2018/10/02 - 2018/10/02
1340位(同エリア1810件中)
tacossさん
- tacossさんTOP
- 旅行記30冊
- クチコミ5件
- Q&A回答2件
- 33,058アクセス
- フォロワー1人
滞在4日目にしてやっと念願のエルミタージュ美術館本館鑑賞となります。レストランは軽食しか無いので一度外に出るため午後はチケットで入れるピョートル大帝冬宮、メンシコフ宮殿も行っときます。
9月29日(土)JAL421成田→モスクワ S7航空JAL7171モスクワ→サンクトペテルブルク
https://4travel.jp/travelogue/11413246
9月30日(日)ペテルゴフ宮殿(夏の庭園)宮殿見学なし、バレエ鑑賞①
https://4travel.jp/travelogue/11413324
10月1日(月)カザン聖堂、血の上の救世主教会、聖イサアク大聖堂、バレエ鑑賞②
https://4travel.jp/travelogue/11413748
⇒10月2日(火)エルミタージュ美術館本館、ピョートル大帝冬の宮殿、メンシコフ宮殿
10月3日(水)エルミタージュ美術館別館、メンシコフ宮殿
https://4travel.jp/travelogue/11414677
10月4日(木)S7航空でモスクワへ移動、オペラ鑑賞
https://4travel.jp/travelogue/11414776
10月5日(金)セルギエフポサード、モスクワ川クルーズ、プーシキン美術館欧別館
https://4travel.jp/travelogue/11415748
10月6日(土)武器庫込クレムリン、JAL422便で帰国 10月7日(日)成田着
https://4travel.jp/travelogue/11416343
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10:12 今日は旅行の最大目的エルミタージュ美術館です。正面入口並んでないじゃんか。1分前の写真には写っていた何かの集団もいつの間にかいなくなってる
-
10:15 2日券を購入しておりますので予約者専用入口へ参りました。休み明けの火曜日、混雑を予想し中のレストランがしょぼいということもあり私たちは旧新小エルミタージュを「ざっと」見て、残りは1階と3階を2時ぐらい迄に見る作戦でした。明日の夜間開館で空いている状態の時オーディオガイド借りてゆっくりと冬宮並びに再度新旧小2階を見ようと企てたわけです。いい作戦だ!
-
正面入口と違いこっちの入口はガラガラ予想してたけど
-
歩いていくうちに
-
え、予約者こんないるの?
正面のが空いてるじゃないか -
ほとんどが中国人だ。
中国人、ちょっと空間があっても割り込みしてこないな
川側に抜ける反対側の門が空いていて通行できることことを確認した。
渡り廊下観光客がもう歩いてるじゃん。脱ぐには寒いけどダウンコートを丸めてカバンにしまい準備完了 -
10:38 早めに入れるとかはないみたいです
ここは入ってすぐの荷物検査
中国人がペットボトルを捨てるよう言われてたの私も自ら捨てたけど黙ってれば見つからなかったかも。ゴミ箱に水捨ててたの私らとその中国人だけだったんだもん -
すぐにクロークがあります。
-
予約者側にもオーディオガイドカウンターがありました。
-
人の流れに沿っていけば良いです。
-
大使の階段手前のオーディオガイドカウンターには人はおらず
-
その反対側で貸してました。
-
10:49 やっぱり混んでるわ、すでに人だかり。頭上のティツアーノだけは頑見しとこ。金箔の貼り方がペテルゴフと比べものにならない丁寧だ。ここら辺にインフォあって無料の館内図あるんではないのか。見当たらないんだけど
冬宮中央階段《ヨルダン階段》
冬宮の中央階段はB.=F.ラストレッリの設計によって建設された。1837年の火災後、この復元に当たったV.=P.スターソフはバロックの内装をそのまま残した。最初の踊り場までの部分は厳かにほの明るく、その後に続くその後に続く階段主要部とは対照を成す。そこでは光があふれんばかりの空間が鏡の中に反射を繰り返しながら横へと、そして天井画の偽りの空に向かって上へと、増幅するかのように広がっていく。18世紀、階段正門には金箔の塑像が飾られ、手摺子にも金箔が施されていた。そして、2階の柱廊天井は、組になったバラ色の人工大理石からなる円柱に支えられていた。内装の復元に際してスターソフは何か所か変更を加えたが、特に光量の対照を強める目的で下段の窓を作った。バラ色の円柱に代えて、一枚岩から掘り出された鼠色のセルドボリ産花崗岩の円柱を設置し、木彫の手摺子の代わりに重厚な石手摺を配した。燃えてしまった天井画の代用品として、スターソフは冬宮の倉庫にしまわれていた中から、一時冬宮の一室を飾っていたという18世紀のイタリア画家ディッツィアーニによるオリンパスに集うギリシアの神々を描いた絵を選んだ。(土産本) -
大きい女性像の部分です
A.=タリイピエトロ《1670-1747》?
彫像『主権』18世紀初 代理石
A.=D.メンシコフ公爵が1717年から1718年の間にヴェネチアで購入したものと推定される。初め、公爵の邸宅の庭園にあったが、夏の庭園に移され、さらに1837年の火災後は冬宮中央階段踊り場の装飾に使われるようになった。階段を飾っていた彫刻が全焼したためだ。王冠を戴き、天秤や剣を持っていることから、主権の寓意像というよりは、むしろ正義のそれかと思われる。(土産本) -
ティツアーノすごい。大使の階段上った2階にもオーディオガイドカウンターあり。ワクワクするけど焦るな焦るな。今日はザッだしな
-
10:57 え、嘘でしょ孔雀時計、人いない
エルミタージュ内部地図のダウンロードがあったので数年前の古いのだけど出発前に印刷して持ってきてた。それが無かったらこんな早く来れないもん。だからかな。
J.コックス 18世紀後半、イギリス
北の離れの内装は19世紀中庸に抜本的に改装されてしまう。エカテリーナ二世の時代には小さな部屋がいくつかあった所に、白大理石が美しいパヴィリオンの間ができ、その中央に18世紀にイギリスの有名な時計氏コックスによって制作され、ポチョムキン公買い付けた大時計「孔雀」が設置されている。この時計はペテルブルグに搬入された際には分解されていて、1792年にI.P.クルービンというロシアの機械工芸者が組み立てるまではこの精密機械を誰も稼働できなかったというのは有名な話だ。もともとタヴリア宮にあったが、ポチョムキンの死後、エカテリーナ二世の手元に移った。木の根元と鳥たちの内部にある仕掛けのぜんまいを巻くと、この舞台芸術のような機微に富んだ幻想的な見世物が魔法のように動き出す。(土産本) -
ダヴィンチんとこも中国人2人いるだけだよどうなってんだ?
A.=I.シュタケンシュナイダー《1802-1865》
レオナルド・ダ・ヴィンチ展示室 Map214
この部屋はイタリア絵画が掛かっていたことから19世紀にはイタリアの間と呼ばれていた。1858年から1860年にかけてシュタケンシュナイダーは旧エルミタージュの縦列の全室を改装して、第七予備私室を作った。エルミタージュが誇る偉大なるダ・ヴィンチの名画2点が置かれているこの部屋には、17世紀フランスバロックを真似た装飾要素がふんだんに使われている。戸板には?轜甲と鍍金金属からなる模様細工が施されているが、これもフランスのブルという技術を真似たもの。各扉の上にはロシアの大将軍たちを描いた円形の浮彫が飾られる。(土産本) -
L.ダ・ヴィンチ《1451-1519》
聖母子《リッタのマドンナ》1490年頃 カンバス《元 木板》テンペラ 42×33
1482年、ダ・ヴィンチはミラノ公ロドヴィコ・モロに召し抱えられ、そこでイタリアで伝統的に使われていたテンペラの聖母子像を制作する。この絵はミラノの寄贈A.リッタに所有されていたため、『リッタのマドンナ』と呼ばれるようになった。このような完全なる肉体美が精神性や信仰心と一体となった美こそ、盛期ルネッサンスが目指した理想だった。 -
うわーすごいオーラ放ってる。窓塗りつぶされたんだろうな何が描いてあったんだろう。後ほどここをじっくり見ておいて本当に良かったとなる・・
花を持つ聖母(ブノワのマドンナ)1478 カンバス《元木板》油彩49.5×31.5
ダヴィンチのこの名作がペテルブルグに持ち込まれたのは全くの偶然だった。この絵は元々アストラハンの貿易商サポージニコフのものだったが、後にその娘婿の建築家L.=N.ブノワの手に移り、ペテルブルグで保存されることになったのだ。この絵をアストラハンで放浪のイタリア人音楽家からとサポージニコフは人に話していたとも言われたが、後世、この説は聞こえの良いただの言い伝えと判明した。ダ・ヴィンチ初期を伝えるこの作品がどのようなわけで、いつロシアに流入したのかは未だ分かっていない。イタリアの天才ダ・ヴィンチが当時まだ普及し始めたばかりの油絵具を使って書いたもの。(土産本) -
11:16 ラファエルの回廊
本物のバチカン美術館見た人はどうだろう・・
また本物を見たくなりました。視力悪くなってるし感動も薄くなってるのでね。
壁絵の文様はいわゆるグロテスクで、様々な想像上の生物、鳥、魚、蝶々、花、つる草、そして人の不可思議な姿から成っている。正確な左右対称の構成にも関わらず、同じ絵柄が繰り返し使われることのないため、壁絵は生き生きとして道性を失っていない。(土産本) -
L.フォン・クレンツェ《1784-1864》
騎士の間馬上の騎士団 Map243
クレンツェが当初帝室の古銭およびメダルコレクションを展示するためにデザインしたこのホールでは、現在15世紀から17世紀西欧武器・武具が置かれている。壁や天井は豊潤たる装飾文様と人工大理石の羽目板で、そして床は高級木材を使った寄木細工で彩られている。競技会用あるいは実践用の千差万別の鎧や、両手で持った太刀から上品な三稜小剣まで揃った刀剣、盾、アーチェリー、兜、そして大小の火縄銃の入った展示ケースが壁に沿って立ち並び、展示の核として完全武装の騎馬軍団が雄姿を誇るこのホールでは、イタリア、フランス、ドイツ、そしてイギリスの武器職人たちがどれだけ高度の技術を持ち、創造性に満ちていたかを知ることができる。(土産本) -
11:32 ルーベンス部屋空気が違う
めちゃテンション上がる
最高峰の傑作が部屋にずらりと数が多くて上下にも展示
見慣れない光景 -
P.=P.ルーベンス《1577-1640》
大地と水の融合 1618頃 カンバス 油彩 222.5×180.5
Map247
この寓意画は命の源である大地と水の融合を称えている。大地はキュベレに、水は海人ネプチューンによって象徴される。この絵を通じてルーベンスは愛する祖国が直面していた最も重要で危急の問題を提示し、フランドルの貿易にとって致命的だったオランダによるシェルド川封鎖が説かれるよう自分の希望を吐露した。(土産本) -
レンブラント《1606-1669》ダナエ 1636 カンバス 油彩 185×202.5
Map254
この作品はレンブラントの代表作の一つとして名高い。古代ギリシア神話によれば、アルゴス王の娘、美女ダナエは一生を一人で過ごす運命にあった。孫の手にかかって死ぬだろうと神託を受けた父王アクリシウスが彼女を塔に幽閉したからだ。しかしダナエの美しさに惑わされた主神ゼウスが黄金の雨に姿を変えて塔に忍び込み、その結果英雄ペルセウスが生まれる。そして、競技会の際にそれと知らずにアクリシウス、つまり自分の祖父を殺してしまう。1985年、この作品は精神異常者の手によって硝酸をかけられ、ナイフ傷を2か所に受ける。損傷はひどく、この名作の美術品としての歴史は幕を閉じたかに思われた。しかし、エルミタージュの修復員による12年間の必死の努力の末、ダナエは蘇り、展示室に戻ることを得た。(土産本) -
見所に選ばれるほど傑作だったのか。中国人が溜まってました。去年上野に来てた時は気づきませんでしたが左上にも人がいたのね全部で6人?
レンブラント(1606-1669) 放蕩息子の帰還 16668-1669 カンバス 油彩 262×205 元ダンジュン公爵(パリ)蔵
交差する感情の緊迫感が限りない深みを作り出すこの作品は、レンブラントの遺言として受け止められることもできる。病んで誰からも省みられることもなく、愛する者全てに先立たれた画家は、この作品によって、何もかも認めて赦すという高尚な、真実のキリスト教的人間愛の観念を表現した。再開の場面は表面的には極めて簡略に描かれている。老人とぼろぼろになった服を着た貧しい旅人が、ただ言葉なく抱き合っているばかりだ。
老人は面持ちこそ落ち着いて見えるが、息子の肩に愛情を込めて優しく置かれた両手からは、老人の内にあるあらゆる感情が伝わってくる。眼前に繰り広げられるドラマの衝撃と感動に周囲の者は傍らで立ち尽くすことしかできない。(土産本) -
重厚に見せてるのはなんたってこの孔雀石の深い緑色よ
Map206番 A.=I. シュタケンシェナイダー《1802-1865》
議会階段 19世紀中葉
旧エルミタージュ1階の数室を議題とした法制審議会に因んで名づけられた議会階段の2階ホールは、それ以前はI=M.フェルデンが1780年代に作った楕円の間だった。この階段ホールの扉はそれぞれ小・新・旧エルミタージュ棟と繋がっている。(土産本) -
すぐ近くにありましたが家具にするとこんな感じになる。とにかくド派手が好きなんでしょうか
黒が少しだけ入った地味なのもありましたけど全然そっちのが良かったです。ガラスを上に敷かないと傷がつきそうで怖くて使えません。鑑賞用になっちゃいます -
Map206番 A.=I. シュタケンシェナイダー《1802-1865》
議会階段
シュタケンシェナイダーは軽妙で控えめな上品さを持ち併わせたスバラシイ内装を創作している。長く、傾斜の強い階段を造ることができたのは、この時代から初めて利用され始めた金属材のおかげだった。大理石の段は鉄枠の上に敷かれていて、文様をなす浮彫装飾はその金属の部分を隠す役目を負う。壁の上張りは白色とピンク色の人工大理石。(土産本) -
廊下にずらーと絵画と彫刻、ただただ圧巻です
しかもなんかメルヘンきゃわ。こういう柄のカーテンよく売ってるわ
ストリートビュー 59.941579, 30.316886
Map241
L.フォン・クレンツェ(1784-1864)
古代絵画史の長廊下
クレンツェは、この長廊下によって、古代絵画の発展と現代まで残らなった古代の偉大なる画家達のいくつかの作品を紹介しようと考えた。そので、86の主題を選抜し、H.ヒルテンシュパーガーという画家に装飾板を作らせ、長廊下の四方の壁に飾った。これらの絵は蝋焼付という古代の技法を真似て銅版に蝋絵具によって書かれている。古代絵画史の長廊下では、18世紀末から19世紀初めにかけて活躍した新古典主義の双璧A.カノーヴァとB.トルヴァンドセンの作品が展示されている。(土産本) -
この後階段で3階に行きました
ロシアの昔の硬貨です。オリンピックメダルとかロシアに関するもの
見るべきようなものはありませんでした。 -
3階の絵画が別館に移動したのは知ってましたが
敦煌石窟の壁画とか日本美術も見れないの?
ダウンロードした地図が古いのと無料の地図が貰えなかったことで混乱しましたが無料の地図でも3階閉鎖になっているのでしょうか。
〇で囲んだ部分以外は入れませんでした。 -
1階に降りてきました。大人気、大迫力、コルヴァンの飾り鉢
飾りなのかw分解できるのかw
ストリートビューは 59.941216, 30.316490
Map128
コルィヴァニ壺 1847
ロシア石彫芸術の最高峰コルィヴァニ壺は新エルミタージュ2階の展示室の飾りとして制作された。しかし19トンという重量のために予定通りの場所に置くことができず、1階の古代美術展示室の一つに飾られた。
アルタイの研磨工場ではこの壺の制作に12年もの月日を投じた。高さ2.5メートル以上、一枚岩から成る碗の直径は約5メートルにもなる。それぞれ一枚岩から掘り出された五つの部分から成り、分解できるようになっている。(土産本) -
L.フォン・クレンツェ《1784-1864》
十二円柱の間
Map130
壁の上方に施された12の装飾がは絵壺の柄図柄を使ったもの。
19世紀中葉に美術館として作られた内装を唯一手つかずのまま残す貴重なホールである。 -
ギリシャの壺って日本の美術館でよく見るから有難みがなくて・・
壺も円柱も撮ってないが床のモザイクは見事。
古代の絵壺の展示用として造られたホール。
古代美術に精通していたクレンツェにふさわしく、古代のモチーフは内装を取り入れている。2列に並ぶ円柱は天井の梁を支えており、天井は古代ギリシャの神殿のように碁盤状に区切られている。 -
Regina Vasorum or Queen of Vases
高さ65.5cm 紀元前4世紀
かなり見づらいですがちょうど通りかかった日本人ツアーのガイドが一番古いと言ってたので撮影しましたが検索してもそんな記述は無く、前6世紀のもあるから聞き間違いですね。でもこれだけ大事そうにケース入ってたから気になったんです -
Map107
現在、ジュピターの間ではローマ肖像彫刻が展示される。部屋名はかつて主神ジュピター像に由来する。この部屋では19世紀に西欧彫刻が飾られていたことから、アーチ型の天井にミケランジェロやトルヴァルドセン・カノーヴァ、マルトス、そしてラウフというヨーロッパとロシアの代表的芸術家の高浮彫が施された白い浮彫の飾板が嵌められている。(土産本)
ジュピター像 前1世紀、大理石、石膏
19世紀にローマ近郊で古代神殿が発掘された際に出土したジュピター像。紀元前5世紀の大彫刻家フェティウスの代表作の一つに数えられながら、現存しない古代作品を元とする。フェティウスのゼウス像は象牙と金でできていたのに対し、エルミタージュのジュピター像は当初大理石と鍍金木材を使っていた。しかし、木材は保存されず、その部分は木を真似て着色された石膏に替えられている。
写真撮るとしょぼくなるけど実物のが威厳あった
Googlemapの場所 59.941216, 30.316490 -
copyて書いてあるからほぼ素通りしてしまったのですが
複製=最近作った劣化版のイメージに騙された
解説書にエルミタージュ古代彫刻コレクションの華とか書いてあるし
ダヴリアのヴィーナス《ギリシア時代の作品の複製品》
前3世紀. 大理石
夏の庭園を本物の古代彫刻で彩ろうと考えたピョートル一世によってイタリアで購入された。発掘によって出土したこの彫刻の価値があまりに高かったため、イタリア当局がロシアに持ち出す許可を出すまで数年を要した。初めは予定通りの夏の庭園内の屋外の東屋に置かれたが、その後、ダヴリア《クリミア》公ポチョムキン邸に移った。ダヴリアのヴィーナスと呼ばれるのはそのため。(土産本) -
天使が無表情に持ち上げてます。上もちゃんと見ないと損です。
Map109
L.フォン・クレンツェ
ダヴリアのヴィーナスの間
彫刻の展示のために作られた1階の各室は簡素で威厳に満ちていることが特徴である。クレンツェの構想に従って、これらのホールの壁は特殊な製法《セメントと大理石の粉、そして着色剤から造られるいわゆる大理石セメント》によって作られた様々な色の上質の人工大理石で上張りされている。ダヴリアのヴィーナスの間では、古代ローマの大理石像が赤い壁によく映えて美しい。このホールの採光は、壁面上方2段に設けられた窓によって実現される。(土産本) -
窓から見える銅像があまりに苦しそうだったので上の天使が気になったのです
-
この支える銅像はGoolemapにアトランティと書いてある
A.=Iテレベネフ
新エルミタージュ正面玄関廊
男性柱 1840年代、花崗岩 -
これはすごい顔だな
詳細不明ですがギリシャ神話でしょうね
何かと格闘してるのかな -
Heracles Slaying the Lion of Nemea-Hermitage
1st-2nd century Roman copy of Lysippus' original
こちらもギリシャ神話かな、と思ったらやはりそうでした
ヌメアの獅子を締め上げるヘラウレス
Map115,116付近 -
後ろ見て爆笑
なんつー顔してん。ジャレてんのかっ
本日のBestではないがMustだ -
110番から続いている中央階段がとても美しく、1階の地図だけを見ているとどこに続くか分からなかったので様子を見に上りました。241古代絵画史の長廊下に戻りました。
A.カノーヴァ《1757-1822》
アモルとプシケ 1796 大理石
新古典主義の名匠カノーヴァがこの作品で描いているのは、古代神話に登場するアモルとその恋人プシケの物語のクライマックス部分である。アモルの母ヴィーナスはこの美しい娘を亡き者にしようとした彼女にハデスの地下王国から「神の美」に入った小壺を取って来させる。禁じられていたにも関わらず、好奇心に負けて壺の蓋を開けてしまったプシケは、気を失ってはたと倒れる。壺の中身は実は「神の美」ではなく、永遠の眠りだったのだ。そこにアモルが舞い降りてきて彼女に口づけをすると、乙女は目を覚ました。(土産本) -
14:00 1階と3階、2階は半分をざっとみて後は明日冬宮みましょ
美術館を後にします。
メニューがグヤーシュだったのでまた昨日と同じTeploに来てみましたw
入場したのとは逆の川側の門から出てバスに乗って来ましたテプロ 地元の料理
-
14:20 昨日と同じお姉さんが来て混雑しているからカウンターで少し待ってほしい、空いたら移動できるから、と言ってくれました。英語ペラペラや
待ってる間、また普通のメニューをよこしてきた。決してランチメニューをくれない。無いのかな?でも顔を覚えていたようでランチよね?と今日のメニューは何とか何とか笑顔で応対。 -
グヤーシュ、ミモザサラダ、サワークリーム入ったスープ、私はクリームスープにした。ビールとカフェラテ、Kiselleというベリージュースはランチ無料サービス、チップ込1300P
昨日と違っておいしくて大満足 -
15:54 疲れたんでダラダラしてた上にバスが来なくてK252に乗ろうとしたら4日券使えなくて後から考えたら40P払えば良かっただけなんだけど動揺して降りてしまった。60Pのペテルゴフ行きには乗れたのに都会はダメなのか。歩くけど別の路線でエルミタージュ最寄りバス停で下車。
-
次に行くのはピョートル大帝冬宮殿です
地図の右になります。Tripadvisorにエルミタージュ本館冬宮と間違えて書き込んでる人多数。1日券だとまず行かないでしょうね。入口は川沿いエルミタージュ劇場のさらに東です。ピョートル大帝の冬宮殿 城・宮殿
-
かなり分かりづらい入口です。ピンポイントで調べて行かないと大体では迷うでしょう。見学時間無くても30分で十分です。
-
16:03 扉開けていきなり金属探知機と荷物検査
中国人も日本人も来ない -
逆走したようでまずワインセラーがありました。
巨大な柱と低いレンガのアーチは、ピョートル大帝冬の宮殿セラーの生き残った部分です。18世紀後半に劇場が建設された時、このスペースは建設廃棄物で一杯でした。 それが取り除かれると、エルミタージュの建築家達はオランダとロシアのタイルを見つけ、粘土ランプ、オランダの粘土パイプ、壊れたガラスと陶器、18世紀の未開封のワイン瓶さえも発見され展示されています。壮大な中庭に面したセラーの南壁には、鍛鉄製グリル付きの2つの狭い水平の窓が開けられていました。 -
1741年、ロシア皇帝エリザヴェータ(エリザヴェータ・ペトロヴナ)を王位につかせるための宮殿クーデターの間、援助をしてくれた感謝の印として、1749年、父の元宮殿を、Life Guards PreoBrazhensky 連隊の最初の擲弾兵部隊の退役軍人用宿舎として使用された
-
ピョートル1世の馬車
1720代初
ニレ、オーク、マツ、ビロード、鉄
(土産本) -
これはそりでしょうが分かりません
先端に口を開けた耳の大きい悪魔みたいなのが付いてます。魔除けでしょうか -
何故鉄格子が必要なのでしょうか
K.B.ラストレッリ
《1677-1744》ピョートル一世蝋人形 1725
蝋、木
大帝没後に妻エカテリーナ一世が彫刻家ラストレッリに作らせた蝋人形。
ピョートルが息を引き取った直後に顔は蝋で、手と足は石膏で形を取ったため、実際と正に寸分違わない。蝋人形といっても蝋製なのは顔と手足だけで、その他は木でできている。銀糸の刺繍が施された礼服、赤い綬の聖アンドレ勲章、そして靴など、着用しているものは全て2メートル4センチの長身を誇ったピョートル自身の所持品である。そればかりでなく、かつらに至るまでピョートルの地毛でできている。現在、この人形は1970年代にエルミタージュ劇場地下に復元されたピョートル一世宮内に展示されている。(土産本) -
ピョートル一世冬宮殿食堂
ピョートル一世のために建設された三つの冬宮のうち最後となったこの冬宮は、エルミタージュ劇場建設時に部分的に破壊されており、残った部屋部屋も内装は残っていなかったため、どの部屋がどのような用途に使われていたか分かっていない。修復を終えて実現された食堂にはピョートルの時代に普及していたであろう物品が、エルミタージュの収納物の中から例示のために陳列されている。中近東の絨毯が掛けられた食卓には、銀食器と修復の際に建設のごみの中から発見された未開封の18世紀初めのワインボトルが載る。(土産本) -
見づらいのでHPから
左下がワインボトルです。 -
旋盤工場/ろくろ細工部屋
大帝は貿易商であったが熱心な旋盤に情熱を傾ける技師でもあった。皇帝陛下自ら旋盤で金物を削って銃砲を作ったりもした。多数の工具とストーブがあります -
ピョートル一世の死を悲しむ部屋です。
ピョートル大帝葬儀に捧げられた展示品は、かつて宮殿のCavaliers' Hall と前庭の壁の一部に繋がっていた階段のアーチ型天井により形成された小さなホールに置かれています。すべてのデザインと図面はNicolas Pineau作。左のピョートル大帝冬宮殿の風景は作者不明です -
16:30 小さい施設なので20分強で見終わりました。時間がなかったのでかえって良かったです。
次はメンシコフ宮殿に行くのですが5番バスと案内あるから乗ったけどバスと電気バス?(線路がないので路面電車ではない?)が方向違うのに番号重複してるから違う方に乗っちゃった。右に曲がってペトロパブロフスク要塞が見えてきた。時間がないのにどうする -
すぐに降りれば良かったのだけれどいずれ周回して戻ってくると確信もないのに乗り続け
17:17 Google Mapの入口は今回も間違ってた。
通れるのに大回りの案内したりロシアではgoogle mapが間違っていることが多かったです -
メンシコフ宮殿はすでに半分ぐらい閉鎖されていて私らが見学開始すると後ろからバッタバッタと閉め、なにやらギャーギャー急かされながらゆっくり見れる状態じゃありませんでした。入館の時に言えや!この施設については少し写真に撮った部分も含め次の旅行記でまとめます。
予定外に翌日も行くことになったのです。本日は18時閉館ですはい -
18:40 他の店を偵察していないので本当にお得だか分からないウラジミルスカヤ駅近くの土産物店(Matreshka Tanushka)にまた来てみた。結局3回行ったが本当にお買い得だったのか最終旅行記に写真でまとめます
-
ロシア旅行中全部で6回スーパーに行ったが他にはどこにも置いてなかったクノールボルシチ味があった。戦利品である。半分ぐらい買い占めた(だから置かないのかなあ)。
ウラジミルスカヤ駅近くのスーパーです -
ラウンジで一杯飲んだ後疲れ切ってこの日は22から0時ぐらいに寝ていたはずです。クセになったクバス黒パン味の炭酸
次
https://4travel.jp/travelogue/11414677
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
サンクトペテルブルク(ロシア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
66