2018/11/27 - 2018/12/02
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tono202さん
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九州3日目、指宿の宿に連泊して行き先を考えます。
天気は昨日までの雨が嘘のように上がって快晴。
その空の下、朝風呂に入って登り来る朝日と鹿児島湾を見ながら迷っていました。
予定では、開聞岳のてっぺんをめざすことになっているのですが・・・・
山に登る意欲が湧いてこない。
そんな迷いの中、露天風呂から目の前に見える山川の港が気になり始めました。
山川へ行って見ることにします。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ホテルで手に入れた観光パンフレットによると・・・・
山川湾は約5,700年前の火山噴火でできた新しい噴火口らしい。北・西・南側の垂直に切り立った崖は火口壁だという。東側の火口壁が壊れて、海水が流入し現在の形になったようだ。山川港を空から見ると,湾入口の砂洲が鶴のくちばし,陸地が左右に広げた翼に見えることから「鶴の港」とも呼ばれきたとあります。
鶴の嘴のあの先端に立って見ることにします。 -
わずか15分程度で、山川港の突端にやって来ました。
その嘴の先端がこの番所鼻。
その名の通り番所があった所らしい。
この港は、古くは大型船も停泊する「国際貿易港」としてにぎわったようです。
秀吉の朝鮮侵攻の際には、島津藩の百余の軍船は、この港から出航しました。
江戸時代には,琉球貿易の窓口として薩摩藩を支えました。 -
いまは、その面影を残す物はなにもありません。
岬から振り返ると、後には倉庫と薪の山 -
いったいこれだけの薪を何に使うのか?
ここは今は鰹の水揚げ港で、鰹節の産地です。
この薪は昔ながらの鰹節を燻すために使われているようです。 -
ここで煙で燻された美味しい鰹節が、昔ながらの製法で作られているようです。
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路地を歩いていて見つけた赤い鳥居。
街歩きには「寺院・神社」を攻めよの鉄則通り、御参りしてきます。 -
広い境内と長い参道の向こうに社殿はあります。
熊野神社です。
この近くの竹山(地元の人はスヌーピー山と呼んでいるようです。見たらすぐ納得します)は、熊野修験者の行場だったようです。その拠点がこの「熊野権現」であったようです。明治以後の廃仏毀釈で、神宮寺の方はきれいさっぱり姿を消しています。
薩摩の廃仏毀釈は、日本で一番熾烈だったとも言われます。 -
次にやって来たのは、山川の火口壁の下にあった正龍寺跡
この寺は明徳元年(1390年),京都五山の虎森(こしん)和尚が再建したと伝えられ「学問寺」として多くの名僧を世に送り出し、“薩摩文教の府”と呼ばれました。中世は,山川港には明船などの異国船が出入りしましたが外交文書の交換などの外交・交易業務を担当したのは、この寺の「学問僧」でした。
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しかし,明治の神仏分離の風は、薩摩では廃仏毀釈の嵐となって吹き荒れます。
この寺も廃寺となり,貴重な資料は失われてしまいました。同時に、多くの墓石も荒れるに任され放置されていたようです。 -
今は、調査・整理された墓石群がきれいに並べられていました。
薩摩を旅行していて気付くのは、お寺を見かけないと言うことです。
それだけ廃仏毀釈が徹底して行われたと言うことでしょう。 -
次にやって来たのは、明治になって作られた新しい神社です。
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甘藷翁とあります。
日本にさつまいもを普及させた功労者が神として祀られています。
その名は前田利右衛門。彼は南島航路の船員で、宝永2年(1705年)に琉球からさつまいもを持ち帰えります。そして自分で栽培したのち,一軒一軒に栽培の方法を伝えて回ったそうです。それが、多くの人の命を飢饉から救うことになります。
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明治30年には,その功績をたたえて徳光(とっこう)神社(別名唐いも神社)が建立され,利右衛門は祭神して祀られるようになったようです。
サツマイモと言えば青木昆陽と思っていましたが、色々な人の関わりがあるようです。地元の人たちの崇拝の念が伝わってくる境内でした。 -
次にやって来たのは・・・・・竜宮城・・ではなく竜宮神社
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流石、九州です。
神前に供えられている御神酒は全て焼酎。 -
そして竜宮城からお帰りになった浦島太郎が・・・
美形のイケメン像です。
玉手箱を開ける前の姿のようです。
彼の周りに真っ白い貝の絵馬で埋まっていました。 -
ここからの開聞岳は絶景
かつては「海門岳」と呼ばれたというのが納得できます。 -
燈台からは海に突き出して地球が丸く見える所です。
絶壁の上にある燈台でなく、すぐ下に親水性の高い礒が広がります。
連れはどんどん先へ先へと進んでいきます。 -
振り返ると開聞岳と燈台が並び立っていました。
ここもかつては、修験者の磯の行場だったのでしょう。山の行場が先ほど紹介したスヌーピー山(竹山)です。二つを周り、行道しながら修行していた場所なのでしょう。 -
補陀落渡海には絶好の場所のように思えました。室戸岬や足摺岬で空海が行を重ねたように、ここでも修験者達が行に励んでいた時代があったのでしょう。
そして、この山は甘南備山としてもふさわしい山です。
聖地の条件をもっている岬です。 -
ボケッーとしている内に、連れは先の方まで行ってしまいました。
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そして、岬の先端までやって来ました。
地の果てにあったものは、「入り江」でした。 -
その入り江には・・・
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青や黄色の南の海の小魚たちが泳いでいました。
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ゆっくりとひなたぼっこをして、大休止。
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次は一番南の駅で記念写真
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その後は、はがきを書いて黄色いポストに投函しました。
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これで、今日は終了。
ホテルに帰って温泉に入ってお昼寝です。
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