2017/11/18 - 2017/11/30
33位(同エリア71件中)
HOUKOUさん
- HOUKOUさんTOP
- 旅行記93冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 43,897アクセス
- フォロワー5人
峨眉山ふもともホテルから楽山へ。
朝方霧が濃いかったがしだいに晴れ上がり,巨大石仏と対面できた。
-
(2017/11/24 旅行7日目)
朝起きて空を見上げる。
結果論であるが,昨日よりは天気がよいように感じる。
昨日金頂のみならず峨眉山中腹もある程度回ることができ霊山の風情を十分堪能できたので,今日は峨眉山を離れて楽山観光にまる1日かけることにする。
峨眉山の入場料は2日間有効で,明日は期限が切れるため有料エリアには入れないのだが,エリア外の伏虎寺だけでも見学し早めに成都へ移動しようと思う。
楽山も観光客でごった返すことで有名なので,明日(土曜日)は避けたかったということもある。
天気がよさそうなので,これだったら川越しに大仏を望むという「裏コース」も可能かと思っていたら,バスは途中から急に深い川霧に囲まれてしまった。
これでは近くからでも大仏は霞んでしか見えないのではないかと思えるぐらいの深い霧だ。 -
楽山の肖壩バスターミナルについたのだが,まだ霧は晴れる気配はない。
霧は日が昇るにつれその内散じていくだろう。
少し待った方がよさそうだ。
楽山の街並みも少し歩いてみたいとも思っていたので,肖壩バスターミナルから「大渡河」沿いに走るバスに乗り込み適当なところで降りる。
河のほとりに城門があった。
オリジナルは明の時代に築かれた「麗正門」。
その時代には,治水の象徴である鉄牛が2頭置かれ「鉄牛門」とも呼ばれたそうだ。 -
門をくぐると瀬渡し場があった。
ここが大仏見学「裏コース」の渡し場なのだろう。
運賃は1元,1時間に1本ぐらいの運行である。
ここから大仏の向かい側の中洲に渡り,そこから大仏を川越しに拝観するというものだ。
しかしこの霧ではそれは全く無理と思うのだが,それでも数人の観光客(ライジャケを付けているのでそれとわかる)を乗せて舟は出て行った。 -
ところでこの「大渡河」かなりの急流である。
遠くの方でこの急流を横切る形で何かうごめくものがある。
何の動物であろうかと思ったら,信じられないことにそれは人間であった。
11月で水も既にかなり冷たいはずだ。
ほかにも水泳を楽しんでいる人たちも見かけたが,さすがに横断に挑む人は稀で,ほとんどの人は岸近くの流れが緩やかなあたりに固まっていた。
しかもそのすぐそばで釣りをやっている集団がいる。
これは日本では考えられないことだ。
釣り人は人の気配で魚が散ることを嫌がるし,遊泳者は釣り糸や針が気になって仕方がないはずだ。
(まさか遊泳者が「撒き餌」しているわけでもないだろうW)
中国人のおおらかさみたいなものにあらためて感心する。 -
川べりから少し街中に入って道端で売っている魚を見て回る。
ここらあたりは「大渡河」と「岷江」という大河が合流しているところで魚影が濃いのだろう。
タライに活けてある魚種も豊富である。 -
さてそろそろ大仏見学に行こうと思うが,とても徒歩では行けそうになく,風景区へのバスも見当たらなかったのでタクシーで入場口まで行った。
楽山は何と言っても大仏で有名であるが,食の街としても知られているようだ。
入場口前の食堂に,その名物料理の一つとされる「豆腐脳」の文字を見つけたので食べてみる。
これは不思議な食感だ。
とろみスープの中にとろとろの豆腐が入っていて,これまで食べたことがない絶妙の食感だ。 -
楽山景区は,中国の名所旧跡の例にたがわず広大だ。
しかもいたるところ坂道だらけで苦労した。
大仏自体は正門(北門)から近いのだが,烏尤寺までが遠かった。
北門から烏尤寺まで行きまた戻ってくることにしたため,かなりの距離を歩く羽目になった。
(烏尤寺に別な出口がある。ただしバス事情がよく分からなかった) -
しばらく歩いていると大仏のぼこぼこした螺髪(らほつ)が見えてきた。
-
そして現れた,写真で何度も見た仏様のちょっと間延びした顔。
私がこの大仏の写真を初めて見たのは学生の頃で,「世界最大の大仏」との紹介記事だったと思う。
若い私は,これは「反則技」ではないかと思ったことを覚えている。
仏像といっても,岩壁を一部彫り上げただけで背面は岩から独立していない。
それに何より大事な仏像のできについていえば,稚拙ともいっていい程度のもの。
日本が誇る奈良の大仏と較べたらはるかに価値が劣る,ただ「大きいことはいいことだ」という発想で作られただけのものではないか・・などと思ったものだ。
今実物を見ても,やはり「稚拙」な感じがするのは否めない。 -
ただ,この大仏が造営されるに至った経緯や,造営にかかわった人々の弛まぬ労苦を心に思いながら拝観していると,やはりそれは感動的なものだ。
それは唐の時代,大仏のすぐ前を流れる「岷江」で頻繁に起こった水難事故から人々を救おうと,一人の僧が大仏造営を発心したものだった。
そして多くのものがこの途方もない大事業に協力した。
その僧がこの海通禅師である。 -
この記念碑のすぐ近くに「海師洞」というものがあった。
内部は薄暗く,じめしてとても人が住むようなところとは思えない。
夏の暑さ冬の寒さはいかばかりであろう。
この洞窟はもともと後漢の時代に掘られた岩窟墓だったところで,海通禅師はこの極めて劣悪な環境の墓穴に住み込んで大仏造営にあたっていたということだ。
生半可な思いでは決してできないことだ。
大仏見学では,ここから更に階段を下りて行って下から見上げることになっているが,それは烏尤寺から戻ってきてからにする。 -
「凌雲寺」
大仏はこの「凌雲寺」の一部であり,そのためこの寺は「大仏寺」とも呼ばれている。
しかし大仏が建立される前から寺は存在していた。 -
中国のお寺の四天王といえばたいていは泥細工的な素朴なものが多いが,ここのものは異常に精巧に作られていた。
「大仏」とのコントラストが著しい。 -
「東坡楼」という一角があった。
「東坡」とはいうまでもなく「山色空濛雨亦奇(さんしょくくうもうとしてあめもまたきなり)」の蘇東坡(蘇軾)のことである。
蘇東坡は楽山の近隣といってよい眉山市の生まれ。
ここにその名の建物があるのは,詩人がここで勉学に励んだということに由来している。
おそらく中国人ネット情報で「見る価値なし」とされているのであろう,大仏周辺と極端に異なり閑散としている。
それに現代中国人は,私が思っている以上にあまり昔の詩には興味ないのかもしれない。 -
-
当時中国全土で繰り広げられた宋と元との攻防戦はこの地でも繰り広げられた。
今歩いている散策道は昔,宋の城壁(三亀九頂城)であったところで,元との戦いに用いられた砲台跡が残っていた。 -
そして更に歩いて行くと「麻活崖墓」があった。
後漢時代に流行した墓制で,この周辺だけでも500もの崖墓があるという。
ここはそのいくつかの内部が見学でき,その出土品も展示されている。
風化や盗掘,それに長い歴史の中では,先ほどの「海師洞」みたいな別な用途に使われたりしたかもしれない。墓の内部はかなり傷んでおり,壁面に施された数々の浮彫なども風化や摩耗が激しい。 -
これは荊軻が始皇帝を暗殺しようとしている有名な場面。
始皇帝は長すぎる剣が抜けなくて宮殿の中を逃げ惑う。
漢代の浮彫などでよく取り上げられるシーンである。
始皇帝が悪逆非道の憎まれ者であったとする,漢王朝のレジティマシイーを強調する意図があったのだろう。 -
ほとんどの墓穴はただの空洞であるが,この墓はいくつかの副葬品が残してある。
薄暗い横穴の奥から墓の番犬から見上げられているようで不気味だ。 -
付属の展示室では石棺や副葬品をもっとま近かに見ることができる。
石棺には朱雀や青竜などの四神などの浮彫で装飾されている。 -
副葬品は素朴な人物像や動物,それに井戸の模型などがあった。
言うまでもなく,楽士や踊り子,食肉,番犬それに死者が水に困らないようにと納められたものだ。 -
-
石棺だけではなく大木をくり抜いた木棺もあったようだ。
中国では,こうしたちょっとした窪みがあると賽銭入れになってしまう。
日本でもときどき見かける光景であるが,中国の方でより頻繁に見かけるものだ。 -
ここから更に上り下りの坂,更には太鼓橋などを苦労して歩き,やっと景区の端っこにある「烏尤寺」へたどり着いた。
断崖の渕に建てられている寺の前庭からは(逆光気味ではあるが)「岷江」の雄大な風景が望まれる。
朝方あんなに濃かった川霧もかなり散じている。 -
地形がいびつなためか伽藍の配置はかなりイレギュラーなものである。
-
ここでも羅漢堂があり,カラフルなそれぞれが個性的な羅漢像が並ぶ。
中国のお寺を訪れると,よくぞこれだけおびただしい羅漢像を根気よくそろえたものだと感心してしまう羅漢堂をしばしば見かける
更に道観を訪ねれば,やはり百体もあろうかと思える仙人像がずらりと並ぶ。
考えてみたら何千体が整然と並ぶ兵馬俑もそうで,これはもしかしたら中国人の美意識の形質のようなものではないのか。 -
中庭で切り干し大根作りの作業をしていると思ったら,それは「お札干し」であったW。
普通それは人が見えないところでするものだろう。
「宗教?それ建前でしょう」的な光景である。 -
苦労して大仏付近まで引き返す。
ますます視界が良くなり,「大渡河」と「岷江」の合流点もきれいに見渡すことができる。 -
さていよいよ大仏の右手側に設けられた凌雲桟道を下りていく。
この階段が,この旅一番の恐怖体験であった。
ハイシーズン中は非常に混み合うことで知られるこの階段は,傾斜が急で石段の段差が大きい。
手すりにすがりつくようにしてやっとの思いで大仏の足元にたどり着くことができた。 -
昔は綺麗に彩色され,大殿に覆われていたといわれる大仏であるが,今は野ざらしで剥落箇所や体の一部に草が茂っていたりしている。
これだけ巨大でこれだけ年数を経ていると下手に補修はできないのであろう。
また下手に全面改修をすれば,この大仏が持つ漫画チックな雰囲気が更に前面にでてしまうのではないか。 -
よく言われるように,足元から大仏の全体像を俯瞰するのは難しく,それを川からするための遊覧船が入れ代わり立ち代わりやってくる。
最後までこの大仏の「稚拙さ」感は払しょくできなかったが,それにしてもやはりスケールには圧倒されるものがある。
峨眉山金頂の普賢菩薩といい,楽山大仏といい図抜けたスケール感で宗教的荘厳さ(的な)ものを発散していた。 -
肖壩バスターミナル付近で食べた「肥腸粉」。
プルプルの腸とおそらくサツマイモの粉なのであろうか,トロトロツルツルの抜群の食感であった。 -
報国寺門前街の一角に美食コーナーみたいなものがあって,ちょっと気になっていた。
骨付きあばら肉を買ってきてきた。
可食部は少ないのだが,やはり骨にこびり付いた肉はうまい。 -
酒は新たに買った四川省広漢市産「金雁頭曲」。
広漢市といえば三星堆がある都市ではないか。
峨眉山滞在中飲んだ白酒では最もうまい酒だった。
明日は成都への移動日。
成都のホテルですぐ酒が飲めるよう,ボトルの残りをスーツケースに詰める。(これが問題になるとは夢にも思わなかった) -
テレビを見てたら雪景色の峨眉山が映し出されていた。
昨日実際に行ったとき以上に積雪しているようだ。 -
今日も夕食は門前街レストランの「特価采」。
16元のチンジャオロース。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- メイリンさん 2018/02/12 23:11:17
- この旅行記に出てくる料理は美味しそうですね
- 豆腐脳と肥腸粉、美味しそうですね。食べてみたいです。
楽山大仏の足元までの階段の段差はかなりありますね。降りるのが大変だったと思います。お疲れさまでした。
楽山大仏、私はデカいだけのような気がしてなかなか行く気にならない場所なんですが、作るきっかけなどを知ると、感慨もまた違いますね。
- HOUKOUさん からの返信 2018/02/14 20:20:06
- RE: この旅行記に出てくる料理は美味しそうですね
- 「私はデカいだけのような気がしてなかなか行く気にならない」とは、正に私が事前に感じていたことです。
というか、率直に言っていわゆる名所旧跡の多くが(「自然」以外は本当は全部だと思います)即物的にみれば見るに値しないものだと思います。
それでもそこに行くのは、そこで繰り広げられた、或いはそれにまつわる「物語」を感じるためです・・少なくとも私の場合は。
ともかくも楽山は峨眉山からは近いし、川面の雰囲気もとてもよかったですよ。
街歩きの時間は少なかったですが、楽山の街は「グルメ」のオーラが漂っていました。
きっとメイリンさんも気に入ると思いますよ!
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
HOUKOUさんの関連旅行記
峨眉山(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
36