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出羽と越後の名城巡りです。日本海に面した秋田県、山形県と新潟県の3県を巡り、2箇所の日本百名城と4箇所の続日本百名城を見学しました。最初に向かったのは、秋田県の男鹿半島にある続日本百名城の脇本城です。(ウィキペディア、日本百名城・続日本百名城公式ガイドガイド)

2018秋、出羽と越後の名城(1/18):10月23日(1):脇本城(1):セントレアから秋田空港

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2018/10/23 - 2018/10/24

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旅人のくまさん

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出羽と越後の名城巡りです。日本海に面した秋田県、山形県と新潟県の3県を巡り、2箇所の日本百名城と4箇所の続日本百名城を見学しました。最初に向かったのは、秋田県の男鹿半島にある続日本百名城の脇本城です。(ウィキペディア、日本百名城・続日本百名城公式ガイドガイド)

交通手段
観光バス ANAグループ

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  • ツアーに参加しての出羽と越後の名城巡りです。出羽の国は、ほぼ現在の山形と秋田両県にあたります。明治元年(1868年)に羽前(うぜん:概ね山形県)と羽後(うご:概ね秋田県)に分割されました。越後の国は、ほぼ現在の新潟県に当たります。その3県の名城巡りです。セントレアでの集合時間は6時50分、出発が7時50分でした。(同上)

    ツアーに参加しての出羽と越後の名城巡りです。出羽の国は、ほぼ現在の山形と秋田両県にあたります。明治元年(1868年)に羽前(うぜん:概ね山形県)と羽後(うご:概ね秋田県)に分割されました。越後の国は、ほぼ現在の新潟県に当たります。その3県の名城巡りです。セントレアでの集合時間は6時50分、出発が7時50分でした。(同上)

  • 4階ロビーの光景です。先程の出羽の国と越後の国の補足です。出羽国は、かつて存在した令制国の一つで、東山道に属します。また、越後の国は。かつての令制国の一つで、北陸道に属します。(同上)

    4階ロビーの光景です。先程の出羽の国と越後の国の補足です。出羽国は、かつて存在した令制国の一つで、東山道に属します。また、越後の国は。かつての令制国の一つで、北陸道に属します。(同上)

  • フードコートの光景です。開店が7時でしたから、まだ閉まっていましたが、ガラス戸越しに準備中の光景が見えました。後ほど、朝食に立寄りました。(同上)

    フードコートの光景です。開店が7時でしたから、まだ閉まっていましたが、ガラス戸越しに準備中の光景が見えました。後ほど、朝食に立寄りました。(同上)

  • 出発ゲート付近から眺めた、セントレア空港の駐機場の光景です。エプロンがある場所に駐機したANA機の光景です。搭乗機ではありませんでした。(同上)

    出発ゲート付近から眺めた、セントレア空港の駐機場の光景です。エプロンがある場所に駐機したANA機の光景です。搭乗機ではありませんでした。(同上)

  • 同じく、セントレア空港の駐機場の光景です。今回の搭乗機の駐機場所までは、ターミナルビルからバスで向かいました。左手芳香は、国際線の駐機場になるようでした。(同上)

    同じく、セントレア空港の駐機場の光景です。今回の搭乗機の駐機場所までは、ターミナルビルからバスで向かいました。左手芳香は、国際線の駐機場になるようでした。(同上)

  • ターミナルビルからバスで向かった途中の光景です。プロペラ機が駐機していた一角の光景です。ANA機もありました。(同上)

    ターミナルビルからバスで向かった途中の光景です。プロペラ機が駐機していた一角の光景です。ANA機もありました。(同上)

  • 搭乗した、ANAの機内光景です。セントレア発~秋田空港着のフライトを就航している航空会社はANA(全日空)のみで、1日2便定期便を運航しています。飛行距離721キロを約1時間20分でフライトしています。(同上)

    搭乗した、ANAの機内光景です。セントレア発~秋田空港着のフライトを就航している航空会社はANA(全日空)のみで、1日2便定期便を運航しています。飛行距離721キロを約1時間20分でフライトしています。(同上)

  • 秋田空港に降り立ったプロペラ機の光景です。到着ターミナルビルに向かう途中、振り返って撮影しました。飛行中には分かりませんが、完全停止した黒い6枚羽のプロペラの光景です。(同上)

    イチオシ

    秋田空港に降り立ったプロペラ機の光景です。到着ターミナルビルに向かう途中、振り返って撮影しました。飛行中には分かりませんが、完全停止した黒い6枚羽のプロペラの光景です。(同上)

  • プロペラ機を降り立った後、歩いて向かった秋田空港のターミナルビル方面の光景です。(同上)

    プロペラ機を降り立った後、歩いて向かった秋田空港のターミナルビル方面の光景です。(同上)

  • 秋田空港の管制塔の光景です。(同上)

    秋田空港の管制塔の光景です。(同上)

  • 秋田空港の到着ターミナル内に飾ってあった満開のダリアの花の光景です。ダリアの紹介の前に到着便を粗油買いしておきます。セントレア(名古屋)発のANA1837便は、到着予定より1分早い、9時4分の到着でした。(同上)

    秋田空港の到着ターミナル内に飾ってあった満開のダリアの花の光景です。ダリアの紹介の前に到着便を粗油買いしておきます。セントレア(名古屋)発のANA1837便は、到着予定より1分早い、9時4分の到着でした。(同上)

  • 秋田空港の到着ターミナル内に飾ってあった、赤色系統のダリアの花の光景です。ダリアは、キク科ダリア属の多年生草本植物の総称とされます。 和名は、花の形がボタンに似ていることから、『テンジクボタン(天竺牡丹)』ですが、ほとんど使われることはないようです。(同上)

    秋田空港の到着ターミナル内に飾ってあった、赤色系統のダリアの花の光景です。ダリアは、キク科ダリア属の多年生草本植物の総称とされます。 和名は、花の形がボタンに似ていることから、『テンジクボタン(天竺牡丹)』ですが、ほとんど使われることはないようです。(同上)

  • こちらには、帰路や紫色などの花の姿も見えました。同じ?超満開のダリアの花の光景です。メキシコ原産とされますが、ヨーロッパでは、1789年にスペインのマドリード王立植物園に導入され、翌1790年に開花したのが始まりとされます。日本では、1842年(天保13年)にオランダから長崎に持ち込まれたのが最初の到来とされます。(同上)

    こちらには、帰路や紫色などの花の姿も見えました。同じ?超満開のダリアの花の光景です。メキシコ原産とされますが、ヨーロッパでは、1789年にスペインのマドリード王立植物園に導入され、翌1790年に開花したのが始まりとされます。日本では、1842年(天保13年)にオランダから長崎に持ち込まれたのが最初の到来とされます。(同上)

  • 秋田空港からは、出迎えの観光バスの乗車しての名城巡りです。そのバス駐車場に向かう途中に撮影したターミナルビルの光景です。(同上)

    秋田空港からは、出迎えの観光バスの乗車しての名城巡りです。そのバス駐車場に向かう途中に撮影したターミナルビルの光景です。(同上)

  • 休憩に立寄ったパーキングエリアの光景です。大平山パーキングエリアです。秋田自動車道にあるパーキングエリアでした。(同上)

    休憩に立寄ったパーキングエリアの光景です。大平山パーキングエリアです。秋田自動車道にあるパーキングエリアでした。(同上)

  • 同じく、木々に囲まれた大平山パーキングエリアの光景です。(同上)

    同じく、木々に囲まれた大平山パーキングエリアの光景です。(同上)

  • 途中で休憩に立寄った場所にあった大きな看板の光景です。右端に見えるのは、二人の『なまはげ』です。その左に、男鹿半島までのコースが朱線で記され、現在位置が大平山パーキングエリアであることが分かりました。(同上)

    途中で休憩に立寄った場所にあった大きな看板の光景です。右端に見えるのは、二人の『なまはげ』です。その左に、男鹿半島までのコースが朱線で記され、現在位置が大平山パーキングエリアであることが分かりました。(同上)

  • 『秋田をこよなく愛した人・紀行家・菅江真澄』のタイトルがあった説明看板の光景です。『菅江真澄(1754~1831年)は、江戸時代後期の旅行家で、博物学者でした。生まれは、三河国渥美郡牟呂村字公文(現在の豊橋市牟呂公文町)と伝えられますが、生涯の大半を秋田で過ごしました。(同上)

    『秋田をこよなく愛した人・紀行家・菅江真澄』のタイトルがあった説明看板の光景です。『菅江真澄(1754~1831年)は、江戸時代後期の旅行家で、博物学者でした。生まれは、三河国渥美郡牟呂村字公文(現在の豊橋市牟呂公文町)と伝えられますが、生涯の大半を秋田で過ごしました。(同上)

  • 『脇本城跡』に到着しました。今回は観光バスでやって来ましたが、ネット情報では、『男鹿線・脇本駅から徒歩で20分』と紹介されていました。(同上)

    『脇本城跡』に到着しました。今回は観光バスでやって来ましたが、ネット情報では、『男鹿線・脇本駅から徒歩で20分』と紹介されていました。(同上)

  • 『国指定史跡・脇本城跡』の文字が刻まれた刀剣を連想させるような姿の石標のズームアップ光景です。(同上)

    イチオシ

    『国指定史跡・脇本城跡』の文字が刻まれた刀剣を連想させるような姿の石標のズームアップ光景です。(同上)

  • 『脇本城跡・天神様の細葉の椿』のタイトルがあった説明看板の光景です。この地を訪れた、江戸時代の紀行家・菅江真澄が、図絵を残し、細葉椿についても記していたことが紹介されていました。(同上)

    『脇本城跡・天神様の細葉の椿』のタイトルがあった説明看板の光景です。この地を訪れた、江戸時代の紀行家・菅江真澄が、図絵を残し、細葉椿についても記していたことが紹介されていました。(同上)

  • 写真入りで解説されていた、『史跡・脇本城跡』のタイトルがあった説明看板の光景です。男鹿市観光文化スポーツ部名の看板でした。国の史跡に指定されたのは、平成16年(2004年)9月であることも記されていました。男鹿市のHPには、国指定の文化財は八つあることが紹介されていました。その内の一つです。(同上)

    写真入りで解説されていた、『史跡・脇本城跡』のタイトルがあった説明看板の光景です。男鹿市観光文化スポーツ部名の看板でした。国の史跡に指定されたのは、平成16年(2004年)9月であることも記されていました。男鹿市のHPには、国指定の文化財は八つあることが紹介されていました。その内の一つです。(同上)

  • 『脇本城跡』のタイトルがあった説明看板の光景です。(同上)

    『脇本城跡』のタイトルがあった説明看板の光景です。(同上)

  • 『脇本城跡』への登山口の光景です。(同上)

    『脇本城跡』への登山口の光景です。(同上)

  • 『脇本城跡』への登山道の光景です。(同上)

    『脇本城跡』への登山道の光景です。(同上)

  • 菅原神社の標識の光景です。左向きの矢印で、『内館まで400m』、右向きの矢印で『搭乗口まで250m』の表示がありました。(同上)

    菅原神社の標識の光景です。左向きの矢印で、『内館まで400m』、右向きの矢印で『搭乗口まで250m』の表示がありました。(同上)

  • 鬱蒼とした杉木立の光景です。(同上)

    鬱蒼とした杉木立の光景です。(同上)

  • 菅原神社の鳥居と、その左右に坐した狛犬の光景です。参道の脇には、鬱蒼とした鎮守の杜の光景になっていました。(同上)

    イチオシ

    菅原神社の鳥居と、その左右に坐した狛犬の光景です。参道の脇には、鬱蒼とした鎮守の杜の光景になっていました。(同上)

  • 菅原神社の狛犬の光景です。本殿に向かって右手に坐した、阿形の雄獅子です。少し上方を向いて口を開けた姿でした。(同上)

    菅原神社の狛犬の光景です。本殿に向かって右手に坐した、阿形の雄獅子です。少し上方を向いて口を開けた姿でした。(同上)

  • 同じく、菅原神社の狛犬の光景です。本殿に向かって左手に坐した、吽形の雌獅子です。(同上)

    同じく、菅原神社の狛犬の光景です。本殿に向かって左手に坐した、吽形の雌獅子です。(同上)

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