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東照宮と輪王寺大猷院の間にある二荒山神社へ。<br /><br />二荒山とは男体山のことです。<br />神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。<br />神橋や華厳の滝、いろは坂の下りもこの神社の御神域と言われるエリアです。<br /><br />日光市内に3社鎮座しています。<br />男体山山頂には奥宮、中禅寺湖畔には中宮祠、市内にはこの御本社<br />この3つです。

栃木へ! その6 二荒山神社へ。

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2019/01/12 - 2019/01/14

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nichi

nichiさん

東照宮と輪王寺大猷院の間にある二荒山神社へ。

二荒山とは男体山のことです。
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。
神橋や華厳の滝、いろは坂の下りもこの神社の御神域と言われるエリアです。

日光市内に3社鎮座しています。
男体山山頂には奥宮、中禅寺湖畔には中宮祠、市内にはこの御本社
この3つです。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
旅行の手配内容
個別手配

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  • 大鳥居をくぐって中に入ります。

    大鳥居をくぐって中に入ります。

  • これは参道の横にある縁結びのご神木です。<br />杉の木に樽の木??

    これは参道の横にある縁結びのご神木です。
    杉の木に樽の木??

  • 杉の木に楢の木が「宿り木」として生えています。<br />まさに右側。

    杉の木に楢の木が「宿り木」として生えています。
    まさに右側。

  • 神門から入ります。<br />朱塗りの門で、昭和57年に、勝道上人の男体山登頂1200年を記念して作られたものです。

    神門から入ります。
    朱塗りの門で、昭和57年に、勝道上人の男体山登頂1200年を記念して作られたものです。

  • 男体山を霊場として開いた勝道上人が奈良時代に創建した歴史ある神社です。<br />この本社・社殿は、徳川秀忠が造営したものです。<br />

    男体山を霊場として開いた勝道上人が奈良時代に創建した歴史ある神社です。
    この本社・社殿は、徳川秀忠が造営したものです。

  • この日は1月13日<br />まだ初詣の方が多いようです。

    この日は1月13日
    まだ初詣の方が多いようです。

  • この拝殿は入母屋造です。

    この拝殿は入母屋造です。

  • 歴史を感じる杉の大木がご神木として数多く生息しています。

    歴史を感じる杉の大木がご神木として数多く生息しています。

  • これは三本杉。<br />これ以外に親子杉、夫婦杉などがありました。

    これは三本杉。
    これ以外に親子杉、夫婦杉などがありました。

  • 三本杉の上を見上げると。。。<br />神々しいです。

    三本杉の上を見上げると。。。
    神々しいです。

  • 千二百年余りの由緒ある大社であることの説明書きです。

    千二百年余りの由緒ある大社であることの説明書きです。

  • これは大黒天。<br />家屋の中心になる柱に大黒天を祀ったことから、その柱を大黒柱と呼ぶようになったようです。<br />知りませんでした。

    これは大黒天。
    家屋の中心になる柱に大黒天を祀ったことから、その柱を大黒柱と呼ぶようになったようです。
    知りませんでした。

  • 二荒山神社のこの奥の見所。

    二荒山神社のこの奥の見所。

  • 大黒天が鎮座しているところは神楽殿なんですね。

    大黒天が鎮座しているところは神楽殿なんですね。

  • 何故ここに大黒様がいらっしゃるかの説明です。<br /><br />勝道上人が二荒山中宮祠において修行中、毎年稲穂を咥えた白ネズミが現れました。<br />白ネズミが何処から来るのか確かめると、現在の足尾の村落に至り、渡良瀬川の岩肌の洞窟に入って行ったそうです。<br />それ以来、この村落を「足緒」と呼ぶようになったとのことです。<br />白ネズミが入った洞窟を修行の場に選んだ勝道上人は、大黒様とネズミを祀ったとのことです。<br /><br />この大黒様は、実際に足尾の街で担がれていたものです。<br />

    何故ここに大黒様がいらっしゃるかの説明です。

    勝道上人が二荒山中宮祠において修行中、毎年稲穂を咥えた白ネズミが現れました。
    白ネズミが何処から来るのか確かめると、現在の足尾の村落に至り、渡良瀬川の岩肌の洞窟に入って行ったそうです。
    それ以来、この村落を「足緒」と呼ぶようになったとのことです。
    白ネズミが入った洞窟を修行の場に選んだ勝道上人は、大黒様とネズミを祀ったとのことです。

    この大黒様は、実際に足尾の街で担がれていたものです。

  • ここから先の二荒山神社内の神苑の案内図です。

    ここから先の二荒山神社内の神苑の案内図です。

  • 入ってみましょう。

    入ってみましょう。

  • 大人一人200円。

    大人一人200円。

  • 200円×2枚

    200円×2枚

  • 日枝神社です!<br />二荒山神社神苑内にある神社です。

    日枝神社です!
    二荒山神社神苑内にある神社です。

  • 御祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)で、山の神様・健康の神様です。

    御祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)で、山の神様・健康の神様です。

  • 大きな切り株がありました。<br />そこには接ぎ木がされています。<br />神話の絆杉??

    大きな切り株がありました。
    そこには接ぎ木がされています。
    神話の絆杉??

  • 宮崎の高千穂神社の樹齢800年のご神木の枝を接ぎ木しています。<br />神話の里から贈られた枝であったため、絆杉と名付けられたとのことです。

    宮崎の高千穂神社の樹齢800年のご神木の枝を接ぎ木しています。
    神話の里から贈られた枝であったため、絆杉と名付けられたとのことです。

  • 神苑「高天原」?

    神苑「高天原」?

  • 滝尾神社の姫神の神輿を本社・本宮の主神と御子神の神輿が迎え、ここで三神輿出会いの儀式「高天原神事」が執り行われます。<br />

    滝尾神社の姫神の神輿を本社・本宮の主神と御子神の神輿が迎え、ここで三神輿出会いの儀式「高天原神事」が執り行われます。

  • 神聖なエリアなんですね。

    神聖なエリアなんですね。

  • 意外と狭いエリアです。

    意外と狭いエリアです。

  • ここにはその神輿が。。

    ここにはその神輿が。。

  • 江戸初期の建物です。

    江戸初期の建物です。

  • 中には3基の御神輿が納められています。

    中には3基の御神輿が納められています。

  • ここは大黒殿。<br />巨大な宝刀「太郎丸」を展示しています。<br />写真撮ったのに何故がデータが残っていません。<br />総長260.5センチ、刃長179.2センチ、重さ7.2キロもある刀が物凄い存在感です!

    ここは大黒殿。
    巨大な宝刀「太郎丸」を展示しています。
    写真撮ったのに何故がデータが残っていません。
    総長260.5センチ、刃長179.2センチ、重さ7.2キロもある刀が物凄い存在感です!

  • 巨大なご神木。<br />樹齢はどれぐらいなんだろう?

    巨大なご神木。
    樹齢はどれぐらいなんだろう?

  • 神々しいです。

    神々しいです。

  • ここは朋友神社。<br />江戸中期に建てられたものです。

    ここは朋友神社。
    江戸中期に建てられたものです。

  • この奥には?

    この奥には?

  • 二荒霊泉です。<br />神苑の奥にある湧水です。

    二荒霊泉です。
    神苑の奥にある湧水です。

  • 目の悪い人に効果がある湧水だそうです。<br />この水でいれたコーヒーを飲むことができるお店が隣にありました。

    目の悪い人に効果がある湧水だそうです。
    この水でいれたコーヒーを飲むことができるお店が隣にありました。

  • これは何?

    これは何?

  • 胎内くぐり?<br /><br />このご神木の中をくぐり、鈴を鳴らしてお祈りするんですね。

    胎内くぐり?

    このご神木の中をくぐり、鈴を鳴らしてお祈りするんですね。

  • 樹齢550年のご神木の中をくぐりました。

    樹齢550年のご神木の中をくぐりました。

  • 「化燈籠」です。<br />本殿の横に建っています。<br />2mの高さがある燈篭です。

    「化燈籠」です。
    本殿の横に建っています。
    2mの高さがある燈篭です。

  • 警備の武士がお化けと間違えて切り付けた跡があります。<br />これが「化燈籠」の名の由来です。

    警備の武士がお化けと間違えて切り付けた跡があります。
    これが「化燈籠」の名の由来です。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 墨水さん 2019/01/28 21:54:44
    大人の事情。
    nichiさん、今晩は。
    「氏神様」には、異論があります。(笑)
    元々の崇拝の対象は「女峰」でした。
    汝の峰が、女峰の起源です。
    大和朝廷との争いの敗れた日光は、大和朝廷の代理人たる勝道上人の入山を許し。
    以降、勝道上人が日光の歴史を刻む事と為ります。
    この時に、崇拝の対象を女峰から男体山へ変更してます。
    男体山登山を「登拝祭」と言うは、東を拝礼する為(女峰を拝礼する為)と言い伝えられている。
    日光東照宮大造替えの折、二荒山神社を現在地に持って来たのは、色々大人の事情を織り交ぜての事です。(笑)
    本来、山岳仏教は真言宗ですが、天台宗に改宗させられてます。(笑)
    色々有るのが日光です。
    墨水。

    nichi

    nichiさん からの返信 2019/01/29 21:09:59
    RE: 大人の事情。
    墨水さん

    コメントありがとうございます。
    墨水さんのコメントは勉強になります。
    勝道上人が入山する前の日光の知識に疎く、申し訳ございません。

    勝道上人が日光を開いて以来、神仏習合の時代が続き、高い山には神仏が宿るといった山岳信仰の聖地として、山岳信仰が浸透していったというのが私の理解です。
    男体山は父神ですよね?

    > 男体山登山を「登拝祭」と言うは、東を拝礼する為(女峰を拝礼する為)と言い伝えられている。
    →なるほどでございます!

    女峰山は母神で、田心姫命で阿弥陀如来ですよね?
    太郎山は子神で、味耜高彦根命で、馬頭観音ですよね?

    > 大和朝廷との争いの敗れた日光は、大和朝廷の代理人たる勝道上人の入山を許し。
    > 以降、勝道上人が日光の歴史を刻む事と為ります。
    > この時に、崇拝の対象を女峰から男体山へ変更してます。
    →そうなんですねーー

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