2018/11/05 - 2018/11/05
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belleduneさん
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7月に志賀高原を歩いたっきり、あまりの酷暑に夏バテしていました。久し振りに周囲の山々を眺めながら、紅葉の木々を楽しんできました。
駒ヶ根高原を歩いた後、大沼池近くの移築された旧竹村家住宅と旧市役所庁舎を見学しました。中々興味深い建物でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
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駐車場の紅葉も綺麗でした。今年初めての紅葉なので、何だかうきうきします。
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紅葉の写真をたくさん撮ってしまいました。
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河床大礫といって、木曽駒花崗岩です。黄色の印の大岩は5mX4mX3mで、60立法mもあります。比重が1立法mあたり276トンなので、河床大礫の重さは、約166トンにもなるということです。2万年前頃に、土石流によって運ばれたもの。当初は後で見える「太古の扇状地面」と同じ高さにありましたが、扇状地の太田切川の浸食によって深く彫り込まれて、現在のところにあるものと考えられています。
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川沿いに紅葉が続来ます。
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こんなカブトムシのアートがありました。
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太田切川に架かる吊り橋です。
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対岸に見える高さ40m~50mのところに薄っすらと稜線が見えますが、これが、約2万年前の扇状地面と考えられています。氷河期が終わり、氷河が融けて、下方へ少しずつ移動し、山肌を削理ました。暖かくなるに連れて、雨も増えて、川の水量が増え、土石流が度々起こるようになり、その結果、運ばれた土砂で扇状地が作られていったと言われています。
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駒ヶ池は、溜池として作られました。
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ぐるっと回ると向こうの方に今年行った駒ケ岳の千畳敷辺りが見えます。
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雁がねに 忘れぬ空や 越の浦 井上井月
異郷のこの地に、凡そ三十年留まって66歳で亡くなりました。井上井月の風雅と懐郷の情を偲んで句碑が建てられていました。 -
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昭和25年~26年に、大沼池も温水溜池として造られたたものです。中央アルプスから流れ出る冷たい水をそのまま田畑に引くと、農作物の成長に影響が出るため、この溜池に一旦溜めてから、水温を上げて田畑に引くように工夫しているとか。
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この後ろの山は、古い時代に地滑りを起こしてと思われています。斜面に円弧状の崖が見られます。滑り落ちた土砂は、小山のように盛り上がり、山側には窪地ができたので、昔は大沼と呼ばれた湿地帯だったそうです。
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大沼池の近くに、旧竹村家住宅があります。駒ヶ根市中沢大津渡(おんど)にあったものを、文化遺産として保存するため、駒ヶ根市が譲り受け、ここに移築されました。竹村家は、江戸時代に代々、名主を務めた家柄で、街道の荷物の取次を行なっていた豪農でした。建てられた年代は分かりませんが、江戸時代中頃と考えられています。
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この長屋門は、主屋より新しく、江戸時代末期の建築だと思われています。
寄棟造、コバ葺で、桁行10,3m、梁間3,64mです。 -
長屋門の屋根部分
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秋の風情ですね。
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主屋との間から見た紅葉も青空に映えています。
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長屋門の外に水車がありました。奥に見えるのは、次に見学する旧市役所です。
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主屋は、名手だけに許された式台を持ったかなり大きなもので、当時、この大きさの民家は村には1、2軒だけでした。茅葺の家は、江戸時代末期には、板葺きの本棟造りに変わるため、江戸中期の上層農家の典型地として貴重な民家だそうです。
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広い土間とその上手に板敷きの台所があります。土間と台所の間仕切りはなく、太い梁組みのある大きな空間になっています。この家の桁行12間半、梁行5間半の母屋の背面中央部に半間巾の庇を張り出した構造となっています。主屋部分は、6尺間隔の方眼状に梁を組み、側回りに1間毎に立てた柱で、その梁の下を支えます。梁の端を柱で支え、桁は、梁の上に通す方法を折置組というそうです。これは、柱の上にけたを置き、その上に梁を架ける京呂組より古い方法だということです。
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厩の柱は、足元を丸太のままで、地下約40cmのところに据えた礎石の上に立て、掘立柱になっているのが、見えています。江戸時代初期の農家は、まだ掘立式が多いので、この名残とも考えられていますが、馬の脚を傷めない配慮かとも考えられているそうです。
厩は3小間に分かれていて、左奥が物置兼作業場で、前の2間は馬を飼っていました。 -
古い家では、梁を支える柱は必ず地面まで延ばし、そのため側回りは1間毎にびっしり柱が立ち並ぶのが普通ですが、この竹村家では「ざしき」の周囲やだいどころの前面では、指物(丈の高い鴨居)で中間の柱を支えています。そのため、2間以上に及ぶ広い開口部ができて、開放的な空間となります。このような構造は、上層農家から始める比較的新しい構法だということです。
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内部の梁組みは雄大で、特に台所の中心に立つ大黒柱付近の架構は、名手に相応しい重厚さを出しています。梁、土間・厩付近の柱は、釿(ちょうな)仕上げ担っています。刃先の丸い蛤刃釿ですが、もう少し時代が下がると、現在でも使われている角刃釿に変わることからも、竹村家の古さが分かるそうです。
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土間と裏庭へ抜ける「とおり」の境には腰壁の付いた連子で仕切られています。とおりが広くなっているのは、馬の出し入れや飼料、肥料の運搬のためでした。江戸時代後期にも使われていることから、一般農家でもこの形式が使われるようになったそうです。
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部屋の境に当たる2~3間毎に更にもう一本前後に梁を通して、かさね梁とし、小屋組の合掌は、5間半いっぱいに組まれているのも上層農家の特色だそうです。
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台所から「しものま」、奥の「かみざしき」を見に行きます。
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現在の天皇・皇后がご見学された時の写真がありました。あと僅かで平成も終わりますね。
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ここへ移築前の竹村家の写真です。
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「しものま」から奥の「かみざしき」を見ています。この「しもの魔」の庭に式台があり、見廻りの役人を迎えるためでした。
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「かみざしき」の床の間です。左手は書院になっています。
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床の間横の棚上の額
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「かみざしき」
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上座敷から見た長屋門
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台所から日常生活の間へ行きます。
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「なかへや」
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「なかへや」
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裏側回りの戸口は、1間のうち半分を板壁で塞ぎ、残りの半間を片引きの板戸と障子を建てています。採光も出入り口も半間しか使えない閉鎖的な構えとなっています。雨戸を使うのは、当時としては最新式で、竹村家では座敷付近にだけ雨戸を採り入れています。一般農家は引き戸で、家の中はいつも暗かったようです。
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裏庭から見た「おくへや」です。縁側の先、右手が便所となっています。
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ぐるっと廻って、上座敷に来ました。
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奥座敷と隣の「しものま」が続いています。
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すぐ隣にある現在の駒ヶ根市郷土館、旧赤穂村町役場庁舎へ行きます。大正期にこのような西洋風の建物が建てられたのは、珍しいことだったようです。
当時の村長福沢康江が全国町村会会長を務めていて、内閣参与として地方自治の確立に尽力していました。地元出身の伊藤文四郎に設計を依頼したそうです。当時、通常は地元の大工棟梁や役所の技術者に任されるようですが、アメリカでの実務経験から帰国した伊藤は、アメリカの建築様式を取り入れたのでしょう。 -
赤穂村役場の後、赤穂町役場となり、駒ヶ根市役所庁舎として昭和46年に新庁舎が建てられるまで、ここで使用されていました。
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大正11年に完成したこの庁舎は、正面に横長の主屋を1棟置き、その左右に縦長の付属屋を各1棟ずつ置いた形になっていました。アメリカの伝統であるパラディアニズムの配置を採っていました。木造2階建、カラー鉄板 瓦棒葺き屋根。2階の屋根家に建つ塔屋には当時時計が付いていました。
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正面玄関
外観は、近世コロニアル様式で、内部の装飾には近世ルネッサンス様式を加えています。 -
玄関方向
工費は5,4万円ほどで、当時の村の年予算が約19万円ということからも、かなりの大建築でした。 -
右手の出入り口は、一般の人が使っていました。
入り口の二本の柱の壁は、アーチ状になっています。 -
正面玄関内部
玄関扉の上に、アーチ状の窓があります。 -
玄関を入ったホール正面は、半円形になっていて、2階への階段が左右にあります。
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2階への階段部分
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2階の両開きドア
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2階の大広間は、現在結婚などに利用されているそうです。
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中央にバルコニーがあります。
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バルコニーから眺めた晴れた空
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中央にあるパラディオらしいデザインの柱とアーチ状の壁。奥にはパラディオウィンドウがあります。
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そこからの眺めです。
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天井は全て板張りで白く塗られています。
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階段ホールから見た1階部分
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1階には玄関から広い廊下が左右に広がり、いくつかの部屋があります。
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こちら側の奥は、会議室だった部屋です。
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これが当時の見取り図です。
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会議室中央に高くなった壇上に、当時の長の座る台座があります。
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この部分もパラディオらしいデザインですね。町役場とは思えない格式のあるものだったことでしょう。
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横から見た会議室
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会議室の床から一段低くなったところが通路となっています。
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現在は当時の使用器具などが展示してあります。
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ぐるっと回ると窓のそばに収入役室の窓口があり、最初に外から見た一般の出入り口からここへ切れるようになっています。今は、展示のものが多くて、物置き場のようでしたが。
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窓にも色んな金具が展示してあります。
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これが先ほど外から見た出入り口です。
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一段低くなったところです。立派な柱ですね。
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会議室を通路から見たところです。一番奥左が収入役室です。
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当時の会議室の写真です。
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当時の柱時計は今までに見たものとは少し異なっていました。
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応接間にも色んな展示がありました。
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見学を終わって、大沼池は戻ります。
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鴨がたくさん泳いでいました。
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秋ですね。
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この辺りから別荘地が続来ます。
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真っ赤な楓です。
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