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 2017年夏,橿原の「本薬師寺跡」のホテイアオイが見頃をむかえていると聞き,ホテイアオイの写真を撮りがてら,「藤原京跡」,「橿原神宮」,「神武天皇陵」なども散策した。また,江戸時代の佇まいが残り,平成5年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け,平成27年のNHKの朝ドラ『あさが来た』のロケ地ともなった「今井町」も訪ねた。<br />

2017 夏・橿原散策

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2017/09/25 - 2017/09/25

507位(同エリア568件中)

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36

T.バイソン

T.バイソンさん

この旅行記のスケジュール

2017/09/25

この旅行記スケジュールを元に

 2017年夏,橿原の「本薬師寺跡」のホテイアオイが見頃をむかえていると聞き,ホテイアオイの写真を撮りがてら,「藤原京跡」,「橿原神宮」,「神武天皇陵」なども散策した。また,江戸時代の佇まいが残り,平成5年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け,平成27年のNHKの朝ドラ『あさが来た』のロケ地ともなった「今井町」も訪ねた。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
3.5
交通
3.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
  • 藤原宮跡<br /><br /> 中国の都城に習って,日本で初めて建設された本格的都城。持統8年(694年)から平城京遷都までの16年間,北に耳成山,西に畝傍山,東に天香久山の大和三山が控えるこの地で持統・文武・元明の天皇三代が律令国家体制を強力に推し進めた。東西5.3km,南北4.8kmで,平城京や平安京を上回る規模だったとも考えられている。天皇の住まいである内裏や天皇が儀式や政治を行った大極殿跡の基壇が残り,広い野原の数か所に朱塗りの列柱が再現されている 

    イチオシ

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    藤原宮跡

     中国の都城に習って,日本で初めて建設された本格的都城。持統8年(694年)から平城京遷都までの16年間,北に耳成山,西に畝傍山,東に天香久山の大和三山が控えるこの地で持統・文武・元明の天皇三代が律令国家体制を強力に推し進めた。東西5.3km,南北4.8kmで,平城京や平安京を上回る規模だったとも考えられている。天皇の住まいである内裏や天皇が儀式や政治を行った大極殿跡の基壇が残り,広い野原の数か所に朱塗りの列柱が再現されている 

    藤原宮跡 名所・史跡

    列柱と彼岸花の朱色の共演をカメラに by T.バイソンさん
  •  春は菜の花,夏は蓮,秋はコスモスと,季節に応じた花々を楽しめる場所となっているが,散策時は,赤い彼岸花が列をなして咲いていた

     春は菜の花,夏は蓮,秋はコスモスと,季節に応じた花々を楽しめる場所となっているが,散策時は,赤い彼岸花が列をなして咲いていた

  •  耳成山と朝堂院西門の列柱

     耳成山と朝堂院西門の列柱

  • 本薬師寺跡<br /><br /> 天武天皇が後に持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って建立し,698年に完成。平城京遷都に伴い,薬師寺が西ノ京に移る際,現在の場所に移築された。西ノ京の薬師寺と区別して「本薬師寺」又は「藤原薬師寺」と称される。現在は,金堂跡と東西両塔跡に大きな礎石だけが残されている<br /><br /> 写真は,東塔の土壇と祠

    本薬師寺跡

     天武天皇が後に持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って建立し,698年に完成。平城京遷都に伴い,薬師寺が西ノ京に移る際,現在の場所に移築された。西ノ京の薬師寺と区別して「本薬師寺」又は「藤原薬師寺」と称される。現在は,金堂跡と東西両塔跡に大きな礎石だけが残されている

     写真は,東塔の土壇と祠

    本薬師寺跡 名所・史跡

    美しい薄紫色の花が一面に by T.バイソンさん
  •  金堂跡周辺の休耕田を利用して,橿原市立畝傍北小学校の2年生の手によって,約40万株のホテイアオイが植樹されている<br /><br /> 正面奥は畝傍山。右手の小高い土壇が西塔跡

     金堂跡周辺の休耕田を利用して,橿原市立畝傍北小学校の2年生の手によって,約40万株のホテイアオイが植樹されている

     正面奥は畝傍山。右手の小高い土壇が西塔跡

  •  これがホテイアオイ

     これがホテイアオイ

  •  散策時は,美しい薄紫色の花が一面に広がり,赤色の彼岸花との共演も楽しめた

    イチオシ

     散策時は,美しい薄紫色の花が一面に広がり,赤色の彼岸花との共演も楽しめた

  •  数株だけ白い彼岸花も見られた

     数株だけ白い彼岸花も見られた

  •  キバナコスモスも咲いていた

     キバナコスモスも咲いていた

  •  北鳥居からの裏参道を通って,橿原神宮へ。緑の木々に囲まれた広大な境内では,静謐な空気に包まれる

     北鳥居からの裏参道を通って,橿原神宮へ。緑の木々に囲まれた広大な境内では,静謐な空気に包まれる

  •  昭和14年に完成した,入母屋造りの外拝殿

    イチオシ

     昭和14年に完成した,入母屋造りの外拝殿

  • 橿原神宮<br /><br /> 畝傍山の東南麓に位置し,神域は50万㎡に及ぶ。日本建国の地とされ,初代天皇とされる神武天皇が東遷し,この地で畝傍橿原宮を造営して即位したのが始まりで,橿原神宮創建の請願に応え,明治天皇により,神武天皇とその皇后である媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)を祭神として,京都御所の賢所と神嘉殿を移築して,明治23年(1890年)に創建された

    橿原神宮

     畝傍山の東南麓に位置し,神域は50万㎡に及ぶ。日本建国の地とされ,初代天皇とされる神武天皇が東遷し,この地で畝傍橿原宮を造営して即位したのが始まりで,橿原神宮創建の請願に応え,明治天皇により,神武天皇とその皇后である媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)を祭神として,京都御所の賢所と神嘉殿を移築して,明治23年(1890年)に創建された

    橿原神宮 寺・神社・教会

    広大な空間に厳かな社殿 by T.バイソンさん
  •  左右に長い回廊を連ねた内拝殿。奥の本殿が京都御所から移築された神嘉殿

     左右に長い回廊を連ねた内拝殿。奥の本殿が京都御所から移築された神嘉殿

  •  内拝殿の回廊には,神武天皇一代記の絵巻が展示されている

     内拝殿の回廊には,神武天皇一代記の絵巻が展示されている

  •  北園の中にある,瑞鶴之碑

     北園の中にある,瑞鶴之碑

  • 神武天皇御陵<br /><br /> 神武天皇は,紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位し,紀元前585年127歳で崩御したとされる。橿原神宮に北接する神武天皇陵は,円丘で周囲は約100m,高さ5.5mの広い植え込みがあり,幅約16mの周濠を巡らせている

    神武天皇御陵

     神武天皇は,紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位し,紀元前585年127歳で崩御したとされる。橿原神宮に北接する神武天皇陵は,円丘で周囲は約100m,高さ5.5mの広い植え込みがあり,幅約16mの周濠を巡らせている

  •  長い参道を進むと現れる静謐な空間

    イチオシ

     長い参道を進むと現れる静謐な空間

  •  陵 墓

     陵 墓

    神武天皇陵 名所・史跡

    静謐な空間 by T.バイソンさん
  • 13:45 大和八木駅近くの炭焼きイタリアンバールのAKARIで昼食

    13:45 大和八木駅近くの炭焼きイタリアンバールのAKARIで昼食

    炭焼きイタリアンバール AKARI グルメ・レストラン

    炭焼きイタリアンバール by T.バイソンさん
  •  飛鳥川に架かる赤い蘇武橋を渡って今井町へ。橋のたもとには,景観重要樹木第1号に指定された,樹齢420年を超えるエノキが立っている<br /><br /> 

     飛鳥川に架かる赤い蘇武橋を渡って今井町へ。橋のたもとには,景観重要樹木第1号に指定された,樹齢420年を超えるエノキが立っている

     

  • 今 井 町<br /><br /> 戦国天文年間(1532~55年)この地に一向宗本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺の寺内町が始まり。本願寺同様,織田信長に敵対したが,天正3年(1575年)明智光秀を通じて降伏した。その後は商工業都市として発展し,「海の堺・陸の今井」と呼ばれるほどとなった。東西約600m,南北約310m,17.4haの地区内には,重要文化財に登録された住宅8軒,県や市の文化財が8件など約500棟の伝統的建造物があり,江戸時代の佇まいが残り,平成5年には「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けた

    今 井 町

     戦国天文年間(1532~55年)この地に一向宗本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺の寺内町が始まり。本願寺同様,織田信長に敵対したが,天正3年(1575年)明智光秀を通じて降伏した。その後は商工業都市として発展し,「海の堺・陸の今井」と呼ばれるほどとなった。東西約600m,南北約310m,17.4haの地区内には,重要文化財に登録された住宅8軒,県や市の文化財が8件など約500棟の伝統的建造物があり,江戸時代の佇まいが残り,平成5年には「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けた

  • 橿原市立今井まちなみ交流センター華甍<br /><br /> 明治36年(1903年)高市郡教育博物館として建設され,昭和4年より今井町役場にも使用されていた,奈良県指定文化財の建物。現在は,今井町の歴史を解説する資料を集めた資料館として利用

    橿原市立今井まちなみ交流センター華甍

     明治36年(1903年)高市郡教育博物館として建設され,昭和4年より今井町役場にも使用されていた,奈良県指定文化財の建物。現在は,今井町の歴史を解説する資料を集めた資料館として利用

    今井まちなみ交流センター「華甍」 美術館・博物館

    案内に従い,まずここを見学して by T.バイソンさん
  •  今井町の復元模型

     今井町の復元模型

  • 旧南口門(南町生活広場)<br /><br /> 江戸時代の今井町には9つの門があったが,そのうち南口門を復元したもの。切妻造本瓦葺の一間薬医門で,築地塀を付属。番屋,土居,環濠も復元されている

    旧南口門(南町生活広場)

     江戸時代の今井町には9つの門があったが,そのうち南口門を復元したもの。切妻造本瓦葺の一間薬医門で,築地塀を付属。番屋,土居,環濠も復元されている

    南町生活広場 名所・史跡

  • 春日神社裏手の復元環濠<br /><br /> 幅が15~20mはあったと推定される大規模な壕だったらしい。調査時には戦国時代当時の銃弾も出土したとか

    春日神社裏手の復元環濠

     幅が15~20mはあったと推定される大規模な壕だったらしい。調査時には戦国時代当時の銃弾も出土したとか

  • 今西家住宅<br /><br /> 惣年寄の筆頭を務めていた。慶安3年(1650年)に建てられた,八つ棟造りと呼ばれる,城郭のような豪壮な建物

    今西家住宅

     惣年寄の筆頭を務めていた。慶安3年(1650年)に建てられた,八つ棟造りと呼ばれる,城郭のような豪壮な建物

    今西家住宅 名所・史跡

  • 紙半 豊田記念館<br /><br /> 屋号を「紙屋」といい,代々「紙屋半三郎」を襲名したことから「紙半」で通り,6代目が両替商を営み,大名貸しで豪商としての基盤を築いた。本記念館(300円)は,豊田家歴代の当主が収集した,当時を偲ぶ4000点余りに及ぶ書画や陶器の骨董,古美術品,古文書,生活用品等を展示している。前庭に立っているのは,樹齢250年はあるという,橿原市景観重要樹木第2号のカイヅカイブキの木

    紙半 豊田記念館

     屋号を「紙屋」といい,代々「紙屋半三郎」を襲名したことから「紙半」で通り,6代目が両替商を営み,大名貸しで豪商としての基盤を築いた。本記念館(300円)は,豊田家歴代の当主が収集した,当時を偲ぶ4000点余りに及ぶ書画や陶器の骨董,古美術品,古文書,生活用品等を展示している。前庭に立っているのは,樹齢250年はあるという,橿原市景観重要樹木第2号のカイヅカイブキの木

    紙半豊田記念館 美術館・博物館

  • 豊田家住宅<br /><br /> 寛文2年(1662年)に建設された建物で,屋根は入母屋造,本瓦葺で軒は高く,二階軒は出桁造り。元は木材商であったことから,丸に木の字の紋を付けている

    豊田家住宅

     寛文2年(1662年)に建設された建物で,屋根は入母屋造,本瓦葺で軒は高く,二階軒は出桁造り。元は木材商であったことから,丸に木の字の紋を付けている

    豊田家住宅 名所・史跡

  • 称 念 寺<br /><br /> 本願寺の一家衆今井兵部卿豊寿がここに本願寺の道場を建てたのに始まる。今井町は元々この寺の境内地として発達した寺内町であった。重要文化財の本堂は残念ながら現在大規模修繕中

    称 念 寺

     本願寺の一家衆今井兵部卿豊寿がここに本願寺の道場を建てたのに始まる。今井町は元々この寺の境内地として発達した寺内町であった。重要文化財の本堂は残念ながら現在大規模修繕中

    称念寺 寺・神社・教会

    大規模修繕中 by T.バイソンさん
  • 中橋家住宅<br /><br /> 「米彦」の屋号で米屋を営んでいた家で,主屋は18世紀後半に建てられ,19世紀初頭頃に厨子二階部分が増築

    中橋家住宅

     「米彦」の屋号で米屋を営んでいた家で,主屋は18世紀後半に建てられ,19世紀初頭頃に厨子二階部分が増築

    中橋家住宅 名所・史跡

  • 上田家住宅<br /><br /> 今西家同様,惣年寄を務めた家で,主屋は延享元年(1744年)頃の建築

    上田家住宅

     今西家同様,惣年寄を務めた家で,主屋は延享元年(1744年)頃の建築

    上田家住宅 名所・史跡

  • 音村家住宅<br /><br /> 「細九(細井戸屋久兵衛)」の屋号で金物商等を営んでいた屋敷で,17世紀後半頃の建物。主屋は喰違い六間取り。入口奥には「一口竈」が置かれ,当時の台所事情を知る貴重な資料となっており,現在のシャッターを彷彿とさせる「擦り揚げ戸」などの斬新な手法も見られる

    音村家住宅

     「細九(細井戸屋久兵衛)」の屋号で金物商等を営んでいた屋敷で,17世紀後半頃の建物。主屋は喰違い六間取り。入口奥には「一口竈」が置かれ,当時の台所事情を知る貴重な資料となっており,現在のシャッターを彷彿とさせる「擦り揚げ戸」などの斬新な手法も見られる

    音村家住宅 名所・史跡

  • 旧米谷家住宅<br /><br /> 「米忠」の屋号で金物商や肥料商を営んでいた屋敷で,18世紀中頃の建物。東側に広い土間をとり,西側は今井町では珍しい五間取りの部屋となっている

    旧米谷家住宅

     「米忠」の屋号で金物商や肥料商を営んでいた屋敷で,18世紀中頃の建物。東側に広い土間をとり,西側は今井町では珍しい五間取りの部屋となっている

  • 河合家住宅<br /><br /> 「上品寺屋」の屋号で酒造業を営んでいた,18世紀中頃の建物。今井町の建物の中では比較的早い時期の二階建町家

    河合家住宅

     「上品寺屋」の屋号で酒造業を営んでいた,18世紀中頃の建物。今井町の建物の中では比較的早い時期の二階建町家

    河合家住宅 名所・史跡

  • 高木家住宅<br /><br /> 19世紀中頃に建てられた切妻造・本瓦葺2階建ての建物で,主屋の西側には,武士用の玄関として用いられた塀と門が設けられており,そこから店奥の裏を通って座敷に上がれるようになっている

    高木家住宅

     19世紀中頃に建てられた切妻造・本瓦葺2階建ての建物で,主屋の西側には,武士用の玄関として用いられた塀と門が設けられており,そこから店奥の裏を通って座敷に上がれるようになっている

    高木家住宅 名所・史跡

  • 今井町観光情報館(日本の寺子屋)<br /><br /> 今井町に関するリーフレットやお茶のセルフサービスあり

    今井町観光情報館(日本の寺子屋)

     今井町に関するリーフレットやお茶のセルフサービスあり

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