2018/01/14 - 2018/01/14
40位(同エリア128件中)
ミズ旅撮る人さん
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長崎県西海市の沖合に浮かぶ小さな池島。佐世保から西海パールラインを通って大瀬戸町へ行くと、西海沿岸商船のフェリーで30分。
周囲4kmの池島には、昭和27年に池島炭鉱が創業、平成13(2001)年に閉山されるまでの約50年間、炭鉱の島として栄えました。
「炭鉱の島」と言えば、「軍艦島」が有名ですが、長崎沖にはいくつか同じような炭鉱の島があります。
池島炭鉱は最後まで残った炭鉱でした。そのため、狭い島内には炭鉱で使われた大型機材が多く残り、「坑内体験ツアー」も行われています。
今回、どうしても帰りのフェリーの時間が合わず、ツアーに参加することは出来ませんでしたが、島内をゆっくり時間を掛けて散策して来ました。
最大7,776人の人口を抱えた島内には、数多の団地が建設されました。2017年現在で、147人が住んでいます。
たくさんの廃墟と、1件だけの食堂と、公共浴場と、猫たちが出迎えてくれました。
時間の観念を忘れそうな、今は静かな島で会う人達は、心底、穏やかに接してくれました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 船
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
平戸から南下して佐世保を通過。更に西海パールラインを渡って、西海市に入ります。
長崎県は、真ん中に大村湾を挟んで大きく東西に分かれますが、その西側の半島の外(西)側にある大瀬戸町に向かいます。 -
大瀬戸町の西海沿岸商船のフェリーターミナルです。すぐ南隣には、松島行きのフェリーターミナルもあります。
人口わずか147人の池島ですが、意外にフェリーの本数があります。一日13便で、車も乗船出来ます。
人だけなら片道440円です。乗船時間30分ですが、安いです。東京湾フェリーなら720円(40分)です。
受付は、乗船時間の15分前から始まります。駐車場がターミナルから離れた場所にあるので、注意が必要です。 -
フェリーターミナルまでの所要時間を甘く考えていて、到着したのはちょうど出航する時間でした。
既に、受付は閉まっており、フェリーは正に今、タラップをあげるところでした。
私が血相を変えてフェリーに駆け寄ったのを見て、係員の人が作業を止めてくれました。
本当はもう乗り遅れて、次の便は2時間半後になる筈でした。しかし、それがわかっているので、敢えて事務所に戻り、切符を売ってくれました。フェリーは5分遅れで出航しました。
本当に申し訳なかったです。御恩は一生忘れません(忘れられません)。ありがとうございました。 -
池島に向かう船便は、大瀬戸町の瀬戸港からのフェリーの他に、少し南にある神浦港からの便もあります。
こちらは本当に地元向け。定員12名の小型船舶です。瀬戸港より近いので所要時間は15分ですが、第2・4・5日曜日は運休日です。 -
この辺りは、小さな岩礁が多く、島も多くて海岸線が入り組んでいます。航路を示すブイや灯台があちこちに見られます。
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瀬戸港を出てすぐにあるのが大きな松島(後方)です。ここでは、1782年に松島炭鉱が発掘されました。
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池島が見えて来ました。海岸縁に、団地が見えます。これらは比較的新しい建物で、住人もいます。
この団地の右側には、炭鉱が開ける前から漁村がありました。 -
島が近くなり、段々と島の様子が見て取れるようになりました。丘の上に第一立坑の櫓が見えます。
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第一立坑の櫓の右側には、池島小中学校の体育館の青い屋根と「8階建て社宅」の一部が見えます。
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池島港の手前です。緑色のジブローダー
「貯炭場に運ばれた石炭をレールの上を移動しながら掻き寄せてベルトコンベアーに積み込む機械」だそうです。 -
池島港に入って行きます。ここはもともと「鏡が池」という池でした。
炭鉱開発が進むと、港の整備が必要になり、鏡が池の一部を海と繋げ、現在の池島港になりました。 -
池島炭鉱の選炭工場と、その背後に第一竪坑櫓が見えます。
更に左手奥に第二竪坑があり、採掘された石炭は、山を越えて選炭され、この港で積み出されて行ったのです。 -
緑色の石炭船積み機トリンマーで、毎時450トンの石炭を石炭輸送船へと積み込んでいました。
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旧発電造水施設。昭和41年に設置された石炭火力発電所です。
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フェリー乗り場が見えて来ました。
炭鉱設備とは反対側の突端にあるので、ぐるっと港を回って行かなければなりません。 -
フェリーを降りたところにある地図です。
北が左になっているので、ちょっとわかりにくいのですが、階段を上がった所に建っている待合所には、手書きの「池島ウォークマップ」があります。もらって行きましょう。
ピンク色に塗られた場所は立入禁止区域です。主に、炭鉱などの施設のある場所です。
一般人の住んでいる所は、島の真ん中に集中しているので、先ずはそこを目指します。 -
長崎市の説明板です。かつて鏡が池がまだあったころの写真が掲示されています。
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フェリーの発着時間に合わせて、路線バスが運行しています。黄色いマイクロバスで、ご覧のような低料金です。
フェリーが着いた時にちょうどやって来るのですが、運転手さんに声を掛けておけば、待合所で地図を取って来る間くらいは待ってくれます。
私が乗った時は、他におばあちゃんが一人乗っているだけでした。 -
港の突端にあるフェリー乗り場を出発したバスは、港に沿って走り、すぐに港の中心部の小さなロータリーに着きます。
このロータリーに面した団地の1階に「みなと亭」があり、電動自転車をレンタルしています。
8:00~15:00で600円です。 -
フェリーが出て行くのが見えました。池島の生命線ともいえるフェリー。
意外に運行本数が多いので、訪れやすいです。 -
バスは坂道を上り、途中で県道を逸れて右の道に入り、比較的新しい団地の脇を海沿いに走って、がらんと広いコンクリート敷の広場でUターンします。
この辺りは、炭鉱が出来る前から漁村があった地域と思われます。 -
広場から見上げる家並みは、意外なほど立派な家が建っています。
炭鉱の島というと、軍艦島のように団地だらけと思いますが、この地区は元々人が住んでいたので、家が建っていたのでしょう。
池島には元禄元(1690)年に一部の地域だけで1,200人が住んでいた記録があります。 -
広場から元の道を引き返し、旧発電造水施設の前で県道に合流します。
ここからずっと島の中心部の郷地区まで上って行きます。 -
先程広場から見上げた家々を、今度は見下ろしながら上って行きます。
山の上に、小中学校の体育館の青い屋根がちらっと見え、その隣に白い校舎が2棟見えます。 -
大きなカーブを曲がって建物が見えて来ます。一番手前に見えるのが池島事務所と郵便局です。
バスは、それらを右手に見たまま、更に上って行きます。 -
マイクロバスの窓は小さく、よく揺れるので、写真を撮るのは困難を極めます。
でも、ここから団地群が始まるのです。お城にあるような石垣の上に同じ形の団地がずらっと並びます。 -
昭和初期によく見られた4~5階建ての鉄筋コンクリート造の団地です。
しかし、植物が這い上がっていて、人が住んでいるとは思えません。 -
木製の雨戸の外にはベランダがあったようですが、柵が落ちてしまっている家もあります。
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池島炭鉱は平成13(2001)年に閉山しました。意外と最近なんですね。
そのためか、現在でも住民が残っていて、端島(軍艦島)のような無人島にはなっていません。
2014(平成26)年、戸数135戸、人口205人と以前のウォークマップには書いてありました。
2018年のマップには2017年現在、103戸147人と書かれています。 -
バスが右に曲がって、団地の中に入って行き、おばあちゃんが降りて行きました。
更に右に曲がると、パイプだらけの道になりました。
これは、発電所の蒸気を主に浴場へ、真水を施設や各家庭へと供給するための配管です。 -
ラピュタの世界と言えばいいのか、はたまた、「モジャハウス」?
住民は、一体どこに住んでいるんだろう?確かに一人降りて行ったけど・・・ -
バスが配管の下をくぐって、左に曲がります。
おばあちゃんが降りた辺りが一番高い所だったようで、少しずつ下り坂になりました。 -
団地が途切れて、空き地が広がり、その先に大きな校舎が見えて来ました。
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池島小中学校です。この人の姿すら見られない池島に、これほど大きな学校があるなんて驚きました。
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しかも、校舎が新しい。ピーク時の人口が7,776人で、働き盛りの世帯ばかりとすると、子供の数はどれほどだったのでしょう?
小学校と中学校の共同といっても、在校生の数はすごかったのでしょうね。
池島小中学校は、廃校ではありません。
窓ガラスに「あなたがここにいるから夢持つ池島っ子は今日もがんばっています」と貼り紙がされています。 -
池島小中学校を右手に見ながらバスは進み、すぐに左側に8階建てアパートが現れると終点の「神社下」です。
朝の6時から夜の6時まで、1時間に1~2本の割でバスが運行されています。
ここでバスは転回して、再びフェリー乗り場のある「池の口」へ向かいます。
運転手さんはとても親切で、いろいろな質問に丁寧に答えてくれました。
もし、行きたい所などがあったら、乗る時にお願いしておけば教えてくれると思います。 -
「神社下」のバス停と、8階建てアパート。
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池島の一番の見どころは、この8階建てアパートです。とても特徴のある外観をしています。
5階部分に、横に繋がる通路が付いているのです。この理由は後ほど。 -
5階の通路から上は、何故か真っ黒け。炭鉱らしいと言えば言えますが、どうしたんでしょうね。
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人影の絶えた団地の傍らに日本水仙が咲いていました。
この日は1月とは思えないような暖かい日で、島内ではダウンコートに手を通すこともなく過ごしました。 -
意外にも、島内のあちこちで猪を捉えるための檻が設置されていました。
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「神社下」のバス停から団地を左に見ながら先に進むと、道がぐるっと左に曲がって、一気に下り始めます。
行く手に見えるのが第2立坑事業所です。 -
事業所前には「慈海の女神像」が立っています。
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衣装が大和時代(最近では「古墳時代」というのかな?)のような女神像。
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この像が建てられたのは昭和58年。
昭和60年に、池島炭鉱は最高の出炭量、年間153万トンを記録しました。
しかし、わずか16年後の平成13年に閉山しています。
女神が見下ろす海の底には、約90kmもの長さのある池島炭鉱の海底坑道があります。 -
第2立坑櫓です。
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女神像のあるロータリーの奥に、もう一つ広場があり、ここにも像が置かれていました。
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「外海(そとめ)町立池島小学校 城台教諭他 生徒一同作 昭和57年1月吉日」
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午後の日差しが櫓を照らします。これらの像を建立した時、この炭鉱の終末が近いことを、誰か知っていたでしょうか。
昭和30年に炭鉱は掘り始められ、34年に営業出炭が開始されました。60年に最高出炭量を記録して、繁栄の極みだったことでしょう。
池島炭鉱は、九州で最後まで残った炭鉱でしたが、平成13年に閉山しました。 -
その坑道のあった洋上には、海上保安庁の船が停泊していました。
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第2立坑から8階建てアパートの見える場所に戻って来ました。
真っすぐ行けば「神社下」のバス停ですが、アパートの裏手に通じる道があったので、そちらに行ってみることにしました。 -
8階建てアパートの裏には、これまでと同じ5階建ての普通の団地が建っていました。
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植物が芸術的な飾りとなって、簡素なコンクリートの塊を彩っています。
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アンコール遺跡のような光景は、日本でも見られるんだなあと妙に感心してしまいました。
大きな実が付いている所を見ると、結構花も咲くようです。なかなか美しい装飾です。 -
あの配管がここにも来ていました。
これによって、水やお湯に困ることはありませんでした。
また、電燈も昭和27(1952)年には全島に行き渡っていました。 -
これらの5階建ての団地の向かいに、件(くだん)の8階建てアパートがあります。
但し、裏から見ると5階建てです。この建物は斜面に建っているため、裏からは5階に直接行かれる橋が架かっているのです。
そして、前側に付いている渡り廊下で、横に移動することが出来ます。
こうした建物は、たいへん珍しいと思います。 -
8階建てアパートへの橋の向かいには、急な上り坂があります。
なぜか、道の真ん中に等間隔で何かの跡があります。
おそらく手摺が設置されていて、それが失われた跡と思われます。この先に何があるのか、気になるので行ってみます。 -
緑十字に「御安全に」の文字。昨今ではあまり聞かれない言い回しだけど、なぜここにあるんだろう?
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「御安全に」の先は、急な階段になっていて、どうやら、炭鉱夫たちはここから坑道に向かっていたようです。
階段の下にある建物に取り付けられている掛け時計は、まだ正確な時間を表示していました。
この階段から先は立入禁止区域です。 -
階段から振り返ると、「御安全に」の看板の裏に「ごくろうさん」の文字が見えました。
素っ気ない言葉のようで、実は温かい、昭和の時代を感じさせる文字でした。
真っ黒になって、汗びっしょりで家路につく男たちが、列を作ってここを通ったことでしょう。 -
この橋を渡ればすぐに我が家です。
たくさんの窓辺に、夫や父を迎える手や顔があったことでしょう。 -
その橋は、今は立ち入り禁止です。このアパートは屋上でも繋がっていたんですね。
床板が落ちて、鉄筋がボロボロで、とても怖い光景ですが。 -
お向かいの5階建ての団地は、既に植物の中に埋まり、人が立ち入れない様相です。
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さっき乗った路線バスが通りました。このバスのお陰で、楽に島の最高地点まで上がって来られました。
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道路脇に「展望台」と書かれた案内が立っていたので、脇道に逸れてみます。
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「慰霊碑」がありました。
南の海底に眠る同志の霊に捧ぐ
昭和27年、此所(ここ)池島に新坑を開発してより既に22年。
祖国日本の経済興隆に盡(尽)して来た池島炭鉱の貢献は大きい。
その裏に雄図空しく職場に散った皆さんの功績も亦(また)大きい。
茲(ここ)に皆さんの生前の御労苦を偲ぶと共に、その霊の永久に安からんことを祈る
昭和49年8月 松島炭鉱株式会社 社長 武冨敏治
※原文をそのまま転写しています。読みにくい部分にだけ()で補記しました。 -
慰霊碑の背後に展望台があります。
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展望台からの眺めです。先ほど訪れた第2立坑の建物が見えます。
沖合には、大蟇島・小蟇島が見えます。
「蟇」という字を初めて見ました。ヒキガエルのことで、「ま」「ばく」「がま」などと読みます。ヒキガエルの別称ガマガエルを表したりします。
大蟇島には、真ん中に工場のような建物があります。池島炭鉱と海底で繋がっているのではないかと思われます。小さな桟橋もあります。 -
第2立坑の建物は、こちらから見ると大部分が見えます。
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東方向には、母子島と、大角力と呼ばれる岩が見えます。
これから、団地の中を彷徨い歩き、昼食をとってフェリー乗り場に徒歩で下って行きます。
まだ、バスで一緒だったおばあちゃん1人しか、島の住民を見ていません。
これから、たくさんの猫と共にようやく登場です。その様子は次回にて。
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この旅行記へのコメント (2)
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- tabinakanotaekoさん 2018/02/27 17:41:13
- 池島、知りませんでした。
- ミズ旅撮る人さん、
軍艦島はよくテレビでも見るので知っていましたが、同じような炭鉱の島の池島は聞いたこともありませんでした。いつになるか分かりませんが行ってみたいです。リストの上の方に書き込みました。フェリーや路線バスが便利そうですね。参考にさせていただきます。
tabinakanotaeko
- ミズ旅撮る人さん からの返信 2018/02/27 19:25:53
- Re: 池島、知りませんでした。
- 池島の旅行記を読んでくださって、ありがとうございます。今、後編を書き終わりました。池島の魅力は、炭鉱施設が丸ごと残っていること、炭鉱ツアーがあって、坑道の中まで入ることが出来ること、炭鉱で働く人々の生活の名残がそこここにあることです。人口の少ない島の割に、フェリーが多く、路線バスも安価で訪れるのに便利です。食事をする場所が限られるので、予め用意するか、「かあちゃんの店」をご利用ください。
詳細は、外海町のHPを参照されるといいと思います。
http://www.kanko-sotome.com/ikeshima/
今はまだ、観光客の少ない絶好の穴場です。頑張って行ってくださいね。
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