2018/04/01 - 2018/04/01
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empenguinさん
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文京区本郷は明治の文学者ゆかりの地が多いので,探訪してきました.樋口一葉,石川啄木,坪内逍遥,金田一京助・春彦,宮沢賢治,徳田秋声,そして夏目漱石.旧居とか残っているところは少ないく,説明板だけのところが多いですが,雰囲気は感じられました.
この文京区による案内地図に,樋口一葉の使用した井戸のある菊坂下通りの旧宅跡が載っていないのは,民家の路地の奥で,訪問者が(多数で)訪れると住民が迷惑するからではないか.案内板も何もなく場所を見つけるのは容易ではないが,この旅行記の情報を参考にしてください.少人数で静かに訪れるなら,大丈夫のはずです.
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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本郷三丁目駅から,まず文京ふるさと歴史館へ.
文京ふるさと歴史館 美術館・博物館
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受付で申し出ると,写真撮影許可の腕章を借りられます.
撮影の目的,対象の記入を求められますので,私は「明治の文学者」と書きました. -
文京ふるさと歴史館入口部分.
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2階の文京区ゆかりの文学者展示があるコーナー.
(文学者関連以外の展示の写真は,最後に付録として載せています.) -
文学者が集まったまち・文京のパネル.
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樋口一葉のパネル. 24年の短い生涯のうち約10年間を文京の地で過ごした.
これから3ヵ所を訪れます. -
樋口一葉の書簡や短冊.達筆です. 右上には5千円札.
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これも一葉の書簡.
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文京における一葉のゆかりの地のパネル.
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一葉初版本や全集.
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多数の文京ゆかりの文学者.
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坪内逍遥と夏目漱石の書簡.
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石川啄木の初版本や葉書.
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文京ふるさと歴史館の隣の江戸風屋敷. 現在も住まわれているようです.
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石川啄木ゆかりの喜之床旧居説明板.
石川啄木(明19(1886)-明45(1912))は文学を志して22歳の時に上京し,同郷(盛岡)の金田一京助を頼って赤心館(後出)に4ヵ月間下宿した.その後に近くの蓋平館別荘(後出)に移った.
その2年後の明42(1909),近くのここ喜之床(理髪店)2階の2間を借りて移ってきて,2年2ヵ月を過ごした.5人家族の生活だった.啄木の最もすぐれた作品が生まれたのは,この喜之床の後半1年間と言われている.
しかし,母と妻の病気,自分自身の病気で苦しみ,小石川の貸家へ移った後,8ヵ月後に肺結核で死去.26歳の若さだった.喜之床跡 名所・史跡
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今も理髪店の啄木ゆかりの喜之床跡. 左は春日通り.
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明治村(愛知県犬山市)に移設された喜之床(Webからの借用写真).
この2階に啄木一家が住んでいました. -
炭団坂を上から.
炭団坂 名所・史跡
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炭団坂の説明板.
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炭団坂上の坪内逍遥旧居跡の説明板.
坪内逍遥(安政6(1859)-昭10(1935))は明17(1884)-明20(1887)にこの地に住み,「小説神髄」を発表し,写実主義を提唱.
逍遥は小説家,評論家,翻訳家,劇作家だった.シェークスピア全集の翻訳あり.
早稲田大学構内に坪内逍遥記念・演劇博物館がある. -
鐙坂(あぶみざか).
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鐙坂の途中に金田一京助・春彦旧居跡の説明板あり.
金田一京助はアイヌの言語,文学,民族の研究者.
石川啄木とは同郷(盛岡)の1年上になり,理解者,援助者であった.
京助の長男の春彦はここで生まれ育ち,日本各地のアクセントを研究. -
<樋口一葉関係は訪れた順でなく,年代順に並べて載せます>
一葉の少女期の住まいが隣にあった法真寺の入口.東大赤門のすぐ前. -
説明板.
樋口一葉(明5(1872)-明29(1896))は生まれは東京・内幸町だが,4歳から5年間はこの法真寺隣に住んだ.一葉にとっては最も恵まれた時期だった(後は家計とか苦労が多かった). -
法真寺.
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一葉塚などがある法真寺.
この左手に樋口家宅があった.一葉は「桜木の宿」と呼んだ.法真寺 寺・神社・教会
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法真寺の一葉塚.
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サトザクラに一葉の名が付けられている.
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本を読む一葉の像.
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観音像. 一葉の作品の中にも出てくる.
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これは法真寺隣の店頭に置いてあった女学生の像. 一葉のようにも見えるが,そうではないよう.
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明23(1980)9月に移り住んだ,菊坂下通りの樋口一葉旧居跡に入る路地.
何も案内板がないので分かりにくい.
本郷四丁目31 と 32の標識がある間の路地の奥になる. -
右に一葉も使った井戸.一葉旧居は最初この左で,途中で1部屋多い右に移っている.
父の死があり樋口家は困窮し,一葉は明23(1980)9月にこの地(当時の本郷菊坂町)に母と妹の3人で移り住んだ.生活は苦しかったが,作家・半井桃水に師従し,文学に関わった.一葉18歳から22歳までここに住んだ.
後ろの階段は鐙坂へ抜ける小道につながっている.階段あたりは当時の雰囲気がする.
周囲は普通の民家なので,迷惑にならないように見学する必要あり.樋口一葉菊坂旧居跡 名所・史跡
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一葉も使った井戸(当時はつるべ井戸だった).
樋口一葉旧居跡の井戸 名所・史跡
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一葉からとったと思う,近くの「ひとは」店.
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家計が苦しかった一葉が通った菊坂の伊勢屋質店.
旧伊勢屋質店 名所・史跡
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一葉が通った伊勢屋質店.
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言問通りの明治20年創業のいり豆店.
ただ明治風なので撮っただけだが,もしかして一葉も買っていたかも. -
白山通りに出てすこし歩くと,樋口一葉終焉の地の碑あり.
ここ丸山福山町に転居したのは明27(1894)5月.鰻屋の離れで六畳二間と四畳半.ここでの2年間に「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「ゆく雲」などを執筆し,”奇跡の二年”と言われている.
明29(1896)にこの地で肺結核で24年の短い生涯を閉じた.若かったですね. -
樋口一葉(夏子)日記の一部が彫ってあるが,達筆すぎてとても読めない.
樋口一葉終焉の地 名所・史跡
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樋口一葉終焉の地の碑.
上の達筆の日記文が活字で書いてある. -
宮沢賢治旧邸跡説明板がある階段坂.
手前が菊坂下通りで,樋口一葉旧居の近く.
上が菊坂通りになる. -
宮沢賢治旧居跡説明板.この右手建物の2Fだったと書いてある.
詩人・童話作家の宮沢賢治(明29(1896)-昭8(1933))は花巻生まれで,大10(1921)1月に上京し,同年8月までここの6畳に間借りしていた.宮沢賢治旧居跡 名所・史跡
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宮沢賢治の住まい跡はアパートになっており,この2階だった.
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菊富士ホテル跡の碑. 明治30年に下宿菊富士楼として開業し,大正3年五層楼を新築し菊富士ホテルと改名した.昭和20年3月の戦災で50年の歴史を閉じた.
多くの文学者らが止宿した.菊富士ホテル跡 名所・史跡
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菊富士ホテルに止宿した多くの文学者たち.坂口安吾,谷崎潤一郎などの名前あり.
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菊富士ホテル跡こんな感じになっている.
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啄木ゆかりの赤心館跡の説明板. 赤心館は菊富士楼に隣り合っていた下宿屋.
石川啄木(明19(1886)-明45(1912))は文学を志して22歳の時に上京し,同郷(盛岡)の金田一京助を頼ってここに4ヵ月間下宿した.書いた小説は売れず.
その後に近くの蓋平館別荘(後出)に移った.
その2年後にはやはり近くの喜之床(前出)2階に移っている.
26歳,肺結核で死去.赤心館跡 名所・史跡
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赤心館跡となりの長泉寺.
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鳳明館本館. 老舗の和風旅館.
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鳳明館本館ー登録有形文化財の銘板.
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鳳明館別館. 本館とは小道を挟んで隣接.
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徳田秋声旧宅の説明板.
徳田秋声(明4(1871)-昭18(1943))はこの地に明38(1905)から73歳で亡くなるまで38年間住んだ. -
徳田秋声旧宅は昔のまま残っている. 東京都指定史跡.
徳田秋声旧宅 名所・史跡
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石川啄木が一時住んだ蓋平館別荘があった新坂の説明板.
新坂は文京区に6つあるようで,後に出てくる夏目漱石旧居跡の新坂(福山坂)とは別. -
石川啄木が一時住んだ蓋平館別荘跡は大栄館という旅館だったが,壊されて,今はマンション建設中.
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【2018年10月の追加写真】
新築マンションが完成しており,石川啄木由縁の地の石碑が復活設置されていた. -
求道会館.
ヨーロッパの教会と日本の寺社建築の様式が融合した仏教の説教場で.建築家武田五一が設計し,大正4年(1915)に竣工. 平成14年(2002)に修理が完了し当初の形に復元. 東京都の有形文化財.求道会館 名所・史跡
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夏目漱石が一時住んだ西片の新坂(福山坂).
下って行くと白山通りに出る. -
西片の新坂(福山坂)説明板.
夏目漱石も近くに(一時)住んだと書いてある. -
何も案内板とかないが,現在の西片1-12-8 が夏目漱石の旧居場所.今はアパートのよう.
漱石はロンドン留学から帰国し,千駄木(猫の家)に3年10ヵ月住んでここに転居したが,大家が値上げを言うのに嫌気がさして9ヵ月で早稲田(漱石山房)に転居した.
ここには漱石の後に魯迅も住んだ. -
最後に立ち寄った東大・農学部正門.
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農学部正門を入って左側のハチ公と上野英三郎博士像.
東京大学 名所・史跡
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後ろ側からのハチ公と上野英三郎博士像. カバンがある.
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【文京ふるさと歴史館では文学者関連以外の展示品の写真も撮ったので,以後に付録として載せておきます】
これは文京区の貝塚と人骨. -
江戸のこの辺りの町屋と商家.
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江戸のこの辺りの町のジオラマ.
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江戸の町のジオラマのアップ.
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甲冑.
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武家屋敷の座敷.
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本郷座(春木座)の模型 ― 明治初期から戦前昭和に本郷3丁目にあった大劇場.
おしまいです. お付き合いいただきまして有難うございました.
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