扱施設竜王駅 駅
-
竜王駅
日本貨物鉄道所属構内入換機竜王駅 駅
-
竜王駅
日本貨物鉄道所属構内入換機竜王駅 駅
-
竜王駅
第1番旅客ホーム
裏側竜王駅 駅
-
竜王駅
第1番旅客ホーム
日本貨物鉄道所属構内旧入換機竜王駅 駅
-
竜王駅
第1番旅客ホーム
日本貨物鉄道所属構内旧入換機竜王駅 駅
-
竜王駅
第1番旅客ホーム
日本貨物鉄道所属構内旧入換機
京三機器製造 昭和41年(1966年)製造竜王駅 駅
-
竜王駅
第1番旅客ホーム
日本貨物鉄道所属構内旧入換機
全景竜王駅 駅
-
竜王駅
第1番旅客ホーム
日本貨物鉄道所属構内旧入換機
真横竜王駅 駅
-
竜王-塩崎間
竜王(りゅうおう)隧道
全長261.0m -
竜王-塩崎間
竜王隧道
東京方
坑口 -
竜王-塩崎間
竜王隧道
東京方
坑口 -
竜王-塩崎間
新竜王(しんりゅうおう)隧道
全長261.0m -
竜王-塩崎間
新竜王隧道
名古屋方
坑口 -
竜王-塩崎間
下今井(しもいまい)架道橋
下り線側
全景
該橋は、明治36年(1903年)12月15日附開通の橋梁である。
該橋は、登り勾配上に存在する事から、鈑桁を使用せず煉瓦構築で竣工した。
即ち、総煉瓦積構築にすると列車重量が橋梁全体に均等作用する。
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
名古屋方
翼壁該橋梁は、旧国道20号線に所在していた事から、無謀運転自動車に依る接触損壊被害が著しい事から、地元は、地元中学校美術部の協力を得て、害橋梁下部に対しペイントを施したが、善意とは申せ、昭和戦後期構築物に対してならいざ知らず、明治期煉瓦構築物に対しペイントを施すなど無神経無教養笑止千万、且つ、呆気の他無し。
現在では補修も無く無残な姿を残存させる。
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
国道20号線は新道開通に依り、該橋梁下を通過不要となった。
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
外壁
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
上り線側
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
翼壁
複線化時
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
上り線側
該区間は、昭和43年(1968年)9月25日に複線化されたが、該日より、新設線は上り線専用となり、既成線は下り線専用となったが、当時の日本国有鉄道は、該橋梁の歴史的価値を理解し、新設橋桁を既成橋梁を損壊させる事無く、上部に架橋した。
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
竜王-塩崎間
下今井架道橋
翼壁
ペイントが施されず原型を残す。
甲斐市下今井登之越1845
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線下今井停留所降車 徒歩1分 -
塩崎(しおざき)駅
該駅は、昭和26年(1951年)12月25日開業である。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=772塩崎駅 駅
-
塩崎駅
駅本屋側
東口
改札口塩崎駅 駅
-
塩崎駅
西口塩崎駅 駅
-
塩崎駅
西口塩崎駅 駅
-
塩崎駅
西口
改札口塩崎駅 駅
-
塩崎駅
第1番ホーム塩崎駅 駅
-
塩崎駅
駅構内塩崎駅 駅
-
塩崎駅
駅構内
名古屋方
俯瞰
甲州市志田380
中央本線塩崎駅東口 徒歩2分 -
塩崎-韮崎間
宇津谷(うつのや)架道橋
下り線側
該橋は、明治36年(1903年)12月15日附開通の橋梁である。
該橋は、登り勾配上に存在する事から、鈑桁を使用せず煉瓦構築で竣工した。
即ち、総煉瓦積構築にすると列車重量が橋梁全体に均等作用する。
建築当時の原型を残存する。
甲斐市宇津谷4530
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線宇津谷停留所降車 徒歩6分 -
塩崎-韮崎間
宇都谷架道橋
近接
甲斐市宇津谷4530
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線宇津谷停留所降車 徒歩6分 -
塩崎-韮崎間
宇都谷架道橋
内部
甲斐市宇津谷4530
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線宇津谷停留所降車 徒歩6分 -
塩崎-韮崎間
金剛寺(こんごうじ)隧道
全長332.0m
東京方
坑口
甲斐市宇津谷清水越端5260
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩10分 -
塩崎-韮崎間
新金剛寺(しんこんごうじ)隧道
全長331.9m
東京方
坑口
甲斐市宇津谷清水越端5260
中央本線龍王駅南口山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩10分 -
塩崎-竜王間
金剛寺隧道
名古屋方
坑口
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩6分 -
塩崎-竜王間
金剛寺隧道
名古屋方
坑口
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩6分 -
塩崎-竜王間
金剛寺隧道
名古屋方
坑口
開通当時の坑口を建築限界を拡大せず架線を吊張した為に、該隧道内のみ架線吊高さが異常に低位置。
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩6分 -
塩崎-韮崎間
新金剛寺隧道
名古屋方
坑口
甲斐市宇津谷清水越端5637
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩7分 -
塩崎-韮崎間
塩川(しおかわ)橋梁
該橋は、明治36年(1903年)12月15日附開通の橋梁である。
全長289.0m(948ft)
杉 文三(すぎ ぶんぞう)(生没年不詳)設計に依る
作35年式鋼鐡製上路プレート・ガーダー桁
24.40m(80ft)×11蓮
が架橋された。
橋台、橋脚は切石積構造。
該橋梁工事着工は、明治35年(1902年)3月。
該橋は、架橋設置工事中、橋台、及び、橋脚基より異常湧水が発生し、此の為に、現地に石油発動機を搬入に依るポンプ使用で排水させ、基礎火山岩の到達せしめた。
明治43年(1910年)8月11日に該縣を襲った大型台風に依る異常出水で、該河川は氾濫決壊し、該橋梁名古屋方橋台に被害が発生した。
該区間は、昭和45年(1970年)9月16日附で複線化されたが、新設橋梁は既成橋梁上流側に架橋され、該日より、新設橋梁は上り線専用、既成橋梁は下り線専用となった。
下り線用橋梁は、昭和53年(1978年)に、
25.40m × 11連
に桁が架替られた。
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩5分 -
塩崎-韮崎間
塩川橋梁
下り線用橋梁
東京方
橋台
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩5分 -
塩崎-韮崎間
塩川橋梁
下り線用橋梁橋脚
明治43年(1910年)8月9日発生の記録的大水害に依り、該橋脚が損傷した。
架替前旧桁と比較し、鈑桁が小型化した為に、コンクリート積増された事から、桁下高が増大。
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩5分 -
塩崎-韮崎間
塩川橋梁
下り線用橋梁
名古屋方
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩5分 -
塩崎-韮崎間
塩川橋梁
下り線用橋梁
名古屋方
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩5分 -
塩崎-韮崎間
塩川橋梁
下り線用橋梁
名古屋方
橋台
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩5分 -
塩崎-韮崎間
新塩川橋梁
上り線用橋梁
甲斐市宇津谷清水越端5678
中央本線龍王駅南口 山梨交通自動車線韮崎営業所停留所降車 徒歩5分 -
塩崎-韮崎間
韮崎駅
下り場内信号機
韮崎市中島1-5-30
中央本線韮崎駅 山梨交通自動車線韮崎市民病院停留所降車 徒歩1分 -
韮崎駅
旧構内信号取扱所跡
該駅構内梃子取扱で分岐器転換を行っていた。 -
韮崎(にらさき)駅
該駅は、明治36年(1903年)12月15日開業である。
即ち、甲府-韮崎間12.9km延長開通の一環として開設されたが、該駅設置位置に対し、地元出身有力者たる 小野金六(おの きんろく)(嘉永5年(1852年)8月18日~大正12年(1923年)3月11日)の尽力に依り、該駅開設必要用地が確保され、無償提供に依り開設された。
初代該駅所在地は、現在の駅前広場所在地に設置され、駅構造は頭端式が採用された。
即ち、該駅は、招来の延長時に急勾配登攀の為に、スッチバック式構造とし、此の為に折返線70m(220ft)も設置されたが、後に、該線用に9600型蒸気機関車導入に依る牽引力増大で、該長では編成増加が困難だった事から、大正5年(1916年)12月に178m(585ft)に延長された。
明治45年(1912年)3月には、該駅構内照明が従来のガス燈から電燈に切替えられ、更に、同年5月には旅客数増加から混雑緩和を目的として跨線橋が設置された。
該駅は、取扱拡大から、初代駅本屋では狭隘だった事から、大正13年(1924年)、昭和3年(1928年)10月、昭和10年(1935年)2月、及び、昭和26年(1951年)9月に、個々増築された。
甲府-上諏訪間76.8kmは、昭和39年(1964年)8月23日附で直流1500V電化されたが、当時は電車の絶対数が不足しており、電車化されたのは、一部の急行、及び、身延線電車の間合運用のみで、甲府以西区間運転列車は殆ど客車列車だった。
然るに、該市では該駅に対し急行列車停車を切望していたが、該駅が電化後もスイッチバック構造で残存した事から、日本国有鉄道は停車時間拡大を忌避の為に、該駅への優等列車停車に対し消極的見解だった。
初代駅本屋は必要に応じ増築を重ねてきたが、老朽化が深刻な状態となった事から改築が決定し、昭和44年(1969年)に第2代駅本屋は現位置に建設された。
他方、塩崎-新府間は、昭和45年(1970年)9月16日附で複線化されたが、同年10月には新線上に島式ホーム1面が設置され、新設ホームは電車限定で停車し、同年11月に現駅本屋が竣工したが、電気機関車牽引客車列車、ディーゼル動車停車、及び、貨物取扱業務残存の為に旧駅構内も廃止されず残存した。
該駅貨物取扱業務廃止は、昭和47年(1972年)2月1日附で、該改正時に、客車列車は電車化された。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1189韮崎駅 駅
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韮崎駅
旧駅構内韮崎駅 駅
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韮崎駅
駅本屋
正面
該駅本屋は第2代目で、昭和45年(1970年)11月竣工。韮崎駅 駅
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韮崎駅
出改札口韮崎駅 駅
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韮崎駅
駅前広場
初代韮崎駅構内跡地
正面手前に初代駅本屋が存在した。韮崎駅 駅
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韮崎駅
駅前広場韮崎駅 駅
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韮崎駅
旧駅進入分岐点韮崎駅 駅
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韮崎駅
旧駅進入分岐点韮崎駅 駅
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韮崎駅
旧駅構内
暫くは客車列車、ディーゼルカーのみ旧駅発着だった。韮崎駅 駅
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韮崎駅
215系直流快速型電車韮崎駅 駅
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韮崎駅
215系直流快速型電車韮崎駅 駅
-
韮崎駅
名古屋方
俯瞰韮崎駅 駅
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韮崎駅
旧本線(現 上り線)韮崎駅 駅
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韮崎駅
旧駅構内韮崎駅 駅
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韮崎駅
旧駅構内韮崎駅 駅
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韮崎若宮八幡宮
小野金六翁頌徳碑
小野金六(おの きんろく)(嘉永5年(1852年)10月1日~大正12年(1923年)3月11日)は、明治大正期に於ける甲州財閥創成期に、若尾逸平(わかお いっぺい)(文政3年(1820年)12月6日~大正2年(1913年)9月7日)、雨宮啓次郎(あめみや けいじろう)(弘化3年(1846年)10月24日~明治44年(1911年)1月28日)及び、根津嘉一郎Ⅰ(弘化元年(1860年)8月1日~昭和15年(1940年)1月4日)と共に、甲州四天王と称された該縣韮崎出身の実業家である。
金六は、旧制県立韮崎中学校(現 県立韮崎高校)卒業後、地元小野組に就職するも、入社早々に該社経営破綻の煽りを受け失職する枯炭の苦しみを体験する。
その後、明治13年(1880年)に、第13国立銀行(鴻池銀行→三和銀行)に入行し、同郷の先輩たる 栗原信近(くりはら のぶちか)(天保15年(1844年)10月23日~大正13年(1924年)6月14日)、及び、若尾逸平(わかお いっぺい)(文政3年(1820年)12月6日~大正2年(1913年)9月7日)の知遇を得て頭角を現した。
金六は自身で独立し、東京割引銀行、及び、富士製紙創立の発起人の1人となった。
製紙産業には膨大な電力を必要とする事から、金六は相模川上流域桂川水量に着目し、該河川に水力発電所建設を推進させた。
更に、旧身延街道沿に鉄道建設を計画し、大正元年(1912年)に、現身延線の前身たる富士身延鐵道を創設し、自ら初代代表取締役社長に就任した。
金六没後、故人を偲び、昭和2年(1927年)3月に、該社境内に頌徳碑が建立された。
韮崎市若宮1-4-14
中央本線韮崎駅 山梨交通自動車線韮崎高校停留所降車 徒歩1分 -
韮崎若宮八幡宮
小野金六翁頌徳碑
裏側は中央本線上り線。
韮崎市若宮1-4-14
中央本線韮崎駅 山梨交通自動車線韮崎高校停留所降車 徒歩1分
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この旅行記へのコメント (4)
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- JGC_SFCさん 2019/08/02 13:35:01
- 甲府以西は、初めて知る事ばかりです !!
- 横浜臨海公園さま;
こんにちは、中央本線探訪記(甲府~韮崎)、拝見しました (^^)
実は、山梨出身の鉄道好きのくせに、甲府以西は数えるほどしか乗った事がなく・・なので、とても新鮮に拝見しました。
「すごい !!」、「なるほど♪」・・・そんな感じでした。すみません m(__)m
実際に甲府以西に乗ったのは、30才近くなってから、子供を連れて白樺湖に行った時。
その次は、何と40過ぎて、某企業の塩尻事業所に出張で行った時でした。
いずれも特急だったのもあって、印象に残っている所は余りなく、旅行記を読ませて頂いて、ほとんど全て『初めて知った』新鮮な事ばかりでした (@o@))
それにしても、いつも深く調べ上げた、横浜臨海公園さまの探訪記には、感動です。
甲府~東京間は、数え切れないほど乗っている中央(本)線なのですが、僕が気付くのは、せいぜいスイッチバックの跡や、鳥沢~猿橋間の旧線、初鹿野~勝沼間の旧トンネルくらいでした。
恥しい限りです。
それでは、3月に石和温泉からレンタカーで行った、清里・・・秋にも行く予定なので、その時は列車(出来れば各停)で行きたいな、と思います。
JGC_SFC
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/08/03 14:58:42
- 拝復
- JGC_SFCさま、こんにちは。
拙稿に投票と掲示板へのコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
煉瓦積架道橋群は、地元の方以外ではご存知の方は極めて少ない様で、今まで資料らしい資料を目にした事はございません。
小生ですら、笹子駅横の架道橋の如く、複線化時に改築破壊されたものだと思い込んでいただけに、現地を訪れ驚いたのが本音です。
韮崎以西は11月以降を予定しております。
やはり地方を訪れる時は蛇や虫もおらず、草が枯れた時期でなければ困りますから....
横浜臨海公園
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- frau.himmelさん 2019/07/28 20:28:43
- 下今井架道橋のあの軽々しい絵は、全く残念です
- 横浜臨海公園さま、こんばんは。
次々と2篇も重厚なご旅行記を発表され、以前の横浜臨海公園様に戻られたようでうれしい限りです。
とは言え、これほどまでに貴重なご旅行記が一朝一夕でできるわけはありませんから、前から周到にご準備なさっていたものと推察いたします。
中央本線と言いますか、あのあたりは昔はよく行っていましたが、ほとんど中央高速を使って車での走行でしたから、ご旅行記を拝見して、線路の方はこんな駅があったのか、とかあの鉄橋は見たことがあるとか、懐かしく拝見しております。
明治時代に鉄道を敷設するって本当に国家の大事業だったのですね。時代の重鎮たちの名前を見てそれを感じます。
それにしても、あの下今井架道橋ですか、明治の重厚な構築物にあの軽々しい絵はいけませんね。私も残念に思いました。
さて明治頌歌、次々と完成していますね。
どうか今後の更なるご活躍をお祈りいたします。
追伸、前からお聞きしていました高木少将のお墓参りは今年もいらっしゃったのでしょうね。
本当に頭が下がります。
himmel
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/07/29 16:07:23
- 拝復
- frau.himmelさま、こんにちは。
拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
仰せのとおり、資料収集に3年経過しております。
問題は、写真の当て嵌めで、資料と相違して現地には資料にある様な事実が無かったと言うの事が結構多く、苦労して集めた資料が無駄になった例も数知れません。
それにしても、明治期煉瓦構築の下今井架道橋に絵を描くなど、昨今の落書きと同程度であり、発案者の思考程度と民度が知れ呆れます。
横浜臨海公園
追伸
北鎌倉東慶寺の高木海軍少将の命日、苦労して参拝してきました。
A先生縁の文芸○秋社の方もお出でになっており、久々の会頭でした。
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