2018/01/08 - 2018/01/08
500位(同エリア945件中)
滝山氏照さん
東武ア-バンパ-クライン線(野田線)大和田駅より徒歩15分、大和田陣屋(おおわだじんや、埼玉県さいたま市見沼区大和田町)跡は江戸時代徳川旗本である伊達房実(だて・ふさざね、生誕不詳~1626)の居館です。
伊達房実はもともと戦国末期に小田原北条氏に臣従する岩槻城主太田氏房(おおた・うじふさ、1565~1592)に仕えた家老で、永禄3年(1560)岩槻城を防衛する重要地点としていわゆる伊達城を構え主家を支えます。
というのも伊達城の標高はこの周辺では最も高く約20mで、西に広がる見沼低地を見下ろす展望に恵まれた地点に在って、合わせて見沼を南北に流れる芝川の対岸に築かれた土呂並びに寿能の城砦と連携して西方からの侵入を阻止する司令塔的な役割を担っていたからです。
天正18年(1590)、畿内統一を果たした豊臣秀吉は小田原北条氏攻略のため東下、これに対して北条氏政・氏直親子は小田原城籠城を以て対抗、ついては一族の将兵並びにネットワ-クの支城の城主は家臣の主力を引き連れ小田原城に結集し豊臣軍に対峙します。
氏房も氏政親子の命に従って軍勢と共に小田原城に籠ると、房実は残された兵力2千を以て岩槻城にて応戦、然しながら2万に及ぶ秀吉軍の包囲攻撃に多数の犠牲を払うも奮闘むなしく降伏に至ります。
同年関東入部の徳川家康に召し抱えられた房実は武蔵国足立郡(現在の埼玉県さいたま市見沼区)に250石(後に常陸国鹿島郡の加増を受け450石となる)を以て旧領の大和田に知行を得て、改めて旧伊達城内に陣屋を構えることになります。
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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開発された新興住宅地
中央部の道路の左右には整地された区画となっており、次々と新しく建築された住宅が立ち並んでいます。 -
未整備住宅風景
道路からは未整備の住宅が一部残っており、開発前の風景を想像させます。 -
開発整備作業を待つ風景
更に道路を進むと行き止まりとなっており、そこには開発整備作業中なのかブルト-ザ-が現場に駐機されています。 -
イチオシ
崩れかけた土塁(中央部)
ブルト-ザ-の先には2mほどの高台が左右に走り土塁の形状を僅かに残し、土塁に立っていたと思われる低木の雑木林のほとんどが崩れ、土砂が広がっています。 -
崩れかけた土塁(左側)
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イチオシ
崩れかけた土塁(右側)
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崩れかけた土塁(右端)
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土塁の頂上風景
土塁の右端から上にかけ登りいわゆる頂上で出ると幅1.5mほどの土塁が走っており、まだ低木の雑木林がまだまだ残っています。 -
空堀風景
土塁の反対側に視点を移せば2~3mほど下には空堀らしきものが土塁に沿って走っています。 -
土塁の頂上
土塁の頂が東西に走っていますが目測で言えばその距離は7~8mぐらいと思います。 -
土塁の崩れ
土塁の頂を西に通ると途中で右下に降りるル-トが現れます。 -
大宮-岩槻道路(県道5号)
バスも通っている県道5号ですが開発が進み、新興住宅が次々と建っています。開発の進展に伴い、周辺には大和田陣屋の遺構は僅かばかりの土塁空堀が見られましたがそれでも関係の案内板もなくいささか寂しい状況でした。 -
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島村家長屋門案内板
大和田陣屋訪問を終わり大和田駅に向かって歩くと左手に案内板が視野に入ります。 -
大宮・岩槻道 歴史散歩コ-ス案内地図
島村家長屋門案内板の傍らには上記表題を記載した歴史散歩地図が建てられています。 -
島村家長屋門
訪問した時は家人によって門が閉められていた時で残念ながら入館できませんでした。 -
島村家長屋門
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島村家長屋門
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