2018/10/03 - 2018/10/03
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frau.himmelさん
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鹿児島市内で「西郷どん」追っかけをした後は、薩摩半島をぐるっと回って指宿・開聞岳・枕崎を通り、今回のもう一つの目的地、いちき串木野市にある「薩摩藩英国留学生記念館」を目指します。
結構な長い運転になるけど大丈夫なのかしら?
薩摩半島の先端に行こうと言ったのは夫の希望、成り行きに任せます。
結果を申しますとやっぱり無理でした。
夫の兄弟会の延長で城山観光ホテルの朝食をゆっくり摂り、11時過ぎにホテルを出発して、西郷洞窟、西郷生誕の地、明治維新館、そして鹿児島駅ビルに駐車して「若き薩摩の群像」を見てから、鹿児島を1時過ぎに出発したのですから無理もありません。
皆様は特攻基地で有名な知覧の程近く、吹上浜にもう一つの特攻基地があったことをご存じでしょうか?
太平洋戦争末期のこと、戦局は激しさを増し、特攻隊が飛び立つ基地も知覧飛行場だけでは間に合わず、急遽突貫工事で造られた万世飛行場、ここは昭和20年3月から7月までの4か月しか使われなかったので、「幻の特攻基地」と呼ばれています。この飛行場から201名の若き特攻隊員たちは南の空に飛びたち、散華したのでした。
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鹿児島市内で「西郷どん」の関連史跡を見学した後、指宿方面に向かって南下します。
南国らしいシュロの並木道が続いています。 -
薩摩半島の地図です。
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突然山の上に顔を出したロケット!
ここがあのロケット打ち上げ基地?って一瞬思いましたが、そんなことはありませんね。あれは大隅半島の方でしたから。
遊園地か何かでしょうか。 -
天気予報では台風が近づいているって言っていたけど、海も穏やかで気持ちのいいドライブ日和です。
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列車と並走したり・・。
上を走る鉄道は指宿枕崎線。 -
カーナビ任せの運転はラクチンです。
「そろそろお腹が空いたね、何か食べようか」とハンドルを握っている夫が言います。
「そうね海沿いだから美味しい魚料理があるでしょう」と私。 -
この石油コンビナートを過ぎて少し走れば「道の駅いぶすき」があります。
レンタカー屋さんで無料でいただいた観光ガイドには「彩花菜館(さかなかん)」とあります。
名前だけ見ても美味しいお魚が期待できそう。 -
道の駅いぶすき「さかなかん」。
レストランは2階です。
あ~~、お腹空いた。
お店の人に、何か美味しいお魚を食べさせてくださいと言うと、今日は海が時化て魚は何も入荷していないんだとの返事。
え~っ!では何ができますか?
そうだな、メンチカツとかコロッケとか・・・。 -
すっかりお魚モードでスタンバイしている私のお腹は拒否態勢。
夫に、もう少し別なところをを探しましょうと提案するも、
「これから探すのは面倒だからそれでいいじゃないか」と。
仕方がない、お店の人に聞くとお蕎麦はできるとのことなので、私はお蕎麦で我慢します。
小皿に入ったトロロはお店の人の好意です。
夫は写真を撮る前に食べ始めています。 -
こんな近くにこんなきれいな海があるのに、お魚が食べられないなんて・・。
まあ、この景色がご馳走ね。 -
ここ指宿は天璋院篤姫ゆかりの地。
篤姫が於一(おかつ)と呼ばれていた幼少のころ、この近くに住んでいたそうです。 -
「女の道は一本道
定めに背き引き返すのは恥にございます」
2008年大河ドラマ「篤姫」より
と彫ってあります。
今の「西郷どん」と同じように、「篤姫」をドキドキしながら見ていました。
原作は宮尾登美子さんでしたね。 -
階段を登ると東屋風の展望台。
なんだかメルヘンチック。
向かって右側には「鐘」があります。
案内板。
Pomai kai《ポマイカイの鐘》
Pomai kaiとはハワイ語で「幸福・恵・祝福」を表す語です。
この鐘をならすと幸せになるらしい。私も一つならしました
幸せになるといいな。 -
そして向かって左側にはグリーンとピンクのポスト。
このポストに手紙を投函するとちゃんと配達してくれるのかしら? -
展望台からの景色がお薦めの撮影スポットだそうです。
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次の予定があります。
ゆっくりしていられません。 -
そのまま海沿いの道を、カーナビに従って開聞岳の方に車を走らせているつもりでした。
何か違う。海が見えないのです。
でも正面には薩摩富士と呼ばれる開聞岳の姿が見えるし・・・。 -
そのまま車を走らせていたら、海ではなく湖が見えてきました。
ここは九州最大の湖と言われる「池田湖」。
大昔の火山活動でできたカルデラ湖です。 -
この池田湖には巨大生物が棲息しているとの噂があります。その生物は、ネス湖のネッシーになぞらえて「イッシー」と呼ばれています。
実際に1978年9月3日には指宿市の住民約20名によりイッシーが目撃され、全国で報道されたため有名となりました。
今では池田湖のアイドルです。 -
説明文。
イッシー君の正体については、恐竜の生き残りであるとか、大ウナギ、巨大魚などの様々な説が飛び交っています。 -
再び開聞岳へ向かって車を走らせます。
カーナビは内陸沿いの道を指示してきます。
ともかく開聞岳まで行けば海に出るでしょう。
いたって呑気です。 -
前方になだらかな稜線を広げた開聞岳が大きく見えてきました。
もう少し近づいてみよう。
と、ここで問題発生。
ただいま午後3時。こんなにのんびりしていて串木野の薩摩藩留学生記念館の入館時間に間に合うの?
慌てて進路変更。
枕崎には寄らないで内陸部を縦断し南さつま市に出て、そこから国道270号を北上しよう。 -
しかし、南さつま市に入るころは既に4時過ぎ、到底時間内に串木野市まで行けません。
今日は止めようか。
そして観光案内地図を見ていたら、近くに「万世特攻平和祈念館」の文字が見えました。
知覧の特攻隊の祈念館は2度ほど訪れたことがありますけど、ここは全く知りませんでした。 -
入り口からずっと続く石灯籠。
この写真は帰りに撮りましたので、前方が入口(営門)になります。 -
敷地に入ってからも数えられないくらいの石灯籠が立っている。まだ新しい。
人の姿はほとんど見かけない。
まるでパワースポットか何かに迷い込んだ感じ。緊張します。 -
ほとんど空っぽの駐車場に車を停めて、祈念館の方に向かいます。
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「平和祈念館」と書かれた建物。
これは駐車場側(横)から見た部分。 -
正面に周ってみましょう。
「万世特攻平和祈念館」とその右手には、特攻隊員の軍服をつけた「よろずよに」の像。 -
説明文がありますので、丸写しします。
「ここは、わが国三大砂丘の一つに数えられる吹上浜の南端に位置し、太平洋戦争の戦局が急を告げつつあった昭和18年の夏から19年の末にかけて本土防衛、沖縄決戦の軍航空基地として建設された「万世陸軍飛行場」の一画にあたる大戦の思い出の地であります。
昭和20年3月から燃料を集積、3月末から飛行第66戦隊が配置され、さらに同年4月初第6航空軍の作戦計画によって特別攻撃隊およびその掩護と防空の飛行第55戦隊も配置され特攻基地となり、沖縄作戦の最も熾烈を極めた7月下旬までに、ここ万世基地から飛行第66戦隊および特攻振武隊の諸隊、これを掩護する飛行第55戦隊の若き勇士が祖国護持の礎たらんと勇躍沖縄方面へ出撃し、南海の大空に散華したのであります。
終戦後幾星霜、今では当時の面影として、営門と水槽を残すのみとなりましたが、ここに立って松風や潮騒を耳にしながら「祖国のために」を合言葉に征きて帰らざる壮途についた紅顔の英姿をしのびつつ平和へ誓いを新たにしたいものです。 -
こちら側には凛々しき戦闘服の若者の慰霊碑、そして足元には「よろずよに」。
「よろずよ」とはこの地名「万世飛行場」のことでしょう。 -
そしてここにも銘碑があります。これも丸写しを。
「昭和19年(1944年)、太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地萬世飛行場が建設された。
昭和20年(1945年)3月28日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武体の諸隊、飛行第66戦隊、飛行第55戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った。一機また一機と。
征きて帰らざる者あまた。或いは空中に散華。或いは自爆。壮絶にして悲絶。その殉国の至誠は鬼神もこれに哭(こく)するであろう。
終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄(こんぱく)を鎮め、その偉勲を讃えんがために、ここにこれを建立する。
昭和47年(1972年)5月29日 -
衝撃を受けました。
こういう特攻基地があることは全く知りませんでした。
特攻基地で有名なのは知覧、ここは2度ほど訪れています。
後日調べたら、戦争の激化に伴い、知覧飛行場だけでは間に合わず、急遽ここ吹上浜にもう一つの特攻基地が造られたのです。
この特攻基地は、昭和20年3月から7月までの約4か月の短い期間に、201人という特攻隊員が片道だけの燃料を積んで敵に体当たりする目的で大空に飛び立ちました。
そのほとんどの人は生きて帰れませんでした。 -
その周りにもたくさんの石灯籠。
終戦間際のわずか4か月しか使われなかったので『幻の特攻基地』といわれています。
知覧があまりにも有名で、ここ万世飛行場は知らない人も多いのではないでしょうか。私も知りませんでした。
わずか4か月といっても、201人もの特攻隊員が飛び立っていったのですね。 -
「よろずよに」の碑の対面には、「萬世陸軍航空基地戦歿者殉職者慰霊之碑」と彫られた碑を中心として、石灯籠が周りを囲んでいる一画があります。
碑を読むと、この万世特攻飛行場で勤労奉仕していた地域の国防婦人部の方々13名が米軍の空爆で尊い命を落とされたそうです。
その方たちの慰霊碑です。 -
庭の隅にプロペラが展示してありました。
このプロペラは、現在まで自衛隊で使われていた初等訓練用のもので、当時、万世飛行場に配置されていたほぼ同型のものだそうです。
大空に散った若者たちは、十分な練習期間はあったのでしょうか? -
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こちら側が正面入り口だったようです。
ここにも石灯籠が。
この先に県立吹上浜公園があります。
公園にはかって若き特攻隊員たちが飛び立った滑走路がありました。
201名の特攻隊員たちは二度とこの滑走路に降り立つことはありませんでした。 -
碑文
「若鷹は 湧き立つ雲指し翔け入りぬ」。
祖国のためにと願って、死を当たり前のことと覚悟して飛び立った若き勇士。そのほとんどは10代の今で言う高校生くらいの若者だったとか。
胸が痛みます。
もっと早く戦争が終結していれば・・・、この若き命は、別な形で祖国のために貢献してくれたことでしょうに。 -
「万世特攻平和祈念館」
この地から大空に飛び立って亡くなった特攻隊員たちを慰霊し、平和の誓いを新たにするために、昭和47年に「万世特攻平和記念館」が建立されました。
外観は少年飛行兵たちが初めて飛んだ練習機「赤とんぼ」の複葉型を模し、大屋根は平和を祈る合掌をイメージした型をしています。 -
閉館時間まであと30分。
夫が「どうする?(中に入る?)」って聞いたけど、私は「今日はいいわ」って答えました。
館内には、祖国のためにと散って行った隊員たちの最後のメッセージや遺品、遺書などが展示されているそうです。
そんな少年たちの命を懸けたメッセージを、閉館時間を気にしつつ駆け足でバタバタしながら見たくはなかったのです。
またいつか訪れることもあるでしょう。 -
1枚だけネットよりお借りしました。
有名な写真ですからご存じの方も多いかも。
子犬を抱いた飛行服の少年を中心に5人の特攻隊員たちが微笑んでいます。まだ幼さの残る17歳の少年たちは、2時間後には出撃しなければならなかったのです。
目前の死を覚悟しているとは思えない少年たちの澄んだ笑顔。
怖くなかったのかしら、死にたくない!って泣き叫びたくなかったのかしら。
彼らの心情を思うと胸が潰れる思いです。
この撮影後悪天候で当日は出撃は中止になりましたが、翌早朝、彼らは、万世飛行場から沖縄の空に出撃し散華しました。 -
ずらりと並んだ「献灯」と彫られた石灯籠の中を通って帰路に就きます。
もしかして、あの石灯籠は犠牲者の数だけ立っていたのではなかったか。
若くして国のために戦って散った、201名の特攻隊員たちの冥福を祈らずにはいられませんでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2018/11/13 18:09:07
- 目指した地の途中で。
- himmelさん
こんばんは。
旅行記、拝読致しました。
薩摩半島、南端まで目指して、ぐるっと回り串木野を
目指されたんですね。
思いがけず立ち寄られた池田湖、そして吹上浜近くにある
もう一つの特攻隊の基地跡
学生時代、九州一周をした折、吹上浜までは辿りつきましたが
まさかそのような基地があったとは知りませんでした。
ネットからお借りされたというまだ幼さの残る少年たちの
特攻前の最期の写真
仔犬を抱いてあどけなく微笑んでいる姿が、一層
悲しくなります。
石灯籠、仰るように若くして散って行かれた若者たちの数だけ
立っているのでしょうね。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2018/11/16 13:40:57
- RE: 目指した地の途中で。
- mistralさん、こんにちは。
いつもコメントありがとうございました。
>薩摩半島、南端まで目指して、ぐるっと回り串木野を目指されたんですね。
そうなんです。
鹿児島市内を1時過ぎに出発して、無謀と言うか無知と言うか・・・(笑)。当然ですね、串木野までたどり着けませんでした。
でも今回の旅は、串木野行きが重要な目的の一つでしたから、翌日行きました。
万世特攻基地から出発した若者が、将来の夢も希望も捨てて、お国のためにと大空に散って行ったのとは違って、同じ若者でありながら、大きな希望を持って大海に飛び出して行った薩摩留学生たち、次回の旅行記で取り上げたいと思っています。
仔犬を抱いて屈託なく微笑んでいる特攻隊員たち、あの写真の存在には胸を締め付けられました。
今の高校生くらいの少年たちなんですよね。
あの石灯籠、最初はどうしてあんなにたくさん、場違いなものがあるのだろうと思いましたが、少年たちの霊を慰めるためのものでしょうね。
犠牲者の数だけあったのか?その根拠は探すことはできませんでしたが、帰るころにはそう思えてきました。
今回は祈念館に入場しませんでしたが、いつかきっとゆっくり少年たちの声に耳を傾けたいと思っています。
返信遅くなって申し訳ありません。返したつもりでおりました。
himmel
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