2018/06/12 - 2018/06/12
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三河の名城巡りです。かつての田原城の『二ノ丸跡』に建つ、巴江神社と田原城博物館を見学しました。巴江(はこう)神社は、最後の田原城主となった、12代の三宅康和(在位:1850~1869年)の時に招請されました。(ウィキペディア、田原市関連公式サイト)
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イチオシ
『巴江神社』の社殿光景です。正面が銅葺屋根の拝殿です。『巴江(はこう)』の名前の由来は、元々この地は東・北・西の三方が海に面し、湾の形が巴のように見えたので『巴形の湾(江)』で『巴江』と呼ばれることになったようです。(同上)
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拝殿に向かって右手方面の社殿光景です。社務所当たりの建物でしょうか、手前の方の南東化は、真新しい造りのようです。拝殿などのような屋根の反りはなく、さっぱりとした本瓦葺の屋根に白い壁面でした。(同上)
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『巴江神社』の手水舎の光景です。社殿のいくつかは新しい造りに見えましたが、比較的新しいこの手水舎は、むしろ古い方に見える造りに見えました。銅葺屋根のオーソドックスな四方転びの造りです。(同上)
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高く積まれた石に基壇の上に載せられた石灯篭の光景です。春日灯篭の六角形の標準形とは少し形が異なる正方形をベースにした造りでした。彫刻などの飾りを出来るだけ省いた、さっぱりとしたスタイルでした。(同上)
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対になった石灯篭の、もう一方も紹介しておきます。梅雨はまだ明けていませんが、初夏の強い座視を受けて、木の葉の陰がしっかりと映されていました。(同上)
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『遷宮記念碑』の大きな文字が記された、立派な看板の光景です。『平成四年五月吉日」の文字が添え書きしてありました。伊勢神宮とは海上では20キロほどしか離れていない巴江神社は、昔からつながりが深い神社のようです。1993年(平成3年)の遷宮に因む記念碑かも知れません。(同上)
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ずらりと並んだ石灯篭の光景です。背が高く、六角形をした春日灯篭が2^3メートルの間隔で並んでいました。背が高い灯篭ですから、地震などに備えて、足元がしっかりとした土台で支えられていました。(同上)
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『巴江神社』の境内と、その周りの社殿の光景です。少し小振りな社殿は、『富多満瑠稲荷社』です。社殿の前には、おキツネさんがいました。その左には、稲荷社に付きものの赤い鳥居が並んでいました。(同上)
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左斜め前から眺めた拝殿の光景です。幕末までの12代に亘って城主を務めた三宅家の家祖は、南朝の忠臣の児島高徳です。その児島高徳を祀るのが、巴江神社です。東京の千代田区永田町の皇居堀端に残る『三宅坂(みやけざか)』は、田原藩の三宅家の上屋敷があったことに因みます。江戸時代以来、堀端の景勝地として知られる場所です。(同上)
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立派な本瓦の屋根を持った社務所の光景です。その前にソテツの木があり、右横には、800貫(3トン)とも言われる大きな石製の手水鉢があります。この手水鉢を持ち上げたとされる、三宅家の大力のお姫様の物語が伝わります。三宅の殿様の御先祖は、代々、大力で有名でした。それが、お姫様に遺伝したのです。この大力が女性に伝わったことで、いい伝え通り、この後には出現しませんでした。(同上)
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境内の片隅にあった、掲示板の光景です。6月の神事の表示札が収められていました。その下には、『巴江神社』の文字が刻まれた石碑が置かれていました。その石碑には、社章でしょうか、巴をイメージする赤い文様が記されていました。(同上)
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『巴江神社』の文字が刻まれた石標の光景です。落款の文字は、『元帥伯爵・東郷平八郎』でした。『東郷平八郎(1843~1934年)』は、幕末から昭和時代初めの武士(薩摩藩士)で、海軍軍人でした。最終階級は元帥海軍大将です。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り、日本海海戦での完勝により国内外で英雄視され、『陸の大山、海の東郷』、『アドミラル・トーゴー』、『東洋のネルソン』と呼ばれました。(同上)
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冠木門があった、『田原市博物館』の入口光景です。この場所も、先程の『巴江神社』と同じく、かつての田原城の縄張りの『二ノ丸跡』になります。公式HPには、田原市博物館の歴史環境を、『田原市の歴史は古く縄文時代に遡り、伊勢神宮領、渥美古窯、戸田宗光の田原城築城までの歴史的な流れは、市内に所在する遺跡等にその痕跡を見ることができます。』と紹介されていました。(同上)
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『田原市博物館』の文字が記された、冠木門の横から眺めた『田原市博物館』の前庭と建物の光景です。公式HPには、田原市博物館には、『重要文化財渡辺崋山関係資料、国指定史跡吉胡貝塚・大アラコ古窯跡・百々陶器窯跡、田原藩関係資料等、数多くの文化財及び史跡が存在しています。』と紹介されていました。(同上)
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かつての田原城の『二ノ丸跡』に残る石垣の光景です。建物遺跡などはなくなりましたが、この石垣などは遺物として残されたようです。中央やや右手に見える標識には。『二ノ丸跡(文化財収蔵庫)』の文字が記されていました。(同上)
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田原城址の『二ノ丸跡』に建てられた、田原市博物館の中庭にあった案内標識の光景です。『二ノ丸櫓展示中・無料で観覧できます」の文字と矢印がありました。展示内容の吉胡貝塚、山崎遺跡、渥美古窯、田原城も表示されていました。(同上)
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渥美半島の古窯の発掘調査で出土した釡や壷などが展示された展示室の光景です。先程の案内看板に従って、石段を上がった二ノ丸櫓』の中の展示室です。(同上)
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イチオシ
渥美半島の古窯の発掘調査で出土した釡や壷などの展示状況です。『渥美窯』は、古代猿投窯の灰釉陶器を遡源とする『山茶碗』を焼く窯が渥美半島にも伝播したことで生産が開始され、12世紀初頃(平安時代末期)から13世紀末(鎌倉時代)にかけて操業したとされます。(同上)
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*渥美半島の古窯出土品の紹介です。(同上)
坪沢10号窯出土
(13世紀前後) -
『大甕』
踏分古窯出土
(13世紀前半) -
『広口壷』
坪沢10号窯出土
(13世紀前後) -
『大甕』
鴫森3号窯出土
(13世紀前後)
現代の陶工でもうなるほどの技術の高さを持った『大甕』の造りと解説されていました。表面を叩いて成型した後が残った大甕です。 -
『広口瓶』
坪沢2号窯出土
(12世紀前半) -
『大甕』
大アラコ2号窯出土
(12世紀前半) -
『広口壷』
坪沢4号窯出土
(12世紀前半) -
『大甕』
笹尾15号窯出土
(12世紀前半) -
『坪沢二号窯実測図』のタイトルがあった説明パネルです。右下に、2メートルの縮尺表示がありました。かつて産地不明の幻の『黒い壺』と呼ばれた蓮弁文壺が焼かれたとして、渥美窯の名を全国に知らしめた窯跡です。渥美窯成立の時期から終末期まで続いた渥美半島最大の窯跡群です。うち5基が発掘調査され、蓮弁文壺をはじめ、大甕・長頸壺・短頸壺・広口壺・山茶碗など種類・量共に多くのものが出土しています。(同上)
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『大アラコ2号窯』のタイトルがあったモノクロ写真の光景です。『大アラコ古窯跡(おおあらここようせき)』は、愛知県田原市芦町大アラコ地区にある遺跡です。平安末期から鎌倉時代に栄えたと考えられている渥美窯の古窯跡の一つで、国の史跡です。1971年(昭和46年)に国の史跡に指定されました。(同上)
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『大アラコ2号窯遺物出土状況』のタイトルがあったモノクロ写真の展示光景です。昭和30年代までは渥美半島で過去に陶器を作っていたことは知られてなく、それに当たるものは『謎の黒い壺』と呼ばれていました。この大アラコ古窯跡の発掘を嚆矢として、渥美半島全域で古窯の調査が進み、多くの場所で陶器を生産していたことが明らかになりました 。 (同上)
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『坪沢2号窯遺物出土状況』のタイトルがあったモノクロ写真の光景です。折り重なって出土した、夥しい焼物の遺物の光景です。(同上)
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