2018/08/06 - 2018/08/06
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frau.himmelさん
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フランクフルトの市庁舎にある「皇帝の間」。
前から行きたいと思っていました。
旅の最後にやっと憧れのカイザーたちに会うことができました。
ヨーロッパを旅していますと、いろんな街で、いろんなカイザーたちの歴史に遭遇します。俄か老歴女の私はそんな話にワクワクします。
ここ「皇帝の間」では、それらカイザーたちが一堂に会して夢の競演を繰り広げているのです。なんて贅沢なのでしょう。
それにしても私も、多くの街で多くのカイザーたちと出合っていますね。
旅の最後はそれらの街々を思い浮かべながら、カイザーの輪の中に飛び込みたいと思います。
◆◇
はぁ~、やっと2018年の旅行記が終わりました。
コロナがあり、戦争があり、円安だし、どうせ暫くは海外には行けそうもないから・・・、とゆっくりしていたわけではないのですが、本当に長くかかりました。
思えば私が最後に海外に旅をしたのは2019年10月、もう3年も行っていません。禁断症状寸前です。
4トラの皆様の旅行記を拝見しますと、最近海外に行かれた方の旅行記を数多く見かけます。
私も、いつまでも臆病者の引っ込み思案ではいられない。来年こそはヨーロッパに行こう!と決めました。老いは無情、待ったなしですから。
さあ、明日からまた体力づくりに励むことにしよう。
-
最終日の続きです。
カイザーザールに振られ、カイザードームにも振られ、次はどこに行こうと考えた。そしてフランクフルト初日に、ミサとコンサートが開催されており、ゆっくり内部を鑑賞できなかったカタリーネン教会にもう一度行こうと思い立ちました。
何度も乗り降りしたUバーンのハウプトヴァッヘ駅。
地上にはフランクフルトの歴史に重要な関わりを持つバロック様式の「ハウプトヴァッヘ」が。 -
広場には面白いモニュメント。
旧約聖書「ダヴィデとゴリアテ」の像。
大男のゴリアテをやっつけて馬乗りになっているのはダヴィデ少年。
でも、このダヴィデ、少年って言うより私にはお爺さんにしか見えません。 -
カウフホーフ(デパート)が見えたので、思い立ってお土産の買い足しに中に入ります。
マネキンが着ているキモノ風のガウン、ステキですね。こんな布地のワンピースが欲しいわ。 -
定番のフェイラーのハンカチをお土産用に何枚か購入。
-
そしてカタリーネン教会へ。
2日前に訪れた時は暑かった~。
あの時はミサと教会コンサートが始まる前だったので多くの人が集まっていましたし、奥には入ることができませんでした。
ここはドイツの文豪ゲーテが洗礼を受けた教会です。 -
教会の周りをずらりとステンドグラスが囲んでいます。
この美しいステンドグラスを近くで見たかった。
今日はほとんど人はいませんので、堂々と祭壇前に近づきます。 -
主祭壇は木彫りのシンプルなものです。
オリーブ山の祈りの場面でしょうか。 -
祭壇の後ろのブルーを基調とした美しいステンドグラス。
現代的なタッチのモダンな絵。 -
チャールズ・クローデル(1894-1973)作です。ドイツの画家。
現代の画家ですから、ステンドグラスも現代的画風の宗教画です。
聖書のシーンが描かれているそうだけど、どの絵がどの場面か私には難しくて判断できない(泣)。 -
判り易そうな絵を拡大してみました。
六角形の中に描かれているのはキリストの磔刑か、はたまた十字架から降ろされる場面か、わかりませんね~。
旧約聖書や新約聖書、キリストやマリアの物語などいろいろ描かれているそうです。 -
パイプオルガン。1990年リーガー社製。
立派なオルガンです。
皇帝レオポルト2世が1790年にフランクフルトで戴冠式を挙げる際、音楽隊として随行したのは宿敵サリエリ。
モーツァルトにはお呼びはかからなかったけど、独自に同時期フランクフルトでのコンサートを決行。このカタリーネン教会でもオルガンコンサートを開いたようです。もちろんこのオルガンではありませんが。
オルガンの下には絵画が何枚も飾られています。 -
この2枚もその中のものだったのかな?
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説教壇と洗礼盤。
人がほとんどいない、美しいステンドグラスに囲まれた教会の空間。
椅子に座り至福の時間を味わいました。 -
しばらく休憩して疲れた足も楽になりましたので、カタリーネン教会を出て、レーマー広場まで歩いて向かいます。
昨日訪れた聖パウルス教会が見えます。 -
お昼もだいぶ過ぎました。カイザーザールに行く前に食事をしよう。
レーマー広場の木組みの家の一つに入りました。POSSMANNってあります。
もうこの時間はテラス席はガラガラ。 -
店内もガラガラ。
窓辺にレーマーベンベルが飾られている席に座りました。 -
やっぱりフランクフルト最後の食事は、飲み物はアプフェルヴァイン(りんご酒)で〆ます。
ポッシュマンはりんご酒の醸造所の名前です。 -
お食事は、これもフランクフルトの細長いソーセージ。
下に敷かれているのはポテトサラダ。
おいしくいただきました。 -
やっとやってきました、カイザーザール。
今まで何回も訪れましたが、私とよほど相性が悪いのでしょうね、催し物があったり、時間が合わなかったり、入り口が判らなかったりで、本当に縁がありませんでした。
今回もこれで3度目、ようやく歴代の神聖ローマ皇帝にお目にかかれます。 -
こちらがチケット売り場。券売機でチケットを買って・・・。
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このらせん階段を登ったところが、レーマー(市庁舎)のカイザーザールです。
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ここがカイザザール(皇帝広間)。
カイザードム(大聖堂)で新皇帝の戴冠式を執り行い、その後こちらに移動して戴冠の祝宴が行われた宴会場、とでも言えばいいのでしょうか。 -
今までヨーロッパの豪華なホールを見てきた目には、お部屋自体はそんなに広いとは思えません。しかし圧巻は部屋中にずらりと並んでいる等身大の神聖ローマ帝国の皇帝たち。
肖像画は全部で52体あるそうです(wikiより拝借) -
まあ~なんてすごい顔ぶれ!。目の前の豪華な顔ぶれの皇帝たちに興奮して写真をバシャバシャ撮りました。
今までヨーロッパ旅行でお会いした皇帝が何人もいます。
それらの街や歴史的出来事も織り交ぜつつ、在位年代の古い順に並べてみたいと思います。
全くの私の自己満足的な備忘録ですし、写真も鮮明ではありませんので、適当にスルーしてください。
なお、52名全員の皇帝の写真は撮っておりません。
また番号はあくまでも私の記録(記憶?)のためものです。 -
まずは初代皇帝。
①カール大帝(在位742-814)、フランス語ではシャルルマーニュ。
カール大帝以降の皇帝を、便宜上ここでは神聖ローマ皇帝と呼ばせていただきます。歴史的にいろいろ呼び方はあるようですが。
カール大帝の肖像画は旅先でよく見かけます。あまりにも肖像画の写真がひどいので、ニュルンベルクのゲルマン歴史博物館で見た絵をお隣につけます。デューラー作のこの絵は有名ですね。
神聖ローマ皇帝の三種の神器(王冠・王笏・宝珠)を手にしています。 -
神聖ローマ皇帝の三種の神器の王冠・宝珠(地球)・王笏。
この三種の神器は神聖ローマ皇帝の戴冠式には必要不可欠なもの。
(2016年ミュンヘンレジデンツ)
なお、皇帝に選定された王は兵と共にローマに遠征し、ローマ教皇より戴冠される習わしで、その後アーヘン大聖堂で戴冠式が行われたようです。 -
カール大帝と言えばアーヘン。
アーヘン大聖堂はカイザードム(皇帝の大聖堂)と呼ばれ、カール大帝以降、1531年のフェルディナント1世まで歴代の神聖ローマ皇帝30人の戴冠式が行われました。
アーヘンにはカール大帝の痕跡が多く遺っております。
アーヘン市庁舎のカール大帝の像。
カール大帝の聖遺物が安置されているアーヘン大聖堂の黄金の箱。
大聖堂の宝物殿にはカール大帝の「黄金の胸像」や、歴代の皇帝が戴冠式で使用した椅子もありました。
(写真は2010年の訪問時のもの) -
左:➁コンラート1世(東フランク王、在位:911-918)
中:③ハインリッヒ1世(東フランク王、在位:919-936)
右:④オットー1世(936-973)ハインリッヒ1世の子供。
カール大帝以来40年ぶりにローマ皇帝として戴冠。神聖ローマ帝国の礎を創った。オットー朝。初代オットー朝皇帝。 -
左:⑤オットー2世(973-983)オットー1世の子
中:⑥オットー3世(983-1002)オットー2世の子
右:⑦ハインリッヒ2世(1002-1024)ハインリッヒ1世の曾孫。オットー朝。 -
左⑧:コンラート2世(1024-1039)、ハインリヒ2世が子を残さずに死去したため国王選挙で選ばれた。ここにザーリア朝初代の皇帝になった。
右:⑨ハインリッヒ3世(1039-1056)、コンラート2世の子
ゴスラーの皇帝居城を造ったり、ニュルンベルクのカイザーブルク要塞を建造した。最大の権勢を誇った皇帝。ザーリア朝 -
ハインリッヒ3世が建造したゴスラーの皇帝居城(2007年訪問)と、ニュルンベルクのカイザーブルク要塞。
-
左:(10)ハインリッヒ4世(1056-1106)、父皇帝ハインリヒ3世が早世したため5歳で皇帝の座に就く。
教皇グレゴリウス7世と対立した「カノッサの屈辱」は有名。
右:(11)ハインリッヒ5世(1106-1125)、ハインリッヒ4世の子。
「カノッサの屈辱」で教会との不和が続く父を裏切る。教会との強引な叙任権争いで、教会側から破門される。
子を残さず死去したため、ザーリア朝は断絶。 -
2010年6月に訪れたシュパイヤー大聖堂。
この大聖堂はコンラート2世が永眠の場所として建造を命じたもので、1030年から1061年にかけて造られました。
ザーリア朝の⑧コンラート2世、⑨ハインリッヒ3世、(10)ハインリッヒ4世、(11)ハインリッヒ5世の棺が、シュパイヤー大聖堂のクリプタに安置されています。 -
左:(12)ロタール3世(1125-1137)
ハインリッヒ5世が子を残さず死去したため、選挙により選ばれた。ザクセン朝
中:(13)コンラート3世(1138-1152)再びホーエンシュタウフェン朝。ハインリッヒ3世が造ったニュルンベルクのカイザーブルクを居城として、帝国議会が開かれた。
右:(14)フリードリヒ1世(1152-1190)
この方が神聖ローマ皇帝では超有名なフリードリヒ1世、別名バルバロッサです。コンラート3世の弟の子。 -
もう一度バルバロッサ。ドイツを旅しているとよく見かける名前です。
最近ではローテンブルクのブルク公園にも碑がありました。この碑は、ホーエンシュタウフェン家の(13)コンラート3世により、ローテンブルクに帝国城塞が築かれたという碑。
コンラート3世は甥であるフリードリヒ1世(バルバロッサ)を後継の皇帝に指名しました。
左は、ゴスラーの皇帝居城前のバルバロッサの騎馬像。
また、2012年の一人旅で訪れたヘッセン州のゲルンハウゼンは「バルバロッサシュタット(バルバロッサの街)」と呼ばれています。
https://4travel.jp/travelogue/10675525「2012(2)
☆バルバロッサの街で親切な若者にであった ゲルンハウゼン☆」。
近年ではヒトラーが指示したソビエトへの侵攻作戦「バルバロッサ作戦」でも有名です。 -
左:(15)ハインリッヒ6世(1190-1197)バルバロッサの子
右:(16)フィリップ(1198-1208)バルバロッサの子で兄ハインリッヒ6世崩御後皇帝になったが、ヴェルフェン家のオットー4世に暗殺され、そのことによりホーエンシュタウフェン家の皇帝は一時途絶える。
2人は兄弟、バルバロッサの子供です。 -
左:(16)フィリップ
中:(17)オットー4世(1198-1215)ホーエンシュタウフェン家と対立し、フィリップを暗殺して帝位を奪う。ヴェルフェン朝
右:(18)フリードリヒ2世(1215-1250)ハインリッヒ6世の子
再びホーエンシュタウフェン朝が復活するも、フリードリヒ2世の死後、後を継いだコンラート4世は在位わずか4年で死去。
1254年~1273年は神聖ローマ帝国の王権は不安定で、皇帝不在の時代であった。(大空位時代) -
ここに、(19)ルドルフ、(20)アドルフ、(21)アルブレヒトと並んでいます。
2008年に訪れたフランクフルト近郊の小さな街イトシュタインで学んだ中世の物語(歴史)を思い出します。
https://4travel.jp/travelogue/10559570。
左(20):ルドルフ1世(1273-1291)は、ハプスブルク家の基礎を築いた人物。
スイスの田舎者の王のこと、大した野望は持たないだろうと、王権の強化を嫌っていた選帝侯たちは、神聖ローマ皇帝に推挙します。
中:(21)アドルフ(1292-1298)、ルドルフ亡きあと、選帝侯たちは、有能なルドルフの子アルブレヒト1世より、脆弱な基盤のナッサウ・イトシュタイン家のアドルフを皇帝に選びました。
しかしアドルフは選帝侯たちの意に反して領土拡大に積極的に動き出し、諸侯の反発を招き廃位させられます。
そしてアルブレヒト1世と戦って戦死します。 -
右:(22)アルブレヒト1世(1298-1308)、ハプスブルク家、ルドルフ1世の子。
優れた政治的手腕と冷徹な性格でハプスブルク家の勢力を拡大していきました。それが選帝侯たちに嫌われ、彼らはアルブレヒト1世死後(甥による暗殺)、弱小のルクセンブルク家のハインリッヒ7世を皇帝に選出します。
左:(23)ハインリッヒ7世(1308-1313)、ルクセンブルク家の最初の神聖ローマ皇帝。 -
左:(23)ルードヴィヒ4世(1314-1347)ヴィッテルスバッハ家
中:(24)フリードリヒ(1314-1330)
右:(25)カール4世(1347-1378)ルクセンブルク家 -
左:(26)ギュンター(1349)、ヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ4世の死後、ルクセンブルク家のカール4世に対抗して自ら帝位に就いたが、選帝侯たちはカール4世を選んだ。
中:(27)ヴェンツェル(1378-1400廃位)カール4世の子、ルクセンブルク家
右:(28)ループレヒト(1400-1410)、ヴィッテルスバッハ家。ヴェンツェルが選帝侯により皇帝の座を廃位されたあと、ヴィッテルスバッハ家2人目の神聖ローマ皇帝として選出された。 -
(写真はミュンヘンのレジデンツで、2018年)
(28)ループレヒト(1400-1410)、ヴィッテルスバッハ家。
ヴィッテルスバッハ家からは3人の神聖ローマ皇帝を輩出しています。
ルートヴィッヒ4世(1314-1347)
ループレヒト(ドイツ王 1400-1410)
カール7世(1742-1745) -
左:(29)ジギスムント(1410-1437)カール4世の子、ルクセンブルク家。
中:(30)アルブレヒト2世(1438-1439)ハプスブルク家、ジギスムントの娘婿。
1年という短い在位だったが、彼以降、ハプスブルク家が代々帝位を保持して行くことになった。
右(31):フリードリヒ3世(1440-1493)、アルブレヒト2世の又従兄弟で、皇位在位は50年以上の長きに渡り、ハプスブルク家の皇位世襲の礎を創った。
ローマに遠征し、ローマ教皇から戴冠した皇帝はフリードリヒ3世が最後となった。 -
(29)ジギスムント(1410-1437)
ニュルンベルク歴史博物館に所蔵されているデューラーによるこの肖像画は有名です。
ジギスムントはヤン・フスを処刑したことによりフス戦争が勃発、窮地に立たされる。 -
左:(32)マクシミリアン1世(1493-1519)、フリードリヒ3世の子。
中:(33)カール5世(1519-1556)、マクシミリアン1世の孫
右:(34)フェルディナント1世(1556-1564)、マクシミリアン1世の孫でカール5世の弟 -
(32)マクシミリアン1世
思い出されるのがインスブルックの黄金の小屋根、マクシミリアン1世がその妃と共に催し物を見学するロイヤルボックスとして造らせたものです(2016年訪問)。
マクシミリアンはフランクフルト大聖堂でローマ皇帝に選出され、アーヘン大聖堂で戴冠式を行っています。
黄金の小屋根、宮廷教会でお祈りしているマクシミリアン1世、黄金の小屋根のレリーフはマクシミリアン1世と二人の妻。 -
中:(33)カール5世(1519-1556)、マクシミリアン1世の孫、イタリア・ボローニャで戴冠式を行っています。
カール5世も有名な皇帝です。
2か月前に訪れたレーゲンスブルクで知った、町娘との間にもうけたドン・ファンのことは、まだ記憶に新しい。
ミュンヘン・アルテピナコテークのこの肖像画(ティツィアーン画)も有名です。 -
左:(34)マクシミリアン2世(1564-1576)、フェルディナント1世の子。
フランクフルトのカイザードムで戴冠した最初の皇帝。
もしかして彼が手にしている書類はその証明書?(笑)
中:(35)ルドルフ2世(1576-1612)、マクシミリアン2世の子
右:(36)マティアス(1612-1619)、マクシミリアン2世の子、兄ルドルフ2世とは仲が悪かったらしい。 -
左:(37)フェルディナント2世(1619-1637)、フェルディナント1世の孫
中:(38)フェルディナント3世(1637-1657)、フェルディナント2世の子
右:(39)レオポルト1世(1658-1705) -
(39)レオポルト1世(1658-1705)
皇后はベラスケスの絵で有名なマルガレーテ
オスマン帝国にウィーンを包囲されて(第二次ウィーン包囲)、カーレンベルクの丘からポーランド王ヤン・ソビエスキが駆け下りてオスマン軍を蹴散らしたのもレオポルト1世の時でした。
ウィーンのグラーベンのペスト記念柱も彼が建てたものですし、音楽にも造詣が深く、プルンクザール(図書館)にもブルックナーと共に並べてありました。 -
左(40):ヨーゼフ1世(1705-1711)、レオポルト1世の子
中:(42)カール6世(1711-1740)、ヨーゼフ1世に子がなかったため、弟のカール6世が帝位の座に就く。彼にも男子後継者がいなかったため、長女のマリア・テレジアを相続者にします。そのことで「オーストリア継承戦争」が起きます。
右:(43)カール7世(1742-1745)ルートヴィッヒ4世以来3世紀半ぶりのヴィッテルスバッハ家の皇帝。ハプスブルク家のマリア・アマーリエと結婚。彼女の父が皇帝ヨーゼフ1世(ハプスブルク家)であったことから、皇位継承権を主張し、マリア・テレジア(従姉妹)と「オーストリア・バイエルン戦争」を起こす。 -
(42)カール6世(1711-1740)、マリアテレジアの父。
ウィーン王宮にある世界一美しい図書館(プルンクザール)を創った皇帝。
(2018年訪問、素晴らしかった~) -
○フランツ1世(1745-1765)
○ヨーゼフ2世(1765-1790)
写真があまりにもひどすぎて、上記2代が抜けております。
フランツ1世はマリア・テレジアの夫で形の上では彼が神聖ローマ皇帝ですが、マリア・テレジアは皇后
またヨーゼフ2世はマリアテレジアの息子で、父フランツ1世の亡きあとは、マリアテレジアと共同統治をおこないました。
この2代は、マリアテレジアが神聖ローマ帝国の女帝だったようなものですね。
(写真)
上:ウィーンのマリアテレジア広場のマリアテレジア像。
下:ウィーンのヨーゼフ広場のヨーゼフ2世。 -
(44)レオポルト2世(1790-1792)、皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの息子。わずか2年の皇帝在位でした。
右の写真は、兄ヨーゼフ2世と弟レオポルト2世。
2018年美術史美術館で。
(余談)
1790年のフランクフルト大聖堂でのレオポルド2世の戴冠式に随行したのはサリエリ。冷遇されていたモーツァルトはお呼びがかからなかったが独自に決行、カタリーネン教会でオルガンコンサートを開いたそうです。 -
(45)フランツ2世(1792-1806退位)レオポルト2世の子、最後の神聖ローマ皇帝。フランスのナポレオンとの戦いに敗北したフランツ2世は、ウィーンで神聖ローマ帝国の終焉を宣言しました。
ここに、800年のカール大帝(シャルル・マーニュ、カール1世)から始まり、1806年ハプスブルク家のフランツ2世まで、1000年続いた神聖ローマ帝国は終わりを迎えるのです。 -
ウィーン王宮の中庭には、神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世の像があります。
またブルク門には、
「FRANCISCVS. I. IMPERATOR. AVSTRIAE. MDCCCXXIV.」
(1824年にオーストリア皇帝フランツ1世となった)と刻まれています。
神聖ローマ皇帝フランツ2世は、最初のオーストリア皇帝フランツ1世となったのでした。 -
シニア3人旅で2か月前にレーゲンスブルクを訪れた際、帝国議会場をガイド付きで見学しました。
奇しくも、レーゲンスブルクの帝国議会は1806年8月1日に帝国の解散が決議された、最後の帝国議会の場所でした。
神聖ローマ帝国の始まりと終わり
過去のヨーロッパの旅で、私もいろいろと神聖ローマ帝国に関わってきたんだなーと、改めてヨーロッパの奥深い歴史に興味を抱きました。(写真は2018年6月に訪れたレーゲンスブルクの帝国議会場) -
2016年に訪れたハンブルク市庁舎でも多くのカイザーたちに出合いました。
市庁舎のテラスには等身大の20体以上のカイザーたちの像が並んでいます。
またファサードには、カール大帝とバルバロッサの像。 -
ゴスラー、カイザーヴォルト
この鮮やかな建物は、カイザーヴォルト。
オレンジ色の壁にはカイザーたちの等身大の像が立っています。
(2008年) -
私が歴代の神聖ローマ皇帝の肖像画を夢中で撮っている間に、いつの間にか中学生のグループが係員から熱心に説明を受けていました。
じゃまにならないように、そっと皇帝の間を後にします。 -
別の部屋にあった巨大なタペストリー。
絵から推測してアレキサンダー大王の戦いの場でしょうか。 -
カイザザールを出て、中庭から眺める。
壁にはフランクフルト・アム・マイン市の16管区の紋章が飾られています。 -
中庭のポセイドンの噴水。
-
カイザーザールの中庭を出ると、レーマー広場の先にフランクフルト大聖堂(カイザードム)のゴシックの塔が見えます。
-
そして市庁舎。
歴代のカイザーたちが一堂に会していた皇帝広間(カイザーザール)は、真ん中のバルコニー付きの時計のある建物の中です。 -
空港に行くにはまだちょっと早い、だけどどこかへ行きたいという当ても思いつかない。
レーマー広場をブラブラして・・・。 -
ぶらぶらとヴィリーブラント広場まで歩いて、オペラ劇場前から12番のトラムに乗りました。
-
中央駅の1つ手前、ミュンヘナー通りの停留所を降りて、ホテルへ。
預かってもらったスーツケースを引き取りに行きます。
あ~~懐かしい~~。ここは本当に何度も通りました~。 -
ホテルのお隣の建物のATMの横には、「オスカー・シンドラー」のレリーフ。
あの「シンドラーのリスト」で有名なオスカー・シンドラーは1965年から1974年までこの家に住んでいたのだそうです。 -
ホテルで荷物を引き取って、Sバーンでフランクフルト国際空港に着きました。
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まだ搭乗時間には早いし、ゲーテ・バーで最後にお茶をしましょう。
このゲーテ像は、シュテーデル美術館の「カンパーニャのゲーテ」を模してあります。 -
薫り高いコーヒーと・・・。
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この旅でも何回か口にしたアプフェルシュトゥーデルをいただきます。
旅の最後のデザートですから、ちょっと豪華に数種類のベリーで飾られたものを。バニラソースがかかった温かいデザートです。 -
孫娘や息子夫婦と回った南ドイツ・オーストリアの1週間、その後一人でボン・フランクフルトと旅をした合計2週間の私の夏の旅もいよいよ終わりに近づきました。
早く帰りたいようなもっと長く旅していたいような・・・。
旅の終わりにいつも感じるもの悲しさ、アプフェルシュトゥーデルをいただきながら、旅の思い出に浸ります。 -
あそこに係留しているANA機が私を日本へ連れて帰ってくれます。
お・わ・り
備忘録とも、ボケ防止の雑記帳ともつかないグダグダした私の旅行記を最後まで読んでくださってありがとうございました。
早くまたヨーロッパ旅行がしたい!
来年こそは絶対行くぞ!と決めました。
それまでは、皆様の旅行記でしっかり勉強させていただきます。
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