2018/10/28 - 2018/10/28
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たびたびさん
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1590年、戦国時代は小田原征伐によって北条氏が滅亡したことで実質的な終焉を迎えます。関八州へは家康が移封されるのですが、秀吉の死去が1598年、関ヶ原の戦いが1600年。国替え後の新しい領地でわずか10年に天下分け目の戦いに臨んだ家康です。
小田原征伐では全体としてみれば徹底的な戦いがあったわけでもなく、ある意味、北条氏時代の旧勢力が温存されていたはずで、その地にあって、直接的な征服者でもない家康はいかにして実質300万石という地歩を固めていったのか。
家康の天下取りへの道筋は、どうしても豊臣政権、諸大名への政治的な駆け引き等中央における動きに目が向きがちですが、それはすべてこの関八州で蓄えた実力があったからこそ。この辺りにどのような家康の卓越した手腕が発揮されていたのかはやはりおおいに興味の湧くところです。
ところで、箕輪城は、 戦国時代中期、当地を支配する長野氏の長野業尚によって築かれた日本百名城の一つ。家康は領内の安定化のために北関東の抑えとして、ここに四天王の筆頭とでもいうべき井伊直政を配します。その重要性はいくら強調しても足りないくらいの重さがあったのではないかと思います。
さて、箕輪城は高崎駅からバスで30分ほど。箕郷町の四ッ谷バス停で降りて向かいました。遺構的な建物はありませんが、本丸跡までの道には濠や曲輪がけっこうはっきり残っていて、雄大な城であったことが窺われる。かつては、井伊直政12万石の城。その風格は確かに感じられました。
今回訪ねた箕輪城まつりは、今年で16回。地元箕郷町をあげてのお祭りです。
会場は本丸跡。午前11時ころから始まるアトラクションから、午後2時以降の合戦再現がハイライト。今年は、関ヶ原の戦いで、戦線を離脱、中央突破を図る島津軍に執拗に追いすがる井伊直政軍の戦い。一般参加や子供たちも加わって和やかな反面、半プロのマジな格闘シーンもあったり。予想以上になかなか楽しめました。
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高崎駅から箕郷町の箕輪城最寄のバス停で降りましたが、目的の箕輪城まつりまでにはまだまだ時間がある。天気もいいし。。ということで、その時間を使って、少し周辺の?といってもけっこう歩きましたが、散策です。
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みさと芝桜公園は、通りから入るとすぐに丘の上一杯に広がる公園の全景が見えて、牧場みたいな感じと言ったらいいでしょうか。
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一番上の開けた場所に芝桜のエリアがあって、これが季節になると見どころなんでしょうね。
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イチオシ
時期外れで、芝桜を傷めないようにそこは立ち入り禁止でしたが、見晴らしのいい景色を見ただけでも十分。なかなかの公園です。
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みさと芝桜公園から林の方に降りて行く道の途中にあるのが、松之沢の百観音。お墓のような感じの一角ですが、
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奥の方に石の観音像がたくさん並んでいるのがすぐにわかりました。
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観音は十一面観音、千手観音、聖観音など133体で、江戸時代の後期に造られたもの。水沢観音や白岩観音に通じる巡礼道沿いという場所でもあるようです。
まあまあと言えばまあまあですが、これだけのものを見るために歩く距離ではなかったような。。
朝からいきなりけっこう歩きましたね~ -
これで引き返して、箕輪城跡の方に向かいます。
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関東に移封された家康は、この地を治めるために徳川四天王をどのように配置したのか。
この箕輪城へは井伊直政が入り12万石。里見氏の抑えとなる大喜多城は本多忠勝で10万石。榊原康政は、上野国館林城で10万石。酒井家は下総臼井で3万石という具合です。 -
北関東は北条氏と上杉氏が攻防を繰り返した地だし、それ以前は、鎌倉公方や古賀公方が争った永享の乱、享徳の乱といった戦乱が長く続いた騒々しいエリア。力で抑え込まなければ何が起きるか分からない。そんな場所に井伊直政を置いたことからして、四天王の中でも井伊直政はダントツの信頼を受けていたことが窺えます。
ほか、秀吉の考えではあるのですが、家康の次男、秀康を北関東の大名、結城氏の婿養子としたり。その重要性は中央から眺めていても同じだったのではないかと思います。 -
さて、頂上の広場にやってくると、
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もう祭りの準備は万端。
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ちょこっとですが、こんな山の中に露店まで出ていますよ~
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私もトン汁をいただいて、一服。体を休めます。
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地元の年配者チームのパーフォーマンス。だんべえ踊り。
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「だんべい、だんべい。」は、「そうだ、そうだ。」ということですよね。
こちらはサクッと終わって。 -
イチオシ
今度は箕輪城太鼓。
ドンドコ、ドンドコ。これで雰囲気にカツが入ったような感じです。 -
そして、武者の入場ですよ~
市街をスタートしてはるばる歩いてきた集団です。 -
お疲れ様ー
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観客の拍手で迎えられます。
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いろんなチームが参加していて、
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それぞれに会場のアナウンスで紹介されていきます。
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地元のチームや
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職場、企業のチーム。
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甲冑は段ボールだったり、たぶん、レベルはまちまちですが、
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こういう場合は、とにかく人数が大事。たくさん集まれば、それで自然と恰好がつくものです。
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入場が終わって、今度は奥の方から新手の集団。
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ほー。
これは獅子舞ですね。 -
イチオシ
先頭は、ひょっとこのお面をつけた道化役。
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その後に、三匹の獅子が続きます。
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このスタイルは、「三匹の獅子舞」ですよね。
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関東では、時々見かけるタイプですが、いつも神社の狭い境内。
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こんな広々した場所で見れるなんて、これはいい。
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イチオシ
箕輪城とは直接の関係はないかもしれませんが、そこは郷土芸能。
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この地の風土をこうして感じるのは悪いものではありません。
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真ん中の派手な飾りを中心に
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輪になって
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軽やかに舞っていく。
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舞いでも、この道化役の動きは重要。
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余裕を持った舞いは全体を落ち着かせます。
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三匹の獅子にも役割分担があるはずなのですが、ここのはあんまりはっきりしない。
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二匹の雄が一匹の雌を取り合うといった設定になっているのもあったと思いますけどね。
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イチオシ
まあ、それはそれとして、
舞いは足を振り上げたり -
踏ん張ったり。
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メリハリのある動きが
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小気味いい。
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なんか
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この舞いを見ただけでも
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来た甲斐があったような気がします。
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いい
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いい
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いいですよ~
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さて、ここでひと呼吸入れて
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今度は火縄銃演武。
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これは、鉢形城から参加したチームなのだそう。
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ちなみに、後北条氏の居城では、小田原城、韮山城とこの鉢形城は、ベスト3の位置付け。関東を制覇していたその後北条氏時代での位置づけからすると、鉢形城は箕輪城のお兄さん的な存在になるかもしれません。
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そのことを意識してかしないでか。そこのところはよく分かりませんが、
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イチオシ
これぞ武士の模範演技といった堂々たる演武。
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銃声が思いのほか大きくて、発射するたび、こっちの体もビクンとなってしまいました。
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ここから本日のメインイベントの関ヶ原の合戦までは、小休止。
箕輪城祭りの会場に来ていた焼まんじゅうをいただきます。パリパリのまんじゅうにたっぷりの甘辛いたれ。これは基本中の基本といった味わい。やっぱりこれこそ群馬のB級ソウルフードの定番です。 -
こちらのなめこ汁の方は地元からのサービス。私も列に並んでいただきました。
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本番前の出演者。
「今日は天気でよかったわね」とか言った感じです。 -
さて、時間になりましたね。
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軍団は左右に分かれて、
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関ヶ原の西軍と東軍。
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風雲急を告げるの報が入り、
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一気に戦闘モード。
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両軍が入り乱れての
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混戦状態が始まります。
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子供たちもたくさん参加していて、大人を取り囲んで攻めまくる。あーれー。。
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長槍で小競り合いは、戦いの再現としてはまあありですね。
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大勢での合戦シーンが一段落すると
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今度はアクション俳優陣による殺陣シーン。
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これも演技だと思って見ていましたが、
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あれ。
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なんか、けっこう気合が入ってますよ。
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想定する場面は、島津軍と井伊軍との戦い。
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勇猛果敢で知られる島津軍が関ヶ原の陣中突破を図る。
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イチオシ
あまりの猛突進に道を開いてしまう東軍の中で、
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島津軍の大将、島津義弘を討ち取らんと追いすがるのは井伊直政と直政の娘婿であり、徳川家康の四男でもある松平忠吉の軍。
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さて、いかに。
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新手の武者は、両軍の代表格。
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激しく刃を向けあって、
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イチオシ
これはマジ。
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力が余って槍が折れたり、
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肉弾戦も、相手の体が吹っ飛んでますよ~
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なんだかんだで
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やっと仕留めましたが、
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ここから登場した赤い装束の武者が井伊直政。
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1500の兵を率いる敵将、島津義弘を猛追する井伊直政ですが、そこに立ちはだかるのは島津義弘軍のしんがりを受け持つ一将、島津豊久。
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井伊直政に襲いかかります。
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イチオシ
エイ、エイ。
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エーイイ。
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しかし、相手を圧倒して、完全勝利。めでたし、めでたし。
ただ、史実の方では、島津義弘は無事に戦線を突破し、薩摩に帰りつく一方、この戦いで手傷を負った松平忠吉はほどなく死去。井伊直政もこの時、銃弾を受け、関ヶ原の戦いの2年後それが遠因で亡くなったとされています。
ただ、関ヶ原の戦後処理でも毛利方との講和交渉役を務めるなど、政治的な力にも秀でた働きをしているのはさすがです。 -
さて、合戦が終わって、祭りは終了。
これで撤収しましょう。 -
本丸から市街に向かって真っすぐに降りて行くんですが、
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城の縄張りは何段にも続いていて
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イチオシ
懐の深い名城である名残りがしっかりと感じられます。
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やれやれ、帰ってきましたね。
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市街地に戻って。
旧下田邸書院と庭園は箕郷市街の中心部。高崎市箕郷支所の隣りに立派な塀に囲まれた一角がみえるので、すぐにそれと分かります。 -
書院の方は雨戸が閉まっていてよく分かりませんでしたが、
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この庭はあの堀部安兵衛が設計したと伝わるもの。木々に囲まれた中央の深い池には鯉が元気よく泳いでいました。
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少し歩いて、これは、関口コオきり絵美術館。
地元出身の切り絵作家、関口コオの作品を展示する美術館です。入ってすぐは喫茶コーナー。常連さんと思しき人が作品に囲まれて、優雅に時間を過ごしていました。奥には展示室が二つ。こちらは有料です。昔話的な素朴なテーマから、女性をモチーフにしたちょっと大人の雰囲気のあるものまで。紙風船を配した幻想的な作品も関口ワールドを感じさせる。意外に楽しめる美術館です。 -
帰りのバスは、高崎駅までは30分ほど。
さて、箕輪城まつりの一日は、これで終了です。お疲れ様でした。
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