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仏眼山・浄国寺(じょうこくじ、埼玉県さいたま市岩槻区加倉)は戦国時代後期小田原北条氏に属した岩槻城主太田氏房(おおた・うじふさ、1565~1592)が天正15年(1587)開基の浄土宗寺院で、後に江戸時代の岩槻藩主阿部氏の菩提寺となり墓地には初代藩主阿部正次(あべ・まさつぐ、1569~1647)、三代藩主阿部定高(あべ・さだたか、1635~1659)の供養塔があります。<br /><br />阿部氏の出自は孝元天皇の皇子阿部大彦命の後裔と言われ、古代には大和国の阿倍村で栄えた阿部一族の子孫が三河国に移転土着、中世には阿部忠正(あべ・ただまさ)が同国額田郡を支配するも忠宣(ただひろ)の頃西三河に隆盛を極めた松平清康・広忠に仕えた譜代です。<br /><br />そして忠正の孫である正勝(まさかつ)は家康の側近として対今川氏、対武田氏、対北条氏との戦いに出陣、天正18年(1590)家康の関東移封に伴い武蔵国鳩ケ谷に5千石を与えられるも慶長5年(1600)死去し、家督は嫡男正次が相続します。<br /><br />正次はその後下野国鹿沼、上総国大多喜、相模国小田原を経て元和9年(1623)武蔵国岩槻藩主に転封、その間慶長19年(1614)の大坂の陣では大坂城一番乗りを果たししかも一番首を挙げて武勲を挙げ家康の信頼を集めます。<br /><br />寛永3年(1626)には大坂城代を拝名、途中の寛永14年(1637)の島原の乱では戦乱鎮静のため江戸の幕閣と現地島原との連絡調整役を勤め正保4年(1647)現職のまま大坂城内で病死します。<br /><br />正次二男として生まれた重次(しげつぐ、1598~1651)は実兄で世継の政澄(まさずみ)の死去により家督相続、更に寛永15年(1638)老中に任命されます。<br /><br />慶安4年(1651)三代将軍家光逝去により元老中・佐倉藩主・堀田正盛(ほった・まさもり、1609~1651)、小姓頭番頭・御側出頭・鹿沼藩主・内田正信(うちだ・まさのぶ、1613~1651)、元書院番頭・三枝守恵(さいぐさ・もりしげ、1595~1651)と共に重次も殉死しこの4名は家臣8名を含めて「殉死者の墓」として上野・現龍院(げんりゅういん)にて供養されます。<br /><br />上述の如く重次の殉死を受けて阿部氏本流を引き継いだのは嫡男定高でその後正次から数えて五代の正邦(まさくに、1658~1715)の時10万石に加増され備後国福山に転封、以降維新まで支配を続けます。<br /><br /><br /><br />本堂側の墓地を進むと石柵で囲まれた廟が現れ、その左側に建てられた説明板には下記の如く記されています。<br /><br />「 さいたま市指定史跡       <br />    岩槻藩主阿部家の墓<br />                  平成18年3月30日指定<br /><br />江戸時代前期の岩槻藩主阿部家の二代にわたる藩主とその母、殉死した家臣の墓と燈籠で、計十二基からなります。境内二ヶ所に分かれ、ここには阿部家初代藩主正次の墓《五輪塔-高さ4.3メ-トル、百五十年忌に建立》と三代藩主定高の墓《五輪塔-高さ4.4メ-トル》、定高に殉じた家臣小倉與兵衛政光の墓《五輪塔》の他、三対六基の燈籠(うち二基は末裔である幕末の老中阿部正弘が、正次の二百五十年忌に建立)があります。<br /><br />また、別の区画には、正寿院(二代藩主重次の後室で、三代定高の母)の供養塔《宝篋印塔-高さ4.7メ-トル》と一対二基の燈籠があります。<br /><br />江戸時代前期の藩主の墓・燈籠がまとまって遺存し、岩槻藩や阿部家の菩提寺としての浄国寺を研究する上で基本的な資料となっています。<br /><br /> 平成二十一年三月<br />               宗教法人 浄 国 寺<br />               さいたま市教育委員会 」

武蔵岩槻 小田原北条氏に属した岩槻城主太田氏房開基で江戸期に老中を輩出した阿部氏の菩提寺にもなった関東十八壇林として著名な『浄国寺』散歩

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2018/01/08 - 2018/01/08

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滝山氏照

滝山氏照さん

仏眼山・浄国寺(じょうこくじ、埼玉県さいたま市岩槻区加倉)は戦国時代後期小田原北条氏に属した岩槻城主太田氏房(おおた・うじふさ、1565~1592)が天正15年(1587)開基の浄土宗寺院で、後に江戸時代の岩槻藩主阿部氏の菩提寺となり墓地には初代藩主阿部正次(あべ・まさつぐ、1569~1647)、三代藩主阿部定高(あべ・さだたか、1635~1659)の供養塔があります。

阿部氏の出自は孝元天皇の皇子阿部大彦命の後裔と言われ、古代には大和国の阿倍村で栄えた阿部一族の子孫が三河国に移転土着、中世には阿部忠正(あべ・ただまさ)が同国額田郡を支配するも忠宣(ただひろ)の頃西三河に隆盛を極めた松平清康・広忠に仕えた譜代です。

そして忠正の孫である正勝(まさかつ)は家康の側近として対今川氏、対武田氏、対北条氏との戦いに出陣、天正18年(1590)家康の関東移封に伴い武蔵国鳩ケ谷に5千石を与えられるも慶長5年(1600)死去し、家督は嫡男正次が相続します。

正次はその後下野国鹿沼、上総国大多喜、相模国小田原を経て元和9年(1623)武蔵国岩槻藩主に転封、その間慶長19年(1614)の大坂の陣では大坂城一番乗りを果たししかも一番首を挙げて武勲を挙げ家康の信頼を集めます。

寛永3年(1626)には大坂城代を拝名、途中の寛永14年(1637)の島原の乱では戦乱鎮静のため江戸の幕閣と現地島原との連絡調整役を勤め正保4年(1647)現職のまま大坂城内で病死します。

正次二男として生まれた重次(しげつぐ、1598~1651)は実兄で世継の政澄(まさずみ)の死去により家督相続、更に寛永15年(1638)老中に任命されます。

慶安4年(1651)三代将軍家光逝去により元老中・佐倉藩主・堀田正盛(ほった・まさもり、1609~1651)、小姓頭番頭・御側出頭・鹿沼藩主・内田正信(うちだ・まさのぶ、1613~1651)、元書院番頭・三枝守恵(さいぐさ・もりしげ、1595~1651)と共に重次も殉死しこの4名は家臣8名を含めて「殉死者の墓」として上野・現龍院(げんりゅういん)にて供養されます。

上述の如く重次の殉死を受けて阿部氏本流を引き継いだのは嫡男定高でその後正次から数えて五代の正邦(まさくに、1658~1715)の時10万石に加増され備後国福山に転封、以降維新まで支配を続けます。



本堂側の墓地を進むと石柵で囲まれた廟が現れ、その左側に建てられた説明板には下記の如く記されています。

「 さいたま市指定史跡       
    岩槻藩主阿部家の墓
                  平成18年3月30日指定

江戸時代前期の岩槻藩主阿部家の二代にわたる藩主とその母、殉死した家臣の墓と燈籠で、計十二基からなります。境内二ヶ所に分かれ、ここには阿部家初代藩主正次の墓《五輪塔-高さ4.3メ-トル、百五十年忌に建立》と三代藩主定高の墓《五輪塔-高さ4.4メ-トル》、定高に殉じた家臣小倉與兵衛政光の墓《五輪塔》の他、三対六基の燈籠(うち二基は末裔である幕末の老中阿部正弘が、正次の二百五十年忌に建立)があります。

また、別の区画には、正寿院(二代藩主重次の後室で、三代定高の母)の供養塔《宝篋印塔-高さ4.7メ-トル》と一対二基の燈籠があります。

江戸時代前期の藩主の墓・燈籠がまとまって遺存し、岩槻藩や阿部家の菩提寺としての浄国寺を研究する上で基本的な資料となっています。

 平成二十一年三月
               宗教法人 浄 国 寺
               さいたま市教育委員会 」

交通手段
JRローカル 私鉄

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  • 浄国寺・寺門<br /><br />浄国寺は江戸時代初期に定められた関東十八壇林の一つでとして多数の末寺を擁し僧侶の養成所・学問所として著名な寺院です。

    浄国寺・寺門

    浄国寺は江戸時代初期に定められた関東十八壇林の一つでとして多数の末寺を擁し僧侶の養成所・学問所として著名な寺院です。

  • 浄国寺・山門(全景)

    浄国寺・山門(全景)

  • 浄国寺・山門(近景)<br /><br />山門の上部には「梅檀林」と記されています。

    浄国寺・山門(近景)

    山門の上部には「梅檀林」と記されています。

  • 浄国寺の指定文化財説明板

    浄国寺の指定文化財説明板

  • 岩槻藩主阿部家の墓紹介<br /><br />指定文化財説明板には岩槻藩主である阿部氏の墓が紹介されています。

    岩槻藩主阿部家の墓紹介

    指定文化財説明板には岩槻藩主である阿部氏の墓が紹介されています。

  • 浄国寺・本堂<br /><br />正式には仏眼山英隆院浄国寺と称し、小田原北条氏四代当主である北条氏政(ほうじょう・うじまさ)がわが息子を太田氏後継として送り込んだ岩槻城主太田氏房開基のもと、鴻巣勝願寺の第二世総誉清厳上人の開山により創建されています。

    浄国寺・本堂

    正式には仏眼山英隆院浄国寺と称し、小田原北条氏四代当主である北条氏政(ほうじょう・うじまさ)がわが息子を太田氏後継として送り込んだ岩槻城主太田氏房開基のもと、鴻巣勝願寺の第二世総誉清厳上人の開山により創建されています。

  • 浄国寺・本堂上部<br /><br />山号である「仏眼山」が記された扁額が掲示されています。<br /><br />

    浄国寺・本堂上部

    山号である「仏眼山」が記された扁額が掲示されています。

  • 浄国寺・境内<br /><br />本堂から山門に向けて一望します。左右に立派な二基の燈籠が建立されています。

    浄国寺・境内

    本堂から山門に向けて一望します。左右に立派な二基の燈籠が建立されています。

  • 浄国寺鐘楼

    浄国寺鐘楼

  • 浄国寺山門(境内側)

    浄国寺山門(境内側)

  • 阿部家墓所<br /><br />石柵内部には三基の五輪塔が建っており、左から初代藩主阿部正次、三代藩主阿部定高、家臣の小倉與兵衛政光の墓となっています。また石柵の手前には三対六基の燈籠が建立されています。但し内二基(右側手前)については後の老中阿部正弘(あべ・まさひろ)建立によるものです。

    イチオシ

    阿部家墓所

    石柵内部には三基の五輪塔が建っており、左から初代藩主阿部正次、三代藩主阿部定高、家臣の小倉與兵衛政光の墓となっています。また石柵の手前には三対六基の燈籠が建立されています。但し内二基(右側手前)については後の老中阿部正弘(あべ・まさひろ)建立によるものです。

  • 三代藩主阿部定高の五輪塔

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    三代藩主阿部定高の五輪塔

  • 初代藩主阿部正次の五輪塔

    初代藩主阿部正次の五輪塔

  • 小倉與兵衛政光(家臣)の五輪塔<br /><br />万次2年(1659)三代藩主阿部定高死去により家臣である小倉與兵衛政光が殉死します。藩主の五輪塔に比して小ぶりの墓となっています。

    小倉與兵衛政光(家臣)の五輪塔

    万次2年(1659)三代藩主阿部定高死去により家臣である小倉與兵衛政光が殉死します。藩主の五輪塔に比して小ぶりの墓となっています。

  • 岩槻藩主阿部家の墓説明板

    岩槻藩主阿部家の墓説明板

  • 徳川家(葵)御紋<br /><br />天正19年(1591)徳川家康 より寺領50石の御朱印状を拝領、その経緯から「葵の御紋」の使用が許されていたようです。

    徳川家(葵)御紋

    天正19年(1591)徳川家康 より寺領50石の御朱印状を拝領、その経緯から「葵の御紋」の使用が許されていたようです。

  • 正寿院(しょうじゅいん)宝篋印塔<br /><br />正寿院は二代藩主重次(しげつぐ、1598~1651)の後室で、三代藩主定高の母堂にあたります。尚重次は三代将軍家光のもとで寛永15年(1638)老中に就任、慶安4年(1651)将軍家光死去に伴い殉死しています。<br /><br />

    正寿院(しょうじゅいん)宝篋印塔

    正寿院は二代藩主重次(しげつぐ、1598~1651)の後室で、三代藩主定高の母堂にあたります。尚重次は三代将軍家光のもとで寛永15年(1638)老中に就任、慶安4年(1651)将軍家光死去に伴い殉死しています。

  • 正寿院宝篋印塔(近景)<br /><br />

    正寿院宝篋印塔(近景)

  • 正寿院宝篋印塔(拡大)<br /><br />正保2年(1645)に死去した正寿院の戒名は「正寿院殿貞誉光庵秋月大姉」が宝篋印塔の中央部に刻されています。<br /><br /><br />

    正寿院宝篋印塔(拡大)

    正保2年(1645)に死去した正寿院の戒名は「正寿院殿貞誉光庵秋月大姉」が宝篋印塔の中央部に刻されています。


  • 岩槻藩主阿部家の墓(標柱)

    岩槻藩主阿部家の墓(標柱)

  • 正寿院に関する説明<br /><br />標柱の側面には次の説明がなされています。<br /><br />「二代定高の母・正寿院の供養塔です。正寿院は、松平隠岐守定勝の娘で、二代藩主阿部重次の後室となり、三代藩主定高、四代藩主正春を生みました。<br /><br />父・定勝は、徳川家康の異父弟で、母は家康の生母於大の方(伝通院)です。従って、正寿院は於大の方の孫娘、家康の姪にあたります。」

    正寿院に関する説明

    標柱の側面には次の説明がなされています。

    「二代定高の母・正寿院の供養塔です。正寿院は、松平隠岐守定勝の娘で、二代藩主阿部重次の後室となり、三代藩主定高、四代藩主正春を生みました。

    父・定勝は、徳川家康の異父弟で、母は家康の生母於大の方(伝通院)です。従って、正寿院は於大の方の孫娘、家康の姪にあたります。」

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