2018/10/23 - 2018/10/24
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旅人のくまさんさん
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出羽と越後の名城巡りです。最初に見学したのは、続日本百名城106番の秋田県の脇本城です。中世に安東氏の居城となった山城で、『湧本(わきもと)城』、『生鼻(おいばな)城』、『太平(太平)城』の別名を持ちます。(ウィキペディア、日本百名城・続日本百名城公式ガイドガイド)
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下から見上げた、菅原神社の長い石段と、その先に見える鳥居と拝殿の光景です。鎌倉時代の正応年中(1288~1293年)に安東氏の氏神として京都北野天満宮より勧請・創建され、男鹿鎮護の総社となりました。当初は、脇本城本丸南山上に建立されたようです。天正19年(1591年)、安東愛季により再建されました。(同上)
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イチオシ
同じ場所からズームアップした、菅原神社の石の鳥居と拝殿の光景です。『安東愛季(あんどう・ちかすえ/よしすえ:1539~1587年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、出羽国の戦国大名です。下国(檜山)安東氏8代当主で、居城は檜山城でした。(同上)
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左側の舗装道が先程上ってきた新道、右側が地道の旧道です。旧道の登り口は、新道の左手にあった、長い石段でした。はっきりとは分かりませんでしたが、旧道は『天下道』の一部になるのかも知れません。(同上)
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鬱蒼とした杉林の光景です。脇本城の城域は150ヘクタール、東京ドームの約32倍の広さとされます。現在は男鹿市脇本の地名になります。脇本城の主な城主は、安東氏から脇本氏、湊氏へと代わりました。(同上)
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木陰で咲いてた紫色の花のズームアップ光景です。最近、北海道のチャシ巡りで目にした『トリカブト(鳥兜)』の花のようでした。キンポウゲ科トリカブト属の総称とされ、有毒植物として有名です。(同上)
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あまり見かけたことはない、注連縄に飾られた品のズームアップ光景です。小さな藁人形か、すす払いのようにも見えました。注連縄が一番低くなる真ん中に飾られていましたから、通行者を左右に分ける効果があるのかも知れません。(同上)
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道案内標識の光景です。右奥向きの矢印が『菅原神社』、左奥向きの矢印が『脇本城址・内館』でした。菅原神社参拝の後に、脇本城址方面に向かうことになりました。(同上)
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菅原神社の近くにあった石碑群の一部の紹介です。右側の石碑には、『竣功』の題字の下に、異なる日付で菅原神社本殿再建と斎館建設境内整備の文字が刻まれていました。左側の石碑には、先程の碑より新しい平成14年11月の『菅公1千百年大祭・記念碑』の文字がありました。(同上)
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菅原神社の鳥居に架かった扁額のズームアップ光景です。文字ではなく。『加賀梅鉢』に似たデザインの梅鉢紋がありました。梅鉢紋は菅原道真公(845~903年)に因むことで有名です。(同上)
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菅原神社正面の唐破風の拝殿光景です。御祭神は菅原道真大神、天照皇大神、白山媛大神、保食大神とされます。当初は、脇本城本丸南山上に建立されたと伝わります。(同上)
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菅原神社正面の唐破風の拝殿に飾られた、『鳳凰』の彫刻のズームアップ光景です。鳳凰は、中国神話の霊鳥とされます。紀元前の中国最古の類語辞典の『爾雅』には、『頭は鶏、頷は燕、頸は蛇、背は亀、尾は魚で、色は黒・白・赤・青・黄の五色で、高さは六尺程』と記されているようです。次第にデザインは代わって来ました。(同上)
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菅原神社正面の唐破風の玄関に飾られた、『龍』の彫刻のズームアップ光景です。古代中国では神獣、霊獣とされ、皇帝のシンボルともなりました。(同上)
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金文字で記された『菅原神社』の扁額のズームアップ光景です。菅原道真公は、平安時代の貴族、学者、漢詩人で政治家でした。参議・菅原是善の三男として生まれ、官位は従二位・右大臣でしたが、後に正一位・太政大臣が追贈されました。、左大臣・藤原時平に讒訴され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され、現地で没しました。(同上)
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縁側の突所にき当りに飾ってあった、亀や松の図柄の彫刻の光景です。かなり荒々しい、深い溝の彫り方でした。拝殿正面に向かって、右奥の場所です。(同上)
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左側が拝殿、その奥に見えていた本殿の光景です。先ほど紹介した、亀や松の図柄の彫刻は、本殿への渡り廊下の入口の横並びの位置にありました。(同上)
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縁側の突き当りに飾ってあった二羽の鶴の図柄の彫刻の光景です。先に紹介した亀と合わせて鶴亀、長寿のシンボルとなるようです。拝殿正面に向かって、左奥の場所です。(同上)
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拝殿の縁側の突き当り付近の光景です。右側から伸びた赤い欄干が途切れた場所に、先程の二羽の鶴の図柄の彫刻が飾ってありました。(同上)
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拝殿の側面光景です。建物屋根と鬼瓦は銅板葺き、破風には木製の『ゲギョ(懸魚)』が飾ってありました。(同上)
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『天神様の細葉の椿』と呼ばれる古樹の光景です。樹齢400年以上とされます。 江戸時代の紀行家の菅江真澄(1754~1829年)も『男鹿遊覧記』に この椿のことを記しました。赤い花を咲かせるようです。(同上)
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内側から眺めた、登ってきた長い石段の上にあった鳥居の光景です。周りに鬱蒼とした杉らしい高木が林立していました。(同上)
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『天神様の細葉の椿』のタイトルがあった説明パネルの光景です。先ほど紹介した、江戸時代の紀行家の菅江真澄の『男鹿遊覧記』の一節が紹介されていました。菅江真澄は、1770年頃から尾張藩の薬草園に務め、1780年生家に戻りました。その間丹羽嘉信について漢学、画技を、浅井図南から本草学、医学を修得しました。(同上)
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脇本城址から眺めた、日本海の光景です。今日は『風が強い日』ではなく、男鹿半島は『風が強い場所』のようでした。絶えず強い風が吹き、海面は波立っていました。(同上)
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同じく、脇本城址から眺めた日本海の光景です。陸に近い海の色が茶色っぽく見えるのは、推測ですが、絶えず福強い風の影響のようでした。(同上)
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花は可愛らしいですが、変わった名前の『ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)』のようです。よく観察しますと、痛そうな小さな棘が一杯見えました。タデ科イヌタデ属(またはタデ属)の1年草で、『トゲソバ(棘蕎麦)』の別名があります。 (同上)
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『国指定史跡・脇本城跡・天下道』のタイトルがあった説明パネルの光景です。説明文に航空写真、イラストと写真が添えてありました。中世の主な交通手段は、預保、馬、府ねであり、脇本城は、そのすべてを抑える位置にあったと解説されていました。(同上)
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城跡らしい光景になって来ました。丘の上に建つ白い標識は、後ほどアップで紹介しますが、『脇本城跡・内館(うちだて)跡』の文字が記されていました。雄大な城跡の光景でした。(同上)
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イチオシ
少しズームアップした、城跡らしい光景です。吹き曝しになった場所は、ますます風がキツクなってきました。手前には、尾花の光景がありました。(同上)
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草原およぷな場所にできた起伏は、自然の地形を利用し、更に城址として造作を加えたものでした。発掘調査がされた場所は、また埋め戻されているようでした。多数の曲輪、土塁、空堀、井戸跡などの他、虎口が確認されました。(同上)
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標識類や、通航制限のロープなどが集中した場所の光景です。横長の立看板には『男山・屋敷跡』の表示がありました。(同上)
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『内館(うちだて)』の文字が記された、真新しい標識の光景です。その右下に主郭・大土塁まで100メートル、左下に生鼻崎(おいばなさき)まで250メートの表示もありました。『華』は、『岬』を意味するようです。(同上)
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2018秋、出羽と越後の名城巡り
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