2018/09/03 - 2018/09/03
170位(同エリア781件中)
ケロケロマニアさん
- ケロケロマニアさんTOP
- 旅行記689冊
- クチコミ12309件
- Q&A回答10件
- 2,290,397アクセス
- フォロワー89人
この旅行記のスケジュール
2018/09/03
-
-
徒歩での移動
-
電車での移動
IGRいわて銀河鉄道
-
電車での移動
IGRいわて銀河鉄道
-
電車での移動
青い森鉄道
-
電車での移動
青い森鉄道
-
徒歩での移動
-
徒歩での移動
-
電車での移動
青い森鉄道
-
電車での移動
青い森鉄道・快速しもきた
-
電車での移動
JR大湊線・快速しもきた
-
徒歩での移動
-
徒歩での移動
徒歩&一駅だけJR大湊線
-
徒歩での移動
-
徒歩での移動
-
バスでの移動
下北交通(路線バス)
-
電車での移動
JR大湊線
-
電車での移動
青い森鉄道
-
徒歩での移動
-
徒歩での移動
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
前旅行記では盛岡まででしたが、本旅行記は前日に使用開始した北海道東日本パス旅程の二日目、いよいよ北海道に戻る前日の旅程、岩手県域から青森県域に至る旅程を綴らせて頂きます。
この日は、途中、某〇ゃらんの遊び予約にて、温泉+昼食プランを予約していたのですが、予約時刻までは少し時間があったので、まずはIGR沿線で一度途中下車、そして、予約先に移動して、食事と温泉を楽しんだ後は、同じ青森県内でも、何と20年以上も足を運んでいなかった下北半島域へと向かう大湊線に乗車となります。
個人的に、良い意味でも悪い意味でも沢山の思い出がある下北半島。ここには大学院生時代のトラウマが色々とあって、敢えて暫く避けて通っていた節があったのですが、そろそろ”喪”も明けた頃かと、今回は短時間ながら、むつ市域界隈を少し散策することが出来ました。
そして最後は北海道に向けてのフェリー乗り場まで移動する、という旅程が本旅行記の流れとなります。今回は色々と自省したい部分が多い旅路の区間なので、久し振りに自省モードで綴らせて頂きます。
尚、旅程としては青森県域が主となりますので、エリアは下北半島とさせて頂きましたが、皆様に是非マロン元駅長(IGRいわて銀河鉄道・奥中山高原駅)のことを思い出して頂きたいと思い、お元気だった頃の氏(?)の写真を表紙とさせて頂きました。今や動物駅長といえば、全国各所で活躍されていることと思いますが、和歌山のたま駅長らと共に、そのブームの火付け役として頑張っておられた氏に敬意を表しつつ…。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
という訳で、前夜のデジャブ感満載で、盛岡の快活CLUBからスタート。
二日連続で同じ朝食だわ…(^^;)。 -
で、翌日旅程のプチ予告的に、えきねっとの予約画面を。
-
明るくなってから快活を出発。
-
昨日の続きで、青山駅からのスタート。
青山駅 駅
-
下りホームで列車を待つ。
通勤通学時間帯ということもあって、上りの盛岡方面は流石に混んでいるようだ…。 -
で、彼に乗車させて頂く。
-
18きっぷ旅程の場合は、盛岡からこの駅まで600円強プラスして乗ることが多いが、本日は北海道東日本パス旅程なので、堂々とIGRを乗り続けられる。
好摩駅 駅
-
富裕層の方々にとっての乗換駅の一つを通過。
私にとっては、勿論ご縁の薄い駅である。東北新幹線「いわて沼宮内駅」 駅
-
車内の観光案内の様子。
本日最初の途中下車は間もなくである。 -
で、奥中山高原駅に下車。
この駅に降り立つのは、果たして何年振りだろう…。奥中山高原駅 駅
-
実は、マスコミを賑わせていたあの当時、私はここのことを冷めた目で見ていた…。動物駅長だなんて、調子こきやがって…、みたいに…。
なので、通過することはあっても降りることはなかった。
降りるとなれば、JR時代以来のことであろう…。 -
数多くの有名人のサインが並んでいた。
きっとあの当時、マロン見たさに人が押し寄せていたことであろう。
しかし、今、この駅に降り立ってみると、それが蜃気楼のような幻だったように思えてくる…。
”マロンブーム”は2008~2009年のこと。2009年にマロンが亡くなってから、暫くは悲しみにくれていた人も多かっただろうが…。
2011年3月には、岩手県沿岸をあの大地震、あの大津波が襲ったのだ…。多くの尊い命が奪われ、多大な悲しみで上書きされ、小さな駅の犬一匹の命なんて、すっかり忘れ去られてしまったのかもしれない…。
なんか、ミーハー呼ばわりして、この駅のことを見下していた自分が恥ずかしくなり、そして涙が溢れてきた…。 -
マロンの思い出は、今でもこの駅の数冊のアルバムに沢山詰め込まれている。
後でじっくりと目を通させて頂くことにしよう…。 -
駅の方に、この駅の正確な標高を尋ねてみると、確かあれに書いてあったな、みたいな感じで、JR駅時代のこんな貴重なパンフレットを頂くことが出来た。
これを手に、暫く散策してみよう。 -
SL時代は交通の難所として知られた十三本木峠。
そんな懐かしい時代の写真も飾られていた…。 -
とは言え、勿論、より目立っていたのは彼の方だけど…。
-
では、少し歩いてみよう…。
-
この駅は、旧東北本線としての最高標高を誇る駅でもあった。
当時は奥中山だったが、高原と付くと更に高さを感じるのが不思議…。
現在の東北本線は盛岡以南だから、果たしてどこが最高標高になるのだろうか…。皆目見当がつかない。まあ、調べれば分かることだろうけど、この駅の標高より低いことは確実だから、あまり知りたいとも思わない…。 -
最高標高、といっても、427m。
前日訪れた山田線の区界駅は744mもあった訳だし、それより300m以上も低い訳で…。 -
一戸のマンホールか?
-
コンビニもあった。
-
東北本線は短くなってしまい、確か、日本最長から陥落した筈だが、国道4号はどうなのだろう?まだ青森県域に入っていないこのエリアで、既に東京までの距離はご覧の通り。流石、日本有数の一桁国道だ。
-
で、その最高標高地点を目指して歩き続ける。
-
前日訪れた夜の区界高原と比較すると、標高も低いし、時間も早いし、やはり若干の暑さを感じるレベルだが、それでも前々日までの首都圏の猛暑とは比較にならない涼しさだった。
-
で、最高地点のすぐ傍にて、こんなお店の看板を発見。
10日ほど前に訪れた野辺山のことを思い出すが…。 -
あちらと違って、こちらは今は営業していない風情。
同じ最高地点でも、やはり集客に繋がる程の魅力はないのかもしれない…。 -
かつては作動していただろう、電光広告の遺構も、寂しさを助長させていた…。
-
そして、圧巻だったのはこちら。
JR時代の駅名標ではないか! -
そして、こちらの気温計を発見。
思ったより低いなあ。昨日の区界と3度しか違わない。
天気が良い分、そして歩いていた分、体感温度が高かったのかもしれない。 -
で、いよいよ、その最高地点が見えてきた。
-
長大な国道4号線の中でも、最高地点は458mしかないのか…。
十三本木峠という名前しか知らなかったので、中山峠の別名があることにちょっと感動。羊蹄山のように景色が良ければ、もっと感慨一入なんだろうけど…。 -
そのまま最高地点を通り過ぎて、振り返ってみるとこんな感じ。
-
で、鉄路としての最高地点(?)も見ておこうと、そのまま数十メートル進んで跨線橋へ。
-
暫く汽車は来ないタイミングだったので、撮影は出来なかったが、なかなか素敵なアングルで撮影できそう。
-
そのまま進んで小繋駅の方まで歩こうかとも悩んだが、そういや、マロンのアルバムをきちんと見ないと、と思い出し、ここらで来た道を引き返すことにした…。
-
途中、流行りのなんとかいう植物も見かけた。
どことなく、可愛らしい。
カエルさんには負けるけど…。 -
で、奥中山高原駅の跨線橋が見えるところまで下ってきた。
-
最後に、上述のコンビニにて、アイスカフェオレを購入。
-
で、「マロン思い出館」に戻ってきた。
カフェオレを頂きながら、後続列車を待っている間、アルバム鑑賞タイムとなる。 -
鉄道マニアとしては、駅ノートを読み耽るという機会は多いが、駅アルバムを見耽るなんてことはあまりないと思う。
まあそもそも、駅アルバムなんて設置されている駅は殆どないんだろうが…。
マロンが存命だった頃、さぞ駅界隈も明るい雰囲気に包まれていたことだろう…。 -
10年ひと昔、と言われるが、彼がいなくなってから間もなく10年の月日が経過しようとしている。
マロンがもう少し長生きしていれば…。
本当に残念でならない…。 -
JAPANのユニホーム着てるぞ?
まだ小さい頃みたいだし、時期的には2006年のサッカーW杯ドイツ大会の頃であろうか?
まだ”駅長”になる前のマロンのようだ…。 -
で、駅長時代のマロン。
人気が全国区になっていったのだ…。 -
動物駅長の先駆けとして、当時人気を博していた”御三家”が、マロンと、和歌山電鐵・貴志駅のたま、そしてもう一匹が会津鉄道・芦ノ牧温泉駅のばすであった。
たまもばすも結構長生きして、その後もマスコミを騒がせ続け、後継者に引き継がれている。この二駅では、今も尚、動物駅長ブームが続いているというが…。
犬と猫との違いもあるし、短命に終わってしまったのだが、犬駅長の先駆けとしては、まさに「マロン」が歴史を築いたのである。 -
生を受けた者の宿命ではあるのだが…。
自分ももっと一生懸命生きないと、と、マロンに大切な何かを教えてもらったような気がした…。 -
悲しい写真を沢山眺めながら…。
-
涙が止まらなくなってしまった…。
-
たまからも弔辞が届いていた。
今となっては、向こうの世界で酒でも酌み交わしながら、思い出話に花を咲かせているのかもしれない…。 -
マロン居て 高原の駅 轟きけり
太く短く輝きを放って去っていったマロンのこと、もっと世間的に注目されても良いだろう…。 -
という訳で、多くの方にマロンの思い出に浸る旅を推奨しつつ、そろそろ先へと進もう。
-
今の時代、ネットで探せば色々出てくるんだろうけど、やっぱり現地で見るのとでは、感動が全然違うから…。
-
で、改めて、ブームに乗じて大挙押し寄せていたであろう有名人達のサインを見ていると、とても微妙な気持ちになる…。
彼ら、彼女らは、今、マロンのことをどう思っているのだろうか…。 -
マロンに沢山の寂しさを貰った朝。
この日のその後の旅程を考えても、こんな朝の過ごし方はベストだったように思う。やっぱり本来、旅というものは楽しくあるべきでなく、より寂しくあるべきだというのが私の持論でもある。 -
奥、という文字に思わず「奥の細道」を連想してしまっっていた…。
もし芭蕉が、マロンやたま(いや、同じ東北という意味ではばすか?)に出会っていたら、ばす(たま)には松島を、マロンには当てはめていたに違いない…。
象潟や 雨にマロンが ねぶの花
何のこっちゃ…。 -
そんなこんなで奥中山高原駅を出発。
奥中山高原駅 駅
-
金田一温泉駅を過ぎると、いよいよIGRともお別れだ…。
金田一温泉駅 駅
-
目時駅からは青い森鉄道となる。
-
駅名標もここからは青い森仕様に。
でも、IGRと青い森、って元々は同じ路線なのに、現在的な視点からは、共通利用できるフリー切符とかがあまり見られないし、相互運行している割には何か心的距離を感じてしまう。
お隣どうし、もっと連携して地方鉄道を盛り上げていこう、という発想にはならないものだろうか…。目時駅 駅
-
そんな時、こんな駅名を見て思い出したのが、私の現在の居住地、和寒の隣町・剣淵のこと。
そういや、和寒も剣淵も、全国的に見れば取るに足らない小さな町なのに、お互いのライバル意識が強いよな…。もっと連携して仲良くすれば、より大きな力を生み出せるだろうに…。剣吉駅 駅
-
寧ろ、今の青い森さんは、北との連携を模索しているのだろうか…。
まあ、勿論、一道民としては嬉しいことなんだけれど…。 -
そういや、青森県自体も、今尚、南部と津軽とでは対抗意識が強いしなぁ~。
そんなことを考えているうちに、現在の南部の中心都市(?)に到着。八戸駅 駅
-
青い森鉄道も二段階の歴史を経ている訳だが、東北新幹線の八戸までの延伸時と、新青森までの延伸時とのタイムラグの間に、微妙な空気差が生まれたような気もしている。
ここからは、”新・青い森鉄道”旅程となる訳だ。 -
通勤通学時間帯も過ぎ、昼前の車内はこんな状態。
まあ、快適と言えば快適だろうけど…。 -
下田か…。
日本の夜明けぜよ(違うか…)。下田駅 駅
-
だんだん眠くなってきた。
写真もコメントも雑になってきた…。 -
ミニミュージアムで知られる向山駅。
ここもいつかは下車してみたい。向山駅 駅
-
大きな駅が見えてきた。
-
ここは三沢駅。
そういや、丘珠=三沢の空路ってマニアックだよな…。
就航した当時はすぐ撤退するかと思ったが、案外頑張ってるし…。三沢駅 駅
-
ふと、車内広告に目をやると…。
シルバーティアラにもいつかは乗ってみたい…。 -
で、下車したのは…。
-
こちらの乙供(おっとも)駅。
語感的に、何となく和寒(わっさむ)に似ている気がする…。
ということは恐らく、アイヌ語起源の地名なんだろう、と、調べてみたら、アイヌ語「ota-tomo」が音韻転訛した短縮形で,オタ(砂地),トモ(はずれ)で砂地のはずれの義、らしい。(〇ooブログより)乙供駅 駅
-
駅構内の様子。
-
駅舎の外観。
駅を見ているだけだと、東北本線時代とそれ程変わらない。
この辺りも、ある意味で”新・青い森鉄道”区間の特徴と言えるのかもしれない。
まあ、今後はどんどんと青い森色に染まっていくのだろうけど…。 -
駅前広場では祭りの準備が進行中だった。
-
こんなたいまつが焚かれるようだ。
さぞ、勇壮なお祭りなんだろうなぁ~。 -
祭りのパンフレットを街角で見つけた。
これが祭りの正式な名称らしい。 -
で、ここで向かったのはこちらの東北温泉。
某〇ゃらん・遊び予約利用。同予約システムで、2000円以上の利用で使える1000円クーポン券、というのを配布していたので、なら、2000円ぎりぎりで使える温泉+食事みたいなプランがないかと検索してヒットしたのがここだった、という訳。東北でモール温泉を楽しめるとは知りませんでした…。 by ケロケロマニアさん東北温泉 宿・ホテル
-
食事+入浴+休憩で2000円という設定を、1000円クーポン充当なので、実質1000円で利用したことになる。
食事はこちらの黒づくし定食。近隣の小川原湖で獲れる産物を色々と使用しているが、それぞれのメニューが黒に拘っている。通常価格はこのメニューだけで1500円するそうだ。 -
食後は入浴タイム。
日帰り入浴の通常料金は300円、ということで、かなり安いが、その分、シャンプーや石鹸は付いていないので要注意。 -
ここは何とモール温泉とのこと。
それで、食事メニューも黒に拘っていたのか、と今更ながらに気付く。
一昔前までは、モール温泉と言えば、ドイツの一地域と北海道の十勝川温泉付近にしか見られない、とされていたように感じるのだが、現在は、掘削技術の向上で、そうでもなくなってきたらしい。
そのうち、北海道遺産から外されてしまうのではないか、と危惧してしまう…。 -
内湯の様子。
十勝のはもう少し茶褐色っぽいお湯の印象が強いが…。 -
洗い場には、懐かしのケロリン桶が。
このお湯と水を押すだけの蛇口も、最近は少なくなってきたように思う。 -
露天風呂もあった。
-
向こうは女湯か?
若干敷居が低過ぎるように感じるのは気のせいか?
これ以上前進して嫌疑をかけられても困るので、ここは自重しておこう…。 -
サウナもあった。
-
湯上り後、壁面にユニークな掲示を発見した。
色々な津軽弁が外国語に訳されていた。海外からの訪問客も多いようだ。
ん?でも、東北町はまだ微妙に南部エリアなので、南部弁でないのか???
”南部支持派”からの苦情が来ないか、心配になる。
まあ、この辺だと、地理的に案外現代的には津軽との交流も多いのかもね。 -
で、ここではせっかくプランの一つに入っている”休憩”も堪能していこう。
この休憩室は、通常の日帰り入浴客は利用できないようで、15時近くまでの”契約時間”中、ほぼ一人で貸切利用させて頂いた。 -
という訳で、温泉でゆっくりとエネルギーをチャージして乙供駅に戻った。
ここから東北温泉までは徒歩10分弱の近距離。鉄道利用者にもお勧めの温泉だ。乙供駅 駅
-
ただ、この駅は快速が通過してしまう。
そのため、これからの旅路に向けて、一旦一駅だけ逆方向に向かう。 -
先程通過したばかりの上北町駅に戻ってきた。
ここで後続の快速列車を待とう。上北町駅 駅
-
そんなに時間はなかったが、せっかくなので駅舎探訪を。
地元の子供達の習字が飾られていたり…。 -
小川原湖のお魚さん達が、のんびりと泳いでいた。
-
駅舎の外観はこんな感じ。
ここもまだまだ”旧JR色”が強く残されている駅舎だ。 -
そんな中で乗り継ぐ車両もJR車両。
-
ここで乗車したのは快速しもきた。
いよいよ、20年以上振りの下北入りを果たす時がやって来た。 -
野辺地からは、名実ともにJR路線域へ突入。
野辺地駅 駅
-
最後に下北を立ち去ったのは1998年春のことだったから、あれからもう20年以上が経過した。
当時はまだ、下北交通の大畑線が現役で、本州最北の駅は同線の終着駅・大畑駅だったのだ。
つまり、下北駅が本州最北の駅となって以来、初めての訪問、ということになる。
尚、緯度的には本当に微妙だが、若干北寄りに位置しているのが下北駅、ということで、終点の大湊駅ではないので要注意。 -
大湊線の北上度において、前半のハイライトは何といっても陸奥湾の海景色だろう。徐々に海が見え隠れするようになってきた。
-
生憎の曇天模様だが、遠方には何となく、陸奥湾南方の景色を望むことが出来た。
-
進行方向右側には、下北半島の柄の部分を代表する名山、吹越烏帽子(東北百名山の一つ)が見えるかなと思ったけれど…。
-
で、沿線では最大の途中駅と言える…。
-
陸奥横浜に到着。
そういや、青森県民の鉄板ネタとして、「ベイブリッジも横浜も青森にある」ってのがあるよな~。陸奥横浜駅 駅
-
そうそう、ここは春の菜の花が有名だった。
-
少し遠めにはなったけど、この辺でも海が望める。
緯度が上がった分、海の向こうに見えるのは津軽半島だろうか?
いや、距離的には下北のマサカリ部分南部、脇野沢方面か? -
バス停のような小さな待合所。
-
この近川駅に停車する快速しもきたはある意味レアかも…。
近川駅 駅
-
折角なので、車両後方端から、単式ホームの様子を撮ってみた。
道北なら、板張りになるレベルの駅かもね…( ´∀` )。 -
そして、現在の本州最北駅に到着。
勿論駅としては最北”端”というロケーションなのだが、下北半島の斧部分の中では一番南側なので、何となく、最北端の駅、と言い辛い雰囲気があると思う。下北駅 駅
-
むつの市街地へは、この駅の方が便利なので、多くの方がここで下車する。
観光客が多い分、ちょっと雰囲気が違うけど、何となく、南稚内駅と稚内駅の関係を思い出してしまう。
しかし、こっちは観光客の姿は稀なので、下北駅で殆どの乗客が下車。車内はこんな状態で終着駅へと向かう。 -
で、終着駅、大湊に到着。
-
本州の終着駅、という表現が哀愁をそそられる。
津軽半島の三厩と比較すると、本州の最北の風情としては、ちょっと物足りなさを感じる。 -
ここでは、そのまま折り返しの列車に乗り込む予定。
ということで、時間があまりないので、急いで大湊駅界隈の観光に出かけよう。大湊駅 駅
-
一応、20年以上振りの大湊線完乗を記念して、○テ・アングルで。
-
実は両駅はそんなに距離が離れている訳ではないので、当初は大湊から歩こうかとも思っていたのだが、天気が雨模様の様相を呈してきたので、ここではすぐに折り返すことにした、という訳。
-
てっぺんの終着駅。
最北が使えない分、苦労が伺える表現かな…。 -
駅舎の外観はこんな感じ。
一応、有人駅なので、それなりに大きい駅としての風格が漂っていた。 -
で、10分弱しかない折り返し列車の出発までに出かけた唯一のスポットがこちら。詳細はクチコミにて…。
大湊駅至近の見所といえばこちらです。 by ケロケロマニアさん大平神明宮 寺・神社・教会
-
この駅の風情は、まだまだ昔ながらのテイストがより強く残っているように感じた。
-
で、出発。
往路同様、下北までは閑散とした車内だった。 -
まあ、「てっぺんの終着駅」到達記念に、勿論、スタンプは押してきた。
もう一枚には、下北駅のを押そう。 -
で、再び下北駅に到着。今度はここで下車。
-
こちらが名実ともに、現在の本州最北駅。
緯度もきちんと記されていた。下北駅 駅
-
この駅に関しては、昔の面影が全く残されていないように感じた。
それもその筈、新駅舎は2009年に供用開始したとのこと。 -
で、下北駅のスタンプゲット。
-
後続の列車は、あと18時17分発と20時07分発の二本のみ。
急いでむつ市街地を往復して、前者に乗ろうかとも迷ったが、やっぱりそれではちょっと慌ただし過ぎるので、後者に乗ることにした。 -
下北駅舎の様子。
一昔前は、様々な原発関連施設がやって来て、”死も来た”等と揶揄された下北だったが、現状は観光振興でどれだけ頑張っているのかが気になる…。 -
駅舎隣には立派な観光案内所も設置されていた。
一通り、パンフレットを頂いて、むつ市街地を目指す。 -
その途上では、時々見かける、あの少し人相(蛙相?)悪げな、双首ケロケロさんを発見。
カエルケロケロ、2ケロケロ。 -
おおっ、ダブルバージョンも発見。
併せてケロケロ、4ケロケロ。
何のこっちゃ…。 -
往路は市街地まで徒歩で向かった。
その途上、懐かしのお店を発見。
そこでこちらのサンドパン(アンバター)を購入。
うーん、やっぱりむつのソウルフードと言えばこれだよな…。 -
吉田ベーカリーのアンバター。
なんか、この響きを耳にしただけで、下北に戻ってきたのを実感した…。 -
その後は、戊辰戦争に敗れた旧会津藩士達が、新しい夢を抱いて目指した斗南藩の歴史を今に伝える寺に立ち寄り…。
斗南藩の悲しい歴史を今に伝えます by ケロケロマニアさん円通寺 (斗南藩庁跡) 寺・神社・教会
-
田名部川の景観を眺めているうちに、雨が結構降り出してきた…。
-
田名部神社に移動する頃には、すっかりと暗くなり、フラッシュで撮ると雨粒が小雪のように舞っているアングルに…。
-
むつの市街地はどれ程変わったのか、恐る恐るやって来た…。
しかし、交通の拠点のバスターミナルは、昔の面影をそのまま残していて、少しホッとした…。昔ながらの風情がそのまま残されていました by ケロケロマニアさんむつバスターミナル 乗り物
-
バスレーンの様子。
1997年の冬、下北半島北部の風間浦村民だった自分は、冬休み期間にのみ発売されていた下北交通の10日間乗り放題5000円、という、学生のみが購入できた破格のフリー切符で、風間浦と青森市内とを何往復もしていたのだ。
あの時、青森行きのバスに乗り継いでいたのがこのバスターミナル。
風間浦から青森市街地に出かけると、恐ろしく都会にやって来たような、そんなワクワク感を感じた毎日だった…。 -
勿論、このバスターミナルは、下北半島の各方面へのバスの拠点となっている。
しかし、この路線図も昔から変わっていないな…。 -
ここから、何度もこのむつ線に乗車して、大畑を経由して風間浦、更には大間、佐井方面までも出かけていたのだ。
-
まあ、全国的に見れば、下北半島最大の観光地、といえば、やはり恐山だろうけど…。
あそこの風情は本当に独特なので、まだ足を運んだことがない方は是非ご訪問を! -
帰りはバスで下北駅に戻ることにした。
バスの発車時刻まではまだ30分以上ありそうなので、暫く付近を散策してみよう。 -
来さまい館という施設もあった。
何やら新しい雰囲気。
4トラに登録がないことからしても、結構出来てから間もない施設なのだろう。 -
そして、最大のハイライトは、旧大畑線跡の探訪。
むつの中心駅は田名部駅であったが、その旧駅舎を見ようと訪れてみるが…。
ない?
調べたところでは、廃線後は「むつ労働福祉会館」の建物として、旧駅舎が運用されている、とのことだったのだが…。
取り壊されてしまったのだろうか??? -
小雨が降り続く暗闇の中で、ホーム跡を歩いてみる…。
20年の歳月の流れを、痛感せずにはいられなかった…。 -
昨年の北海道内の旅では、こんなホームの残骸を沢山見かけたが、ここの廃線は2001年、つまり21世紀になってから、ということで、比較的新しい部類に入るかとは思う。
しかし、レールも撤去され、草が蔓延り放題のホームを見ていると、実際に乗車経験がある路線である分、心底切なくなってしまった…。
もしこの先、自分が10年、20年と生き長らえるとしたら、きっと、江差や増毛、新十津川等で、再び同じような悲しみに打ちひしがれるに違いない…。 -
もうお腹一杯に悲しみを背負ってしまったので、意気消沈しながらバスターミナルへと戻ろう。
上述のフリーパスで青森まで移動していた頃は、あまり意識していなかったが、片道でこんなに高かったのか…。まあ、20年前はもう少し安かったのかもしれないけれど、それにしても風間浦までも結構な運賃がかかる筈なので、風間浦=青森の一往復だけで、十分に5000円以上の元は取っていたことであろう。
それを数往復繰り返していたのだ。あんな夢のような料金設定のフリー切符には、もう今後出会うことはないのかもしれない。
学生の皆様には、お財布的にも学生時代にしかできない旅があると思うので、今という時を大切に、思いっきり自由な旅を楽しんで欲しい…。 -
そして、バスがやって来た。
下北交通はかなり経営が厳しく、補助金なしではやって行けない会社なのだろうけれど、それにしても、全く車内広告等が見られない、旧社会主義国のバス車内のような光景には驚かされた…。 -
そして、すっかり暗くなった下北駅に戻ってきた。
下北駅 駅
-
で、最終列車で野辺地に戻ることに…。
-
東通・佐井・大間・風間浦…。
懐かしい名前が沢山並んでいた。
若かりし日の沢山の思い出が、沢山の後悔と共に蘇ってくる。
あの時、もっと自分が成熟していれば…。
恩師に叱られてばかりいた日々だったが、今となっては自身の人生の糧となっている。贖罪の意味も含めても、必ずまた来なくてはならない場所なのだ…。
是非、平成のうちに、これらの町村へは再訪しておこう。一時代の個人的な清算、という意味でも、と、一人誓った…。 -
この時間の大湊線車内は、恐ろしく空いていた…。
そんなことを考えるのには、相応の空間であった訳だが…。 -
そして、野辺地に到着。
野辺地駅 駅
-
ここからはまだ二本の選択肢が残されていたが、もうどこかで途中下車するような気力もなく、先発列車で素直に青森を目指すことにした…。
-
そういえば、野辺地と言えば、2018年のサッカーW杯ロシア大会で活躍したこの選手の出身地でもある。某女優とは仲良くやっているだろうか…。余計なお世話か…(^^;)。
-
野辺地駅の構内。
ここはまだ一応、JR駅と呼ぶべき駅なのだろうが、徐々に青い森テイストが強まっているのかもしれない…。 -
では、本日最後の列車に乗り込もう…。
-
で、青森までは熟睡して、あっという間に到着。
青森駅 駅
-
ここの駅通路では、必ずこの写真には目が止まってしまう…。
開通した頃は、まだギリギリ昭和だった訳で…。
今や、庶民には鉄路での海峡越えが難しくなった、という、逆転の時代…。 -
で、一応、今後を見越して、ここでえきねっと予約分を発券しておこう。
別に北海道内の有人駅で窓口発券も出来るのだけど、自販機発券とはポイント数が違うので…。
多分、函館でも自販機発券は可能だろうけど、万が一、函館駅に寄らずに五稜郭から北上、という可能性もあり、五稜郭駅は自販機発券が出来ないかも、森や長万部も微妙だろうし、等と思案しながらの、青森駅発券となった。 -
で、翌日乗車予定の特急ニセコ号の指定席特急券+乗車券を発券。
この区間で特急に乗れる時期は本当に貴重だし、今回は奮発することにした訳。 -
そういや、津軽線は2018年で全線開業から60周年だそうな…。
蟹田以北の開業は1958(昭和33)年と比較的遅かったそうな…。
蟹線、ってのが味わい深い。鋏を取っちゃうと、蛙線に見えなくもない、というのがカエルマニアがカニを見たときのアルアル。 -
コピー代を10円支払い、10%引きの青函フェリーWEBクーポンをゲット。
但し、この時期は夏季運賃2000円なので、10%引きでも1800円とちょっと高め。
それでも、宿代が浮くこと考えれば、特急料金払って新幹線乗るより、断然お得。 -
青森駅からの徒歩移動の際はお馴染みの西口改札を出て…。
-
こうして、西口側の駅舎だけ見てると、とても青森駅とは思えない風情…。
-
で、かつては屋外でYS-11が見られたここを経由して…。
あおもり北のまほろば歴史館 美術館・博物館
-
お馴染みの青函フェリー青森ターミナルに到着。
という訳で、本旅行記はこれにて終了となります。最後までご閲覧下さり、どうも有難うございました。続編からはいよいよ海を渡って北海道旅程となります。またもしお時間がございましたら、続編にもお付き合い頂けましたら嬉しく思います。青森フェリーターミナル 乗り物
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
165