2019/02/27 - 2019/03/03
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FUKUJIROさん
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ハノイ4泊5日旅行も4日目、翌日は朝の飛行機で日本に帰るだけなので、この日が最終日みたいなものです。
日程がまる被りの金委員長ともサヨナラのはずでしたが、ディエンビエンフー通りを金委員長が乗った車が通過することになって、それでも緩~い感じで警備していたのは、ベトナムが友好国だからでしょうか。
その中で暫く待っていると、目の前をパトカーや白バイに囲まれながら北朝鮮国旗を付けた車が通過しました。ホーチミン廟の方向へ走っていきました。後の報道では、ホーチミン廟に10分ほど滞在して帰国の途についたとか、金委員長に間違いなかったようです。
装甲車並みの防御力を備えていると言われていますが、日本では考えられない手薄な警備でした。
日本にいたら経験できないことを経験し、話のタネが一つ増えました。
1日目:午後便でハノイへ移動するだけ。
2日目:昼間はフリータイム(社員さんはたぶん仕事)、夕方から一緒に会食。
3日目:一緒にハロン湾観光。
4日目:昼間はフリータイム(社員さんはたぶん仕事)、夜は一緒に会食。
5日目:朝便で帰国。
本編は4日目(午前)をまとめています。写真が多いので、午後は別編です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ハノイの朝は霧なのかスモッグなのか、いつも霞んでいます。
ホテル13階から見た南西方向。中央右に北門教会が見えています。 -
ホテル11階の自室から見た街の屋根。どの建物にも水タンクが備えられています。
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チュックバック湖、奥にタイ湖を望みます。
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拡大すると、鎮国寺の仏塔も見えています。
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ホテルからタクシーで移動しました。「フラッグタワー」で通じました。
この日はもうタクシー移動でも大丈夫だろうと思っていたのですが、結局通行止めになりました。この近くまでで30,000ドンでした。 -
軍事歴史博物館。
入り口が閉じられてしまい、中の人は出られず、外の人は入れない状態です。 -
しようがないので、案内板を読んでみたり。
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ディエンビエンフー通りは通行止め。
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でも、なんか緩~い感じなのはお国柄でしょう。
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待つこと約40分。待つこと以外に何もできないので、道路にあったプラスチックの風呂場イスに座り、ベトナムの青年と身振り手振りで会話してました。
この頃、少し緊張感が漂ってきます。 -
この前にも何度かパトカーが通っていますが、今回は緊張感があります。
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いよいよかな、みんな感じてきました。
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高まる緊張感。
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ついに来ました。
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来ました。来ました。
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北朝鮮国旗を付けた車です。5mとは離れていませんでした。
彼の行動は全く許せませんが、珍しい経験をしました。 -
通り過ぎてしまえば、みんな解散です。
軍事歴史博物館も開門したので、チケットを買います。40,000ドン。
カメラの持ち込みは別料金となっていますが、モバイルフォーンは無料でした。 -
第1展示棟。
左奥にフラッグタワーが見えています。 -
1階は1世紀から20世紀までの歴史、2階はフランスとの植民地戦争の展示です。
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1階のエントランスには大きなレリーフがあります。
中央にはホーチミンさん。ベトナムの戦いの歴史がこの1枚に凝縮されています。 -
その奥には白藤江の戦いの様子が展示されています。
1288年に元の皇帝フビライ・ハーンが行った第3次元越戦争の一つ。この戦いに敗れたフビライ・ハーンは、日本への3回目の元寇を中止しました。 -
元軍は、いったんは昇竜(タンノン)を占領しましたが、城はすでにもぬけの殻となっていて、撤退する船団は白藤江の川底に打たれた杭に阻まれて動けなくなりました。越軍は元軍の船に火を放ち、大勝利しました。
もしも元軍が勝っていたら、その勢いに乗じて日本を攻めたでしょう。
残虐無慈悲な元の蛮行は、対馬・壱岐の歴史に刻まれています。 -
陳興道(チャン・フン・ダオ)将軍。ベトナム最大の英雄です。
そして日本の大恩人であります。 -
旧ソ連製のミグ21型戦闘機。
1967年1月から1969年5月にかけて米軍14機を撃墜しました。 -
通称フラッグタワー。国旗掲揚塔です。
1812年に阮朝のザーロン帝によって監視塔として建てられました。 -
フラッグタワーの基壇前には昔の大砲が並んでいます。
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フラッグタワーは、フエの世界遺産である阮朝王宮跡でも見ましたが、あちらは遠くから見るだけなのに対し、こちらは上ることができます。
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2段目に上る階段。
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さらに入り口があります。
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3段目への階段。
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3段目からは奥の広場が見渡せます。
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この広場ではベトナム戦争で使われた戦闘機などを展示しています。
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フラッグタワーの根本にも入り口があります。
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内部には階段がありますが、塞がれていて上れませんでした。
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3段目から見上げたところ。
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2段目から見上げたところ。ベトナム国旗が良い感じにはためいています。
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地上から見たフラッグタワー。高さ33.4m。
日本が侵攻したときには電報局として使われていました。 -
旧ソ連製のVN-C482。ホーチミン主席の専用機だったり、その後のベトナム戦争時には兵員輸送に使われました。
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アメリカ製のUH-1H。終戦の際には南ベトナム側のビエンホア空軍基地からホーチミン(旧サイゴン)まで解放軍を運んだ機体です。
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フランスとの独立戦争やベトナム戦争で撃墜したフランス軍戦闘機とアメリカ軍戦闘機の残骸。
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このエンジンは、ハノイ近郊の湖に墜落したB52爆撃機のものです。
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旧ソ連製のSAM-2、ミサイルランチャー。
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腹部に大きな穴が開いた、傷ついた兵士の像。
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機関銃を手にした母子像。
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アメリカ軍は29種類、5,382,000トンもの爆弾を投下しました。
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アメリカ軍の空爆で80,000人から200,000人のベトナム人が殺されました。
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第2展示棟。
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第2展示棟の奥にあった「英雄の母」像。彼女の9人の息子と義理の息子1人、そして1人の孫はフランスとの戦争、アメリカとの戦争で活躍しました。
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旧ソ連製の843戦車。第2展示棟に展示されています。
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1975年4月30日、サイゴンの大統領官邸に突撃した2台の戦車のうちの1台。もう1台の390号とともに国宝に指定されています。
2台のレプリカはホーチミンの統一会堂に展示されています。 -
ベトナム戦争の様子を再現しています。
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不発弾。北ベトナムは、不発弾を解体してアメリカ軍を攻撃する手榴弾などに作り替えていました。
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自転車に取り付けた迫撃砲。
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南ベトナム軍の将軍が使っていたルノー。
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クチトンネルの模型。去年ホーチミンで見たものよりもきれいにできています。
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クチトンネルの模型。これは分かりやすいですね。
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何かの布に描かれたホーチミンさん。
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ガイドブックなどでは所要時間30分~1時間となっていますが、1時間半かけても全然見切れませんでした。敷地内にカフェもありました。
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東側にある閉ざされていた門。ここにも大砲がありました。
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敷地の奥の方にある戦闘機。東側の通りから見ました。
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ディエンビエンフー通りをホーチミン廟の方向へ進むと、交差点を南北に通る道がホアンジウ通りです。そこを北進すると世界遺産の看板が見えてきます。
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タンロン遺跡の遺跡保存センターです。
ここでチケットを買います。30,000ドン。 -
奥の入り口から入って、手前から出てきました。入場は8時から17時と書いてあり、昼休みも受付しているのかも(未確認)。
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記念写真を撮っている人がたくさんいました。
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タンロン遺跡は、1010年から阮朝がフエに遷都する1804年までタンロン城(昇竜城)があった跡地です。
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ヒマワリ畑も記念写真を撮る人がいっぱいです。
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2010年に世界遺産に登録されたタンロン遺跡でも、一番の写真スポットです。
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端門。城の南側に面し、五つの入り口があります。中央は皇帝専用の門。
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端門(中側から)。ここへ来るには一番左の入り口から入ります。
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端門の裏側(中側)は発掘現場をそのまま展示しています。
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アクリル板の下では、遺跡を発掘している途中の様子が見えます。
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5つの門のさらに右にある入り口から入城します。
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端門の上に出る階段。
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瑞門の上です。「首都解放の日」のパネル展示が行われていました。
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瑞門の上にある塔の部分、中には何もありません。
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瑞門の上から南方向。旧正月の飾りが綺麗でした。
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アクリル板で覆われた発掘現場が見えます。
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フランス占領時代の建物。
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日陰を求めてふらっと入った建物は、出土品の展示場でした。
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昇竜城というぐらいですから竜の飾り物が多いです。
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これも竜の飾り物です。
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陶器製のメガホン。
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灯りを取るための油を入れた皿。
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屋根瓦も竜の飾り物。
この建物にはエアコンがあって涼しかった。 -
瑞門から見たフランス占領時代の建物。
建物の右奥に地下への出入り口があります。 -
総参謀部作戦指揮地下壕の入り口。
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急な階段を下ります。
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鉄の扉が2重に設置されています。この扉は外側からは開けられません。
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作戦室。
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装備品が展示されていました。
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軍服も展示されていました。
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人形パネルと通信機。
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毒ガス除去のフィルターみたいです。
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地下壕を出ると太鼓堂があります。
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太鼓の前には亀の石像。
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敬天殿跡。かつては皇帝の住まい敬天殿があったとされる場所です。
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竜の階段。1467年に造られ、現存する遺跡の中で最も古いものです。
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中央左の竜。5本爪は皇帝のシンボルです。
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中央右の竜。
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場内の門を抜け、さらに奥に進むます。
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正面の白い建物も展示室になっています。
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ここも作戦室のようです。
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将軍の司令室。
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建物回りには移動発電機も展示してありました。
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D67地下壕への出入り口。
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今度も急な階段を下ります。
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地下壕の廊下。
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ベトナム戦争時、この部屋がベトナム人民軍の最高司令部でした。
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通信機器。
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ベトナム人民軍が使っていた旧ソ連製の移動電話。
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地下壕と繋がっているらしい出入り口。
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さらに北へ(奥へ)進むと、後楼(後宮)がありました。
後楼は英語でプリンセス・パゴタと書かれており、皇帝にお仕えした女性達が住んでいたようです。 -
急な階段を上ってみると、小さな祭壇がありました。
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奥へ抜けて階段を下りると出口です。
中央の部屋は撮影禁止でしたが、立派な祭壇が置かれていて、ベトナムの方がお経を唱えていました。 -
西側の門です。本来の西門はバーディン広場の辺りにあったようですから、この門は城内の仕切り程度だったと思います。
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西側の門から出ると正面に国会議事堂が見えます。
本来の西門は国会議事堂よりもずっと先にあったことになります。 -
門の外には若い人達が大勢いました。
私はホテルまで歩くことにして、さらに北へ進みました。 -
赤い屋根と黄色い建物が目を引くクアバック教会(北門教会)がありました。
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クアバック教会は、フランス占領時代にフランス人建築家のエルネスト・エブラールが設計し、1933年に完成しました。12時までは開門していたようです。
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薔薇窓と呼ばれる印象的な造りです。
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聖母マリアと幼いキリストの像がありました。
この日は前日、前々日よりも気温が上がり、かなり暑くなりました。
ホテルに戻ってシャワーを浴びたら、昼寝をしましよう。
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