2018/10/02 - 2018/10/04
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frau.himmelさん
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鹿児島で夫の兄弟会を開催するという案内をいただきました。
思い出したように兄弟持ち回りで開催されている親睦会、今回は鹿児島在住の義兄が幹事役です。
鹿児島と言えば、NHK大河ドラマの「西郷どん」。今が旬の地ではありませんか。
2泊3日で鹿児島の歴史散策をかねて行ってまいりました。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー スカイマーク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
今回の鹿児島行は初めてスカイマークを使いました。
夫が前に友人と九州に行った時、友人に薦められてスカイマークを使い、「安くていいよー」と相談なしにこれに決めてしまいました。
私はANAのマイレージをためているので、ANAにしたかったのだけど。
スカイマークはプレミアムクラスがなくて、全て普通席だったのには驚きました。 -
富士山が見えます。雲の下は駿河湾。
雪のお化粧をしていない富士山はちょっと物足りない。 -
定刻より少し遅れて14:00過ぎに鹿児島空港に到着。
-
昼食はまだ食べていません。
早速空港内のレストラン「山形屋」に行きました。
夫は大好物の「あんかけ固焼きそば」を。三杯酢をかけて食べるのがツウ(?)だそうです。
周りの人もこのかた焼きそばを食べている人が多かった。
私はお蕎麦が食べたくて「半天丼セット」。
天丼の汁(つゆ)が甘すぎて下のご飯までビショビショ、半分以上残す。そうでした、こちらの汁(つゆ)は関東と違って甘いのでした。 -
鹿児島空港入り口で、予約したレンタカー屋さんを待ちます。
オリックスレンタカー、4日夕返却の予定で小さな車を借りました。 -
今夜6時半からの城山観光ホテルでの兄弟会宴会まで時間があります。
せっかく鹿児島に来たのですから、高速を通らないで海岸通りを走ります。
桜島が姿を現しました。 -
鹿児島市内に入り、武家屋敷が見えてきました。
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まずは鹿児島での最初の目的地、島津家別邸の「仙巌園」に入りました。
入場料一人1,000円。
お屋敷の方は別途料金300円が必要とのこと、私たちは時間が無いのでお屋敷はパスしました。 -
尚古集成館。
まずはこれが造られた経緯から。
19世紀、植民地政策を進めていたイギリスやフランスなどの西欧列強がアジアにも進出してきました。
1840年にはアヘン戦争が勃発し、この戦争に負けた清国(中国)は西欧列強の半植民地にされてしまいました。
これに危機感を抱いたのが日本。 -
特に島津斉彬は、日本を強い豊かな国にしなければ清国と同じように日本も植民地にされてしまうだろうと危惧していました。
そこで1851年に島津藩主に就任した斉彬は、富国強兵・殖産事業を実現するために集成館事業を推進します。 -
事業は、造船・造砲・製鉄などの軍事的なものから、紡績・ガラス・印刷などの民需関連産業、また医療や福祉など、多岐の分野に及びました。
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日本初の近代工場群
鹿児島紡績所、鹿児島紡績技師館(異人館)、集成館機械工場などが軒を連ねています。
海岸には大砲が据え付けられています。 -
尚古集成館入り口。
慶応元年(1865年)年に竣工した現存する日本最古の博物館。
日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物。
内部は撮影禁止。 -
尚古集成館別館。
2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する「旧集成館」の機械工場として世界遺産に登録されました。 -
庭園の方には集成館事業として島津斉彬が築いた反射炉があります。
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このころの反射炉は西欧で出版された専門書を入手し、これを蘭学者に翻訳させ、それを基に日本の技術と融合させて造られていました。
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反射炉跡。
この石の土台の上に20メートルほどの炉が聳えていました。 -
オランダ陸軍ヒュゲニン少将の著を書き写した反射炉の図面。
斉彬はこれを参考に反射炉を造りました。 -
反射炉跡の碑。
公爵島津忠重書。 -
大勢の観光客の姿。
日本人より中国人(台湾人)の姿が多くみられました。 -
高台から臨む錦江湾と桜島
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柑橘類の植栽。
それを見つけた観光客が、ガイドに質問していました。
私も温州ミカンの説明にへぇ~そうだったんだ~と。
「温州みかん」
鹿児島の長嶋で発見された突然変異の種なしが、接ぎ木によって全国に広がったものです。
幕末、薩英戦争後の和睦交渉時に、薩摩藩はイギリスに温州みかんを差し入れました。
これが「手で皮がむける珍しいオレンジ」として喜ばれ、現在でも温州みかんのことをイギリスでは「サツマオレンジ」と呼んでいます。
(説明文より) -
その先を観光客に着いていくと、なにやら町屋風の通り。
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そして入り口にたたずむ碑は、「近代薩摩焼発祥の地」。
焼き物の窯も、斉彬が海外との積極的な貿易を目的に、集成館事業として造ったものです。
ここで「金襴手」という華麗な絵付け技法が生み出されました。 -
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「金襴手」・・・。
思い出しました!
ミュンヘンのレジデンツで見た日本陶磁器の数々。
長崎の出島を経由してオランダの東インド会社は、ヨーロッパに数多くの日本の陶磁器を輸出していました。
それらはヨーロッパの王侯貴族を魅了し、伊万里や柿右衛門は一大センセーションを巻き起こしました。
そしてより豪華な磁器が求められ、従来の赤絵や色絵に金色を彩色した「金襴手」の技術を取り入れ制作されました。
写真:2016年に訪れたミュンヘンのレジデンツの展示より -
見事なソテツの石垣。
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それでは時間も少なくなってまいりましたので、急いで庭園を散策します。
名勝仙巌園 -
正門。
明治28年(1895年)26代島津家当主島津忠義により建造されたもの。 -
見事に調和のとれた庭園。
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仙巌園の魅力は、何といってもこの景観。
目の前に広がる錦江湾と、後ろにそびえる桜島を借景とした壮大なものです。 -
望嶽楼?
およそ350年前に琉球王国から伝わった東屋。
28代島津斉彬と勝海舟の面会の場としても使われました。 -
見事な石灯籠がアチコチに点在しています。
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これは獅子乗入大石灯籠
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鶴灯籠(赤丸)。
ツルが羽を伸ばした姿に見えることからこの名前が付きました。
島津斉彬がガス灯実験を行ったそうです。 -
錫門。
鹿児島特産の錫(スズ)で葺かれている屋根。
かつての正門でした。
NHK大河ドラマ「西郷どん」の撮影現場ともなりました。 -
島津斉彬(渡辺謙)が薩摩と江戸を行き来するシーンでこの錫門が用いられました。
斉彬が薩摩に到着した時のほか、斉彬が江戸に向かって出立する際、家臣の赤山靱負(沢村一樹)が途中まで同行する場面が撮影されています。 -
実際に使われている錫の瓦。
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御殿は5時半で閉められます。
係員が雨戸を閉め始めました。 -
慌てて開いている部屋の写真を撮らせていただきます。
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鹿児島観光には車がなくても、「シティビューバス」と「まち巡りバス」が頻繁に走っていますので心配はいりません。
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さてそれでは、尚古集成館で島津家の歴史を勉強した後は、一路城山観光ホテルに向かいます。
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車窓から見えた像。後姿ですが。
ウィリス、高木に西洋医学を説く」。
こういう像で歴史を知ることはとても楽しい。
wikiより
江戸駐在の医師ウィリアム・ウィリスは、明治2(1869)年に薩摩藩に招聘され医学校長となり、赤倉病院を創設。
イギリス式医学教育を行い、西日本における医学の中心を築きました。
現在の東京慈恵会医科大学を創設した高木兼寛もここで学びました。 -
ホテルへチェックイン。
桜島を臨むお部屋ではありませんでしたが、ちょうど夕日が沈む時間帯。
窓から射し込む黄昏の光が美しい。 -
義兄が日本料理「水簾(すいれん)」の個室を予約してくれていました。
総勢8名での兄弟会です。 -
義兄夫婦が、知り合いのホテル関係者にいろいろ便宜を図っていただいた、心づくしのお料理が運ばれます。
三種盛。
秋鯖の棒寿司、子持ち昆布、それに紅葉の小皿に盛られたバナナみたいなものは何だろう?
もちろんバナナなんぞではありません。新栗の白和えですって。
私は今年ハツモノの栗です。 -
手書き赤絵の蓋つき器に入ったものは・・。
秋の味覚松茸の土瓶蒸し。
中身はマツタケと、鱧葛打ち、ハマグリ、しゃもの肉、えびなど。
マツタケの土瓶蒸しなんて何年ぶりだろう。 -
お造りはカワハギの薄造り。
あんまり美しくてつい箸をつけてしまいました。
半分いただいてから写真を撮っていないことに気付きました。 -
焼き物は黒毛和牛のステーキ、それにアワビのグラタン仕立て。
上のグラタンソースを除けるとアワビがゴロゴロ顔を出します。
なんて、豪華なご馳走に一人はしゃいで写真を撮っているのは私だけ。
皆さんはアカデミックな話題で盛り上がっています。
先ごろノーベル賞の受賞が決まった本庶博士の研究内容、癌の治療薬、これからの教育のあり方などなど、私には着いていけない高尚な話題。 -
そんな中でお料理の写真をパチパチ撮るのはかなり憚られます。
でも、旅に出たら、食べたものの記録を残すのは私のライフワーク(笑)。
突然、私の素っ頓狂な声に隣の夫にたしなめられます。
このお鍋、なんとスッポン鍋なのです!。
スッポンって今まで食べたことがあったかどうか記憶にありません。 -
その他に目の前で炊き上げられたキノコご飯、なめこのお味噌汁、茶わん蒸し(フォアグラ入り)など。
次々に出てくるご馳走に驚いたり感激したり・・・。 -
デザートは抹茶プリンの焼き栗のせ。
男性陣は義兄の勧めで「森伊蔵」のロック割などをいただき、相変わらずの高尚な話に花が咲いています。
9時半。ゆったりとした上質な時間は流れて、お開きの時間がやってまいりました。
次回は2年後に熊本で開催することに決定。 -
みんなそれぞれにいい齢ですから、健康に留意して元気でいなければね、と2年後に思いを馳せてお別れしました。
と言っても、「百年の孤独」を持ってきているから、元気がある人は僕の部屋に集まってください、という義兄のお誘いに、男性陣が喜んで馳せ参じたことは言うまでもありません。
本当にお酒が好きな一族です。
老化の壁には秋の野花がすっきりと飾られていました。 -
私は部屋に帰ります。
8階のロビー。 -
お部屋の隅にはコーヒーや紅茶、ミネラルウォーターなど。
洗面所のアメニティグッズも充実しています。 -
私は夫が二次会で楽しんでいる間に、露天風呂に行くことにします。
城山観光ホテルには浴衣はありません。
このような甚平みたいな部屋着が備え付けられています。
この部屋着を着て部屋の外に出るのは大浴場だけにしてくださいと、部屋に案内してくれたホテルの係員に説明を受けていました。 -
私たちの部屋のある8階のエレベーターホール。
部屋着を着て、大浴場に行くための専用エレベーターに乗ります。
別な階で別なエレベーターに乗り替え、迷路のような廊下を進み、やっと大浴場に着きました。 -
翌朝。
朝食はみなさんと示し合わせて8時半に。
ちょっと早く着いたので、ホテル周りを散策。
噴水広場。 -
広場から桜島が一望できます。
ちょっと雲は気になりますが、まあそこそこいい天気で安心しました。
実はちょうどこの頃台風25号が発生し、沖縄地方に接近しつつあったのです。 -
広場には 林芙美子の文学碑がありました。
林芙美子は一時期鹿児島に住んだことがあったそうです。
「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり 雲も光るなり。」
有名な詩です。
芙美子がNHKの朝ドラ「花子とアン」の主人公・村岡花子に贈った詩だそうです。 -
皆さんお揃いになりました。
仕事の都合で二人帰られたので6人での朝食です。
城山観光ホテルの朝食はマスコミに何度も取り上げられているほど評判がいいとのこと。
和・洋・中華・郷土料理など、常時80種類以上の品揃えがあるということです。 -
ご飯だけでも4種類。
白飯、お粥、真鯛潮茶漬、それに黒さつま鶏と黒五目おこわ。 -
私たちは少し出遅れたので、品数もだいぶ少なくなっていましたが、それでも、卵焼きやカボチャのそぼろあんかけ、鹿児島らしく手作りさつま揚げ、きびなごの干物、豚軟骨の味噌煮込みなど・・・。
-
朝から鹿児島黒牛のステーキもあるのです。
それにトンコツラーメン。これは麺を自分の好みに茹でて、上にトッピングしていただきます。 -
そんな豪華な朝食ですもの、さぞかし豪勢に・・・。
ところが昨夜のご馳走がまだ私の胃にもたれて、余り食欲がないのです。
私がチョイスした朝食、いつものドイツのホテル朝食と変わりません。
こんな時なのに、本当に勿体ない。 -
夫たちはいろいろとおいしそうなものを並べていただいていました。
ここでまた昨夜の親睦会の続きです。
約1時間半、10時過ぎまで。
名残りは尽きませんが今度こそ本当のお別れをしました。
さっきまでこのレストランホールは大勢の人で混雑していましたが、さすがにこの時間ともなると、この広い場所もまばらです。 -
-
チェックアウト。
ホールには豪華な生花が飾られています。
駐車場から夫が車を出している間に、私は館内散策。 -
薩摩切子の展示。
28代島津家当主島津斉彬(1791-1859、NHKテレビ「西郷どん」では渡辺謙さん)は、諸外国と対等な技術文化を有する、強く豊かな近代国家日本を創ることを願っていました。
そのために数々の事業を起こしましたが、その中の一つに薩摩切子がありました。 -
ここには薩摩焼の展示。
代表的なものは慶長3年(1598年)から続く沈壽官窯。現在は15代目沈壽官が400年の歴史を引き継いでいます。
薩摩焼は、豊臣秀吉が朝鮮出兵のさい、捕虜として連れて来た朝鮮の陶工達によって作り出されたものだそうです。 -
2011年5月に沈壽官窯のある日置市東市来町美山に行ってまいりました。
私が思い描いていた薩摩焼きのイメジ-は、クリーム色の地肌に細かいひび割れの地紋があり、美しい絵が描かれているもの。
その他に白い薩摩焼きや黒い薩摩焼きもあるのですね。
(2011年の写真) -
「沈壽官窯」の作品。
豊臣秀吉に連れてこられた陶工の一人で、十五代に渡り、現代まで窯の火を守り続けている薩摩焼の窯元です。
伝統的な白薩摩・黒薩摩を製作しています。
(2011年の写真) -
そしてここには今が旬の「西郷どん」の数々の展示が。
さながら城山観光ホテルの博物館。
これから関連の施設を周りますので、ここで予習をしていきましょう。
上野公園の西郷さんの像って高村光雲作だったのですね。
テレビではこれを見た西郷どんの妻イトさん(黒木華さん)が、「やどんしはこげなおひとじゃなか!」って叫んでいましたが、気に入らなかったのでしょうかね。 -
西郷家の人々に焦点をあてています。
-
家系図。
西郷どんは7人兄弟だったのですね。 -
第二番目の妻「愛加那(1837-1902)」
テレビドラマでは二階堂ふみさん。
奄美大島龍郷の名家・龍一族の娘として生まれる。
1859年、龍郷に潜居のため送られた西郷隆盛と結婚。一男一女に恵まれる。
1862年西郷に召喚命令が届くも、薩摩藩の掟により愛加那は子供と島に残る。半年後西郷が徳之島に遠島になり、愛加那は二人の子供を連れて島へ渡るが着いた翌日に西郷は沖永良部島に移送となり、龍郷に戻る。
1864年召喚命令により鹿児島に戻る途中に西郷は龍郷に立ち寄り4日間を過ごす。これが最後の逢瀬となった。
その後二人の子供たちは鹿児島の西郷家に引き取られ、愛加那は龍家と共に暮らす。
1902年農作業中に倒れ、帰らぬ人となった。享年65歳。 -
妻「西郷イト(1843-1922)」。
薩摩藩士・岩山八郎太の次女として生まれる。
1865年1月28日西郷隆盛と結婚。イト23歳、隆盛39歳の時だった。
しかし国事に奔走する夫は余り家におらず、大所帯を切り盛りし、のちには奄美大島より引き取った西郷と愛加那との間に生まれた二人の子、菊次郎・菊草も、我が子と分け隔てなく可愛がったと言われている。
西南戦争勃発後は武村の屋敷を出て、西別府の野屋敷に逃れ、イトが西郷戦死の一報を受けたのはこの場所だった。
明治29年長男寅太郎の東京邸に移り、明治31年上野の西郷隆盛除幕式に参列。
「やどんしはこげなおひとじゃなか」と言ったエピソードは有名である。
大正11年死去、享年79歳。東京青山墓地に眠る。 -
西郷菊次郎(1861-1928)
西郷隆盛と愛加那の息子西郷菊次郎。
8歳の時に妹菊草(菊子)と共に西郷本家に引き取られる。
12歳でアメリカ留学、14歳で帰国してからは父の吉野開墾社を手伝う。
16歳で西南戦争に従軍し右足を切断。
西郷家の従僕・熊吉(NHKドラマでは塚地武雅さん)に背負われ、兄・隆盛と袂を別ち、政府軍の重鎮となっていた西郷従道(NHKドラマ:錦戸亮さん)の元へ投降させる。
23歳で外務省勤務、その後、台湾支庁長、室蘭庁長、京都市長を務めました。
また51歳で鹿児島へ帰った後も、金山館長や私費で夜学校を開設したりと様々な功績を残すのです。
68歳で没する。
この後の「西郷どん」では、彼はどういう出方をするのでしょうか。 -
西郷従道(1843-1902)(NHKドラマ:錦戸亮さん)
幼少より島津家の茶坊主として出仕。
斉彬の死後は還俗して慎吾と改める。
その後は兄の影響で勤皇組織精忠組に加わり、文久2年(1862年)寺田屋事件に加担し謹慎処分を受ける。
翌年の薩英戦争ではスイカ売りに扮した決死隊に志願するが、作戦は失敗に終わっている。
その後は明治政府に出仕し、遺韓論争では兄・隆盛と袂を別ち、西南戦争後は薩閥の重鎮として存在感を放ち続けた。 -
弟・西郷吉二郎(テレビでは、渡辺豪太さん)。
貧しい西郷家を兄隆盛と共に支え、隆盛が江戸に行くと一家の大黒柱として幼い兄弟たちを養った。
1868年戊辰戦争に参軍、戦死する。
悲しんだ隆盛は、「西郷家の長男は自分ではなく吉二郎だと」語ったという。
吉二郎は先週のテレビ(10月14日)で戦死しましたね。 -
西郷さんを囲む偉人達。
上から
・西郷のために生きた、薩摩第一の伊達男桐野利秋(1837-1877)
・西郷の信頼を一心に受けた寡黙な指揮官、篠原国幹(1837-1877)
・「その才大久保を継ぐ」と言われた傑物、村田新八(1836-1877)
3名とも西南戦争で西郷に殉じて亡くなりました。 -
薩摩藩英国留学生150周年の張り紙。
いちき串木野市にある留学生記念館には入館しますので、その時詳しく報告します。 -
夫が車を駐車場から出してきたようです。
それではこれから「西郷どん」ゆかりの鹿児島歴史散策に出かけます。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- Juniper Breezeさん 2018/10/17 21:42:49
- タイムリーな鹿児島旅行記にテンション上がりました!
- frau.himmelさん、こんばんは。 鹿児島旅行記を楽しく拝見させていただきました。
実は年末に九州旅行を計画していまして、その時に鹿児島にも行く予定にしているので参考にさせていただきます! 今回の旅行で佐賀と鹿児島を訪れればあとはもう、日本で行ってないのは北海道のみとなります…!(こんなに旅行好きなのに、未だに北海道に行った事ナイと言うとみんなに驚かれますが(笑))
最初、鹿児島行くと決めた時は4トラの旅行記の色を塗るのが目的だから広く浅く観光出来れば十分かと思っていたのですが、私も西郷どんを毎週観ているので、ゆかりの地もやっぱり行かないとですね! 島津斉彬の名前を見て、渡辺謙さんの顔がすぐに浮かびました^^/ 鹿児島には2泊しかしないので、どこまで行けるか分からないですが、色々と調整して、frau.himmelさんの旅行記に出て来た仙巌園にも是非行って、そこからの桜島の素晴らしい風景をこの目で見たいです!!
続きの旅行記も期待してますね。
Juniper Breeze
- frau.himmelさん からの返信 2018/10/18 21:04:08
- RE: タイムリーな鹿児島旅行記にテンション上がりました!
- Juniper Breezeさんこんばんは。
コメントありがとうございました。
すごいですね。日本地図を塗りつくす旅。もうあと一歩で全国制覇ですか!
無精者の私なぞ気が遠くなります。
NHK大河ドラマ「西郷どん」を見ていらっしゃるのですね。
私もあのテレビを見ておりますので、この旅行記を書きながら、渡辺謙さんや鈴木亮平さん、松田翔太さん、瑛太さんなどイケメンの顔をチラチラ思い浮かべながら書きました。
ただ単に歴史というより、より身近に感じられますよね。
あの鶴瓶さんの岩倉具視はないわ〜、なんてケチをつけたり(笑)。
12月には九州にいらっしゃるのですね。
ぜひ仙巌園からの桜島の雄姿をご覧になってください。
12月に鹿児島・佐賀を踏破なさったら、後は北海道だけ!
頑張ってください。応援しています。
himmel
-
- mistralさん 2018/10/17 19:14:27
- 同じ地を旅して。
- himmelさん
九州からお帰りなさい。
早速旅行記アップされ、懐かしさと共に楽しませていただきました。
himmelさんの国内旅行記、かなり珍しいと思いますが、いかがでしょう。
宿泊はおなじ城山観光ホテル、夫の同窓会も実はホテル内で開催され
私も出席させていただきました。
やはり呑んべいたちは二次会でもお酒、私は途中でお部屋へ戻りました。
朝食はバイキングが人気あるようですね。
私たちのプランは残念ながらバイキングではなく、和食処でいただきました。
そんなこんなで、いろいろ比べたりしましたが
仙巌園、尚古集成館を詳しくご紹介くださり、私はそちらは時間がなくて
見学できず
隆盛にまつわる家族関係、ホテルの展示があったのでしょうか?
私たちの折には別のものだったような?、今回のご紹介で、良く整理されて
理解できました。
なんだかhimmelさんとmistralと2人の旅行記を合わせると一層西郷どんが
よく理解できそうで光栄に思います。
今後串木野へも行かれるようで、楽しみにしています。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2018/10/17 21:51:32
- RE: 同じ地を旅して。
- mistralさん、こんばんは。そしてただいま〜。
はい、国内旅行記はかなり珍しいです。
ドイツ旅行記に追いかけられているのですが、忘れないうちに書いておこうと思いまして。
そうでしたね、前回の鹿児島はお泊りは城山観光ホテルでしたね。
ご主人さまの同窓会もあちらでしたか、それに呑んべいたちとのお付き合いとか、いろいろ共通点が多かったのですね。
>隆盛にまつわる家族関係、ホテルの展示があったのでしょうか?
そうなんです。
ホテル入り口ホールの壁はまるで「西郷どん」博物館でした。
それも十分見ごたえがあり、あそこの展示が今回の歴史探訪では一番わかりやすかったと思いました。
mistralさんの時と展示物が変わっていたのですね。
>なんだかhimmelさんとmistralと2人の旅行記を合わせると一層西郷どんがよく理解できそうで光栄に思います。
いえいえ、この旅行記を書くにあたり、もう一度mistralさんのご旅行記を見せていただきました。
そして、わあー凄い!私にはこんな素晴らしい旅行記は逆立ちしたって書けない、格が違うと思ったものでした。
mistralさんのご旅行記に触発されて、私の今回の「西郷どん」の旅ははじまったのですから。
ええもちろん、串木野のあの記念館にも行ってまいります。
ありがとうございました。
himmel
-
- norisaさん 2018/10/17 06:51:54
- 鹿児島
- frau immelさん
おはようございます。
珍しく国内のご旅行記ですね!
それも今の大河ドラマの舞台でしたかーー。
我々も数年前に鹿児島に行き、城山観光ホテルに宿泊させていただきました。
このホテルは立地といい、眺めといい、お料理といい満足できますね。
良い印象が多い名ホテルです。
その時は桜島の噴火が激しく、我々が桜島からフェリーで鹿児島に着いた直後にフェリーが欠航になったほどです!
その時は時間の関係で知覧などには行ったのですが、仙巌園や尚古集成館はスルーしてしまいました。
次回はここもリベンジしたいものだと感じた次第です。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2018/10/17 21:20:35
- RE: 鹿児島
- norisaさん、こんばんは。
はい、珍しく国内旅行記です。
ミーちゃんハーちゃんよろしく、「西郷どん」を追っかけてまいりました。
今鹿児島は「せごどん」ブーム、あちらこちらでいろんな「西郷どん」にあえました。
norisaさんは鹿児島での宿泊はやはり城山観光ホテルでしたね。いつも素敵なホテルを探して宿泊なさっているnorisaさんのことですもの、当然といえば当然。
私たちは滅多にああいう高級ホテルには泊まれないのですが、年長者から「集合命令」がかかりましたものですから(笑)。
でもやはりいいですね、名ホテルの格式。館内もお食事も従業員もすべてに満足しました。
ただ、やはりあそこも隣国の方は多かった〜。
norisaさんは桜島に行かれて、桜島の噴火に追っかけられた?
そう言えば、今回は私たちは噴煙を上げている桜島ではありませんでした。いつもモクモクと煙を上げている桜島を見ることが多かったので、それが桜島の姿だと思っていたのですが。
また、私たちは今回は知覧には行きませんでしたが、もう一つの特攻隊の記念館に行ってまいりました。次回の旅行記に書きたいと思っています。よかったら覗いてください。
norisaさんのギリシャ旅行記の続編、楽しみにしています。
himmel
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