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岩槻城の一隅に在する「時の鐘」(埼玉県さいたま市岩槻区本町)は城内や城下に時を知らせるとして寛文11年(1671)阿部氏四代藩主阿部正春(あべ・まさはる、1637~1716)によって渋江口に設営されたものです。<br /><br />その後鐘にひびが入ったため享保5年(1720)時の岩槻藩主永井氏三代永井直陳(ながい・なおのぶ、1698~1763)が改鋳しますが天保年間に鐘楼が焼失、現在の鐘楼は藩主大岡氏七代にあたる大岡忠怒(おおおか・ただゆき,1822~1880)によって建替えられ、現在では正午と朝夕6時の計3回搗かれています。<br /><br /><br />時の鐘が設置されている広場の一角には「城下町岩槻」の説明板と共に「時の鐘」の説明板があり、下記の通り記載されています。<br /><br />「 岩槻市指定文化財<br />           時 の 鐘<br />       指定年月日  昭和33年2月21日<br />       指定の種類  有形文化財(工芸品)<br />       所 有 者  岩槻市<br /><br />岩槻城下の時の鐘は、寛文11年(1671)、城主阿部正春(あべ・まさはる)の命令で鋳造されました。渋江口に設置された鐘の音は、城内や城下の人々に時を知らせていました。50年後の享保5年(1720)、鐘にひびが入ったため、時の城主永井直信(ながい・なおのぶ)(陳)が改鋳したものが現在の鐘です。鐘は1日3回搗かれたとも言われていますが、江戸時代後期には、1日12回搗かれていたようです。(『新編武蔵国風土記稿』他)。<br /><br />鐘楼は、嘉永6年(1853)に岩槻藩により改建されており(棟札銘)、方13.1m、高さ2.1mの塚の上に建っています。 」

武蔵岩槻 江戸時代の岩槻藩主阿部正春によって渋江口に設営、歴代の藩主に引き継がれ現存の鐘としては最古の岩槻「時の鐘」散歩

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2018/01/08 - 2018/01/08

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滝山氏照

滝山氏照さん

岩槻城の一隅に在する「時の鐘」(埼玉県さいたま市岩槻区本町)は城内や城下に時を知らせるとして寛文11年(1671)阿部氏四代藩主阿部正春(あべ・まさはる、1637~1716)によって渋江口に設営されたものです。

その後鐘にひびが入ったため享保5年(1720)時の岩槻藩主永井氏三代永井直陳(ながい・なおのぶ、1698~1763)が改鋳しますが天保年間に鐘楼が焼失、現在の鐘楼は藩主大岡氏七代にあたる大岡忠怒(おおおか・ただゆき,1822~1880)によって建替えられ、現在では正午と朝夕6時の計3回搗かれています。


時の鐘が設置されている広場の一角には「城下町岩槻」の説明板と共に「時の鐘」の説明板があり、下記の通り記載されています。

「 岩槻市指定文化財
           時 の 鐘
       指定年月日  昭和33年2月21日
       指定の種類  有形文化財(工芸品)
       所 有 者  岩槻市

岩槻城下の時の鐘は、寛文11年(1671)、城主阿部正春(あべ・まさはる)の命令で鋳造されました。渋江口に設置された鐘の音は、城内や城下の人々に時を知らせていました。50年後の享保5年(1720)、鐘にひびが入ったため、時の城主永井直信(ながい・なおのぶ)(陳)が改鋳したものが現在の鐘です。鐘は1日3回搗かれたとも言われていますが、江戸時代後期には、1日12回搗かれていたようです。(『新編武蔵国風土記稿』他)。

鐘楼は、嘉永6年(1853)に岩槻藩により改建されており(棟札銘)、方13.1m、高さ2.1mの塚の上に建っています。 」

交通手段
JRローカル 私鉄
  • 時の鐘<br /><br />江戸時代後期には1日12回搗かれていたとの記録がありますが、現在は正午の他朝夕の6時の計3回搗かれているとのことです。<br /><br />

    時の鐘

    江戸時代後期には1日12回搗かれていたとの記録がありますが、現在は正午の他朝夕の6時の計3回搗かれているとのことです。

  • 時の鐘<br /><br />角度を変えて時の鐘を捉えますが逆光線のためか明瞭な姿が得られません。

    時の鐘

    角度を変えて時の鐘を捉えますが逆光線のためか明瞭な姿が得られません。

  • 時の鐘<br /><br />全国で設置されている「時の鐘」の中で一番古い鐘は当該の鐘(1720改鋳)となっています。因みに岩槻の鐘の他に川越の鐘(1894年改鋳)があります。<br />

    イチオシ

    時の鐘

    全国で設置されている「時の鐘」の中で一番古い鐘は当該の鐘(1720改鋳)となっています。因みに岩槻の鐘の他に川越の鐘(1894年改鋳)があります。

  • 鐘楼部分<br /><br />塚の上に鐘楼が設置されていますが内部は見ることができません。

    鐘楼部分

    塚の上に鐘楼が設置されていますが内部は見ることができません。

  • 石碑

    石碑

  • 「城下町岩槻」説明板<br /><br />「 城 下 町 岩 槻<br /><br />鎌倉時代から室町時代頃の岩槻は、奥大道と呼ばれる幹線道が元荒川(当時は荒川の本流)を渡る地点にあたってました。奥大道は鎌倉街道の一つで、関東の政治の中心・鎌倉から北関東・東北地方方面へと通じる街道です。幹線道と水上交通路でもある大河が交差する岩槻の地には、城下町の成立以前に街場が形成されていた可能性があります。<br /><br />15世紀の後半以降、戦国の動乱が恒常化すると、交通の要衝でもある岩槻には岩槻城が築城され、岩槻城を中心とする都市形成が本格化しました。この頃には久保宿・富士宿・渋江宿などが文献資料に現れ、市町などの街場の形成が進んでいました。城下町岩槻の成立です。そして、戦国時代の末、天正15年(1587)頃には、城下町の周囲に大構と呼ばれる土塁と堀が築かれ、岩槻城と一体化し、岩槻城主の領域支配の核であり象徴でもある城下町が確立しました。<br /><br />江戸時代を迎えると、近世の身分秩序に基づき城下町が再編され、岩槻城大手門外の一体を中心に武家地(武家屋敷ゾーン)、街道沿いには町家(商工業ゾーン)が配置されました。また、旧来の街道は将軍の日光参詣路でもある日光御成道として整備され、城下町はその宿場ともなりました。<br /><br />武家地内は諏訪小路、浦小路などの街路名で呼ばれ、正垣や板塀で区画された広荘な武家住宅が形成されました。大構の出入口と、武家地・町家の出入り口は口と呼ばれ、門・木戸が設けられていました。城下町に由来する文化財の一つ、時の鐘は、寛文11年(1671)、岩槻城主阿部正春が、そうした口の一つ、渋江口に設置したものです。<br /><br />町家では、「うなぎの寝床」などといわれる縄長い区画に区分され、さまざまな業種の商家などが通りに面して店を構えていました。町家の商家は岩槻城主や家臣の需要にこたえるばかりではなく、周辺農村に必要物資を供給する役割も果たしていました。町場の中心である市宿町では、戦国時代以来の六斎市(毎月6回開かれる定期市。市宿では一と六の付く日に開かれた)も開かれ、特産の岩槻木綿の取引などでにぎわいました。』

    「城下町岩槻」説明板

    「 城 下 町 岩 槻

    鎌倉時代から室町時代頃の岩槻は、奥大道と呼ばれる幹線道が元荒川(当時は荒川の本流)を渡る地点にあたってました。奥大道は鎌倉街道の一つで、関東の政治の中心・鎌倉から北関東・東北地方方面へと通じる街道です。幹線道と水上交通路でもある大河が交差する岩槻の地には、城下町の成立以前に街場が形成されていた可能性があります。

    15世紀の後半以降、戦国の動乱が恒常化すると、交通の要衝でもある岩槻には岩槻城が築城され、岩槻城を中心とする都市形成が本格化しました。この頃には久保宿・富士宿・渋江宿などが文献資料に現れ、市町などの街場の形成が進んでいました。城下町岩槻の成立です。そして、戦国時代の末、天正15年(1587)頃には、城下町の周囲に大構と呼ばれる土塁と堀が築かれ、岩槻城と一体化し、岩槻城主の領域支配の核であり象徴でもある城下町が確立しました。

    江戸時代を迎えると、近世の身分秩序に基づき城下町が再編され、岩槻城大手門外の一体を中心に武家地(武家屋敷ゾーン)、街道沿いには町家(商工業ゾーン)が配置されました。また、旧来の街道は将軍の日光参詣路でもある日光御成道として整備され、城下町はその宿場ともなりました。

    武家地内は諏訪小路、浦小路などの街路名で呼ばれ、正垣や板塀で区画された広荘な武家住宅が形成されました。大構の出入口と、武家地・町家の出入り口は口と呼ばれ、門・木戸が設けられていました。城下町に由来する文化財の一つ、時の鐘は、寛文11年(1671)、岩槻城主阿部正春が、そうした口の一つ、渋江口に設置したものです。

    町家では、「うなぎの寝床」などといわれる縄長い区画に区分され、さまざまな業種の商家などが通りに面して店を構えていました。町家の商家は岩槻城主や家臣の需要にこたえるばかりではなく、周辺農村に必要物資を供給する役割も果たしていました。町場の中心である市宿町では、戦国時代以来の六斎市(毎月6回開かれる定期市。市宿では一と六の付く日に開かれた)も開かれ、特産の岩槻木綿の取引などでにぎわいました。』

  • 「城下町岩槻」(拡大)<br /><br />「城下町岩槻」には岩槻城の見取図が描かれています。

    「城下町岩槻」(拡大)

    「城下町岩槻」には岩槻城の見取図が描かれています。

  • 時の鐘(全景)<br /><br />遊園地並みの僅かばかりの空地に時の鐘が設置されその周辺は住宅に囲まれています。

    時の鐘(全景)

    遊園地並みの僅かばかりの空地に時の鐘が設置されその周辺は住宅に囲まれています。

  • 時の鐘(ときのかね)説明板

    時の鐘(ときのかね)説明板

  • 広小路案内板<br /><br />「時の鐘」を終えて岩槻城跡の面影を探し、まず侍屋敷跡の広小路を歩きます。<br /><br />

    広小路案内板

    「時の鐘」を終えて岩槻城跡の面影を探し、まず侍屋敷跡の広小路を歩きます。

  • 「大手口」石柱<br /><br />住宅化されているなか目立ちにくい姿で「大手口」の石柱が見つかりました・

    「大手口」石柱

    住宅化されているなか目立ちにくい姿で「大手口」の石柱が見つかりました・

  • 「三ノ丸」石柱<br /><br />バス通りに出ると消防署の脇に「三ノ丸」と刻された石柱が殺風景に立っています。

    「三ノ丸」石柱

    バス通りに出ると消防署の脇に「三ノ丸」と刻された石柱が殺風景に立っています。

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