2017/12/19 - 2017/12/21
54位(同エリア445件中)
魚屋No1さん
- 魚屋No1さんTOP
- 旅行記66冊
- クチコミ45件
- Q&A回答204件
- 109,771アクセス
- フォロワー19人
今回参加したツアーは、トラピックスの【世界遺産】萩・津和野・安芸の宮島・角島・元乃隅稲荷神社・青海島遊覧 3日間です。
このツアーを選んだ理由は、駆け足だとしても、今回の旅のテーマとしたの以下の3点を満足させてくれることでした。
1 私は、吉田松陰の素っ頓狂で矛盾だらけの行動を起こした原因を現地で見て考える
・浦賀に停泊中の黒船に乗り込んでアメリカへ連れて行けと迫った
・老中殺害用の武器を貸せと長州藩主に迫る頓珍漢さ
・小伝馬町の吟味で、聞かれてもいない老中殺害計画を自白して斬首される
2 連れは、独身時代に周遊した萩、津和野、秋芳洞、宮島の再訪
3 養殖でも良いから、トラフグのコースを冬に食べたいという2人の希望 旅程は次の写真で示します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ ANAグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
いつものとおり、フライト案内&今回の行程です。
1日目 12月19日(火) 【バス走行距離:約135km】
5:00自宅発⇒羽田発⇒山口宇部空港着⇒山口市(通過)
⇒津和野(殿町、うずめ飯、安野光雅美術館)
⇒松陰神社・松下村塾⇒萩城下町⇒萩城跡
泊:萩グランドホテル天空 カニ食べ放題
2日目 12月20日(水)
萩ホテル⇒秋芳洞⇒青海島遊覧⇒元乃隅稲成神社⇒角島
⇒夕食:下関でとらふぐ会席⇒関門橋⇒門司港レトロ
泊:北九州八幡ロイヤルホテル
3日目 12月21日(木)
ホテル⇒錦帯橋⇒厳島神社⇒広島空港⇒21:35羽田着 -
今回搭乗したLAJの737は優れものでした。
革張りの座席なので新しい機材だと思いますが、優れものというのは、座席の足下が広くて、180センチメートルの私でも足を楽に組めたことです。データー上のシートピッチは31インチなので、数値的には従来の機材と変わりませんが、座席を薄くした等の工夫で実質的に広くなったのでしょうね。
この快適さで、また利用したいと思える唯一の航空会社になりました。特に、海外の場合はプレエコでなくても快適に過ごせそうなので嬉しい発見です。山口宇部空港 空港
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なだらかな山と田んぼのコントラストは、西国の典型的な田園風景です。
今回のツアーにはバスガイドが同乗していません。添乗員さんが、OP昼食の取りまとめやら、次の訪問先の連絡やらで大忙しの合間に観光案内をします。マニュアルは持っていそうでしたが、やはり無理があるように感じました。コストカットとはいえ、切ってはいけないところまで切ってしまったようです。 -
写真は、今回の旅行で最初の観光地になる津和野殿町の武家屋敷街です。
有名な武家屋敷街ではありますが、長さは200メートル足らずで、木曽の妻籠宿の徹底度とは大差があります。
なお、萩・津和野とセットで括られますが、萩は山口県萩市、津和野は島根県の鹿足郡津和野町です。殿町掘割 名所・史跡
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武家屋敷街の水路に放たれている錦鯉は有名ですが、そこには大量の稚魚がいました。多分、オイカワだろうとは思いますが定かではありません。
☆津和野藩の概要 亀井氏4万3千石の城下町
元和元(1615)年:坂崎直盛が開藩(3万石)
大坂夏の陣で千姫を救出した功績による
元和2(1615)年:千姫関連事件で藩主が死亡して断絶
元和3(1617)年:因幡鹿野藩から亀井政矩が4万3千石で入封
明治4(1871)年:亀井家は廃藩置県まで藩主を務める
明治維新では、隣藩が長州にもかかわらず、尊皇運動には参加せず中立を保つ(明治の著名人は、西周、森鴎外) -
写真は、津和野カトリック教会
昭和6(1931)年にドイツ人の司祭が建てたコシック建築教会
「浦上四番崩れ」という、明治初年に起きた隠れキリシタンの摘発に関連して津和野に送られた158名中36名が殉教死した事件の犠牲者を弔うための教会だというのですが、昔の残虐な事件を思い出させられる建物を表通りに建てられた津和野町はいい迷惑だと思います(南鮮が騒ぐ慰安婦のうざったさと同じこと)。
ただ、殉教地の光琳寺跡地に建てた乙女峠マリア聖堂(1948)は、趣旨を理解できる場所だし、表通りでもないので受け入れられるかも。 -
道中も、津和野の町も、屋根瓦が赤褐色です。黒瓦が常識の関東人には珍しい景色です。しかも、屋根の上には、小ぶりではありますがシャチホコが載っています。チョイと笑える風景でした。
なお、この赤褐色の瓦は、石州瓦という、島根県の石見地方で生産されているもので、三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つだそうです。 -
鷺舞(さぎまい)の銅像です。
この舞は、八坂信仰で奉納される伝統の舞踊で、此処の「津和野弥栄神社の鷺舞」が最も有名だそうです。江戸時代から継続しており国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。実施日は毎年7月20日と7月27日。
私はテレビで見ただけですが、風情のある踊りでした。津和野 鷺舞の像 名所・史跡
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津和野町役場です。お洒落です。
津和野町役場津和野庁舎 名所・史跡
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町役場は、津和野で最も気に入った建物です。
それなのに、建物の由来に関しては、大正時代のものというだけで情報が全くありません。 -
津和野名物の「うずめ飯」を食べる「沙羅の木松韻亭」へ戻る際、お名残に撮しました。観光客以外の人通りは殆どありません。
島根県西部(石見地方)の山間部に伝わる「うずめ飯」は、今回の旅行でフグに次ぐ狙いの食べ物でした。というのも、白飯の下に、豆腐・しいたけ・にんじん等の煮物を隠した丼に、上から熱いだし汁を掛け、海苔、わさび、三つ葉等の薬味を添えるという、珍しい郷土料理だからです。 -
トラピックスから、最終日程表と共に、OP昼食の案内が来ました。その中の津和野郷土料理づくし(税込み1,250円)のお品書きに「うずめ飯」という言葉があったため申し込みました。
でも、「うずめ飯は」は、右下のレンゲが入っている器の左側の小さなお椀だけです。とっても美味しかったのに、チビッとでガッカリ。
なお、うずめ飯の起源にはいくつもの説があるようですが、私には、村役人の目から贅沢さを隠したという説が最もぴったりします。沙羅の木 松韻亭 グルメ・レストラン
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ここで昼食を食べるなら、同店で写真の料理を独自に頼むべきでした。
なお、出発前、うずめ飯を出すという店をリストアップしましたが、街はかなり寂れています。何店か前を通りましたが、繁盛している店は発見できませんでした。なお価格は全て定食です
・沙羅の木松韻亭 駅徒歩10分 0856-72-1661 無休 1,080円
・能濃 駅徒歩1分 0856-72-0238 木休
・遊亀 駅徒歩5分 0856-72-0162 木休 1,240円
・あおき寿司 駅徒歩5分 0856-72-0444 火休 1,240円
・ふる里食堂 駅徒歩8分 0856-72-0403 不定 1,200円 -
津和野町内に入る時、JRの駅前を通りました。
その際、妙な形の帽子をかぶっている蒸気機関車を見つけました。また、駅前に有名な画家だという安野光雅の美術館があるとという情報も、添乗員かパンフか同行者かたっだか覚えていませんが、聞き込みました。
うずめ飯は美味しかったけれどホンのお口汚し。ソバ、寿司飯、豚鍋のOP定番セットでは味わって食べる意味がないため、チャチャッと腹に収めて上の2ヶ所を目指しました。制限時間は50分です。津和野駅 駅
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これが、その妙な形の帽子です。私は、初期の山口号のC571がこれを付けて走っている動画を見て、貴婦人だから帽子かとは思いましたが、トンネルが多いこの地域では当たり前に付けられていたという集煙装置でした。
置いてあった機関車はD51です。前照灯と煙突の間にある樽形の装置は給水温め器です。このスタイルの給水温め器を付けているのはD51とC58だけなので、見分ける際のよい目印です。 -
安野光雅美術館です。
私は全く知らない人物でしたが、入り口のショップでお洒落な絵本を売っていました。時間はギリギリですが、とにかく一流ししてみることにしました(入館料:800円)。安野光雅美術館 美術館・博物館
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前半は、ヨーロッパの水彩画と、こんな感じの建物です。ちょっとつまらない。
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後半は、此処で購入したこの本の中にある、実に楽しい絵本の原画が展示されていました。あまりにも楽しかったので、著作権の問題があることは重々承知していますが、何頁か紹介させてもらいます。
なお、版元は福音館書店です -
楽しすぎるので、コメントは無しです
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同上
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同上
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同上
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津和野の駅の表示は、昔風の書き方です。
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気動車です。この色の気動車は、電化前の内房線・外房線を走っていました。ベンチシートだったのは兎も角、1時間に1本も走っていないのにトイレが無く、少し長丁場を乗る時は悪夢だったことを思い出してしまいました。
駐車場に戻った後は、萩に向かいます。 -
萩での最初の訪問地は松陰神社です。境内に残る松下村塾を見れば、吉田松蔭の謎を解決するヒントが得られるはずなので、大いに期待しました。
この写真は、駐車場から境内へ向かう際、最初にくぐる鳥居です。
*松陰神社の沿革 社格:旧県社
・起源:明治23(1890)年
松陰の実家・杉家が、土蔵造りの小祠を敷地内に建て、松陰が愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀った
・創建:明治40(1907)年
伊藤博文と野村靖が中心に請願し、廃社だった萩城鎮守の宮崎八幡の拝殿を移築して最初の社殿にした。現在の社殿は昭和30年に新築したもので、旧社殿は松下村塾での門人を祭る末社・松門神社になる松陰神社 寺・神社・教会
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写真は松下村塾です。塾と旧宅は、社殿の手前にあります。
松蔭は、長州藩の討幕運動を担った者の思想的指導者だと云われていますが、私がへんてこに感じた事項を揚げてみましょう。
1 留学するためにロシアやアメリカの軍艦に乗ろうとするほどの海外願望
2 処刑時は、尊皇攘夷の急先鋒
この2点は全く相容れないため、考えが何処でどう変わったのかを追いかけてみましたが、納得できる解説は何処にもありませんでした。
また、松下村塾では、一方的に師匠が弟子に教えるのではなく、弟子と一緒に意見を交わすなどの「生きた学問」だったと、多くの資料で持ち上げています。しかし、当時の常識の四書五経なら兎も角、外国語を習った形跡無し、尊攘思想は扇動家に接した程度でしかありません。そんな松蔭が、塾生と何を議論していたのだろうか。全く想像できません。
更には、実家の家禄が26石でしかないためか、200石という中級武士の高杉晋作が最も高位の塾生で、大部分の塾生は藩医か足軽。そんな連中が、何故に長州藩を倒幕へ動かせたのかも判らないことです。 -
ということで、理解の助けにするため、松蔭の略歴を示してみます。
・文政13(1830)年:杉常道(26石無給通組)の次男に生まれる
・天保05(1834)年:叔父で山鹿流兵学師範の吉田家の養子に入る
・天保06(1835)年:養父死亡、叔父の玉木が開く松下村塾に入る -
・嘉永03(1850)年:西洋兵学を学びに九州へ遊学
江戸へ出て佐久間象山(蘭学)と安積艮斎(朱子学)に師事
・嘉永05(1852)年:尊皇攘夷論者の熊本藩・宮部鼎蔵らと東北旅行
*藩に無許可で出発したため士籍剥奪・世禄没収の処分を受ける
・嘉永06(1853)年:ペリー来航時、佐久間象山と黒船を遠望する
*宮部鼎蔵へ「我が日本刀の切れ味をみせたい」の手紙を出す -
・嘉永06(1853)年:佐久間象山に勧められ海外留学を試みる
乗り込もうとしたロシア艦隊が到着前に出航して失敗
・嘉永07(1854)年:黒船の再来時、旗艦ポーハタン号に乗り込む
アメリカ留学をペリーに拒否され、下田奉行所へ自首
小伝馬町に投獄の後、萩の野山獄へ移送
同行の長州藩邸雑役の金子は萩の岩倉獄(町人牢)で病没
*佐久間象山も疑いを受けて小伝馬町へ投獄
・安政02(1855)年:出獄後、実家の杉家へ幽閉 -
これからの写真は、塾の奥に建っている旧宅です。
・安政04(1857)年:同敷地に叔父の塾と同名の「松下村塾」を開く
*名を残した塾生、入塾以前に藩の外へ出た経験者無し
高杉晋作(200石)安政5(1858)年に藩命を受けて江戸遊学
久坂玄瑞(藩医) 安政3(1856)年に九州遊学
山田顕義(102石)、寺島忠三郎(無給通組70石)
入江九一(足軽)、伊藤博文(足軽)、山縣有朋(足軽)
品川弥二郎(足軽)、吉田稔麿(中間) -
・安政05(1858)年:日米修好通商条約の締結に激怒
幕府の老中に条約破棄と攘夷の実行を迫るため、大砲などの借用を藩に願い出るも拒絶される。藩主への直訴を企画するも、弟子達の反対で断念。藩政府に不信を抱き草莽崛起論、倒幕論等の過激な発言で野山獄に入れられる。 -
松陰神社の社殿です。此処で参拝して、松蔭関連の旧跡は見終わったのですが、松蔭の人物像も、塾生にどんな教えを授けたのかも全く推測できませんでした。
・安政06(1859)年:尊王攘夷派を弾圧した安政の大獄に連座
捕縛された知人の梅田雲浜との関係を聞くため、小伝馬町牢に投獄される。取り調べの際、聞かれてもいない老中暗殺計画を自白したため、斬首刑に処される。 享年30(満29歳没) -
初めて見た「傘みくじ」です。
ひいてみたかったのですが、売り切れでした。 -
次の観光は、国指定史跡で世界遺産だという萩城下町の散策です。
15時頃から、添乗員さんの案内で、配布してくれたマーカー入りのコピー地図に従って街を歩き始めました。
なお、萩は、毛利家が、慶長9(1604)年に萩築城を建設して以来、文久3(1863)年に毛利敬親が幕府に無許可で山口城に移すまで(山口移鎮)藩庁を置いた場所です。萩城下町 名所・史跡
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立派な白壁・なまこ壁が続いていますが、我々以外に人の気配がありません。
*毛利家の概略
・明応6(1497)年-元亀2(1571)年
毛利元就 長州藩の始祖 三本の矢の逸話が有名
・天正19(1591)年)
元就の孫の輝元は、豊臣秀吉から現岡山、広島、山口、島根、鳥取の112万石を安堵され、本拠を広島に置く
・慶長5(1600)年
毛利輝元が関ヶ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられた咎により、徳川幕府から防長2カ国30万石に減封される。
・慶長9(1604)年 萩に築城して広島から移転 -
萩では、萩城跡も行ってみたい場所の一つでした。
でも、ツアーなので無理だろうとあきらめていました。それが、上の写真地点で、集合時間は1時間後だと嬉しい案内を受けました。ここから城までは1.2キロメートル、城から駐車場までは約1.6キロメートルなので、急げば往復可能です。
しかも、萩へ来るバスの中で、空港で手に入れた萩市のパンフレットの市街地図の中に、旧町人地、旧上級武家地という面白げな文字を見つけていました。
添乗員さんは、旧町人町にある高杉晋作生誕地、木戸孝允旧宅、豪商の菊屋等の見学を勧めていましたが、田舎の武家屋敷や民家の見学で感動したことはありません。軽輩ばかりの松下村塾塾生と上級武士との住まいの違いの方が興味深いため、御一行とは別れて早足で突き進みました。 -
萩城の特徴は、書き込みの多い萩市のパンフの市街図では示せません。そこで、ヤフーの地図を印刷してからJPEGでスキャンし、地図と地名を書き込んだものを載せて説明します。
この地図を見れば、萩城の基本の防御ラインが橋本川の三角州で、そこに掘った4重の堀と武家屋敷が抵抗線、最終防御地点が天守閣ではなく標高143メートルの指月山だということは城マニアでなくても判るはずです。 -
旧町人地と旧上級武家地(三の丸)の境ともいえる外堀です。
上に示したように、萩市の地図には、内堀・外堀の跡がくっきりと残っています。堀と石垣を破壊して学校や運動公園等に変えてしまった多くの城跡と違い、縄張りは殆ど手つかずに残っていると期待しました。ですが、この外堀は埋め立てて道路にしてしまったため、真っ直ぐに掘り込んだことは判りますが、構造は判りません。萩城外堀 名所・史跡
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外堀の脇にある萩博物館近くの上級武家地です。
旧町人町と比べると、一軒当たりの敷地は格段に広くなりました。
古美術店が何軒かありました。
城へ向かう道なのに、何故か真っ直ぐです。 -
此処も、上級武家地ですが、土塀は崩れ落ちています。
石垣の後ろに植わっている夏みかんは、萩の名物でだそうです。でも、今回の旅行では、美味しそうな加工品に出会えませんでした。
なお、萩の夏みかんは、御一新で禄を失った士族たちを救うため、明治9年に東京から戻った小藩高政という人物が、空き地になった武家屋敷での栽培を奨励したことが由来だそうです。明治9(1876)年は、不平士族が起こした萩の乱の年なので、何かの因縁を感じますね。 -
屋敷の石垣も崩れています。とてもシュールです。
夏みかんの原木は、江戸中期に萩市隣の長門市仙崎で発見され、萩に伝わったのが文化年間(1804~18)で、初期にはゆずの代用に使われていたそうです。
萩市は、「夏みかんと土塀」と銘打って萩の代表的なシンボルにしています。現在でも、443戸が1500t、約1億円の生産を行っているそうです。 -
二の丸と三の丸の境にある堀です。
*松蔭の話し 1/5
海に直結するこの堀を見て、松蔭の謎が全て氷解しました。
つまり、松蔭は、海辺に建つ萩城が黒船の大砲に対して無力だと指摘して、塾生と共に萩藩の海防について議論したということです。
これなら、書物は無用なため、弟子と一緒に意見を交わすなどの「生きた学問」だったというヨイショの説明とも矛盾しません。 -
萩城跡へ到着しました。
*松蔭の話し 2/5
松下村塾の塾生は皆、長州藩領から出たことがない若者です。
そんな彼らには、藩の処分を受けながらも全国を遊学して江戸の有名人と交わり、更には黒船に乗り込んで実物の大砲を見たという松蔭は、時代を先取りする英雄に見えたはずです。このことは、シベリア鉄道経由でヨーロッパを放浪した人達にあこがれたベビーブーマー世代の私にはよく理解できます。萩城跡指月公園 名所・史跡
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立派な石垣です。
30万石に減封されたとはいえ、元100万石の意地が見て取れます。
*松蔭の話 3/5
しかも、塾生の大部分は、足軽や藩医といった軽輩の者です。それが、海防という限られた部分ではあっても、身分違いの上級藩士だけしか関われなかった藩政について議論したことは、世界観が変わるほどの衝撃だったことでしょう。
そんな彼らのエネルギーを解き放ち、明治維新へ突進させたこと、このことこそが、松下村塾の価値だといって間違いはありません。 -
天守台へ続く石垣の裏側です。
**松蔭の話 4/5
しかし、黒船に乗船ほどの留学志望を持っていたことと、後の尊皇攘夷論とは相容れません。松蔭を紹介する施設では、子供の頃から俊才だった、松下村塾での謹厳さ等といった無関係の要素でこじつけていますが、嘘っぽい話のため、松蔭をかえって貶めています。 -
天守台からの写真です 石垣はさほど高くありません。
やはり、天守の裏側に続く指月山が、本当の防御陣地だったのでしょうね。
**松蔭の話 5/5
彼の評価は、萩の若者に藩の外へ目を向けさせたことだけで十分すぎます。尊皇攘夷論者として老中暗殺を計画して、藩主に武器の貸し出しを願い出る、小伝馬町で聞かれてもいない計画を自供する等の奇矯な行為は、話を広げすぎて実際以上の大物に見せてしまい、引っ込みがつかなくなった、軽輩者の見栄のためだと考えます。 -
明治7(1874)年の廃城令で、高さ21mの天守閣もろとも破却。
それにしても、もったいないことです。
☆☆萩城(別名・指月城)
・慶長9(1604)年着工、慶長13(1608)年竣工
根拠地を広島から萩に移すために築城 -
帰りがけに見た二の丸と三の丸の境の堀です。
この写真ならば、黒船が沖から大砲を撃てば、萩城も、市街地も、ひとたまりも無いことが更によく判るはずです。
**松蔭の話 纏め
土佐の坂本龍馬は、攘夷論にかぶれて勝海舟を切りに行きましたが、逆に取り込まれてしまい、明治維新のシナリオを書いた海舟の指図で薩長同盟に奔走する志士になりました。龍馬は江戸で良き先達に出会えて成長しましたが、ド田舎での大物になってしまった松蔭は、足軽の精神レベルから成長できなかったと考えると、全てが私の中にすっぽりと収まりました。 松蔭の疑問解決!!! -
旧上級武家屋敷です。帰りがてらに撮しました。
有名な観光地なのに、本当に人がいません。 -
白塗りの土塀を維持することは大変なのでしょうね。
場所は旧町人町だったと思います。 -
宿泊した萩グランドホテル天空の晩ご飯です。
これに、カニ食べ放題(ズワイガニの足ですが)が付きます。
フグの唐揚げや、美味しいヒラマサの刺し身を出してくれているのに、私と連れ以外はカニに夢中で殆ど箸を付けず、極めてもったいなく思いました。
なお、ご飯は、映っている小さなお釜で炊いたウニ飯です。添乗員さんが教えてくれたウニ飯のカニ載せは、メチャクチャに美味しかったですよ。萩グランドホテル天空 宿・ホテル
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美蘭牛の陶板焼きです。
美蘭牛は、山口県萩市見島で飼育されてきた在来種の見島牛の商品名。西洋種の影響を受けていない日本の在来牛は、見島牛と口之島牛の2種類しか残っていないとのことです。
極めて珍しい肉を食べられるチャンスだったのですが、陶器の器のせいで焼き具合を確認できず、火を通しすぎてしまいました。しかも、肉の下に敷いてある野菜の水気がかぶってベチョベチョ。これももったいないことでした。 -
2日目の最初に立ち寄る場所は秋芳洞です。ここも、人の気配がありません。
2日目 12月20日(水) 【バス走行距離:約210km】
8:30萩ホテル発⇒秋吉台⇒秋芳洞⇒青海島遊覧⇒昼食:海鮮村北長門
⇒元乃隅稲成神社⇒角島⇒夕食:ふくの関:とらふぐ会席
⇒関門橋⇒○門司港レトロ 泊:北九州八幡ロイヤルホテル秋芳洞 自然・景勝地
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洞内周遊時に配給されたケミカルライトです。
団体毎に同じ色にすれば目印になるのにバラバラです。想像力の欠如に笑ってしまいました。 -
入り口に近いところにあった鍾乳石です。鍾乳洞はジメジメしていると思っていましたが、意外に乾いています。
☆秋吉台
標高180~420mに広がる面積54kmの日本最大のカルスト台地(石灰岩)
平尾台(福岡県)、四国カルスト(愛媛県・高知県)とで日本三大カルスト台地に数えられる。 -
道内で見つけたコオロギです。触覚が長いので普通のコオロギとは違うと思い調べてみましたが、手掛かりすら見つかりませんでした。
☆秋芳洞(あきよしどう)
1926年、東宮(後の昭和天皇)行啓後、思召により滝穴から秋芳洞へと改名。「しゅうほうどう」という読みは誤り。
龍泉洞(岩手県岩泉町)、龍河洞(高知県香美市)と並ぶ3大鍾乳洞の一つ -
典型的な鍾乳石ですが、此処も乾き気味です。
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トルコのパムッカレ、中国四川省の黄龍等と同種の石灰棚です。
此処の辺りから水が見えてきましたが、通路は乾いています。
連れは、昔はビッチャビッチャだったのにと首を傾げています。 -
出口が見えてきました。
お日様の有難さを改めて認識できました。 -
私達の出口です。
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洞窟からの流れ。
土産物街を通って駐車場に行きましたが、本当に活気がありません。
時季外れとはいえ、山口の観光は時代に取り残されてるのかもしれませんね。
広島県に入るまで裏寂しい状態が続きました。
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秋芳洞の次は、仙崎港から観光遊覧船に乗って青海島(おおみじま)を海から見ます。でも外海は時化です。そのため遊覧コースは、外洋に面した断崖絶壁側ではなく湾内になりました。
なお、仙崎は、「青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ、見えぬけれどもあるんだよ」の非破壊検査(株)のCMで有名になった「金子みすゞ」の誕生地で、菩提寺も此処です。 -
船の中はこんな感じです。
☆金子みすゞ 本名:金子 テル、享年26歳(自死)
大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。
・代表作:私と小鳥と鈴と、大漁、星とタンポポ
なお、中原中也も出身は山口市なので、山口県は詩人の宝庫かもしれません。 -
船内は視界が悪いので、船尾の甲板に出ました。
沖は時化ですが、湾内に波は殆どありません。景色はこんなに綺麗だし、12月の日本海なのに晴れて風が無いため、この後の時間の大部分を快適な甲板上で過ごしました。 -
昼食はオプションで、海鮮村北長門が会場です。
街道沿いにポツンと1軒だけある、昔ながらのドライブインです。
オプションの昼食は、例の如く麺付き定食のためパスし、事前にチェックしておいた併設のレストラン花で食べることにしました。 -
観光客相手のドライブインだからと、全く期待していなかったのですが、ジモティもかなりの人数が入っていました。私が食べた写真のカレー600円は、昔し懐かしい味で結構いけました。他の人が食べていたカツ丼800円・トンカツ定食・唐揚げ定食各800円も、ボリューミーで旨そうでしたよ。
連れは、エビ天ウドン680円。他のメニューはカニトロ丼900円、しらす丼・イカ丼各750円、肉うどん550円等です。 -
次の観光地の元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)へ向けて日本海沿岸を快走します。
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枝道に入ると、バス1台がヤットの幅です。乗用車なら広い場所で行き違いできそうですが、バス同士ならどうするんだろうかと心配しました。幸い、車の行き違いはありませんでしたが。
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駐車場から見た、元乃隅稲成神社です。
昭和62(1987)年以降に奉納された100m続く朱色の鳥居、「日本一入れづらい」という裏参道出口付近にある大鳥居上に設置された賽銭箱は有名です。
創建は、昭和30(1955)年で、地元の網元が白狐のお告げを受けて太皷谷稲成神社(津和野町)から分霊したのだそうです。そのため、此処の祭神は伊弉冉(イザナミ)で、祭神が稲荷大神の普通の稲荷神社とは別系統です。元乃隅神社 (もとのすみじんじゃ) 寺・神社・教会
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写真の時刻は14時
規模は比較になりませんが、伏見稲荷と同じ様な風景です。 -
赤い鳥居と青い海は綺麗な対称ですが、ザッツオールです。
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今度は角島です。時刻は15時
ですが、この門島大橋を渡った先の駐車場でUターンして戻るだけです。
添乗員は、この先には何も無いといっていましたが、ブーイングとまではいかなかったものの、一行はアレーという感じです。
角島大橋 名所・史跡
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休憩は、本土側の駐車場です。トイレのある土産物屋があります。
島の左側の海面に見える筋はトンボロです。 -
時刻は17時。晩ご飯場所の「ふくの関」に到着しました。
ショボイ建物のドライブインとしか見えないため、気分はダダ下がりです。
山口県下関市長府侍町2-1-15 083-246-1102ふくの関 長府観光会館店 グルメ・レストラン
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でも、この看板を見て、畑商店というフグの大規模な問屋だということを知り、いささか安心しました。
ただ、土産品は、ちっこい白サバフグを使った唐揚げや一夜干しなので、フグ釣りの経験があり、ショウサイフグの美味しい干物を売っている店(銚子)も知っている私にはアピールしません。 -
料理は、写真のようにフグ刺し、ふぐちり、煮こごり、福寿司などの「ふくづくし」に加えて、何故かアンコウの寄せ鍋と唐揚げが加わります。
思った以上に豪華で、寅さんはずいぶん頑張っているなと感心したほどです。 -
チリのフクには、意外に多くの身が付いていて楽しめました。
また、西国の特徴ですが、ポン酢の美味しいこと。鍋が数倍に美味しくなります。
フグ鍋の最後は、汁掛け飯にして汁の最後まで食べ尽くしました。卵があれば雑炊にできたのに。これだけが心残りです。一方で、あんこう鍋にまでは手が回らず、殆ど残してしまいました。 -
フクサシです。美味しかったので、もう少し食べたかったのですが、それは無理な相談でしょうね。
また驚いたことは、このトラフグは天然ではあり得ないはずなのに、養殖の油の悪さを全く感じられなかったことです。マグロや鯛なら、ブラインドでも天然と養殖を区別できる私ですが、全く判りませんでした。どんな扱いをしているのでしょうかね、不思議です。でも美味しかったから追及しません。また来ます。 -
フグ飯の腹ごなしは、関門橋を渡った先の門司港レトロで行います。古い港町に近頃繁殖している観光施設です。
行く前に、マップルガイドを見ていて地上100メートルにあるという「門司港レトロ展望室」の夜景が綺麗そうなので期待したのですが、バスの駐車位置が悪くて行けませんでした。門司港レトロ地区 名所・史跡
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左後ろの吊り橋が、渡ってきた関門橋です。
夜景は綺麗でしたが、観光施設は、田舎者が企画した陳腐さムンムンの典型です。土産物も、あちこちの観光地で見かけるものと同種なので何も買いませんでした。
また、門司駅が改修中だったので、鉄道関係も見られず、収穫はゼロです。 -
この写真は八幡製鐵所本事務所です。
説明書きにには以下のとおり書いてあります
《大正5年着工、大正11年完成 ルネッサン式三階建て(木造煉瓦造)。
使用煉瓦は鉱滓煉瓦で全て自製。
この建築方法は大正12年の関東大震災以後法律により禁止される。
老朽化、および八幡製鉄所生産拠点の戸畑地区移行にともない、
平成2年に戸畑地区西門付近へ新本事務所が竣工。
跡地に平成6年7月、大和リゾート(株)北九州八幡ロイヤルホテルオープン》 -
この写真が、跡地に建てた北九州八幡ロイヤルホテルす(いつの間にか名前が変わっていました)。今晩の宿でもありますが、歴史ある建物を平成に壊すなんて時代錯誤ですね。
しかも、この建物内は、妙に直線的で芸がありません。内装の方も、贅沢そうに作っていますが、それを感じさせてくれません。一昔前のシティホテルのイメージで建てたのではないかと思わせてくれる雰囲気です。大浴場があり、朝飯も地元料理を出すという努力は認めますが、個人ではまず選択しないであろう宿です。そのためか、宿泊客はご一行様とアジア系外国人ばかりでした。アクティブリゾーツ 福岡八幡 宿・ホテル
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3日目朝、部屋の窓の外を見ると、丘の上まで住宅がびっしり建っています。真っ平らな関東平野の一角に住む千葉県人には信じられない光景です。
3日目 12月21日(木) 【バス走行距離:約295km】
7:40北九州(八幡)発⇒関門橋⇒錦帯橋(渡橋料は各自:300円)
⇒宮島口⇒フェリー⇒厳島神社⇒昼食 牡蛎饂飩、カキ丼 ⇒フェリー
⇒宮島口⇒広島空港 夕食:広島式お好み焼き「みっちゃん」
⇒20:40広島空港発⇒21:35羽田着 -
ホテルの前は スペースワールドです。
1990年に、東京ディズニーランド(1983)の後追いで開業し、呼び物がスペースシャトルのハリボテでは、客を呼べるはずがないのにと思っていたとおり、我々が泊まった11日後の1月1日に閉園しました。 -
本日最初に立ち寄る観光地は、錦帯橋です
岩国市の錦川に架けられた錦帯橋は、全長193m、幅員5.0mの木造五連アーチ橋で、川向こうの岩国藩主の居住区の「土居」と手前の市街地を結ぶために架けられました。錦帯橋 名所・史跡
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岩国藩主の吉川氏は、毛利氏の一門で、慶長5(1600)年に毛利家が防長2国へと減封された時、3万石で出雲国富田14万石から入封しました。
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橋の上の雰囲気です。
岩国城は、茶色のダウンを着た男性の上の山嶺に、本丸・北の丸・二の丸を、手前の山裾に居館を置くという典型的な山城です。
でも、完成の7年後の元和元(1615)年には幕府の一国一城令により破却されました。理由は、吉川家が毛利家の家臣のため、徳川幕府からは外様大名の扱いを受けていても、この廃城令で破却せざるを得なかったためです。 -
天守閣を撮ってみました。
とはいっても、廃城が400年前で、天守閣も昭和37(1962)年に旧天守台とは別の場所に建てた復元なので歴史的価値は全くありません。日本100名城(74番)に選ばれてはいますがね。 -
橋は結構な傾斜があるため、足腰が弱っている人はつらそうでした。
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錦帯橋は、城と城下町をつなぐ橋が度々流出したため、中国杭州の西湖にある6連のアーチ橋を参考にして延宝元(1673)年に建設したそうです。
しかし、翌年には流出してしまいました。そこで、橋脚を強化して掛け替え、修繕を定期的に行ったところ、昭和25(1950)年の台風まで250年間もの間流出しませんでした。なお、現在の橋は、昭和28(1953)年に復元したものです。 -
橋脚の強化は、橋脚の上流端に当る尖った石材の手前側の2つの石を繋いでいるの楔状の部品だと考えられます。
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下流側です。河原には駐車場が、川の中には魚道が見えます。
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佐々木屋小次郎商店は、この地のソフトクリームの元祖だということで、添乗員さんのお薦めです。話の種にと食べましたが、普通の美味しさでした。
手前には「むさし」という同業の店があります。
アイスを食べた後は、吉川氏3万石の居館跡地に作ったという吉光公園を散歩しました。でも、吉香公園は、居館跡を使った高校の移転時に造成したものです。そのため、園内に歴史を感じさせる建物や石垣は存在しません。 -
山裾に近い場所に、重文の旧目加田家住宅がありました。18世紀中頃と見られる中級武家屋敷の数少ない遺構だとのことです。
散歩経路上にあり、無料でもあったので一巡りしました。 -
吉光公園に隣接して建つ吉香神社です。本殿、拝殿と幣殿、神門、鳥居の4棟1件が、国の重要文化財の指定を受けています。
この神社は、享保13(1728)年に、旧岩国藩主吉川家の氏神として横山の白山神社境内へ建てられました。明治18(1885)年、吉川氏の居館跡に吉香公園を整備する際、同時に現在地へ移設しました。 -
吉光公園と吉香神社の間にある堀の石垣上に建つ錦雲閣です。
石垣上に建てられているので、てっきり江戸時代の建物だと思っていましたが、この旅行記書くために調べたところ、明治18(1885)年 に吉香神社を移設した際、旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂だそうです。
見応えはあっても、肩すかしの建物でした。 -
集合場所の錦帯橋に駐車場へ戻る時に見つけた吉川史料館です。
下に示した国宝を有している吉川家由来の展示施設なのに、すっかり忘れていました。無機質な吉香公園などを歩かずに、こちらに入って時間を過ごした方が良かったと後悔しているところです。
・国宝 :工芸1件《太刀 銘為次狐ヶ崎 1口 鎌倉時代》
・重文 :美術 6件
*(公財)吉川報効会が旧岩国藩伝来品を基に開設。
ウイキに無い、財団HPの記載乏しい等のため詳細不明
*岩国徴古館:吉香神社と通りを挟んである。
吉川家の資料を集めたというがHPが無く詳細不明 -
今回のツアーで最後の観光地は、約30年ぶりの広島県の宮島です。
写真は宮島口のフェリー乗り場付近にあった近大真あなご特約店の看板に興味を持って撮ったものです。帰宅後に調べてみると、近大が富山で養殖しているらしいことまでは判りましたが、詳細は不明です。それにしても、アナゴを養殖するなんて世も末です。 -
宮島へ渡るフェリーです。
宮島の三大名物はカキ、アナゴ、シャモジです。
そのアナゴ部門の一押しだと判断したのは、宮島口の「うえの」です。店は大行列だそうですが、駅弁なら予約できるというところまで調べたものの、行動が制約されるツアーでは購入も無理だと判断して泣く泣くあきらめました。
・うえの:明治34(1901)年創業 「あなごめし』駅弁の創業店
宮島口駅とフエリーの中間 0829-56-0006宮島フェリー 乗り物
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途中で、広島名物のカキ筏が見えました。
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厳島神社の鳥居が見えてきました。
天気が良いので、見晴らしの良い2階のデッキで頑張りました。 -
表参道商店街です。オプション昼食は、この商店街の最も厳島神社寄りの「だいこん屋」です。ですが、此処の商店街が賑やかなことは知っていたし、名物のカキとアナゴ関連の有名店も下に示したように多数あります。お仕着せでなくとも十分楽しめるため、ご一行様とは別行動です。
・牡蛎料理:沖野水産、岩むら、牡蛎屋、焼きがきのはやし
・あなご飯:ふじたや(ミシュラン星1)、和田(行列必至) -
狙いを付けていた店は、牡蛎漁師の直営店だという沖野水産(安かったし)だったのですが臨時休業でした。そこで、本通りにある「焼きがきのはやし」に入りました。
写真は、私が頼んだカキ丼(1300円)です。牡蛎がゴロゴロ入っているし、薄口醤油の味付けは、関西の丼を感じられて美味しく食べられました。焼がきの はやし グルメ・レストラン
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連れが頼んだカキ饂飩(950円)です。
関西饂飩風なのは良いのですが、カキはさっと煮ただけ。味見させてもらった私も、連れと同様、東京の蕎麦屋のカキ南蛮の方が美味しいという結論です。 -
だいこん屋さんが試食で出してくれた、宮島名物のもみじ饅頭です。
しかし、人形焼きの板倉屋と重盛がある東京日本橋人形町を遊び場にして育った連れと私には、田舎の土産としか見えません。
なお、宮島ではしゃもじが名物です。宮島工芸製作所が地元で製造販売をしているそうです(調理ベラなど450円~1,000円)。 -
再集合にはまだ時間があったので、写真の五重塔(重文)と豊国神社に行きました。
この五重塔は、応永14(1407)年建立 総高さ29.3メートルです。 -
重文の豊国神社(千畳敷)です。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が建てさせた島内最大の建物です。畳857枚分の広さがあるため、千畳閣と呼ばれてきました。江戸時代までは寺院でしたが、明治の神仏分離令により仏像は大願寺に遷され、秀吉公を祀る豊国神社となりました。
なお、五重塔はこの建物の隣に建っていました。 -
再集合後は、此処で恒例の集合写真を撮りました。
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厳島は「安芸の宮島」とも呼ばれる日本三景の1つです。
有名なのは、海中に建てられた重文の大鳥居と、平清盛が整備したという海に張り出した国宝の社殿です。
ただ、社殿は、火災に2回遭ったため、現存の建物は仁治2(1241)年に再建されたものが殆どだそうです。 -
厳島神社の概要です 社格:式内社(名神大)、安芸国一宮、旧官幣中社
国宝 建造物:本社本殿など6棟1件
美術品:平家納経など10件
重文 建造物:14棟10件
美術品:44件 -
国宝建造物(6棟1件)の内訳です。
本社本殿・幣殿・拝殿1棟、 本社祓殿1棟、
摂社客神社本殿・幣殿・拝殿1棟、摂社祓殿1棟、
東廻廊1棟、 西廻廊1棟
*本社本殿は、棟札から室町時代の元亀2年(1571年)の再建と判明 -
重文建物(14棟10件)の内訳です
朝座屋、能舞台(附橋掛及び能楽屋)、揚水橋、長橋、反橋
摂社天神社本殿(附宮殿1基、渡廊1棟、棟札1枚)
摂社大国神社本殿、 以上社殿内
大鳥居(附棟札2枚)、多宝塔(附棟札1枚)、宝蔵(附棟札1枚)
末社豊国神社本殿(通称千畳閣 附棟札2)、五重塔
末社荒胡子神社本殿(附棟札1)千畳閣の厳島神社側下
摂社大元神社本殿(附宮殿3基、銘札2枚)水族館の先厳島神社 寺・神社・教会
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写真は、国宝の多宝塔へ上る階段の途中にいた鹿です。
社殿を出た後は、宝物館に入りました。厳島神社は、平家納経という超有名な国宝を所有しています。他にも多数の国宝、重文美術品を所有しているので、そのいくつかに出会えるかと思って入館したのですが、展示品は全て複製でした。
でも、神職の方が平家納経の入れ替えをしている最中で、複製とはいっても、明治時代に現在に換算すると数千万円もの費用をかけて著名な画家に依頼した、国宝の実物より綺麗だなどと教えてくれました。
そのためではありませんが、文字も絵も実に素晴らしい作品でした。また、ガラス戸が開いていたため、素で見られたことも幸運でした。嚴島神社宝物館 美術館・博物館
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国宝の多宝塔です。この辺りは人気が全くありません。
*厳島神社が所有する国宝美術品の1/2
・絵画 1件:平安 《平家納経1具》
・書跡 1件:平安 《紺紙金字法華経7巻・紺紙金字観普賢経1巻
ト書き:平清盛・頼盛合筆》多宝塔 名所・史跡
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一通り見終わったため、集合地点のだいこん屋さんへ向かうと、潮が引いていて鳥居の近所まで人が集まっています。
これは見逃せないため、早速混じることにしました。
*厳島神社が所有する国宝美術品2/2 工芸品:8件
《彩絵桧扇1柄》《厳島神社古神宝類》《紺絲威鎧 兜、大袖付》
《小桜韋黄返威鎧 兜、大袖付》《浅黄綾威鎧 兜、大袖付》
《太刀銘友成》 以上平安
《金銅密教法具1具》鎌倉、《黒韋威胴丸 兜、大袖付》南北朝
《梨子地桐文螺鈿腰刀》室町 -
潮が引いた砂浜から厳島神社を見るとこんな感じです。
テレビなどで何回か見ましたが、これは実に良い景色でした。
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皆さん楽しそうに砂浜を散策しています。
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宮島側のフェリー乗り場には、ちょうど日没時に到着しました。
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夕日は、ちょうど良い塩梅に沈んでくれました。
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宮島を出発したのは17時30分頃です。広島空港は、広島市街の反対側だし、76kmもあるため、相当時間が掛るかと思いましたが18時30分に着いてしまいました。飛行機は20時40分発なので、ご飯を食べるには十分な時間があります。
狙いは当然、広島名物のお好み焼きですが、中国地方で最大の空港でも、夕飯時だし、我が一行の40数名が殺到すればキャパをオーバーするはずです。
ということで、さっとフードコートの案内板の前へ行って、かすかに記憶に残っていた「みっちゃん」を見つけて飛び込みました。広島空港 空港
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ということで「みっちゃん」のお好み焼きを食べましたが、みっちゃんについて確認してみると、意外や面白いことが判りました。
というのも、「みっちゃん」には、ルーツが同じでも、独自のソースを使うなどして分離発展した総本店、新天地みっちゃん、みっちゃんいせや系の3系列があるためです。千葉県人の私は全く知りませんでしたが、此処は「みっちゃん いせや系」でありました。美味しかったので何の不満もありませんが、開店から50年も経つと、それなりの歴史が生まれるものですね。 -
満腹になりました。
ということでANAのこの便に乗って帰ります。 -
機材はA320です。足下が、往きのJAL737よりも著しく狭く感じました。JALが急速に伸びている理由は、シートの違いにあることが判りました。
到着は定刻どおりでしたが、我が家に着いたのは23時でした。
旅行記がだんだん長くなっています。最後まで読んでいただいて感謝します。
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