2018/10/03 - 2018/10/03
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tacossさん
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エルミタージュ別館とメンシコフ宮殿見学
私は一度行った場所には海外旅行行かない主義ですが、再訪せざるを得ないかもしれません。本日、クソロシアの日です。
9月29日(土)JAL421成田→モスクワ S7航空JAL7171モスクワ→サンクトペテルブルク
https://4travel.jp/travelogue/11413246
9月30日(日)ペテルゴフ宮殿(夏の庭園)宮殿見学なし、バレエ鑑賞①
https://4travel.jp/travelogue/11413324
10月1日(月)カザン聖堂、血の上の救世主教会、聖イサアク大聖堂、バレエ鑑賞②
https://4travel.jp/travelogue/11413748
10月2日(火)エルミタージュ美術館本館、ピョートル大帝冬の宮殿、メンシコフ宮殿
https://4travel.jp/travelogue/11414201
⇒10月3日(水)エルミタージュ美術館別館、メンシコフ宮殿
10月4日(木)S7航空でモスクワへ移動、オペラ鑑賞
https://4travel.jp/travelogue/11414776
10月5日(金)セルギエフポサード、モスクワ川クルーズ、プーシキン美術館欧別館
https://4travel.jp/travelogue/11415748
10月6日(土)武器庫込クレムリン、JAL422便で帰国 10月7日(日)成田着
https://4travel.jp/travelogue/11416343
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
本日もまたバスに乗ってエルミタージュ美術館にやってまいりました。
美しい建物ですね。午前別館、午後は昨日見てない冬宮です。塔があるのでオランジュリー美術館に行った時の景色に似ているなと思いましたが
宮殿広場から望む冬宮とアレクサンドル柱
モンフランによって宮殿広場中央に建てられたこの力強い花崗岩の円柱は、対ナポレオン戦争におけるロシア軍の活躍を称えたもので、勝利者皇帝と呼ばれたアレクサンドル一世の名を取ってアレクサンドル柱と名付けられている。広場を取り巻く冬宮および参謀本部の建物と巧みに調和するよう図られたアレクサンドル柱は、宮殿広場一帯の景観の中心となっている。重量感と規模は驚くべきもので、一枚岩の円柱の重さは約704トン、総高は47.5メートルに及ぶ。世界で最長の外線記念柱(土産本) -
10:24 並ぶ必要がないのでギリギリに到着しましたがたくさん待ってる人がいてちょっと違和感
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10:30 横からツアー旗を持ったおそらくスペイン人ツアーが割り込んできた。なんでこんなに混んでるの?何かあったの?
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そのまま入ろうとしたけど水はやっぱりダメだって
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目的は絵画なので4階に真っ先に行きます。美術館にはロシアでさえ日本人一人旅女がいるな。アジア人で一人旅って日本人以外滅多にいない。
モネ絵の横に立って撮ってもらったのですが写真映えします。
c.モネ(1840-1926)モンジェロンの池 1876
モネは、17世紀にロランの古典的な風景が提示して以来すっかり定着していた伝統的な絵画のあり方、その構造のあり方を根本から覆した。『モンジェロンの池』は当時まで認める人も少なかった印象派絵画の支持者の一人だった蒐集家で銀行家のオシェデの別荘を飾るために制作されたが、その大きさにも関わらず、対象をその場で、かつ迅速に捉え、描くという印象はの大原則を踏襲している。この風景にはこれと言った構図はなく、描かれている物体や人物にも主題や副題といった役割の別がない。大きく間を空けた筆致は近くから見ると混沌として、ただこってりとした絵画の魂を思わせるが、数歩下がって鑑賞すると驚くほど忠実に実際の印象を伝える。(土産本) -
少年??
P.=A.ルノワール《1841-1919》
小さな鞄を持った少年 1885 カンバス、油彩
この絵の主人公は何といっても陽光である。少年の姿を風景の中に溶け込ませ、その白い服や黄色い砂道に緑や黄、そして水色っぽい色合いを添えている。しかし、エチヤン・グジョン少年の丸い顔と黒目がちの大きな瞳、そして鮮やかでふくやかな唇は丁寧に描きこまれていて、印象はらしくない。この絵が制作された時期、ルノワールは新しい画法を模索していて、印象派の偶然性と前世紀18世紀絵画の古典的な緻密さとの統合を夢見ていた。(土産本) -
美しすぎます。癒し系が多いです。腰締めすぎで内臓壊したんかな
P.=A ルノワール《1841-1919》
ジャンヌ・サマリの肖像 1878 カンバス 油絵 173×103
画家に向かって典型的な公式肖像画のポーズをとって立つのは、赤毛も魅力的なコメディ・フワンセーズの主役女優ジャンヌ・サマリだ。この一瞬後には前でそろえた手を離して美しい笑顔を作ったかと思うと、その美しい青い目と白い肌、そして凝った装飾の豪華な絹のドレスの残像だけを残して、足早に去っていってしまいそうな、実に生き生きとした作品。ルノワールを心酔させた花も盛りのこの女性が、33の若さでこの世を去ろうとは、この絵からはとても思えない。(土産本) -
H.マチス《1864-1954》
赤の間《デザート. 赤のハーモニー》1908 カンバス 油彩
『赤の間』は赤という主旋律を奏でる独奏協奏曲に喩えることができる。元々、この絵の主要色は青で、題名も『青のハーモニー』となっていたが、作品がシチューキンに購入された後でマチスが赤を主とする『赤のハーモニー』に書き換えた。(土産本)
汐留ミュージアムでよくマティスとルオーの展示があるのですが下手くそルオーと間違えてました。マティスの絵が部屋一面?あったのですがどれもマトモで鮮やかでした。テーブルクロスが壁紙になったような感じ。きゃわ -
昔の邸宅行ってソファなど一度も見た記憶がないので違和感を感じました。
F.ジュラール《1770-1837》
ジョゼフィーヌ・ボーアルネの肖像 1801 カンバス 油彩 178×174
初婚ではA.ボーアルネ将軍夫人、次いで1796年から1809年まで続いた2回目の結婚ではナポレオンの妻となったジョセフィーヌ《1770-1814》は、1804年には皇后にまでなった。ダヴィッドの弟子の肖像画家として一世を風靡したジェラールは、彼女がパリ近郊の彼女の邸宅マルメゾンのテラスで座する姿を捉えた。それまで公式の肖像画に見られた壮麗さと副次的装飾品の多用を故意に控えた画風は、新古典主義が新しく打ち立てたもの。(土産本) -
J.=L.ジェローム《1824-1904》
競にかけられる女奴隷 1884 カンバス 油彩 92×74
サロン画の代表格ジェロームはサロン《官展》入選、レジオン・ドヌール勲章受勲、そしてアカデミー正会員選出と、最も高い社会的な評価を得るに達した。『競にかけられる女奴隷』は『ローマの人身売買』という題で1884年にサロンに出展され、絶大な人気を博した作品。(土産本)
今の基準で見るのも違う気がしますがすごく目立つ衝撃的な絵でした。ローマの、を消したんですね。もし日本の、と書いてあるのを消したらどうなるだろう。隣国が大騒ぎしそう。豪華に着飾った貴族や皇族の絵と対比してみてください。 -
V.ヴァン・ゴッホ《1853-1890》
アルルの女 1888 カンバス 油彩 73.5×92.5
この絵にはもう一つ題名があって『エッテンの庭園の思い出』とも呼ばれる。
南の燃えるような太陽と色鮮やかな自然を大分前から恋しく思っていたゴッホは、1888年、プロヴァンス地方のアルルを訪れる。そして、物体の形状を自己に従わしめる力強い筆致と鮮烈な色彩を斬新に統合した独自の画風をこの地で確立した。この時、ゴッホは驚くべき生産性を示し、次から次へと今日では世界的な傑作となっている名画を生み出した。これらの作品をゴッホはエチュードと呼んで、それらが写生を基にしていること(を)強調した。この作品では、アルル滞在のさまざまな印象が、画家が子供時代と青年時代を過ごしたオランダの父の家を思い出と渾然一体となって描かれている。(土産本)
絵の具を重ねた力強い絵でした。人物を前面に持ってくるやり方は浮世絵の影響?願望込 -
V.ヴァン・ゴッホ カンバス 油彩 60×73
藁葺小屋 1890
ゴッホが悲劇的な最期を遂げる数か月前にオーヴェールで制作した作品。画家はその病んだ精神がいつか回復するという希望をすでに持てなくなっていたが、この作品は色調も明るくそんな悲劇性を感じさせない。ただギクシャクとおおざっぱな筆致に病状が察せられる。(土産本)
上の作品と比べると丁寧さが無くなってます。でもゴッホが一番落ち着ける風景だったのではないでしょうか。緑は精神的にも良い気がします。
私は好きですねこの作品 -
P.ゴーギャン《1848-1903》
実を持つ女 1893 カンバス 油彩 92×73
ゴーギャンが理想とした女性像が描かれている。顔に静かな落書きを湛えた女は温かな黄金色に色づいた木の像を思わせ、周囲の自然環境の一部と化してすっかりそこに溶け込ん(で)いる。女体のシルエットが交錯する木の枝や腰布の柄、そして地面に描かれる文様の中にも繰り返され、それが女の手のかぼちゃに凝縮されて構図の中心点を示す。(土産本)
これも最近見たやつ。男だか女だか分からないようなのが多いな。この方の絵ってデザイン性に優れていてこのままグッズに出来そうなの多いの。 -
Panel 2. Zephyr Transporting Psyche to the Island of Delight
Panel 3. Psyche Discovers that Her Mysterious Lover is Eros
Panel 4. The Vengeance of Venus
Denis, Maurice. 1870-1943 モーリスドニ
4メートルの大作です。絵が可愛いのでたまりません。 -
The Mediterranean. Triptych
Bonnard, Pierre. 1867-1947 ボナールの作品です。
これは407x152 cm の絵が3枚に分かれているもので、間に柱を入れると非常に臨場感があり神殿から外を見ているようです。ドニの作品も迫力ありますが柱があるとずいぶん違ってきます。ボナールもドニも日本好きでしたが縦長は浮世絵の影響なのかな。 -
お気に入りの1点を
まるで電気でも使ってるようにひときわ輝いて光を放っていてガラスの反射している光の表現も絶妙なのよ
Charles Hoffbauer 1875-1957
展示室ではIn London 1907 になってたけどHPではTitle: In the Restaurant -
あーあ、アッチにはキンキラの豪華な部屋がいっぱいあったんだろうな
ここ見れて良かったわ
C.ロッシ《1775-1849》
参謀本部K.=V.ネッセルローデ伯爵化粧室天井装飾画部分
エルミタージュには移管されて間もない参謀本部東翼には、1820年代、外務省と大蔵省が置かれていた。そして、約40年の間にわたってロシア帝国の対外政策を司ったK.=V.ネッセルローデ宰相の公邸もまたこの建物の中にあった。この化粧室を始めとして、邸内の部屋は皆アンピール様式の優麗な装飾がで彩られている。(土産本) -
C.ロッシ
参謀本部 K.=V.ネッセルローデ伯爵私室 舞踏の間 Count Karl Nesselrode
大きな舞踏の間は公式の舞踏会の会場となったネッセルローデ伯爵の私室のうちでも最も豪華な部屋だ。現在、この部屋に飾られるフランスの代表的な彫金師ピエール=フィリップ・トミール《1751-1843》工房製の鍍金ブロンズ製品は、常設展示『鷲の紋の下に*』の佳境といえる部分である。トミールの製品は当時大流行を引き起こし、彼の名は語呂のいい『admire(感嘆)』と常に並んで発せられた。舞踏の間には、盆と枝付燭台、そして小像といった13体の鍍金ブロンズ製卓上装飾が陳列される。また、展示ケースにはJ.=B.オディオ《1763-1850》やH.オギュスト《1759-1816》の作品を始めとするロシアおよびヨーロッパ製銀製品が展示されている。(土産本) *「元に」の表記もありどちらか不明
3F The Dancing Hallという場所ですが隣のDining Room にも鷲の紋など無いけど。ロシア国章は双頭の鷲でしたが。ロシア国章旧参謀本部建物もCarlo Rossi のデザインなのですね。こういう所も冬宮見た方は見飽きて流し見なんだろうな -
13:00に切り上げてランチに参りました。
歩いて10分ぐらいの「Clean Plates Society」というお店です。
Googlemapが大回りを誘導したのでロシアmap見て来ました。
ポテトサラダ頼んだら揚げた子芋、クリームスープにチキンスープ、モルス、レモネード、タラ&ライス、赤ワイン、本日のお皿はまたグヤーシュみたいなのでした。魚のソースが合ってなかった以外はおいしかったです。ここだけはランチメニューくれました。チップ込みで1700Pでした。 -
地元の若者ばかりでにぎわってました。
サンクトペテルブルクは食べる所に困りませんがランチメニューに英語表記してるお店がそんなに多くないのね。 -
15:01 さあ、クライマックスだ。冬宮をオーディオガイド借りてゆっくり夜間見学するぞっ!予約者側入口午後だから空いてるなっラッキー
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閉まってるぞ!個人一般口に移動しよう。気づかず通り過ぎる。ここはグループ入口。通り過ぎて川側の入口まで行ってみる。開いてない。旗を持ったツアーグループ1組だけが入口に向かっていた。中国人ツアーもただ立っているだけだが数組いる。ドアは固く閉じている。ここもグループ入口だからどっちみち入れない、個人入口に戻ろう。写真撮ってないけど「本日は閉まっている」「対象:本館」「Privateは入れない」と書いた張り紙があった。事前警告なし。私たちは2日券を買ったのですよ、ふざけるな!返金できないのか!張り紙前に居たスタッフが無理でーすと。金の問題ではありません。返金してもらえるなんて微塵も思ってません、でも相手に不満を伝えなくてはなりません。私たちをなだめるため「いつここを出発するの?」と聞いてきました。何故聞いたのかバレバレです、明日が無料の日だから明日見れるよ、と言い訳をしたかったわけです。月初第一木が無料なの、そんなの百も承知です。むしろ混んでる日は避けたいのです。
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帰国してから調べてみた前日の12時過ぎに警告出てたようだ、本館を出る直前です。私ツイッターやってないししかもロシア語。本館にも警告貼ってなかったしHPにも無かったじゃないか。分からないっつーの。プーチンとオーストラリアの誰かが見学しに来てたんだって。そしてエルミタージュ美術館に苦情のメールを入れました。結果は最終旅行記で
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やっぱりロシアはロシアだ。ただ閉まっているだけならまだしも2日券を見せて今日しか使えないと言ったのに例外扱いもないのです。腸煮えくり返りました。あの旗を持ってたツアーが入れたのか確認していませんが入れなかったら会社が賠償です、クレームが来るから断らないでしょう。締め出したのは文句を言わない個人だけでしょうPrivateと書いてあったし。
別館の混雑具合からして朝から入れなかったと想像してたがやはりそうだった。
15:55 そして昨日締め出されたメンシコフ宮殿にやってきましたメンシコフ宮殿 城・宮殿
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全体像も腹が立って撮ってないの
G.フォンタナ《1670-?》
J.シェデル《1680代-1752》
メンシコフ邸《1710-1721》
ペテルブルグで最初に造られた石造りの建物の一つであり、ピョートル時代の貴重な記念建築物でもあるメンシコフ邸は、長期に渡る修復工事の後に1977年にエルミタージュに移管された。現在、エルミタージュのロシア文化史部門の一部となっている。(土産本) -
下にある肖像画の説明です
A.=D.メンシコフ 1716-1720
《作者未詳》カンバス、油彩
A.=D.メンシコフ《1673-1729》は国政の要人として政治および軍事方面で活躍した。1707年に公爵の位を得、1727年には元師となった。ピョートル一世の改革を大帝と共に推し進めた盟友であり、国政に関しても大帝の右腕として働いた。サンクト・ペテルブルグ初代市長。ピョートルの生前は皇帝として絶大な権力を誇ったが、大帝死後、その孫のピョートル二世が帝位に就くと、その不興を買い、陰謀を企てたとしてシベリアに流刑になった。メンシコフ公爵が自邸に保有していた絵画と彫刻、そして工芸品から成る第一級のコレクションは、彼の流刑の後は帝室の所蔵となった。(土産本) -
Kitchen(3)
キッチンではお祭りのために食べ物が用意されていました。 この宮殿は、往々にして、大量のいい食事を多数の客に提供する「集会」のために使用されました。「プリンスのところより大勢の人にいい食事を出す食堂はサンクトペテルブルクにはどこにもない」と当時書かれている。ここのレンガのストーブフードは1700年代初頭からの生き残りです。 その下のレンジは、同時代のオーブンストーブから類推して、古いレンガを使って再現されました。 -
Large Chamber(6)
部屋は公式のレセプションに使われました。 ここの壁には1677年からイタリアの5セットのタペストリーが飾られています。マケドニアのペルセウス王の人生を表しています。ペルシャの絨毯のテーブルクロス覆われたテーブルには、ペルグラム ポソルト(Pelgrom Potholt)によってアムステルダムで作られた銀製のワインクーラーがあります。メンシコフ家にはこの宮殿の素晴らしさに見合う全てのもの、あらゆる種類と形の銀製品があった。 -
すごいものを見て落ち着いてきましたw見栄えだけでなく暖房を逃がさないために大きなタペストリーを飾っているのですね。よっぽど寒かったんですね。
これは伝統的なチェストに代わる新しいタイプのヨーロッパの家具です。ここには彫刻や絵画も展示されています。
壁には2つのしっかりしたくるみ材のワードローブがあります。 -
Main Vestibule(7)
見づらいですがイタリア人彫刻家Rastrelli, Bartolomeo Carloが作ったメンシコフ像です。玄関に置いてあります。 -
2階に上がってきました。控えの間(12)です。
この部屋の豊かな装飾は天井部分のみ現存しています。ストライプのモールディングと古代の女神デメテルとテミス(Demeter and Themis)が描写された8つの漆喰の浮彫があります。秘書の作業場として使われていました。これはクルミ材のライティングデスクです。オランダ式樫の木の作業机もあります。 -
Reception Room before the Bedchamber(13)
寝室に通じるこの控え室は、総督の公式の応接室として使用しました。
壁と天井にオランダのタイルが敷き詰められた1720年代のからの装飾が保たれています。妻Darya(発音はダリア)とメンシコフ公爵の肖像です。
通路を挟んでメンシコフの妹アンナの肖像があります。 -
Study off the Anteroom(14)
宮殿にはオランダタイルを使ったオリジナルの装飾を持つ部屋が4つありますがこの部屋はメンシコフの海と航海への関心を反映する物で飾られています。 -
ヴァルヴァラの部屋(15)
立派なストーブもあり妻の部屋より全然豪華や、とウケました。
メンシコフの妻の妹だか姉だかVarvara Mikhailovna Arsenyevaの部屋です。彼女のモノグラムを表現した漆喰のオーナメントが天井にありラテン語でヴァルヴァラは知的でよく教育を受けた女性でメンシコフの子供たちの面倒を見たとあります。 -
ところどころにあるタペストリーも必見です。
やっぱりソファなんて無いよねえ -
ピョートル1世の肖像画が飾ってあるWalnut Study(17)です。
光っちゃってどうしようもないです。
G.フォンタナ《1670-?》, J.シェデル《1680-1752》
メンシコフ邸 クルミ材の書斎 1717
メンシコフ邸の設計図の作成者は未だに確定されていないが、1703年にイタリアからロシアに出仕したジョバンニ・フォンタナだという説が最も優勢である。邸内各室はどれも明るく広々としていて、いくつか縦列に縮まっている。ピョートル時代の例に漏れず内装は豪華で、デルフト陶器のタイルや高価な南洋木材が多用されている。このクルミ材の書斎は修復を終えている部屋の中の精華であり、壁を飾る木彫りの羽根板の暖かい色合いに金鍍金の文様装飾が美しく映える。極めて保存状態の良い天井画にはピョートル一世が古代神の姿で描かれている。書斎の内装の仕上げともいえるのが、部屋の隅のデルフト陶器製タイルで覆われたペチカだ。(土産本) -
Great Hall(18)
新しく設立されたサンクトペテルブルクの最も重要な行事が大ホールで祝われました。ピョートル大帝によって設立された懇親会「集会」のためにセッティングされることがよくありました。18世紀最初の数十年間はホールは1階建てでした。 100人以上を収容できます。 -
時計が組み込まれたポジティブオルガンだそうです
時計版の中に天使の顔が -
Western Antechamber(19)
西の控えの間の元の装飾はメンシコフの妻ダリヤのアパートの一部だった。その壁には装飾布が裏打ちされています。 17世紀手織りから再現されています。輸入家具、中国陶器、銀製品で飾られています。肖像画はメンシコフの妹(姉)マリアとアレクサンドラです。 -
壁紙可愛すぎるよー、じっと見るとなんかの顔みたいに見えてくるけど。
日中なのに部屋の中とても暗いんですよ -
Prince's Bed Room(21)
プリンスの寝室は18世紀第一四半期で最も優れている選ばれた中国絹で飾られています。 -
中国の陶器がほとんどです
陶器=China の時代ですし(知らんけど)
偶然撮影しましたが両下にあるのは日本の壺だそうです。 -
珍しい壁紙ですが中国の古い文学”The Water Margin(水滸伝)”を題材としてとっているのだそうです。
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Stury with Paintings (22)にはスバラシイ絵画が多く展示されているが天井にあるピョートル1世が一番目立ってる足みじかっ
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メンシコフ宮殿の売店はカードが使えなかったんだけどお土産物安かったです。在庫限り1点物のメモ帳@30RB×4、それと自分用最大の戦利品はここの売店で見つけた
旅行記(4),(5)の(土産本)と書いてある部分の説明はこちらから引用いたしました。「エルミタージュ 建物とコレクションの歴史」、ビニール袋に入ってほこり被ってました。売店おばちゃんが埃をフーと吹いて笑ってました。一点物で990P、新品同様でした。 -
Alfa-Colour出版、2001
フィンランドの会社みたい
その前のページに2004とあるので日本語版出版年かも知れません
ISBN 5-900959-79-1 まったくヒットしません。 -
みてくださいすごい迫力でしょ。回廊、実物より大きく見える
こんな本日本じゃなかなか売ってねーべ
他の言語が高かったのに日本語だけずっと売れなかったのか安かったのですよ。ネットばっかりやって本は買わない時代だもんねえ。でもロシア人は電車でも本読んでる人多かったんよ、だからなのか眼鏡もかけてないし -
こんなのみてしまうとまた行きたくなってしまうよ
30.5×24.5、厚さ2.6cm、重さ2kg弱ありましたw -
歴史や経緯が詳しく書いてあるページもあります。
日本ではロシアの美術館本は少ないので大満足です
ホーホーとうなづく有難さ -
写真が大きくて文字は少な目
自分が撮った写真がショボすぎたので助かります -
特に見れなかった部分はこれで補いますわw
悔し紛れに自慢しました -
エルミタージュ本館の土産物屋で150Pで買ったカレンダー、こちらは100Pでした。あっちはカード使えるけど。どうですかいいでしょーw2019まであるからまだまだ使えますここの売店お得だよ!
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ネフスキー通りが渋滞していてなかなかバスが進まなかったので途中下車して欧州2番めかなんかに深い地下鉄であるアドミラルティスカヤ駅から見学がてら電車で帰ってみたんですが写真もありません。確かに深かったのですが(エスカレーターに一度降りてまたエスカレーターがあった)ラッシュアワーで気分が悪くなりました。ホテル近くのモスクワ駅。最後の夜です。モスクワ行き近いのに飛行機なんです
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ロシアだからキャビア安いと思ってたのにスーパーみただけだけどやっぱり高くて手が出ない。
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20:35 ラウンジ行ったらまた会えたねハッピーとかお姉さんに言われたけど覚えておらず微妙なリアクションをしてしまった。毎日違う人で良かった、と思ってたけど。エルミタージュの件、お姉さんにまで不満をぶちまけたが代わりにどこか行った?メンシコフ行ったと言ったらじゃあいいじゃんみたいなwこっちはいつでも行けるおめーらと違うんじゃ。
悔しいがスタッフが全員美男美女。豪華ホテルも5泊も終わりか。ネフスキー通りに泊ってるのに散策しなかったのは飲んだくれてたからなの。
ランチの量が多くておなか一杯だったのかな、夕食に出なかったみたい。なんだか疲れすぎた。この時想像した、今日夜間9時まで見学してたら明日起き上がれなかったかも。(震え声)
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