2018/10/30 - 2018/10/30
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ドクターキムルさん
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上野にある国立科学博物館では、特別展 明治150年記念「日本を変えた千の技術博」を開催中(2018年10月30日(火)~2019年3月3日(日))である。奇しくも、今日がその初日であることを後で知った。
「明治150年を記念!
重要文化財や産業遺産など貴重な展示物が科博に大集合!
明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、"日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!」
と謳っている。
「日本を変えた千の技術博」とあり、日本を変えた1,000の技術とあれば、この150年間では、世界を変えたディジタル自動車電話((https://dr-kimur.at.webry.info/201512/article_5.html))やLED照明(https://dr-kimur.at.webry.info/201410/article_18.html)などの技術もあってしかるべきだ。特に、昭和最後の10年の間に開発されたディジタル自動車電話は日本発の技術である。その後ヨーロッパの携帯電話(GSM)で採用され、世界のデファクトとなり、人類のライフスタイルを変えてしまった。
しかし、「日本を変えた千の技術博」(http://meiji150.exhn.jp/)には、
「ショルダーホン100型
電話を持ち歩いてどこでも電話をかける、今では当たり前のことですが、固定電話しかなかった当時はまさに夢のアイテムでした。
1985年に登場したショルダーホンは携帯電話、スマートフォンにつながる端末の原型ともいえるものです。
それから約30年、電話にカメラがついて写真や動画をやり取りしたり、おカネの決済をしたり、世界中からいいね!をもらったりすることを誰が想像したでしょうか。…」
とショルダーホン100型の写真まで掲載されている。「FACEBOOK」での投稿となっているが、これは写真が入手できる国立科学博物館か協力しているNTT技術史料館の関係者の投稿であろう。FACEBOOKは利用していないので、詳細は分からない。しかし、「1985年に登場したショルダーホンは携帯電話、スマートフォンにつながる端末の原型ともいえるものです。」とあるのは、技術の流れを見誤った内容である。7lもあった自動車電話を肩に掛けて持ち歩けるようにした小型化技術の賜物であり、「電話にカメラがついて写真や動画をやり取りしたり、おカネの決済をしたり」できる技術とは全く別の技術であり、後者はディジタル化技術によるものである。
実は、自動車電話では小型化の前にディジタル化が先行して技術開発が始まっている。電話サービスなどというものは、固定電話であれ、移動電話であれ、それなりに安価にならないと普及しないものである。また、ある程度まで普及しないとその利便性は生まれない。誰もが移動電話機を持つようになって、このFACEBOOKの投稿にあるような利便性が生まれており、現在のような、ケータイ・スマホが必須の必需品となっているのである。
気付くべきことは「ショルダーホン100型」などは技術史的にはさしたるものではなく、日本でこの150年間で出現した1,000の技術として選ぶと出てくることもある程度のものだ。世界でこの150年間で出現した10の技術(ベストテン)として選ぶと出てくるものは、コンピュータやディジタル携帯電話であろう。特に、誰もが持っており、身近なケータイ・スマホを実現した技術はこうした博物館で開催される技術博には必須の案件である。それも、世界のデファクトとなったケータイは日本で提案され、試作・開発に成功してオーストラリアに防災無線電話として輸出された経緯があり、そうした実績で、ユーロッパの携帯電話(GSM)で採用され、世界のデファクトとなったものである。試作されたTZ-803型ディジタル自動車電話機を携帯電話、スマートフォンの原型として展示すべきである。
しかし、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料に入っていないために、この特筆すべき技術が漏れている。これはどうしたことか?これでは果たして「日本を変えた千の技術博」に値するのであろうか?疑問に思う。
実際には日本国内ではディジタル携帯電話以降は特殊な経緯を辿っている。所謂「ガラパゴス・ケータイ」である。一昔前に開発したTZ-803型ディジタル自動車電話機の経験があるために、国内ではより周波数帯域利用効率に優れたPDC方式を採用したために、世界のデファクトからは外れて、「ガラパゴス・ケータイ」へ真っしぐらである。それでも、TZ-803型ディジタル自動車電話機を基にディジタル携帯電話にしたGSMにより、アナログ携帯電話からディジタル携帯電話のPDCに転換させられた経緯がある。
なぜTZ-803型ディジタル自動車電話機が「未来技術遺産」に漏れているのかというと、真実は、国立科学博物館がこうした移動通信のディジタル技術にはど素人の外部の技術士に調査を依頼したために頓挫したままになっているのである。
「博物館の嘘」(https://4travel.jp/travelogue/11169410)は些細なことである。しかし、今回の「日本を変えた千の技術博」では、TZ-803型ディジタル自動車電話機は展示のメインにすべきものである。しかし、国立科学博物館の今回の担当者がそれを落としてしまった。おそらくは東博の研究員とは違って博士号を持つ研究者であろうが、無能であることは同じであり、私が言う博士でも疑うべき、そうした事例の最たるものになっている。
(表紙写真は国立科学博物館前)
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国立科学博物館前の木立。
携帯電話の開発史に「TZ-803型ディジタル自動車電話機」が出ていることはまだない。私のブログで述べられている程度である。あるいは、電通大や会津大学の卒業生の中にはこのことは授業で習っている人もあろうか。
「横浜戸塚警察署のトイレ」(https://4travel.jp/travelogue/10897449)、
「傾いた「横浜のマンション」は聖地「ケータイ発祥の地」に建つ」(https://dr-kimur.at.webry.info/201512/article_5.html)。 -
国立科学博物館前。
電電公社の大容量自動車電話はTZ-802の型番で1979年12月25日からサービスインされている。このアナログ方式自動車電話はディジタル化が図られ、TZ-803の型番で1979年には試作・開発が始まっている。しかし、「ショルダーホン100型」はWebではTZ-803A(1985年サービスイン)で、その後、もう一度ショルダーホンのTZ-802A(ショルダーホン101型)(1988年サービスイン)、TZ-803B(1989年サービスイン)が続く。その間に、1l程度の携帯端末がTZ-802B(1987年サービスイン)となり、(アナログ)ムーバはTZ-804(1991年サービスイン)、TZ-805(1994年サービスイン)となり、(ディジタル方式の)PDC(1993年サービスイン)となり、アナログ・ディジタルが共にサービスされた。
アナログ方式でTZ-803の型番がなく、TZ-803A、TZ-802Aを挟み、TZ-803Bの後に、TZ-802Bに戻るというおかしなことになっている。TZ-802からTZ-802A、TZ-802B、TZ-803A、TZ-803B、TZ-804、TZ-805とアナログ方式の小型化で型番が付けられた。しかし、ディジタル化はTZ-802の開発と並行し、TZ-803の型番が付けられた。電波を使用する移動電話では郵政省からの電波免許が必要であり、試作・開発時にも仮免許をもらう。特に、TZ-803はディジタル方式の自動車電話に与えられたので、電電公社(後に分社しDoCoMoに)の製品には当然欠番となった。
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