2018/11/27 - 2018/12/02
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tono202さん
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鹿児島県立博物館でぶらぶらしていると、こちらを睨むような視線に遭遇。
誰かなと視線を向けると、そこにいたのがこの人、
誰か分かりますか?
篤姫さまです。
10年ほど前の大河ドラマに登場し、知名度をぐーんと上げられたかたです。
「西郷どん」でも、出られていました。
この人の「故郷」は、どんな所だったのだろうという興味がわいてきました。
行ってみることにします。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
鹿児島市から一時間あまりでやってきたのは指宿市今和泉。
ナヴィで「篤姫ゆかりの地」で入力すると誘導されたのは、町外れの広い駐車場。
立派なお手洗いがありますが、車は一台もいません。
街歩き地図は、おいてあったのでそれに従って散策開始。 -
駐車場から島津今和泉氏の館があった隼人松原公園まではⅠ㎞ほど。
ゆっくりと歩いて行きます。 -
今和泉家の屋敷跡に着く前に、もういちど復習・・・・
徳川13代将軍の妻、篤姫(幼名おかつ)は、鹿児島の島津家から輿入れしていますが、実家は島津の本家ではなく、分家の今和泉島津家でした。上級家臣はみな、薩摩藩支配地内に領地を持ち、領地の中に屋敷があり、また鹿児島の城下にも屋敷を持っていました。
今和泉島津家の領地は、ここ今和泉にありました。 -
今和泉島津家の領地は3500石で、後に加増され一万石ほどになっています。
今和泉を含めた4つの分家の領地は、いずれも鹿児島湾に面しています。島津本家が、鹿児島湾の制海権や、海上交通を重要視していたことが分かります。 -
ここからは鹿児島湾の奥の桜島が正面に見えます。
薩英戦争の時には、この「小藩」はどんな動きをしたのか気になります。 -
見事な黒松が並ぶ松原までやってきました。
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地元の人たちもこの松林を大事にしているようです。
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この黒松林の中を篤姫は元気に駆け回っていたのかしらん・・?
絵になる風景やったろうとこの時は、思っていました。 -
松林に面して、白い建物が建っています。
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ここが今和泉家の屋敷跡だったようです。
現在は海岸に向かって石垣のみが残っています。
そして、今は指宿市立今和泉小学校になっています。 -
記念碑だけが残り、はるかかなたに桜島が座っています。
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そして、幼い少女像が海と桜島を背に立っていました。
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篤姫です。
愛らしいよりもりりしい姿のように思えました。
篤姫の原風景は、ここなのかと思いました。 -
しかし帰ってから資料見てみると次のように書かれたいました。
「篤姫は、天保6年(1835)鹿児島城下の今和泉島津家の屋敷で生まれ、
「一子」と名付けられた。その後島津本家の養女となり、島津本家から第13代将軍の徳川家定のもとに輿入れした。
この過程で篤姫は、今和泉の地に居住したことは無かったと考えられている。」 -
本当ですか篤姫さんとお聞きすると
「私は、生まれも育ちも鹿児島城下よ、そこから外に出たこともないわ。」
父の郷里の今和泉も、一回も見ないまま江戸に嫁したのよ」
とのことでした。
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