2019/04/27 - 2019/04/27
954位(同エリア4227件中)
みやさん
結婚25周年ということで、夫と旅行計画を立てていたところ、なかなかまとまらず、最終的に夫の同意を得たのが、東京を当てもなく散策するというかなりアバウトな旅。2泊3日でどこまでのんびりお散歩できるか、耐久レースのようなハードで楽しい?旅程(笑)。結構夫婦バラバラに行動して(二人ともマイペースなB型)、食事は基本二人で楽しみました。
3日もあったのでかなりのんびりとうろうろ散歩できて、大満足な旅となりました。ホテルは少し奮発して、浅草の雷門前の東京スカイツリーのよく見えるお洒落なホテルにしました!25周年目の令和元年は孫も出来る予定!二人でなかなかのんびりした旅行もしばらくできそうもないだけに貴重な3日間でした。
さて、1日目は浅草のホテルに荷物を置いた後、銀座へ繰り出し、日本橋でランチ、ここで夫と別れ上野と谷根千を散歩、再び夫と東京駅で合流し、ライトアップされた駅舎を見ながらディナーを楽しみました?
1日目 上野で旧岩崎邸を見学、古い建物を散策しながら探す、谷根千も散策、東京駅でもレトロ建築探し
2日目 駒場公園の前田侯爵邸見学&新国立美術館でトプカプ宮殿至宝展見学&迎賓館赤坂離宮見学
3日目 旧古河庭園&小笠原伯爵邸&鳩山会館見学 赤坂蚤の市でショッピング
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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3日間ゆっくり過ごすため朝一の飛行機(&帰りは最終)で東京入り。ホテルは前から一度泊まってみたかった雷門の前にあるおしゃれ~なホテルにしました。
THE GATE HOTEL(ザ・ゲートホテル) 雷門 by HULIC 宿・ホテル
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13階のフロントはガラス張りでスカイツリーが眺められるようになっています。
屋上にはバーもあって、そこでお酒を飲みながらスカイツリーを眺めたりも出来るのですが、何せこの東京入りした日から気温がぐんぐん下がって、それどころではない感じ。
真正面には浅草観光文化センターが。ここに上がらなくても、ホテルで十分浅草の全景が楽しめます。 -
ホテルの北側は雷門と浅草寺
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夫があまりにも寒いというので、検索して近くのユニクロに薄い携帯用ダウンを買いに行くことに。(だから寒いよって言ったのに)
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はい、浅草駅の松屋の中にユニクロは入っているみたいです!
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雷門。朝10時くらいでこの人出。昼からどないなるねん。人混みは嫌いよ。だから浅草ではほとんど過ごす気なし。
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駅に出るまでに可愛いカフェが。このタイル素敵~
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と歩いていたら、有名なお饅頭屋さんが!
西山 グルメ・レストラン
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これこれ、このおまんじゅう!
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朝10時だからお客さんは誰もいません。ラッキー
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さっそく出来たてのおまんじゅうを・・・
これがめちゃくちゃ美味しい! -
渥美清さんも浅草に来るたびに寄っていたそうです。
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お天気はイマイチですが、雨は降ってないので良かった。寒い寒い
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駅前に・・・これ有名なバーですよね?
神谷バー グルメ・レストラン
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浅草駅です。
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レトロな感じ。ここに松屋が入っているみたいです。さっそくダウン購入。
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まずは銀座に行くことに。前から行きたかったカフェがあります。
銀座駅にこのようなものが・・・ -
GWの銀座は人混みもそこまでではありません。
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オシャレなビルがたくさん
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ソニービルってこんなんでなかったよね?昔ここで羽生さんの巨大ポスター貼ってませんでした?私見に行けなかったんですが・・・
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和光の時計塔が
和光HPより
初代時計塔が完成したのは1894(明治27)年。
和光の前身である服部時計店の創業者・服部金太郎が、銀座4丁目交差点角地の朝野新聞社屋を買い取り、増改築の末に、1895(明治28)年1月、服部時計店はこの新店舗で営業を開始しました。
その後、大正の好況期に入り、建て替えが計画されたものの、 1923(大正12)年の関東大震災により建設を中断。また、営業中の仮店舗も焼失しました。工事が再開されたのは1929(昭和4)年末になってからのことでした。
現在の時計塔は建築家・渡辺仁氏の設計により、1932(昭和7)年6月に竣工した二代目です。ゆるい弧を描いた優雅な曲面で4丁目の交差点を見下ろすように建つこの建物の様式は、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれ、時計塔の四方にある文字盤はほぼ正確に東西南北を向いています。建物の外装材は、大震災直後ということもあり、火災や地震を考慮してすべて天然石が使われました。また、時計塔の文字盤の下や建物の窓部分には、ブロンズでアラベスク(唐草)の繊細な透かし模様の装飾などがあしらわれ、店内の壁面にはイタリアから輸入された大理石が使われました。
「近代化産業遺産」に認定されているそうです。セイコーハウス銀座 ショッピングモール
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アラベスク模様アップ
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銀座の歴史を見つめていきます
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銀座三越のライオンさん
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ラデュレ2階にある!
実は行きたかったカフェとは、銀座三越のラデュレでした。
ラデュレのサロンドテでフレンチトーストを食べるのが夢だったのです!
(願わくばパリのシャンゼリゼ通りで食べたかったのですが、銀座三越でも構いません←)銀座三越 百貨店・デパート
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わ~美味しそう(許可いただきました)
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これホントに食べれるん??
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マカロンのでっかいバージョンみたいなケーキもある!
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お昼前なので並ばずに入れました。
\(◎o◎)/!物凄い内装です!!! -
フレンチトーストたっか!
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でも夢だったので食べる!
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2枚あった。良かったシェアできる・・・
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クリームをたっぷり付けてシロップもかけていただきます!
涙が出るほど美味しかったです・・・ -
夢はかなった・・・
ラデュレはグッズも売ってます。 -
さて、銀座をぶらぶらして古い建物を探します!
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もちろん近代的で素敵な建物も。
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ビルを眺めているだけで楽しい。(ウィンドーショッピングは一切なし)
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ヴィトン
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ブルガリ
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ポストも景観に配慮して?グレーです。
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そして緑もたくさん
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クラシカルなドアが素敵
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このビル古そうだなあ・・・
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窓も素敵
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このビルの向こうの角を曲がると見たかった古いビルはありました。
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奥野ビル
奥野ビル 名所・史跡
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トラベルブックHPより
銀座一丁目駅から徒歩1分、銀座駅から徒歩5分程の場所にある奥野ビルは、1932年に施工された銀座でもかなり歴史の古いビルです。建設当時は高級アパートとして名を馳せていました。1932年に本館、1934年に新館が建てられ、本館と新館は左右対称の作りになっています。建設当初は6階建てでしたが、何度かリノベーションをされ現在は地下1階~7階建てとなっています。
この旧銀座アパートメントは、関東大震災復興期の先進的な集合住宅の建設で有名な”同潤会”の建設部長、川元良一氏が設計しました。当時は、民間の建築物で初めてエレベーターを所有するビルであることや、共同浴場・洗濯場などを備えている、先進的な存在であったのですが、今ではレトロな雰囲気の建物として注目を浴びています。 -
かっこいい
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いまはお店とかが入っています。
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入り口を入ると
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手動のエレベーターが!
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初めて見たかも
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お店
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階段もレトロ
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先ほどの建物です
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特徴的な柱の飾り
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三幸エステートHPより引用
ヨネイビルディング
ヨネイビルディングは、機械・資材等の輸出入を行なう銀座の商社・株式会社ヨネイ(旧・株式会社米井商店)の本社ビルとして、昭和5(1930)年4月22日に竣工した。
このビルが金解禁政策の失敗と世界恐慌の影響による未曾有の大不況下に誕生したのは皮肉なことだった。もちろん、不況に抗って建設されたわけではなく、それ以前よりの構想が予定通り形を与えられたに過ぎないのだが、リストラや操業短縮の動きが経済界に広がりつつある中で、ある意味では贅沢とも映る建物が批判の矢面に立たされるという不幸な側面があった。もし、着工が1年遅れていたら、建設計画自体が大きな見直しを迫られていたかもしれない。
しかし、そんな逆風をかいくぐって、地上6階・地下1階の壮麗・瀟洒な建築は生を授けられた。鉄骨鉄筋コンクリート造。デザインは中世ロマネスク風で、直線を強調した帯状の装飾で輪郭を際だたせ、大小のアーチ窓が軽快なリズムを生み出す。重厚な石貼の1階外壁部分に配されたアーチ窓には特徴的な螺旋模様が施され、2階以上の外壁はテラコッタ・タイルで隙間なく覆われていた。また、かつては屋上階にランプ様の装飾もあったそうだ。
施工は清水組(現・清水建設)。設計は、東京帝国大学造家学科を卒業後、大学院に進み、後に台湾で約9年を過ごした経歴を持つ森山松之助(1889~1949)である。台湾総督府土木技師として活躍した森山の作品・台北市電話交換局は、日本人が初めて手がけた鉄筋コンクリートの事務所建築として歴史にその名を残す。帰国してからの代表作として、旧久邇宮邸(戦災で焼け残った部分は聖心女子大学)、新宿御苑の台湾閣、旧本所公会堂(現・両国公会堂)などがある。森山はデザインのみならず設備関係にも詳しく、素材に関しては常に最上のものを求めたという。ヨネイビルにおいても、大理石やチーク材をふんだんに使用した内装に設計者のこだわりが見て取れる。
以後、このビルは永きにわたって同社社員の心の拠り所となった。「銀座の地に自社ビルを持ち」、それが「誇るべき価値を備えた名建築」である事実が、社員のモラール&モチベーションに及ぼした影響は非常に大きかったろう。
昭和26年には増築して現在の7階建てとなった。
また、時が経過するにつれてテラコッタ・タイルの剥離・落下が危惧されたため、昭和59年に2階以上外壁と窓サッシの更新に踏み切った。さらに、地下室改修、空調設備変更、オフィスのOA化など、内部にも幾度かの改修が実施されてきたが、ビルのイメージやデザインが変わることのないよう常に配慮してきたという。蓑田氏の言葉からは、“建物への愛着”と“建物の活用”という2点間の振幅に存在する困難と、その中心に位置する管理者の“責任”の重みが如実に感じられる。 -
ここも特徴的な建物ですね
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銀座線の駅に戻ります
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どこも人が多すぎない。
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他の建物を映しこむことで成り立っているようなデザイン
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銀座は素敵な建築物の宝庫でした。
さあ、日本橋でランチのお店を予約しています。 -
ていうかオフィスビルの地下にあったわ・・・南仏料理のお店
これは今日は暇でしょうね。予約しなくても大丈夫でした。
それにしても人いなくて快適・・・ -
実はちょっと前にテレビでブイヤベースを食べているのを見て、ぜひ食べてみたい、とここに決めました。
勿論ブイヤベースセットにします! -
可愛い店内
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港町風
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ブイヤベース楽しみ!
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前菜
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サラダ
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これがメインのブイヤベース
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デザートもついています!
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アメ横に行きたい夫と古い建築物を眺めたい私は上野駅で別行動を取ることに。
まず、私は旧岩崎邸に行こうと思います。 -
本郷3丁目で降りて歩いてぶらぶら古い建物を眺めつつ・・・
日本基督教団本郷中央教会
文化庁データベースより引用
登録有形文化財
「中央会堂」(明治23年,伊藤為吉設計)として親しまれた建物の震災復興建築。春日通りに面し,階下を幼稚園,階上を礼拝堂に充てたゴシック様式による会堂で,東北隅に重厚な角塔を建ち上げる。設計は川崎忍,原案はヴォーゲルとされる。施工は辻組。 -
お??
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さかえビル
登録有形文化財です。
文化庁データベースより
昭和9年築
薬学博士を施主とする薬学研究所を兼ねた事務所ビル。角地に建ち,隅切りの面に正面性をもたせたファサード構成をとる。スクラッチタイル貼りで,要所にテラコッタの装飾を配したアール・デコ建築の佳品となっている。 -
ここも古そう
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ここも・・・
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これは・・・
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本郷は古い建物の宝庫でした。(東大の赤門はどこなのかよく分からなかった←)
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だいぶ歩きましたがようやく標識が
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旧岩崎邸庭園。
少し小雨が旧岩崎邸庭園 公園・植物園
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修復中でした。
聞けば今年いっぱいは足場があるそうな。 -
ちょうどガイドツアーが始まるところでした!
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半分は足場が組まれています。
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アップ
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窓
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旧岩崎邸
上野文化の杜HPより引用
旧岩崎邸は、1896(明治29)年に三菱を創設した岩崎家の第三代当主・久彌の本邸として建てられ、往時の3分の1の面積を持つ園内には、洋館、和館、撞球室の3棟が現存し、洋館と撞球室は、日本の近代建築史に名を残す英国人建築家、ジョサイア・コンドル。洋館に併置された和館は、名棟梁大河喜十郎の施工と言われています。
洋館は、明治期の上層階級の邸宅建築を知る上で貴重な遺構です。
建築面積は160 余坪、木造2 階建・地下室付の建物は、1 階が主に接客に利用された諸室が配され、2 階に私的な部屋が設けられました様式は17 世紀初頭の英国のジャコビアン様式を基調にし、ルネサンスやイスラム風のモティーフなど複数の様式を折衷しながらも整然としたデザインになっています。
旧岩崎邸庭園には、1896(明治29)年に完成した和洋ふたつの館が併置されています。洋館は主にゲストハウスの役割をもち、和館は岩崎家の日常生活の場となっていました。和館の棟梁は念仏喜十の別名をもつ名棟梁の大河喜十郎といわれています。和館は、書院造りの大広間を中心とした三部屋のみが現存し、今では貴重な木材がふんだんに使用された、主に岩崎家の行事に使用された場所でした。 -
アップ
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入ります!
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残念ながら中は撮影禁止ですが、ガイドツアーで詳しく説明してくださって、岩崎家の歴史的にも建物の建築様式的にもいろいろ勉強になりました。
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30分強くらいでガイドは終わりました
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大きな木が
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大きなサンルームの部分が修復中だったのですが、カバーに修復後のイメージが・・・
中に、このサンルームで記念撮影をする岩崎家の人々の写真があって当時をしのんだりすることができました。 -
完成イメージ図
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こちらは撞球室(ビリヤード場)
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上野文化の杜HPより引用
撞球室は、1896(明治29) 年の洋館竣工よりものちに完成したとされています。洋館と同じく英国人建築家ジョサイア・コンドルによる設計で、木造平屋の校倉風造りの壁、刻みの入った柱、深く軒を出した屋根など、木造ゴシックの流れに属するデザインをもっています。コンドルが「スイス・コッテージ・スタイル」と呼んだように、どこかスイスの山小屋を思わせるデザインです。 -
三菱の家紋がマークに変化した経緯かな?
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さてお次は・・・
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不忍池に出ました。
不忍池 自然・景勝地
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お天気はイマイチですが、新緑が気持ちいい
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ボート一杯
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ここから東へ向かいます。
道中お祭りが開かれていて、屋台もたくさん。GWっぽい雰囲気を少し味わいました。 -
広いので
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モノレールあるんですね!
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ぶらぶら歩いているとこのような・・・
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旧忍旅館、上田邸
東京都選定歴史的建造物 -
東京レトロ建築さんぽより
壁には目地が切られ、玄関両脇の円柱はイオニア式オーダー。その上のラーメンどんぶりのような幾何学模様も古代ギリシア建築に由来します。一見すると建築家が設計した石造建築のよう。
でも、実は木造。建て主は上海に住んだ経験があり、かの地の洋風建築のイメージを盛り込んだと言います。当時このような建物は珍しく、見学者が絶えなかったとのこと。 -
ちょっと歩けば銭湯も・・・
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しぶい
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またまた歩いていると煉瓦の建物が
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ふと西側を見ると
モアノ グルメ・レストラン
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メニュー
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ガレットも食べれるみたい
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今日の紅茶
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アレクサンドラにしました
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美味し~
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トイレのタイルも可愛い!!!
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番犬になっていない感じ。可愛い~
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だいぶゆっくりできました
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可愛いカフェでした
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さてまた煉瓦の建物が
東京芸術大学 名所・史跡
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どうも東京芸術大学
東京レトロ建築さんぽより
東京芸術大学の1号館は林忠恕、2号館は小島憲之による貴重な作品。今から40年ほど前に取り壊しが決まり、表面に塗られたモルタルを剥がしたところ、なんと赤レンガの古い建物であることが判明。保存されることになりました。 -
門も立派です
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アップ
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手前には黒田記念館
東京国立博物館HPより引用
黒田記念館は、洋画家黒田清輝(1866-1924)の遺言により、その遺産によって建てられ、昭和3年(1928)に竣工、同5年に帝国美術院附属美術研究所として開所しました。当館では、黒田清輝の油彩画約130点、デッサン約170点、写生帖などを所蔵し、特別室と黒田記念室で展示されています。東京国立博物館 美術館・博物館
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こちらも美しい建物です
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登録有形文化財
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さらに奥には
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国際こども図書館
国際子ども図書館 美術館・博物館
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国際子ども図書館HPより
国際子ども図書館には、「レンガ棟」と平成27年に竣工した「アーチ棟」の2つの建物があります。これらの名称は、アーチ棟の竣工時に名づけられました。
レンガ棟は、明治39年に帝国図書館として建てられ、昭和4年に増築され、国際子ども図書館の開館に際して、その建物の原形保存に努めながら、児童書の専門図書館としての機能を果たすための改修を行い、平成14年5月に全面開館しました。 -
ハナミズキも綺麗に咲いています
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とても美しい建物です
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像が
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ここは?
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重厚な扉
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旧博物館動物園駅
京成電鉄HPより
1933年開業。世伝御料地であったため、品位に欠けるようであってはならないというお達しがあった。
それで西洋風の荘厳な建物になったそうです。
利用者の減少によって2004年廃止となりましたが、景観上重要な歴史的価値を持つ建造物として鉄道施設としては初めて「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。 -
国立博物館の表慶館が見たかったのですが、門の外からはこれだけしか・・・
今は展示もしてないそうですし、今度ゆっくり来てみましょう。 -
日暮里駅に来ました。
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鉄オタにはたまらないのでしょうか
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今から谷中や根津の古い街並みを散歩したいと思います
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しぶいせんべい屋さん
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つくだ煮屋さん
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昭和レトロな街並みです
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昔ながらのお店もありますが、古い建物を利用したカフェや雑貨店が次々に出来ている印象です
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しぶい
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ガラスしぶい
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昭和レトロな商店街を抜けて
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行ってみたかった雑貨屋さんが
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緑が一杯で素敵な店先
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ちょっと大阪の中崎町みたいですね
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たくさんの人がぶらっとショッピングに来ていました。(でも多すぎずいいのよ)
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へび道という所に入って行きました
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細い道にお店がちょこちょこと
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カメノコタワシの谷中店
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蔦が
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藤が綺麗
ル クシネ グルメ・レストラン
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だいぶ歩きました
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さて、千代田線の根津駅から大手町まで
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東京駅で6時に待ち合わせてますがそれまでにまたまたレトロ建築を
明治生命館 名所・史跡
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大きい
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全体の写真は道の向こうに行かんと撮れないなあ
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あ!ここもラーメン
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明治生命館
三幸エステートHPより
東京・丸の内の日比谷通りと馬場先通りに面した明治生命館は、地上8階・地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート造。力強いコリント式のオーダー、それにアカンサス模様の繊細な装飾が不思議な調和を示す花崗岩の外壁――わが国様式建築の最高傑作と呼ぶにふさわしいネオ・ルネサンス・スタイルの壮麗な建築である。
かつてこの地には赤煉瓦の三菱二号館(明治28年竣工)が建っていた。新ビルを建設するにあたって岡田信一郎の案を採用したコンペの主査は、建て替えによって失われる“二号館”の設計者ジョサイヤ・コンドルを師に持ち、事実上の実務を担当した曾禰達蔵自身だったという。「竹中工務店」の施工で足掛け4年に及ぶ工事が進んだが、そのさなかに岡田が急逝。弟の捷五郎が後を受け継いで兄の遺作を完成させた。建築作品としての完成度もさることながら、重なり合う新旧建物の記憶、日本の近代建築を担った建築家たちの“魂のリレー”の記憶が、明治生命館という建物に深い陰翳を付与している。
その後、数十年の星霜を経たが、戦後の一時期米極東空軍司令部の接収を受けた以外は一貫してオフィスビルとしての本分を貫いてきた。平成の時代に入り、「歴史的建築物の保存と活用という文化保護の新たな観点に立ち、それを自ら実践することで、丸の内一帯の風格ある景観を守り、街の新たな活性化へ向けて貢献」するとして、所有者の「明治生命」(当時/現「明治安田生命」)は全館保存の英断を下し、平成9年に明治生命館は近代の大規模オフィスビルとして初めて国の重要文化財指定を受けた。
重要文化財である明治生命館を全面保存したうえで、その隣接地に超高層建築の再開発を両立させるこのプロジェクトは、平成11年に創設された「重要文化財特別型特定街区制度」の適用を受け、街区全体で1500%という容積率を実現することとなった。昨年8月に完成している明治安田生命ビル(設計「三菱地所設計」、地上30階・地下4階・塔屋2階)と明治生命館は陽光を透かすガラスの屋根で一体化され、本館部分も外壁洗浄・東面外壁破損部分の復元・内部機能強化等の改修工事が間もなく完了する運びである。(街区名称:丸の内MY PLAZA)
高層ビルと様式建築の共存という手法には、様々な見解もあることだろう。しかし、明治以後の短い歴史を常に呼吸しつつ変貌してきた丸の内のオフィス街に、ヨーロッパの古都と同様の景観保全を望むことは難しい。あり得べき最善の選択として、今後の歴史的建造物動態保存の指標として、今回の街区再開発は評価に値する試みだと考える。
洗浄によって本来の輝きを取り戻した石の外壁。くっきりとした柱頭飾の意匠が目にまばゆい。その内部には、新築の高層部と遜色のない機能と居住性が盛り込まれたテナントスペースが、新たな入居者の訪れを静かに待っている。重要文化財としての保存部分(1階店頭営業室、2階廻廊など)も竣工当時の採光を復活させるなどして、その歴史的な価値を改めて一般来訪者に示すこととなるだろう。歴史的建造物を“活用”することで“保存”するというテーマに対する一つの答えを、ここに見出すことができる。 -
重要文化財です
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元はここに三菱二号館があったのですね
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さて今度は
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三菱一号館へ
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三菱一号館美術館HPより
「三菱一号館」は、1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、
三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。
当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていました。
この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地によみがえりました。
今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施されました。
また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、
その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。三菱一号館美術館 美術館・博物館
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中にはカフェもあります
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時間がないので入れませんが中も見たかったなあ
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横断歩道を渡って
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後ろの新しい建物とマッチしているような気も
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さていよいよ
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東京駅にやってきました!
東京駅 赤レンガ駅舎 名所・史跡
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東京駅駅舎
大正3年(1914)12月に竣工。設計は辰野金吾。
関東大震災では崩壊しなかった東京駅も、昭和20年の東京大空襲で被弾し、炎上。
選後ただちに復旧工事は行われ3階は2階に。円筒形だった南北ドームは角形になった。 -
丸の内口の天井の白鷺
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美しい
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良く見ると干支のようなのですが。8角形では12体の干支は全部表現できないですよね。
6時になり、夫が現れました。いろいろアメ横で買い込んでホクホクしていました。どっちが女性なんでしょうか(笑) -
東京駅前の郵便局KITTE
KITTE (キッテ) ショッピングモール
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東京観光サイトより
真っ白な外観や照明で飾られた三角形のアトリウムなど、2020東京オリンピックスタジアムの建築家、隈研吾氏がデザインを手がけた「KITTE」。3つの側面でスペースを囲んだ5つのショッピングフロアから、買い物をしながらアトリウムを見ることができます。アトリウムの中庭のスペースにて、頻繁に開催されるスポンサー付きのイベントや季節のイベントを見ることが出来る。
4階には、旧東京中央郵便局長室が再現されていて、昭和時代の局長室の様子を見ることができます。6階の屋上ガーデンからは東京駅を見下ろすことができ、絶好の撮影ポイントとなっています。 -
KITTEで食事することも考えましたが、正面からやっぱり見たいので丸ビルへ。
ここも混んでません。
風が強いからか展望テラスは閉鎖丸の内ビルディング ショッピングモール
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東京駅の真正面に何軒かレストランがあり、一番リーズナブルな(笑)洋食屋さんに。窓際に座りました。ばっちりです!
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ビーフシチューかハヤシライスか忘れた
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デザートのシフォンケーキ
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同じ筋に小岩井のレストランがありました。
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食事が終わった時にはすっかり暗くなって
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KITTEも東京駅もライトアップされていました。
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さて、浅草に帰ってきました。ここもライトアップされています。疲れたので、明日一番にお詣りしましょう。
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ホテルのフロントから見た夜景。スカイツリーはピンク色
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浅草寺もライトアップ
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お部屋です
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広いです
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トイレとお風呂は独立
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電気ポッドもネスプレッソもありました
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ゆっくりできそうなお部屋です~スカイツリーも見えるし最高!
明日に向けてエネルギーチャージしなくては!お天気も良くなりますように!
しかし今日は寒かった~(でもほぼオフィス街にいたから人混みとは無縁なゆったりした一日でした)
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