2017/12/19 - 2018/03/30
958位(同エリア3724件中)
サンフランさん
- サンフランさんTOP
- 旅行記152冊
- クチコミ80件
- Q&A回答388件
- 195,781アクセス
- フォロワー10人
秋が深まり、例年になく京都はかなり寒くなってきた。師走の京都を歩く。
寺社以外に由緒ありそうな建物は京都にたくさんある。大戦の空襲がなかったので、明治、大正昭和の近代化されたころの建築物も探すと面白い。
今年の初もうでは定番、1日は伏見稲荷、2日八坂さんへ
2月2日の節分は八坂神社で花街の舞妓さんの舞が奉納される。
2月23日
醍醐寺の境内は花見でもないのに大勢の人で賑わう。5大力さんと呼ばれる宗教行事であるが、23日には力自慢の大会がある。月光仮面も登場!
冬の京都では毎年、観光協会が非公開の文化財を特別公開する。今年は妙心寺東海庵が公開された。妙心寺東海庵の東海一連の庭は3神山を表した庭とされている。古代中国の東方の海にあったという「三神山」を表した庭は禅寺に多く、今までもいくつか拝見した。不老不死の仙人が住むと伝えられている神仙思想にもとずくものである。毎年特別公開は楽しみになる。
3月下旬、寒かった冬も終わり春だ! 桜は早くも満開となった。期待してこなかった観光客も思わぬ桜満開で!
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
PR
-
師走の京都でも社によっては宗教行事でにぎわっている。
御金神社
まさに金運のパワースポット! -
この由緒ありそうな建物は、生湯葉の製造の会社!
-
創業190年の豆腐屋さん
入山豆腐入山豆腐店 専門店
-
なぜか桂小五郎の像が立っている。どうやら土佐藩の屋敷跡になるらしい
-
京都市役所の近くにあるホテルオークラ
-
結構な店構えのイタリアン
リストランテ・ストラーダリストランテ ストラーダ グルメ・レストラン
-
お池どうりの一角にちょっとレトロな建物が!
左は麹屋町通り -
柊や旅館です
創業は100年以上前?柊家旅館 宿・ホテル
-
デビッドボウイの定宿だった俵屋
こちらも江戸時代からの老舗旅館俵屋旅館 宿・ホテル
-
こちらも由緒ある炭や旅館
この3軒は麹屋町通りにいまだに連ねています。炭屋旅館 宿・ホテル
-
鴨川の堤防の上に立つこのお宅?
いつも白い暖簾が出ている。
京都でこのような白暖簾を何軒か見た。 -
酒蔵もマンションに
松井酒造鴨川蔵
京都市左京区吉田河原町1-6 -
京都市内には由緒ある木造建築のほかにも大戦の空襲にあっていないため近代の明治、昭和初期の建物も多く残っている。
旧・不動貯蓄銀行京都支店
中京区 三条通富小路西入ル 大正8年建築SACRAビル ショッピングモール
-
元島津製作所本社
今はレストランになっている。 -
ハリストス正教会
京都ハリストス正教会 寺・神社・教会
-
御幸通り六角上ル
St. Andrews 教会 -
烏丸御池からちかくにあるマンガ・ミュージーアム
京都国際マンガミュージアム 美術館・博物館
-
反対側は両替町通押小路下る
どうやら廃校を再利用したようだ!
昭和前/1929/2006改修
鉄筋コンクリート造2階地下1階建、建築面積669㎡
京都市登録有形文化財(建造物)
敷地西側の両替町通に面して建つ鉄筋コンクリート造2階建。正面中央
に玄関を開き、南・北に翼棟をつけたH形平面をもつ。玄関は片持ちの
庇を付け、上部の窓は額縁と方立はアール・デコ風の意匠。西面窓の
方立で垂直性を強調し、簡潔で特色ある外観を呈する。」(文化遺産オンライン) -
こちらも廃校になった校舎
いまはフランスの学校が入っている -
旧成徳中学校
1931年竣工
こちらも廃校の旧校舎
蔦に隠されているが北西東端に美華な中世風柱頭飾りがある。 -
3条烏丸にある道路原票
3条通りは旧東海道、ここが東海道の起点だろうか? -
烏丸ーたこ薬師にあるこの建物も歴史を感じる。
旧山口銀行京都支店
1916年竣工、辰野金吾の設計
「幾何学的な装飾も見所」(井上章一京都洋館ウオッチング)
屋上のとんがり帽子の屋根が気になる。 -
中京郵便局
同じく三条通りにある.
「明治35年レンガ造り2階建ての局舎は建設された。ネオルネッサンス様式の外観で、外壁は京都市登録文化財」(石川裕一 京都の洋館) -
京都府京都文化博物館別館 旧・日本銀行京都支店
赤レンガに白い石という、辰野式の典型。 辰野金吾設計
三条通高倉北西角 明治39年建築 -
こちらもイタリアン
divo diva
京都はイタリアンも多いみたいだ -
家邊徳時計店
三条通りはクラッシクビルの多い通り?家邊徳時計店 名所・史跡
-
同じく三条通りにある1928ビル
昭和3年(1928年)の竣工
旧毎日新聞京都支局
「外観意匠はアメリカン、アール・デコのデザイン」(石川裕一 京都の洋館)
設計は武田五一
「東大の助教授、若くしてイギリス、フランス、ドイツで図案を学ぶ留学は3年、留学後は東大の戻らず京都へ」(井上章一、京都洋館ウオチング) -
革島外科
麩屋町通六角下る
文化庁登録文化財
昭和前/1936年建造、木造3階建、瓦葺、建築面積376㎡
市役所の南西,麩屋町通に西面して建つ住宅兼病院。ロ字形平面を基
本とした木造3階建でフランス瓦を使用。北西端に円錐形屋根を架した
タイル張の円筒形塔屋,正面南寄りには格子窓を垂直方向に連ね妻を
ハーフティンバーとした階段室を張出すなど独特の外観」(文化庁データベース) -
四条に下って橋の両側、南座の前にはこんなビルもある。
レストラン菊水
「大正5年北座の土地に瓦煎餅を商っていた奥村小太郎によって前身である菊水館が開業、鉄筋コンクリート5階建てで放物線状のアーチを描く塔屋がつく意匠、1階部分は外壁がタイル、2階以上はモルタル仕上げ」(石川裕一 京都の洋館) -
東華菜館
「前身は、西洋料理店「矢尾政」。
大正の頃よりビアホールブームが始まっており、大正13年、「矢尾政」二代目店主・浅井安次郎氏が新しいビアレストランをイメージし、その設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に依頼。 大正15年(1924年)に、このスパニッシュ・バロックの洋館が生まれました。
その後、戦時色が深まる中、洋食レストランの存続が許されない状況になり、浅井安次郎氏はこの建物を中国人の友人・于永善に託しました。
中国山東省出身の于永善は、大連で北京料理のベースである山東料理を修得して来日しており、ここで北京料理店を創業。
昭和20年末、「東華菜館」が誕生致しました。 尚「東華菜館洛北店」は、現店主・于純政が、平成5年にオープン致しました。」(ホームページ) -
河原町四条下る
レトロなビルがある。 -
寿ビルディング?
漢字が「壽」になっている。右から書かれているのは古いビルだろう? 歴史的建造物ですか? 商業ビルのようだ。 -
観世の能楽堂と思っていたこの建物は藤井斉成会有鄰館
こちらも武田五一の設計
「大正15年(1926年)に設立された。日本の私立美術館としては草分けの1つである。京都市登録文化財の建物」(WIKIPEDIA)
能楽堂はその後ろのモダンな建物だった。 -
下村正太郎邸
烏丸丸太町通り上ル
大丸百貨店の先代の社主、下村正太郎の住居として建てられた。設計はヴォリーズ、1932年竣工、コンクリート造り
「中道軒が本来の名である。これは建築のチュードルにちなむ。ロンドンの百貨店リバティが大店舗をチューダ様式で建設した。下村はこれに触発されてこの様式に愛着を深め、自邸でも採用するに至った。」(京都市文化観光資源保護財団 近代京都の名建築) -
聖アグネス教会
明治31年(1898年)建造
明治28年大阪から移転した平安女学院の礼拝堂として建築された設計は立教大学の校舎などを手がけたガーディナー」(石川裕一 京都の洋館) -
聖アグネス教会の裏側は平安女学院の校舎
-
御所の東側に高等学校がある。
1933年建造の府立鴨泝高校(旧府立第一高等女学校)
「正面中央の頂部に千鳥破風を乗せている。両端へは反りも付けている。庇を前に出し、最上階の影を強め、その上の瓦屋根を引き立てている。1930年代には和風のゆり戻しが起きている。
設計は十河安雄」(井上章一 京都の洋館ウオッチング) -
これが校門!
今は隣に通用門があるようだ。 -
この喫茶店の名前
Pooh's Cafe
英語の意味を分かって使っているのか?!pooh’s?・・・cafe グルメ・レストラン
-
ベジタリアンレストラン
浮島ガーデン
京都にはたくさんある! -
五条下る富小路通にはひっそりとした寺が並んでいる。
上徳寺
知恩院を本山とする浄土宗の寺。「1603年徳川家康により上徳院殿(阿茶局)を開基として、伝誉蘇生上人を開山に招じて建立したと自伝にいわれる。度重なる災火により焼失して明治期に再建された。本堂は1753年建立の永観堂の祖師堂を移築した。地蔵堂は1781年に再建され世継地蔵と呼ばれる。よい世継ぎが授かるお利益があると人々の信仰を集めている」(京都市立て札) -
長曾我部氏の菩提寺である蓮光寺
「本尊は阿弥陀如来、地蔵堂に駒止地像が安置されている。阿弥陀如来は鎌倉時代を代表する物資、快慶の作と伝えられる。駒止地像は弘法大師の作ともいわれている。もとは六条の処刑場に祀られていたと伝えられる」(京都市立て札) -
元六条御所
長講堂
「1183年後白河天皇が晩年を過ごした六条御所(六条殿)内に建立した持仏堂が当時の起こりである。後白河天皇は譲位して上皇となられてからも院政を行い、1169年に仏門に入り法王となられた。もとは六条西洞院にあったが、火災のため転々と寺地を変え1578年秀吉によって現在地に移された。」(京都市立て札)長講堂 寺・神社・教会
-
文子天満宮
「菅原道真を祀り、洛陽天満宮25社の一つ。道真の没後、道真の乳母であった多治比文子は道真のお告げを受けたが、貧しいために社殿は建立できず、小さな祠を立て、道真を祀った。これが当社の起こりで天神信仰発祥の神社、北野天満宮の前身とも伝えられる。」(京都市、立て看板)文子天満宮 寺・神社・教会
-
1月1日
伏見稲荷へ初詣 -
お日柄もよくこの日ばかりは観光客よりも年賀の日本人
-
社殿前はこの通りの混雑
でも明治神宮のように警察官が仕切るようなことはない。 -
WATCH DOG ならぬ WATCH FOX は稲を銜えている。
-
宇賀神社にも初詣に
この神社大変な由緒でびっくり
「天照大神を奉祀して宇賀之御魂神を主神として、山城名勝誌に「宇賀塚には9条の南、東洞院東、宇賀辻子(現在地)にあり、土人云う判官T塚の一町ばかり南也」と誌されている。
その昔藤原鎌足が1300年前このあたりで遊猟中に金字をえ、後世このあたりに都が移されて子孫が繁栄することを予知してこの近じを蔵めたのがこの宇賀塚である」と古文書に記されているのを見ても宇賀塚の由来は飛鳥時代や大津宮のころのものであって、京都の神社の中でも極めて歴史の古いものであります」 -
東寺にも初詣がある。
-
この日金堂が公開される。
-
21日
初弘法 -
このとうり
東寺の境内は蚤の市でにぎわう。 -
陶器だとか骨董品の露店が多い。
-
仏壇に供える高野まきも売られている。
-
すぐき漬!
漬物好きの京都人向け? -
毘沙門堂では法事がなされていた。
-
因幡薬師
平等寺
「997年因幡の国司、橘行平が帰京の途中、お告げで海中から引き揚げ安置した薬師如来像が京都に飛来したといわれ、行平はこれを祀ったと伝えられる。1171年高倉天皇より平等寺と命名された。堂舎はたびたび火災にあい寺域も小さくなったが、1868年に再建された現本堂にはその本尊の薬師如来像が安置されている。」(京都市立て看板) -
その足で錦市場に
暮れの30日混む前に、こちらのだし巻き卵をいただく -
無造作に積まれた正月用の魚介類
-
正月2日
再び錦市場へ -
最近は正月も観光客が来るので開けている店もありで、...
-
この錦市場は伊藤若冲の生家のあったところです。
-
伊藤若冲生家跡
「伊藤若冲は個性的な絵師が多く登場した江戸時代後半の京都にあって強い個性で作品を生み出しづづけた絵師。着彩画においては濃彩、極小の細部にまでにこだわる描写、画面全体を色彩が埋め尽くす充填性、さらには点描画やモザイク画など独創的表現が、水墨画においては墨の滲みを効果的に用いた筋目描や濃淡を使い分ける表現型の絵師には見られない世界を生み出している。
若冲は錦の青物問屋の生まれで、絵画の中には野菜が描かれている。絵師としての活動以外に、営業許可を巡って調整活動を行っている事実が錦市場青物市場記録という史料に知らされている」 -
シャッターに若冲の絵が描かれている。
これが見えるのは閉店後とお休みの日だけなので、... -
雪芦?図
-
群鶏図押絵貼屏風
-
鹿苑寺書院松鶴図
-
菜蟲譜は先日だしまき卵を買った卵やさんのシャッターに
-
菜蟲譜はがんも屋さんのシャッタ
-
鶏図押絵貼屏風
-
2日に開いている元蔵
-
真新しいすし店が!
-
こちらの餅つきやでお雑煮をいただくことに
-
お雑煮セットです。
白みそに丸餅です。 -
満腹でさらに錦を歩く
開いている店もあるんだ! -
錦通りで昔からの冨美や
-
冨美やのなべは、スーパーでも材料が売られている。
店は錦から堺町通りを少し上がったところにある。 -
1月7日には営業していた。
-
突き当りは錦天満宮
小さな社にも人手が絶えない! -
「たつみ」はやはりおやすみです。
-
四条通りに面した天ぷらやさん、天周
平日は混んでいる様子はないけれど、1月2日の今日は並んでいる! -
八坂神社へ
-
2日でもさすがに人が多い!
-
といってもすぐに本殿前に
-
参拝を済ませて、...
-
舞殿には干支の犬の垂れ幕が!
ここで記念撮影の人が多いようだ! -
こちらが八坂神社の正門なのですが、下川原のこの通りは混雑がない!
-
こちらも普段は人気がないのにこの並び方!
お蕎麦屋さんらしい? -
京都ではあまり見ない門松が!
-
東大路を清水寺の近くまできました。
この和菓子の店は時々並んでいるけれど、... -
幽霊子育て飴
この飴屋さんに人がたくさんいるのは初めて見る。 -
六波羅蜜寺にもこの初詣!
-
どうやら団体ツアーのようだ
-
ウナギ屋さんからは立ち上る煙
-
煙は消えているが消防車が!
ご心配なく出初式です。残念ながら終わっていた。
1月7日 -
出初式を見損ねた帰り、きょうは始業式もあるので、祇園にやってきました。大石倉之助が遊んだといわれるお茶屋さん、一力茶屋
の前には出待ちの集団が! -
観光客も通れないほど、車両通行止め?
-
歌舞練場は静かなもので!
-
しかし宮川町の歌舞練場前にはこの人だかり!
京おどり 祭り・イベント
-
宮川町の路地にも出待ちのカメラを持ったおっちゃんたち
-
ようやく始業式のお帰りの芸子さんをとらえる。
-
静けさの中にはこんなカフェも
名前はない? 看板を出していないが新しくできた。 -
ちょっとレトロな
これは美容室?
堀川通で -
1月10日
10日戎でにぎわう。 -
大和大路通にも露店が出てにぎわっている。
-
京都ゑびす神社へ
-
ご商売の方は吉兆笹をいただくらしい。
-
摩利支尊天もこの日が初もうでの日
-
この日ばかりはのぼり旗が乱立している!
-
漬物やさんはたくさんある。創業元禄12年の赤尾屋
エヤコンの室外機がないといいんですけれどねー赤尾屋 専門店
-
1月14日
天気晴朗なり
七条通りを東へ
この雑炊の店、わらじやは古いたたずまいだわらじや グルメ・レストラン
-
京都のあちこちにある和菓子屋さん
甘春堂
ここが本店らしい。 -
1月14日
三十三間堂の裏にある法住寺法住寺 寺・神社・教会
-
大根炊きが行われている。
-
三十三間堂にやってきました。
-
楊枝のお加持と弓道大会が行われています。
-
今まで気が付かなかった「法住寺」の碑が立っている。「1164年後白河法皇の院政庁「法住寺殿」がこの一帯にあった。平清盛は一画に
を造進したが一度焼失した。」 -
この建物
「1266年に再建されてから4階の大修理を経て750年間護持されている。」(京都市) -
正式名称は蓮華王院なのだ。
今日は露店まで出ている。 -
中を順番に列を作って歩く。
中央あたりで高僧から柳の枝で頭に水をかけられる。ご利益は期待できるのかなー -
柱間が33あるはずですが、今日は幕が張られていて、....
-
太閤塀の下にはいまだ紅葉の落ち葉が!
-
楊枝のお加持の後は弓道大会のほうを見学
那須与一も堂の三十三間を射抜いた通し矢は現代は弓道大会に変わった。でも女子でいっぱい! -
射る順番を待つ女子弓道部の女性たち。
-
的前審判の通路しか隙間はない!
観戦はあきらめることに -
三十三間堂は江戸時代初期から妙法院が管理
-
その妙法院の庫裏に上がっているうだつのような塔が気になっていた。
-
この際何か行事もあるかと思いのぞいてみることに
懸魚が3つもある! ギョー -
この庫裏の建物も国宝だとか!
「秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養を行った時の遺構とされ、これを始修した1595年の建立と伝える。梁間13間、桁行12間で棟高60尺もある大建築で本瓦葺き入母屋造り、正面唐破風の玄関を設けている。」(説明板) -
「内部に目を移せば自然木を巧みに応用した巨大な梁の構架は豪快で棟まで立ち上る束、貫の交錯した小屋組みは圧倒するばかりの力強さで見る者を魅了する桃山期の代表的建築である」(説明板つづき)
なるほどね! -
東大路に面している唐門は「江戸中期の桜町天皇下賜と伝えられる」
-
大玄関は1620年東福門院和子入内時に御所を移築したと伝えられる」(説明板)
-
庭園はこのフォーシーズンズホテルの中に飲み込まれてしまった。
-
東寺の近く、大宮通にある大通寺
いつも気になる古刹 -
1月27日
源実朝の800回忌が行われていた。 -
大通寺(遍照心院)
「清和天皇の親王の御子、六孫正経基の子、満仲が墓所に一宇を建立したのが起こりといわれる。その後260余年を経た1222年、源実朝の妻、本覚尼が実朝の菩提を弔っていたが、真空回心上人に請うて開山。東は大宮、南は8条、北は塩小路とする広大な境内であったが、廃仏毀釈に会い、慶大は国鉄用地となった。本堂には釈迦如来像のほか源実朝像が安置されている。」(京都市立て札)
この左側が本堂ですが、入りずらく遠慮した。 -
節分のポスターが、...
京都市内のあちこちに -
2月2日
八坂神社に -
いつも観光客の記念撮影でにぎわうこのあたり
なぜか観光客は少ない -
舞殿の周りには人だかり
-
舞殿に舞妓さんが並ぶ
-
奉納の舞です。
-
舞が終わって豆まきとなる。
-
厳粛な舞の奉納とは違って楽しげな表情が見える。
-
2月20日
醍醐にやってきました。 -
醍醐の境内
ひっそりとしている。どうやら日にちを間違えた -
俵が積まれている。力自慢のイベントがあるはずなのですが、...
-
5大力さん
どうやら日にちを間違えた。法要は奥で執り行われているようですが、.. -
あきらめて付近を散策
小野のあたりです。
弘法大師独鈷水
「独鈷水は,高僧が密教の法具である独鈷で地面をついたところ水がわき出たという伝承をもつ井戸のことである。とくに弘法大師空海の事績とする場合が多い。この碑は空海の独鈷水を指すものであるが,江戸時代の地誌類には記載を見ない。あわせて醍醐地区の道標にもなっている。 」(京都市) -
小野小町ゆかりの随身院
-
小野小町洗顔の井戸
-
梅園はこの左側にあるみたいだ。梅の時期にはまだ早い。
-
この奥に何かありそうで、....
-
寺の裏手に回る。
小野小町がもらったラブレターを埋めた塚がある! 深草の少将からのものらしい。 -
この土塀には歴史を感じる。
-
しばらく歩くと社が
宮道(みやじ)神社
「宇治軍を本拠とした豪族、宮道氏ゆかりの社で898年に創建、日本武尊を祀る」 -
2月23日
再び醍醐寺 -
きょうはかなり人が出ています。先日とは大違い。
-
庭園も無料開放!
-
ただしここまで? 表情の建物も無料なのでそちらへお回りください。
-
5大力のお札が、....
-
本堂前はお祭り状態!
-
巨大餅が並んでいる。
-
おかげ餅
手を合わせる御仁も -
ステージでは女子力自慢が始まるようです
-
月光仮面も登場(壇上、左から2人目)
-
青色ジャケットの女子
上がりません -
みどりさんももう少し
-
立派な体格
期待できます。
でも上がりません。何かコツがあるみたいだ? -
醍醐寺ゆかりの月光仮面が退場
-
体格からは期待できないと思えば、....
上がりました。タイムカウント中 -
隣では護摩がたかれている。
-
これが山伏法要?
-
池の辺りは花見に来たことがあるが、その先の奥の方へ
-
女人堂にも参拝者が多い
-
女人ばかりと思えば男子もいるよ!
-
さらに奥の院がありそうですけれど、...
この先は今日も参拝料がいるみたいで、...
この辺で戻ることに -
醍醐の5重の塔は青空に映えているようだ!
-
2月24日
JR花園駅から歩いて妙心寺にやってきました。 -
妙心寺の堂宇のこの右側に東海庵がある。
-
なぜか入り口は固く閉ざされている日常のまんまで、....
-
寒さもだいぶ緩んできたので非公開の文化財の特別公開に
庭をゆっくり見ていてももう寒さは感じないだろう。 -
「妙心寺の塔頭寺院のなかでも由緒ある四派の一つ「東海派」の本案で、趣の異なる美しい三つの庭で知られる。書院西庭「東海一連の庭」は不老不死の神や千人が住むという三島を表した枯山水庭園。書院南庭は、七坪の空間に一直線に並ぶ大小七個の石と波紋を描くような白砂が印象的な坪庭、また方丈南には、一木一草もない一面の白砂「白路地の庭」が広がる。書院には狩野派の絵師が手掛けたと伝わる障壁画が残る」(拝観券裏面の説明)
-
まず目に入ってきたのが、「白路地の庭」
まったく何もない。当初、禅宗の寺の方丈庭園は、儀式の場所で、ほとんどこのような庭であったと考えられる。 -
とざされた玄関からはいいると、すぐ左手がこの何もない庭
ただ手水鉢が一つある。 -
「1619年の江戸幕府、金地院崇伝による新寺院書式発布以後は、
南禅寺方丈南庭
南禅寺金地院南庭
大徳寺方丈南庭
などの方丈前庭に石庭が造られた。」(宮元健次、京都の名庭を歩く
それ以前は庭はなく、このような場所で普山式などの儀式が行われていた。 -
渡り廊下の南側に坪庭
「平面にしろ砂を敷き、真ん中を起点として円形の波紋を画き、1列に小庭石を配している。」(中根金作、京都名庭百選) -
こちらが東海一連の庭
これが三神山! 観光協会の係員の説明を聞かないとわかりにくい。わずかに盛られた築山と植えられた松で表している。左から蓬莱、方丈、瀛州の三島。
手前には礼拝石が置かれている。 -
「東海一連の庭」は庫裏の奥、北側に続く書院の北面に造られている。設計図が残されており、年号、作庭者ともにはっきりとそれに書かれている。花園東海庵書院儀山図とあり、紀州、海蔵寺東睦奉命之造と書かれている。地割配置図には3つの築山が画かれている。それぞれの築山には松樹を植えるように指示し、左から蓬莱島、方丈島、瀛州(えいしゆう)島と名称がふられている。巻末には1814年首之策」と書かれている。現況は古絵図と全く一致している築山の松樹は古絵図により補植されている」(中根金作、京都の名庭百選)
-
縁側より茶室に向けて飛び石が置かれているが、茶室はない!
「左側の半分は三尊石を表していて、また滝を意味していて手前の石は水分石の名称がついている。滝は落下して大海となり3つの築山は大海に浮かぶ神仙島である」(中根金作、京都の名庭百選) -
配列を説明した説明図が置かれていた。
-
そのまた左にあるのは手水鉢と灯籠
-
手水鉢は橋杭! 中根金作氏はこのように評している。
「手桶石と春日灯籠の大きさ、手水鉢の足元に据えた大きなごろた石は意表を突くデザイン」 -
妙心寺を出て付近を散策
この「あじろ」ミシュランの星を取得している。精進料理 阿じろ 本店 グルメ・レストラン
-
由緒のありそうな昔ながらのまめやさん!
下立売通の木辻商店街 -
牛若丸の宿!
「義経首途地蔵尊」は近く、「義経の世話人だった金売り吉次の別宅がこの辺りにあり、吉次の守り本尊の地蔵尊がありました。義経は、まだ牛若丸と呼ばれていた1174年、継父の縁にあたる奥州の藤原秀衡のもとへ出立します。出立にあたり、旅の安全と宿願成就を地蔵尊に祈りました。宿願を果たしたあかつきには、この地に寺を一つ建立すると誓ったそうです。」
「神部さんという地主の方の宿です。この屋敷も金売り吉次の屋敷のエリアで、井戸がありました。牛若丸は出立に辺り、ここの水で出立の杯を交わしたといわれています。」(平安ゾーンページ) -
刃物やさん 重春
中京区堀川通三条上る姉東堀川町77
看板が歴史と風格を物語っている。 -
これは西本願寺近くの龍谷大学 北校舎
京都府京都市下京区
竣工年:1879年(明治12年) -
こちらが龍谷大学本館
国指定重要文化財
三角破風が特徴 -
西本願寺伝道院
「1912年(明治45年)旧真宗信徒保険会社本館、東京帝大 伊藤忠太の設計になる。竹中工務店の施工。塔屋の形態はサラセン様式」(立て看板)本願寺伝道院 名所・史跡
-
顕道会館
-
千枚漬けを売りに売った漬物屋さん
西利は超近代的ビルに西利 本店 グルメ・レストラン
-
旧・村井銀行七条支店
下京区 七条通東中筋角 大正3年建築和み館 グルメ・レストラン
-
富士ラビットスクーター
旧日光社社屋
京都府京都市下京区
七条新町西入ル
竣工年:1925年(大正14年)
京都市探索ページより -
3月中旬
急に暖かくなり早くも桜が咲いた! -
正面橋の近く
河原町正面のある Playing Card Co.
任天堂の旧本社らしい!
京都府京都市下京区 正面通木屋町東入ル
竣工年:1933年(昭和8年)
3月に入って急に暖かくなった。銘板を見ているツーリストは半そで -
これを忘れてはいけない。
京都国立博物館
1897年(明治30年)5月に開館した。 -
旧・鴻池銀行七条支店
下京区 七条新町東入ル 昭和2年建築
今はレストランのようだ! -
こちらは現在も銀行として使われている。
京都中央信用金庫東五条支店
旧・村井銀行五条支店
1924(大正13)年
設計 : 吉武長一(2011.2.3修正)
施工 : 清水組
京都市東山区五条大橋東入ル北側
「明治のたばこ王といわれた村井吉兵衛が起こした村井兄弟商会に関連した建物をもう一つ。村井銀行も村井吉兵衛の事業のひとつでした。」(レトロな建物を訪ねて WEB PAGE) -
柳原銀行
こちらはもう銀行としては使われていないようだ。
「木造2階建ての洋風建築は明治40年設立、現存する木造銀行建築としては最古」(京都モザイク 京都の洋館) -
鳥羽高校本館
旧京都2中の名門高の建物は
「レンガタイルで覆われたスクラッチスタイルで京都府営繕課の設計。昭和6年の竣工」(中川 理、京都近代の記憶)
最近の連歌を模したカーテンウオールとは違うだろう。 -
3月30日
鴨川九条
JR奈良線の鉄橋を京浜東北線の電車が渡る。 -
桜は早くも満開となった。
-
緑色塗色は京都駅に
-
こちらがJR西日本の標準車両
ツーリストも見とれる桜
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
京都駅周辺(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
216