2018/11/26 - 2018/12/02
297位(同エリア4444件中)
tono202さん
- tono202さんTOP
- 旅行記140冊
- クチコミ11件
- Q&A回答0件
- 213,063アクセス
- フォロワー55人
今回の旅行で訪れたかった所が、油津と飫肥
旅する寅さんが「第45作 寅次郎の青春」でイソウロウした所です。
この時の寅さんは油津に足をとめ、堀川橋のそばで理髪店の蝶子(風吹ジユン)とひょんなことから知り合い、イソウロウ生活を始めるSTORYでした。運河と橋が印象的な作品でした。そこで、
橋の上から運河をボケーと眺めるというのが本日の「旅の目的」です。
ではスタート
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
やってきたのは油津の堀川資料館
前に数台止められる無料駐車場があり、トイレも併設されています。
街歩きの拠点になる施設です。
階段があり下に降りていけます。 -
下りて行くとベンチが置いてあります。
私がイメージしていた通りの光景が待っていました。
流れる運河と乙女橋。 -
寅さんは、蝶子(風吹ジュン)に格好良く昼食をおごります。
が、あとになってお金がほとんどないことに気付き、この橋の上で思案ます。 -
すると蝶子が通りかかり
「散髪して行かんね、だーいぶのびちょるが」と誘われるのです。 -
蝶子の理髪店での散髪するシーン。
ラジカセから静かな音楽が流れ、うすいピンクの理髪服を来た蝶子が、
寅さんの顔を剃るシーンが印象的でした。
そんな何十年も前のシーンを追いかけて、雨の橋の上にやってきました。
しかし、理容店はありませんでした。
下を流れる運河の流れは、思ったよりも速かったです。
時の流れも、自分が思っているよりも速いのかもしれません。 -
向こう岸の左手が喫茶「いづや」だった家。
今は焼杉の黒壁に改葬されてシックになっています。
-
この辺りが蝶子の理容院だった所だと思うのですが・・・・
年月は流れ、よくわかりません。 -
祭りの翌朝、まだ夜が明けやらぬ頃、
迎えにきた小舟に乗り込むマドロスの弟を、蝶子はここで見送りました。 -
堀川橋の下を、杉筏を引っ張るぽんぽん船の姿も印象的でした。
ノスタルジーを感じる風景を探したロケハンとそれを活かした演出に酔わせてもらいました。 -
ついでに赤煉瓦館にも立ち寄ります。
こちらが富商の住まい。
その裏が・・・ -
裏が煉瓦の倉庫です。
この建物が保存されるようになった経緯を知ってびっくり。
市民のお金で土地建物が買い戻され、市に寄付された経緯を持つようです。
その時の寄付金募集のセリフが
「堀川にお金を捨てるつもりで、お金を出して欲しい」だったそうです。
そして、この建物は残りました。 -
中には、油津の繁栄を伝える古い写真や資料がありました。
そして、次に向かったのが・・・ -
飫肥城です。
-
飫肥城は、伊東氏5万1千石の城下町
古い城下町の雰囲気が良く残っています。
大手門は昭和53年、樹齢100年の飫肥杉を使って復元されたそうです。 -
イソウロウ先の女主人蝶子と一緒に観光に来た寅さんが、
宮崎で高校時代の友人の結婚式に出席した泉とここで偶然に再会するのです。 -
寅さんと泉が出会い、寅さんが石段の中央付近で足をくじくところです。
寅さんがころんだ辺りに実際に立って見ると、何ともやるせない気持ちになります。
その後、寅さんがけがをしたという知らせを受けて、東京から満男がやってくるという展開です。 -
寅さんは蝶子さんと見学を終わって降りてきたようでした。
私は、その先に登っていくことにします。
すると資料館。 -
そして、場内には小学校がありました。
お城の中にある本当の「城内小学校」です。 -
さらに本丸に道は続きます。
本丸の石垣下にはツワブキが満開。
黄色い花びらが印象に残りました。 -
本丸跡は廃城後に植えられた杉が大きく育ち、根を広げていました。
「飫肥杉」と呼ぶのにふさわしい風格を持った木々です。
その下にはスギゴケが広がります。 -
まるで緑の絨毯のようです。
本丸跡がこんな風に、巨木の森になって公開されているのは珍しいと思います。 -
本丸跡に一本だけ残されたもみじが見頃で迎えてくれました。
お城から下がって、次に目指すところは・・・ -
最後にやってきたのは五百異神社
ここは、飫肥城藩主の菩提寺跡です。 -
藩の保護を受けた格式あるお寺さんだったのでしょう。
しかし、明治の神仏分離はこの地域では廃仏毀釈の嵐となって吹き荒れ、この寺も廃寺となりました。
その後、神社として生まれ変わり、今は社殿が建っています。 -
明治になって建てられた社殿は登録文化財の指定を受けているようです。
壁もなく非常に開放的です。
明治になって作られたといいますが、氏子はどんな人たちなのでしょう。
旧寺院の檀家の人たちでしょうか?
疑問はつきません。 -
本殿の奥には墓域が広がり、その一画には藩主の墓石が並んでいました。
元藩主でも自分のお寺が廃寺となることを止められなかったようです。
その思いはいかばかりであったでしょう。 -
そして、その墓石を守るかのように仁王が立ちます。
-
なかなかいい雰囲気。
マジンガーのような感じです。
九州の石工達の腕前と個性に脱帽です。 -
廃寺となった境内に庭園跡は残ります。
-
太鼓橋もいい雰囲気です。
明治の廃仏毀釈の跡を見つめるのも今回の旅の目的の一つです。
以上、お付き合いありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
tono202さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
30