アウシュビッツ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
早朝からバスに乗ってオシフィエンチムへ。10時間かけアウシュヴィッツ・ビルケナウを歩いて巡る。この旅行で最も充実し、深く印象に残った一日。<br /><br />8/21 福岡~上海<br />8/22 上海~モスクワ~プラハ<br />8/23 プラハ<br />8/24 プラハ~チェスキー・クルムロフ<br />8/25 チェスキー・クルムロフ<br />8/26 チェスキー・クルムロフ~ウィーン<br />8/27 ウィーン<br />8/28 ウィーン<br />8/29 ウィーン~ブラチスラバ<br />8/30 ブラチスラバ~ブダペスト<br />8/31 ブダペスト<br />9/1 ブダペスト<br />9/2 ブダペスト~ベオグラード<br />9/3 ベオグラード~ウィーン<br />9/4 ウィーン<br />9/5 ウィーン~クラクフ<br />9/6 クラクフ~オシフィエンチム~クラクフ<br />9/7 クラクフ<br />9/8 クラクフ<br />9/9 クラクフ~ウッチ<br />9/10 ウッチ~リヴィウ<br />9/11 リヴィウ<br />9/12 リヴィウ~ワルシャワ~シュチェチン<br />9/13 シュチェチン~ベルリン<br />9/14 ベルリン<br />9/15 ベルリン<br />9/16 ベルリン<br />9/17 ベルリン<br />9/18 ベルリン~ドレスデン<br />9/19 ドレスデン~プラハ<br />9/20 プラハ<br />9/21 プラハ~チェスキー・クルムロフ~プラハ<br />9/21 プラハ<br />9/22 プラハ<br />9/23 プラハ~パリ~上海<br />9/24 上海~福岡

東欧諸国周遊(2018/8/21~9/24)9/6

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2018/08/21 - 2018/09/24

87位(同エリア399件中)

早朝からバスに乗ってオシフィエンチムへ。10時間かけアウシュヴィッツ・ビルケナウを歩いて巡る。この旅行で最も充実し、深く印象に残った一日。

8/21 福岡~上海
8/22 上海~モスクワ~プラハ
8/23 プラハ
8/24 プラハ~チェスキー・クルムロフ
8/25 チェスキー・クルムロフ
8/26 チェスキー・クルムロフ~ウィーン
8/27 ウィーン
8/28 ウィーン
8/29 ウィーン~ブラチスラバ
8/30 ブラチスラバ~ブダペスト
8/31 ブダペスト
9/1 ブダペスト
9/2 ブダペスト~ベオグラード
9/3 ベオグラード~ウィーン
9/4 ウィーン
9/5 ウィーン~クラクフ
9/6 クラクフ~オシフィエンチム~クラクフ
9/7 クラクフ
9/8 クラクフ
9/9 クラクフ~ウッチ
9/10 ウッチ~リヴィウ
9/11 リヴィウ
9/12 リヴィウ~ワルシャワ~シュチェチン
9/13 シュチェチン~ベルリン
9/14 ベルリン
9/15 ベルリン
9/16 ベルリン
9/17 ベルリン
9/18 ベルリン~ドレスデン
9/19 ドレスデン~プラハ
9/20 プラハ
9/21 プラハ~チェスキー・クルムロフ~プラハ
9/21 プラハ
9/22 プラハ
9/23 プラハ~パリ~上海
9/24 上海~福岡

  • 朝の4時台に目が覚めた。さすがにここまで早く起きるつもりはなかったけどアラームをセットすると音が鳴る前に目が覚めてしまう。周りの宿泊客はまだ夢の中にいる。ゲッレールト温泉以来のシャワーを浴びて外出する準備を済ませた。オシフィエンチム行きのバスは6時台に出発する。それまでにバス乗り場で待機しておきたい。<br />ゲストハウスから外に出ると辺りはまだ真っ暗だった。治安の面で不安があったけど案外何ともなかった。バス乗り場に着き売店で昼食用のロールパンサンドを買った。しはらく待っていると乗り場にバスが来る。運転手に料金を払い座席へ座った。思ったより乗客が少ないなと思っていたけど、出発時間が迫ると次々に人が入ってきて早朝から満員のバスで移動した。バス内では窓から景色を眺めて過ごした。まだ街も眠っているのか眺めたところで大して面白くもない。<br />7時半を過ぎたあたりでオシフィエンチムに着いた。バスから降りてすぐの場所にチケットカウンターがある。その場に行列ができていたのでそこに並び、朝食のパンを頬張る。すぐに僕の番になった。ちなみにアウシュヴィッツ強制収容所は無料で見学できる。パスポートを係員に見せてチケットを発行してもらった。その後、売店に行きガイドブックを買う。これはアウシュヴィッツの唯一の日本人ガイドとして知られる中谷さんが翻訳したものだ。今回はガイド付きでなく個人で見学したけど、このガイドブックには助けられた。これがなかったら何をどう見ていいかさっぱりだったと思う。<br />準備が整ったので入場ゲートから中に入ろうとしたところ、鞄を持ったままだと入場できないと係員に指摘される。荷物預かり所に鞄を預け改めて入場した。しかし、何も嬉しくない。ここに自分から望んで来た人はそもそもいないからだ。自分の感情をどの位置に定めればいいかわからず何となくそわそわしていた。とにかく、ガイドブックを頼りに番号順に巡ろう。<br />まもなく「ARBEIT MACHT FRIE」(ドイツ語で「働けば自由になる」という意味)と書かれた門が見えてきた。この写真だとわかりにくいけど、Bが上下逆なのは門を作った囚人のせめてもの反抗とも言われている。この門の前で、イスラエル人の団体が記念撮影をしていた。中には笑みを浮かべている人もいて解釈に困った。貴方達と同じユダヤ人がここで犠牲になったのに何故?とは思ったけど、ポーランドから遠く離れた日本から来た者にはわからない感覚があるのかもしれない。この時点ではこの件について考えることをやめた。さて、門を潜り中に入ろう。<br /><br />日本でも浸透しているアウシュヴィッツとはドイツ語でオシフィエンチムを指すとのこと。ここでは収容所のある街をオシフィエンチム、第1収容所をアウシュヴィッツ、第2収容所をビルケナウと書く。それほど深い意味はないけど、「朝起きてアウシュヴィッツに行く。」と書くと気が滅入るし、収容所をオシフィエンチムと書けばそれはわかりにくい。それだけの理由での区分にすぎない。

    朝の4時台に目が覚めた。さすがにここまで早く起きるつもりはなかったけどアラームをセットすると音が鳴る前に目が覚めてしまう。周りの宿泊客はまだ夢の中にいる。ゲッレールト温泉以来のシャワーを浴びて外出する準備を済ませた。オシフィエンチム行きのバスは6時台に出発する。それまでにバス乗り場で待機しておきたい。
    ゲストハウスから外に出ると辺りはまだ真っ暗だった。治安の面で不安があったけど案外何ともなかった。バス乗り場に着き売店で昼食用のロールパンサンドを買った。しはらく待っていると乗り場にバスが来る。運転手に料金を払い座席へ座った。思ったより乗客が少ないなと思っていたけど、出発時間が迫ると次々に人が入ってきて早朝から満員のバスで移動した。バス内では窓から景色を眺めて過ごした。まだ街も眠っているのか眺めたところで大して面白くもない。
    7時半を過ぎたあたりでオシフィエンチムに着いた。バスから降りてすぐの場所にチケットカウンターがある。その場に行列ができていたのでそこに並び、朝食のパンを頬張る。すぐに僕の番になった。ちなみにアウシュヴィッツ強制収容所は無料で見学できる。パスポートを係員に見せてチケットを発行してもらった。その後、売店に行きガイドブックを買う。これはアウシュヴィッツの唯一の日本人ガイドとして知られる中谷さんが翻訳したものだ。今回はガイド付きでなく個人で見学したけど、このガイドブックには助けられた。これがなかったら何をどう見ていいかさっぱりだったと思う。
    準備が整ったので入場ゲートから中に入ろうとしたところ、鞄を持ったままだと入場できないと係員に指摘される。荷物預かり所に鞄を預け改めて入場した。しかし、何も嬉しくない。ここに自分から望んで来た人はそもそもいないからだ。自分の感情をどの位置に定めればいいかわからず何となくそわそわしていた。とにかく、ガイドブックを頼りに番号順に巡ろう。
    まもなく「ARBEIT MACHT FRIE」(ドイツ語で「働けば自由になる」という意味)と書かれた門が見えてきた。この写真だとわかりにくいけど、Bが上下逆なのは門を作った囚人のせめてもの反抗とも言われている。この門の前で、イスラエル人の団体が記念撮影をしていた。中には笑みを浮かべている人もいて解釈に困った。貴方達と同じユダヤ人がここで犠牲になったのに何故?とは思ったけど、ポーランドから遠く離れた日本から来た者にはわからない感覚があるのかもしれない。この時点ではこの件について考えることをやめた。さて、門を潜り中に入ろう。

    日本でも浸透しているアウシュヴィッツとはドイツ語でオシフィエンチムを指すとのこと。ここでは収容所のある街をオシフィエンチム、第1収容所をアウシュヴィッツ、第2収容所をビルケナウと書く。それほど深い意味はないけど、「朝起きてアウシュヴィッツに行く。」と書くと気が滅入るし、収容所をオシフィエンチムと書けばそれはわかりにくい。それだけの理由での区分にすぎない。

  • 門を潜ると同じ建築様式の建物が幾つも並んでいる。この敷地内の建物は大体がこういった形のもの。<br />殆どが戦時中(1940年~1945年)には収容者の住居として使われていて、その建物のうちの幾つかが今は博物館になっている。

    門を潜ると同じ建築様式の建物が幾つも並んでいる。この敷地内の建物は大体がこういった形のもの。
    殆どが戦時中(1940年~1945年)には収容者の住居として使われていて、その建物のうちの幾つかが今は博物館になっている。

  • 順路を把握できずにまた入口まで戻ってきてしまった。改めてアウシュヴィッツ内を見学する。

    順路を把握できずにまた入口まで戻ってきてしまった。改めてアウシュヴィッツ内を見学する。

  • 自分が今いる場所とガイドブックの地図とを照らし合わせて、どうにかアウシュヴィッツ内の地理が把握できてきた。ここからはガイドブックに記載された順路に従い歩いた。<br />先に書いた通り、今ではここの建物は博物館として利用されている。各博物館では、アウシュヴィッツにどの国からどれだけの数の人々が連れて来られたか、また収容所での待遇等が写真や資料により事細かく展示されている。収容者から没収した杖や義足、靴、髪ブラシ、髪の毛などが大量に展示されていた。ガラス越しに山の様に置かれた靴を見ていると持ち主を思い浮かべずにはいられなかった。靴に付いた傷や汚れがその背後にいる収容者の存在を我々に訴えかけている。<br />また他の場所ではこの場所で犠牲になった人々の写真が、廊下の端から端まで並んでいた。それぞれに国籍や収容時の年齢が記載されている。この時見たものは、ポーランド国籍で20代前半の人が多かった。素通りするのは彼ら彼女らに申し訳ないと思った。一枚一枚の顔写真の目を見つめ、それぞれの人々が生きた数十年を価値あるものとして捉えたかった。<br />また別の場所では実際に虐殺の行われたガス室も公開されている。想像よりも規模は小さかったけど、単にここだけがそうなのかもしれない。数十年前にこの空間に悲鳴や泣き声が響いていたことに思い至り、頭が混乱し早くここから出たいと思った。<br />これら全てを短時間で見学して、尊厳を持った各々の人間が、まるで工場で物が加工されるかのように、持ち物を奪われ即座に殺されてしまうことに恐怖を覚えた。人間は何処までも残酷になれる。この惨劇の加害者と同じ「人間」であることが嫌で仕方なくなった。<br /><br />※この写真はアウシュヴィッツ内の博物館に展示されていたもの。大人から子どもまでの収容者が写っている。

    自分が今いる場所とガイドブックの地図とを照らし合わせて、どうにかアウシュヴィッツ内の地理が把握できてきた。ここからはガイドブックに記載された順路に従い歩いた。
    先に書いた通り、今ではここの建物は博物館として利用されている。各博物館では、アウシュヴィッツにどの国からどれだけの数の人々が連れて来られたか、また収容所での待遇等が写真や資料により事細かく展示されている。収容者から没収した杖や義足、靴、髪ブラシ、髪の毛などが大量に展示されていた。ガラス越しに山の様に置かれた靴を見ていると持ち主を思い浮かべずにはいられなかった。靴に付いた傷や汚れがその背後にいる収容者の存在を我々に訴えかけている。
    また他の場所ではこの場所で犠牲になった人々の写真が、廊下の端から端まで並んでいた。それぞれに国籍や収容時の年齢が記載されている。この時見たものは、ポーランド国籍で20代前半の人が多かった。素通りするのは彼ら彼女らに申し訳ないと思った。一枚一枚の顔写真の目を見つめ、それぞれの人々が生きた数十年を価値あるものとして捉えたかった。
    また別の場所では実際に虐殺の行われたガス室も公開されている。想像よりも規模は小さかったけど、単にここだけがそうなのかもしれない。数十年前にこの空間に悲鳴や泣き声が響いていたことに思い至り、頭が混乱し早くここから出たいと思った。
    これら全てを短時間で見学して、尊厳を持った各々の人間が、まるで工場で物が加工されるかのように、持ち物を奪われ即座に殺されてしまうことに恐怖を覚えた。人間は何処までも残酷になれる。この惨劇の加害者と同じ「人間」であることが嫌で仕方なくなった。

    ※この写真はアウシュヴィッツ内の博物館に展示されていたもの。大人から子どもまでの収容者が写っている。

  • 今のアウシュヴィッツは収容者の実態を知ることの出来る博物館の他に<br />・脱走者を処刑する絞首台<br />・収容者の点呼広場<br />・ガス室と焼却炉<br />・毒物注射の行われた治療室<br />・収容者の拘禁所<br />等が公開されている。どれもこれも「人を殺す為、苦痛を与える為」に存在していたものばかりで、ここに長くいたら頭が狂ってしまいそうになる。ホロコーストの加害者もこの環境に慣れ、次々に収容者を殺しても疑問にも思わない、そんな異常な状態にあったんだろう。<br />拘禁所には一時期長崎に滞在していたことでも知られるコルベ神父のいた部屋もある。この狭い一室で注射を打たれて亡くなったそうだ。コルベ神父は遠藤周作の小説にも出てきたので知っていた。遠藤周作は、自分が身代わりになり他の収容者を救ったコルベ神父に人間の可能性を見出していた。これを知っていたので、自分がアウシュヴィッツに来たらどんな発想に至るかに興味があった。今こうして収容から殺害までの一連の流れをこの目で見ると、人間への不信の気持ちのほうがずっと大きい。遠藤周作は根の部分で前向きな人なんだと思う。<br />コルベ神父だけでなく、アウシュヴィッツの展示はその全てが収容者を一つのまとまりではなく、尊厳ある個人として捉えているようだった。この点には見学を開始してすぐに気がついたし、博物館側の姿勢にも共感した。例えば、フランスからこの収容所に連れてこられた数名に焦点を当てた展示がある。その中には小さな子どもいれば年老いた老人もいるし、働き盛りの者もいる。男性もいれば女性もいる。不幸にもこの収容所で殺害された人もいれば、奇跡的に殺害を逃れ戦後を迎えた人もいる。年齢も性別も職業も人生の最後の瞬間までもそれぞれ違う。その一人一人に価値を見出し、ここの収容者は今見学に来ている貴方たちと同じ「ただの人間」なのだと訴えたいようだった。よくわかった。納得した。正直、日本語の説明もないので細部まで理解できたわけではないけど、博物館側が一番わかってほしい部分は頭でなく気持ちの部分で伝わってきた。<br />アウシュヴィッツ内の博物館はそれぞれ凝った作りになっていた。オランダからの収容者についての展示では、名前検索するとアウシュヴィッツを始めとした収容所へ連れて来られた人のその後が表示されるコンピュータもある。試しにアンネ・フランクと入力した。わかりきってはいたけど戦時中に亡くなっていた。よくここまで凝った展示をするなと感心した。一人残らず収容者の人生を肯定する力強い姿勢を感じた。<br /><br />※この写真は実際に虐殺に使われたガス缶。

    今のアウシュヴィッツは収容者の実態を知ることの出来る博物館の他に
    ・脱走者を処刑する絞首台
    ・収容者の点呼広場
    ・ガス室と焼却炉
    ・毒物注射の行われた治療室
    ・収容者の拘禁所
    等が公開されている。どれもこれも「人を殺す為、苦痛を与える為」に存在していたものばかりで、ここに長くいたら頭が狂ってしまいそうになる。ホロコーストの加害者もこの環境に慣れ、次々に収容者を殺しても疑問にも思わない、そんな異常な状態にあったんだろう。
    拘禁所には一時期長崎に滞在していたことでも知られるコルベ神父のいた部屋もある。この狭い一室で注射を打たれて亡くなったそうだ。コルベ神父は遠藤周作の小説にも出てきたので知っていた。遠藤周作は、自分が身代わりになり他の収容者を救ったコルベ神父に人間の可能性を見出していた。これを知っていたので、自分がアウシュヴィッツに来たらどんな発想に至るかに興味があった。今こうして収容から殺害までの一連の流れをこの目で見ると、人間への不信の気持ちのほうがずっと大きい。遠藤周作は根の部分で前向きな人なんだと思う。
    コルベ神父だけでなく、アウシュヴィッツの展示はその全てが収容者を一つのまとまりではなく、尊厳ある個人として捉えているようだった。この点には見学を開始してすぐに気がついたし、博物館側の姿勢にも共感した。例えば、フランスからこの収容所に連れてこられた数名に焦点を当てた展示がある。その中には小さな子どもいれば年老いた老人もいるし、働き盛りの者もいる。男性もいれば女性もいる。不幸にもこの収容所で殺害された人もいれば、奇跡的に殺害を逃れ戦後を迎えた人もいる。年齢も性別も職業も人生の最後の瞬間までもそれぞれ違う。その一人一人に価値を見出し、ここの収容者は今見学に来ている貴方たちと同じ「ただの人間」なのだと訴えたいようだった。よくわかった。納得した。正直、日本語の説明もないので細部まで理解できたわけではないけど、博物館側が一番わかってほしい部分は頭でなく気持ちの部分で伝わってきた。
    アウシュヴィッツ内の博物館はそれぞれ凝った作りになっていた。オランダからの収容者についての展示では、名前検索するとアウシュヴィッツを始めとした収容所へ連れて来られた人のその後が表示されるコンピュータもある。試しにアンネ・フランクと入力した。わかりきってはいたけど戦時中に亡くなっていた。よくここまで凝った展示をするなと感心した。一人残らず収容者の人生を肯定する力強い姿勢を感じた。

    ※この写真は実際に虐殺に使われたガス缶。

  • ホロコーストに関わった人たちを取材したクロード・ランズマンの傑作ドキュメンタリー映画『SHOAH』に関する展示もあった。この映画は旅行の数カ月前に観た。それから間もなくしてランズマンの訃報が流れた。アウシュヴィッツの惨劇に一番真摯に向き合った映画人が亡くなってしまったのは残念だ。『シンドラーのリスト』も『さよなら子供たち』も『夜と霧』も良く出来た映画ではあるけど、ホロコーストの被害者、加害者の生の声を活かしたのはこの『SHOAH』だけだと思う。この映画だけはなるべく多くの人に観てほしい。<br />アウシュヴィッツを一通り見学した頃に昼食の時間になった。一旦外に出て荷物預かり所に行き、鞄からパンを取り出して食べる。朝からずっと歩き続けて疲れていたのでパンが美味しく感じられた。フランクルの『夜と霧』に、アウシュヴィッツ等の収容所に入った者は一日の食事はパン一つ、その条件の下で過酷な労働を強いられた、という趣旨の記述があった。さっき見てきた入り口の門も、一日に一切れのパンしか食べられない収容者が作ったものだ。そこに思い至り今の自分がどれだけ恵まれているかを知る。<br />昼食後に今度はバスでビルケナウへ行く。ビルケナウの建物が視野に入った瞬間体がガクッと震ええた。ここに連れて来られた者は、殺されるか過酷な労働を強いられるかしか道がなかった。映画や本でそれを知っていたから思わず動揺したのだった。

    ホロコーストに関わった人たちを取材したクロード・ランズマンの傑作ドキュメンタリー映画『SHOAH』に関する展示もあった。この映画は旅行の数カ月前に観た。それから間もなくしてランズマンの訃報が流れた。アウシュヴィッツの惨劇に一番真摯に向き合った映画人が亡くなってしまったのは残念だ。『シンドラーのリスト』も『さよなら子供たち』も『夜と霧』も良く出来た映画ではあるけど、ホロコーストの被害者、加害者の生の声を活かしたのはこの『SHOAH』だけだと思う。この映画だけはなるべく多くの人に観てほしい。
    アウシュヴィッツを一通り見学した頃に昼食の時間になった。一旦外に出て荷物預かり所に行き、鞄からパンを取り出して食べる。朝からずっと歩き続けて疲れていたのでパンが美味しく感じられた。フランクルの『夜と霧』に、アウシュヴィッツ等の収容所に入った者は一日の食事はパン一つ、その条件の下で過酷な労働を強いられた、という趣旨の記述があった。さっき見てきた入り口の門も、一日に一切れのパンしか食べられない収容者が作ったものだ。そこに思い至り今の自分がどれだけ恵まれているかを知る。
    昼食後に今度はバスでビルケナウへ行く。ビルケナウの建物が視野に入った瞬間体がガクッと震ええた。ここに連れて来られた者は、殺されるか過酷な労働を強いられるかしか道がなかった。映画や本でそれを知っていたから思わず動揺したのだった。

  • ビルケナウに着いてすぐに自撮りしながらはしゃぐ観光客を見かけた。ここはハワイやディズニーランドじゃないんだから場に適した行動を取ってほしかった。ガイドブックにもマナーについての記載があるんだから。<br />入場ゲートを潜り中心の降車場に向かって歩く。戦時中は列車で降車場まで行き、そこで連れて来られた人たちが降ろされたそうだ。この辺りの事情は『SHOAH』で詳しく語られている。ヨーロッパのあちこちから多くのユダヤ人がここに連れて来られた。大半はビルケナウの存在意義について知る時間も与えられずに即殺害されてしまった。毎日毎日、列車で大勢の人間を連れ込んではまとめて殺害、それが延々と繰り返された。それを知っていたのでこの時点でこれ以上歩くのは躊躇われた。ここから徒歩圏内にガス室と焼却炉がある。気は滅入っていたけど、他の見学者と共に更に先まで歩くことにした。

    ビルケナウに着いてすぐに自撮りしながらはしゃぐ観光客を見かけた。ここはハワイやディズニーランドじゃないんだから場に適した行動を取ってほしかった。ガイドブックにもマナーについての記載があるんだから。
    入場ゲートを潜り中心の降車場に向かって歩く。戦時中は列車で降車場まで行き、そこで連れて来られた人たちが降ろされたそうだ。この辺りの事情は『SHOAH』で詳しく語られている。ヨーロッパのあちこちから多くのユダヤ人がここに連れて来られた。大半はビルケナウの存在意義について知る時間も与えられずに即殺害されてしまった。毎日毎日、列車で大勢の人間を連れ込んではまとめて殺害、それが延々と繰り返された。それを知っていたのでこの時点でこれ以上歩くのは躊躇われた。ここから徒歩圏内にガス室と焼却炉がある。気は滅入っていたけど、他の見学者と共に更に先まで歩くことにした。

  • 降車場からしばらく歩きビルケナウの入口側を見渡す。この近くにガス室と焼却炉の残骸がある。ビルケナウは隅々まで歩くと数時間かかるくらいに広い。ただ、ここで殺害された収容者は降車場~ガス室までの距離しか歩いていないことになる。戦時中に訳もわからずにここで殺害された人々を思うと憂鬱で仕方なかった。<br />現代人の感覚するとそんな気持ちを抱くのは当たり前で、それを察したかのようにすぐ近くに犠牲者追悼碑がある。ヘブライ語やドイツ語など、アウシュヴィッツへの強制移住者が使っていた23の言語でメッセージが記されている。読めるものは一つもないはずなのにこの時は何が書いてあるかを何となく察し「読めたつもり」にはなっていた。今朝見かけたイスラエル人の団体はこの場所で追悼の催しを開いていた。彼らには彼らなりの思い入れがこの場所にあったのだ。

    降車場からしばらく歩きビルケナウの入口側を見渡す。この近くにガス室と焼却炉の残骸がある。ビルケナウは隅々まで歩くと数時間かかるくらいに広い。ただ、ここで殺害された収容者は降車場~ガス室までの距離しか歩いていないことになる。戦時中に訳もわからずにここで殺害された人々を思うと憂鬱で仕方なかった。
    現代人の感覚するとそんな気持ちを抱くのは当たり前で、それを察したかのようにすぐ近くに犠牲者追悼碑がある。ヘブライ語やドイツ語など、アウシュヴィッツへの強制移住者が使っていた23の言語でメッセージが記されている。読めるものは一つもないはずなのにこの時は何が書いてあるかを何となく察し「読めたつもり」にはなっていた。今朝見かけたイスラエル人の団体はこの場所で追悼の催しを開いていた。彼らには彼らなりの思い入れがこの場所にあったのだ。

  • 収容者から略奪した物を保存する倉庫跡。カナダと呼ばれていたらしい。

    収容者から略奪した物を保存する倉庫跡。カナダと呼ばれていたらしい。

  • 広大なビルケナウには様々な施設があり、中でも一番多いのがこの収容者の寝泊まりするバラック。木製のものもあればレンガ製のものもある。中に入るとベッドがあったりなかったりと違いはあるけど、共通してどれも暗くて不衛生だ。ガイドブックにも書いてあったけどシラミやネズミががいて伝染病も発生したそうだ。人よりネズミのほうが多かったんじゃないか?とさえ思う。ビルケナウに連れて来られて殺害されなかったとしても、ここで暮らす者の生活もまた悲惨だ。

    広大なビルケナウには様々な施設があり、中でも一番多いのがこの収容者の寝泊まりするバラック。木製のものもあればレンガ製のものもある。中に入るとベッドがあったりなかったりと違いはあるけど、共通してどれも暗くて不衛生だ。ガイドブックにも書いてあったけどシラミやネズミががいて伝染病も発生したそうだ。人よりネズミのほうが多かったんじゃないか?とさえ思う。ビルケナウに連れて来られて殺害されなかったとしても、ここで暮らす者の生活もまた悲惨だ。

  • 今現在、ビルケナウで見学者が多いのは入場ゲートから犠牲者追悼碑までの区間でそれ以外になると人は少なかった。殆ど誰もいないひっそりとした場所もあった。この区間以外にあるのは<br />・収容者から略奪した物を保存する倉庫跡<br />・収容者の衣服等を消毒・殺菌する装置も入った浴場(通称サウナ)<br />・ガス室と焼却炉の残骸<br />等だ。<br />サウナなんて聞こえはいいけど実態は収容者が殺害されるまでに通る一区間に過ぎない。ガス室・焼却炉も林の外れにもあり、近くには湖もあった。ここに人骨の灰が撒かれて今でもそれが残っているらしいけど、一目見てそれとわかるものはなかった。辺りはひっそりと静まり返り、数十年前にこの場所で大虐殺が行われたとは信じられないくらいだった。ビルケナウ内でこういった静かな場所を見つけては犠牲になった人たちを思い浮かべた。<br />ビルケナウの展示もアウシュヴィッツと同じく個人に焦点を当てている。朝も同じことを思ったけど、その姿勢は理解出来るのでそこを受け入れた上で見学した。気がつけばビルケナウの閉まる時間が迫っていた。最後にまた追悼碑から入場門までを歩いた。

    今現在、ビルケナウで見学者が多いのは入場ゲートから犠牲者追悼碑までの区間でそれ以外になると人は少なかった。殆ど誰もいないひっそりとした場所もあった。この区間以外にあるのは
    ・収容者から略奪した物を保存する倉庫跡
    ・収容者の衣服等を消毒・殺菌する装置も入った浴場(通称サウナ)
    ・ガス室と焼却炉の残骸
    等だ。
    サウナなんて聞こえはいいけど実態は収容者が殺害されるまでに通る一区間に過ぎない。ガス室・焼却炉も林の外れにもあり、近くには湖もあった。ここに人骨の灰が撒かれて今でもそれが残っているらしいけど、一目見てそれとわかるものはなかった。辺りはひっそりと静まり返り、数十年前にこの場所で大虐殺が行われたとは信じられないくらいだった。ビルケナウ内でこういった静かな場所を見つけては犠牲になった人たちを思い浮かべた。
    ビルケナウの展示もアウシュヴィッツと同じく個人に焦点を当てている。朝も同じことを思ったけど、その姿勢は理解出来るのでそこを受け入れた上で見学した。気がつけばビルケナウの閉まる時間が迫っていた。最後にまた追悼碑から入場門までを歩いた。

  • 早朝にクラクフを出発しこの場所で10時間くらいは過ごした。昼食時以外は何も飲まずにひたすら歩いた。事前にネットで得た情報だと午前だけで見学を済ませた人もいるようだけど、僕はそれでは足りなかったしただ見学するだけでなく、時間を見つけてはここに連れて来られた人たちを思い浮かべたかった。それは今日ここで過ごした時間だけでは足りなかったし、この旅行中だけでなく今後も続けていく。

    早朝にクラクフを出発しこの場所で10時間くらいは過ごした。昼食時以外は何も飲まずにひたすら歩いた。事前にネットで得た情報だと午前だけで見学を済ませた人もいるようだけど、僕はそれでは足りなかったしただ見学するだけでなく、時間を見つけてはここに連れて来られた人たちを思い浮かべたかった。それは今日ここで過ごした時間だけでは足りなかったし、この旅行中だけでなく今後も続けていく。

  • いつかまた必ずここに来よう。今回は一人で見学したけど次回はツアーを利用するのもいいかもしれない。このアウシュヴィッツ・ビルケナウを見学したからには、これまでと同じ人権意識のままではいけないと、ここに来たからには大きな責任が伴うなと思った。<br />バスでまたアウシュヴィッツまで戻りそこで今度はクラクフ行きのバスを待つ。そこには日本の若者が数名いた。誰にとっても今日は価値ある一日になっただろう。皆、ここでの経験を日本での生活にも活かしてほしい。

    いつかまた必ずここに来よう。今回は一人で見学したけど次回はツアーを利用するのもいいかもしれない。このアウシュヴィッツ・ビルケナウを見学したからには、これまでと同じ人権意識のままではいけないと、ここに来たからには大きな責任が伴うなと思った。
    バスでまたアウシュヴィッツまで戻りそこで今度はクラクフ行きのバスを待つ。そこには日本の若者が数名いた。誰にとっても今日は価値ある一日になっただろう。皆、ここでの経験を日本での生活にも活かしてほしい。

  • さて、クラクフのバス乗り場へ着いた。すぐ近くに格安のポーランド料理店があるとネットで情報を得ていたのでそこに行き夕食をとる。ピエロギを食べたかったけど既に売り切れていた。代わりに食べたのがポーランドの家庭料理らしいこれ。少し酸味があるので日本人好みではないけど、まともな食事をとったのはベオグラードの昼食以来なので口にできれば何だろうと嬉しい。<br />食後はショッピングセンターに行き、明日の朝食のパン等を買ってゲストハウスへ帰った。歩き続けて疲れはあるけどこの旅行で最も充実した一日になった。

    さて、クラクフのバス乗り場へ着いた。すぐ近くに格安のポーランド料理店があるとネットで情報を得ていたのでそこに行き夕食をとる。ピエロギを食べたかったけど既に売り切れていた。代わりに食べたのがポーランドの家庭料理らしいこれ。少し酸味があるので日本人好みではないけど、まともな食事をとったのはベオグラードの昼食以来なので口にできれば何だろうと嬉しい。
    食後はショッピングセンターに行き、明日の朝食のパン等を買ってゲストハウスへ帰った。歩き続けて疲れはあるけどこの旅行で最も充実した一日になった。

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