2019/01/12 - 2019/01/14
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nichiさん
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東照宮の後は輪王寺へ。
東照宮は参拝者が多く、写真を撮るにも苦労しました。
外国の方も多かったです。
しかし輪王寺は比較的に空いていて、人もまばら。。
でも輪王寺は見どころ満載!!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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輪王寺は東照宮より古く、奈良時代、勝道上人が建立した日光開山の大霊場、四本竜寺が始まりです。
平安時代には、、坂上田村麻呂や弘法大師空海も来山したと言われています。
鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。
江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、
日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えています。 -
ここは表門である黒門です。
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黒門は重要文化財なんですね。
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輪王寺と輪王寺大猷院のセット券を購入。
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輪王寺と輪王寺大猷院は少し離れています。
大猷院は「だいゆういん」と読みます。
読めませんでした。 -
900円×2枚。
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修復工事中の輪王寺へ。
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三仏堂は建物修復中なので仮設階段を登ります。
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中は撮影禁止。
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この辺りの外観は綺麗に修復済みです。
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ここは三仏堂で、中に入るとお坊様が説明をしながら廻ってくれました。
千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の3体が祀られています。
3体とも大きく存在感があります。
男体山は千手観音で父、女峰山は阿弥陀如来で母、太郎山は馬頭観音で家族を表しています。
山岳信仰に基づいていますね。 -
隣は大護摩堂。
中は撮影禁止。
訪れた時には護摩は焚かれていませんでした。 -
相輪橖(そうりんとう)
と読みます。
寛永20年(1643年)に建てられた青銅製の供養塔です。 -
家光の発願で、比叡山の宝塔を模してつくられた高さ15mの供養塔です。
重要文化財なんですね。 -
中には1000の経典が納められています。
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護摩堂の隣に小さなお稲荷さん発見!
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光明院稲荷社
鎌倉中期当山二十四世弁覚 僧正が新たに光明院を建立し、日光山の本坊とした。
その守護神として稲荷社を勧請光明院稲荷と称す。
古くから日光山の五大稲荷として学業成就家業繁栄の祈願に特に信仰されている。
日光山輪王寺 -
お参りしてみます。
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小さな小さなお稲荷さんです。
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輪王寺大猷院に向かいます。
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輪王寺大猷院に到着!
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拝見する順番を確認。
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まずは重要文化財の常行堂から。
嘉祥元年(848年)に比叡山の「にない堂」に模してつくられました。 -
中は撮影禁止でした。
御本尊は宝冠五智阿弥陀如来です。 -
奥に進みましょう。
輪王寺大猷院は家光の霊廟です。 -
ここで輪王寺で先ほど購入したチケットの残りの部分を渡します。
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最初に現れるのが仁王門です。
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輪王寺大猷院の入口となる楼門です。
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左右に朱塗りの大きな仁王像がたっています。
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右は仁王像は、密迹金剛。
阿吽の「阿」です。
「阿」は物事の始まりを意味します。 -
左の仁王像は、那羅延金剛。
阿吽の「吽」です。
「吽」は物事の終わりを意味します。 -
大きな槙の木があります。
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樹齢400年の槙の木で、4代将軍家綱が植えた???
ビックリです! -
御水舎です。
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九州の大名である鍋島勝茂が寄進した御影石の御水舎です。
天井には龍の絵? -
うーん
龍には見えない。 -
画像処理した龍の絵が解説版に掲示されていました。
なーるほど!
水面に映り、「水鏡の龍」と言われていました。 -
豪華な手水舎です。
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階段の上に見えるのは二天門です。
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世界遺産日光の境内で一番大きな門??
東照宮の陽明門より大きいの??
びっくりーー! -
迫力があります。
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額には「大猷院」の文字が。。。
そもそも家光の戒名が「大猷院殿贈正一位大相国台霊」
で、その最初の3文字をとったものなんですね。 -
門には門を守護する4体の神様が。。
これは門の正面左側に鎮座する持国天。 -
門の正面右側には広目天。
裏側に風神・雷神がいるはずでしたがいませんでした。
どこかで展示中? -
さらに奥に向かって石段を登ります。
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展望所?
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展望所から下を見下ろすと、たくさんの石灯籠が見えます。
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この燈篭は10万石以下の大名からの献上品です。
これらの大名は、二天門から先に進むことは許さず、二天門の手前に石灯籠は並べられています。 -
たーくさんの石灯籠が並んでいます。
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二天門を振り返ります。
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参道の左右に鐘楼と鼓楼。
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左側には鼓楼。
大きな太鼓がおさめられています。 -
右側には鐘楼。
中には大きな釣鐘がおさめられています。 -
階段の上に見えてきたのは夜叉門です。
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黒と金と朱で彩られた重厚な門です。
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夜叉門には門を守る4体の神様が。。。
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正面左側の毘陀羅。
両膝の上にナマズが顔を出しています。
なんでー?? -
正面右側には阿跋摩羅。
体は緑で腰には白虎の皮を巻いています。 -
門の裏側の右側にはケン陀羅。
ケンの文字がPCで出せない。
牛偏に建てるです。
この像で驚いたのが、ブーツらしき靴を履いていること。
それも水玉?? -
裏側の左側には烏摩勒伽。
左手には弓矢。
これは、破魔矢の原点となった弓矢です。 -
大猷院の一番奥にある拝殿にやってきました。
このさらに奥に本殿があります。
国宝です! -
徳川家光の命日である4月20日には大規模な法要が執り行われます。
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東照宮が「権現造り」を中心とした神仏習合形式であるのに対し、大猷院廟は「仏殿造り」の純仏教形式となっています。
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中は撮影禁止。
一定の人数が集まると、お坊様のご説明が始まり、お話を伺うことができました。
拝殿の内部は細部に至るまで金箔が施され、金ピカでした。
寺院は本尊が南を向くのが普通ですが、ここは東北(鬼門)を向いています。
これは徳川家光が
「死して後も朝夕東照大権現(家康公)の側でお仕え奉る」と遺言し、御廟も東照宮の方へ向けてあるからなのだといわれているとのことです。
狩野派による多くの画があったのすが、小学校の教科書などで見覚えのある有名な唐獅子の画もありました。 -
また、「祖父(家康)を凌いではならない」と言う家光の遺言で、東照宮に比べると控えめとのことです。
かなり派手には見えますが、、 -
重要文化財の皇嘉門です。
中国の門のようですね。
この奥に徳川家光の墓所があります。
非公開で中には入れません。 -
この建築は、明の時代の建築様式である竜宮造りなんですね。
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竜宮門とも呼ばれているとか、、、
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大猷院の一番奥から外に向かいます。
見事な塀の横を歩いて外に向かいます。
大猷院をあとにしました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 墨水さん 2019/01/22 21:16:22
- 霊場。
- nichiさん、今晩は。
坂上田村麻呂は、来たかも~っ、しんない。
空海は来てません。
平安時代に新幹線が有れば、来てた可能性が高いです。
空海の孫弟子から、手紙が来た事が判ってます。
日光は三大霊場(日光、奈良、筑前)として知られていましたが、空海が密教を正式に日本に伝え、高野山を開きます。
これ以降、空前の密教ブームが起こります。
早い話、日光にとってのライバルが中国から密教を伝えたので、三大霊場はパニックに陥ります。
自分達の修行は正式なのか?と言う、自問自答が起こります。←結果として、パニック状態です。
こうなると、機能停止状態で、皆が高野山へ行きたがります。
混乱の後、空海の孫弟子から手紙が来て、日光は霊場として安定が確保されていきます。
高野山からは「仲良くやって行きましょう。」と言われたという事ですね。
その後、那須与一(日光の兵士として)が頼朝に付いて平家追討に参加し、鎌倉幕府の庇護を受け。
足利尊氏の後ろ盾として、日光が存在して、室町幕府が開府します。
墨水。
- nichiさん からの返信 2019/01/23 18:57:19
- RE: 霊場。
- はじめまして。
50代後半の定年間近の私と、50代半ばの家内のツガイでございます。
コメント頂きありがとうございます。
博学でいらっしゃいますね。。。
> nichiさん、今晩は。
> 坂上田村麻呂は、来たかも?っ、しんない。
> 空海は来てません。
→そうなんですか?昼食を頂いた食堂のパンフにそう書いてあったので鵜呑みにしておりました。
> 平安時代に新幹線が有れば、来てた可能性が高いです。
→なーるほど(笑)
> 空海の孫弟子から、手紙が来た事が判ってます。
> 日光は三大霊場(日光、奈良、筑前)として知られていましたが、空海が密教を正式に日本に伝え、高野山を開きます。
> これ以降、空前の密教ブームが起こります。
> 早い話、日光にとってのライバルが中国から密教を伝えたので、三大霊場はパニックに陥ります。
→その当時、特に日光は大混乱だったでしょうねーー
最長の存在もありますし。。
> 自分達の修行は正式なのか?と言う、自問自答が起こります。←結果として、パニック状態です。
> こうなると、機能停止状態で、皆が高野山へ行きたがります。
> 混乱の後、空海の孫弟子から手紙が来て、日光は霊場として安定が確保されていきます。
→そういう手紙なんですね。
> 高野山からは「仲良くやって行きましょう。」と言われたという事ですね。
→ある意味仏教らしさかもしれませんね。
> その後、那須与一(日光の兵士として)が頼朝に付いて平家追討に参加し、鎌倉幕府の庇護を受け。
> 足利尊氏の後ろ盾として、日光が存在して、室町幕府が開府します。
→はい!そこは私も存じ上げております。
墨水様!
勉強になりました!
ありがとうございます!
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