2018/01/14 - 2018/01/14
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ミズ旅撮る人さん
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長崎県の観光で、池島・軍艦島を訪れ、3つ目の「島」が出島になりました。
狙って島巡りにした訳ではないのですが、長崎は島だらけの県なので、長崎らしいのでしょう。
「出島」は、歴史を学べば当たり前に誰もが知っている地名ですが、もう市街地に飲み込まれて、看板くらいしかないと思っていませんか?
かつては、地名くらいにしか存在を感じられませんでしたが、平成2年に表門を復元し、徐々に建物の復元が進んで、今では立派な観光施設へと生まれ変わりました。
昼間に見学するだけでなく、夜9時まで開館しているので夜景も楽しめます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「国指定史跡 出島和蘭商館跡」が、今の出島の正式名称です。
左下の図の扇形になった島が、かつての姿です。現在は周囲を埋め立て地に囲まれ、海は少し離れてしまいました。出島 名所・史跡
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出島には3つの門があります。中央・東・西に各1つ設けられています。
今回は、それらのうち東側の門から入ります。「明治ゲート」という名称が付けられています。
出島というと鎖国中の江戸時代のイメージが強いのですが、ここには明治時代に建てられた洋館もあります。
門を入る直前に、「南側護岸石垣」を見るのをお忘れなく。出島の南側にある護岸石垣が発掘され、復元されています。 -
東側料金所は、「旧出島神学校」の洋館の中にあります。
明治11年に建てられました。出島教会の隣の英学校でしたが、明治16年に出島聖公会神学校となりました。
明治26年に増築された時を再現してあります。現在は「出島史料館」となっています。
この門は、夕方(たぶん17時)になると閉鎖されてしまいます。
まったく何の案内もされなかったので、わざわざ西側からこちらまで歩いて来て、閉鎖されていてびっくりしました。
最後まで開いているのは中央の門だけのようです。閉門時間を確認してから入った方がいいでしょう。出島 名所・史跡
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出島の案内図です。東門は左上にあります。
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出土した石材を並べてあるコーナーがあります。以前、中央門に架かっていた橋を復元するため、調査中です。
1571年にポルトガル船が長崎に入港して以来、ポルトガル及びオランダとの交易が始まりました。
出島は、町に暮らすポルトガル人を一カ所に収容するために1636年に築造されました。
その後、島原・天草一揆が起こり、1639年にポルトガル船の来航が禁止されると、当時平戸にあったオランダ商館を出島に移すことになりました。 -
「旧長崎内外クラブ」です。
これは明治36(1903)年に倉場富三郎(トーマス・ブレーク・グラバーの息子)らの尽力により造られた、長崎に暮らす外国人と日本人の社交場でした。
現在は昼だけのレストランになっています。営業時間10:30~15:00。
長崎ご当地グルメのトルコライスもあります。長崎内外倶楽部 グルメ・レストラン
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「旧石倉(考古館)」
長~い壁の続く石倉の中は考古館となっており、この時は「出島の青い薔薇」展を開催していました。
中央の表門を挟んで両側にあるこれらの石倉は、幕末に復元されました。出島 名所・史跡
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展示品の一部を紹介します。出土品なので、完全な形を保っているものは、ほとんどありません。
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輸出用の有田焼。
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染付芙蓉手花鳥文VOCマーク入り大皿の有田焼。
「VOC」は、オランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie)の略称です。 -
「釉下赤絵騎馬図徳利」オランダ・マーストリヒトにある窯で製作されたもの。
アマゾネスの絵柄を描いています。日本の徳利の形を真似た物。 -
たいへん見づらい場所に、日本に煙草が入って来た様子が紹介されていました。
南蛮貿易の開始に伴って、煙草も伝えられました。江戸時代初期から既に庶民にも定着するようになり、煙管(きせる)で吸うスタイルが生まれました。
やがて、皮革製品やジャワ更紗などで作った煙草入れがおしゃれアイテムとして作られて行きます。
1853年アメリカのペリーが来航すると、今度は紙巻き煙草が流行しました。
鹿児島県出身の岩谷松平が、銀座で「天狗煙草」の販売を始めました。
「花は霧島 煙草は国分」と歌われるように、たばこは薩摩の特産品の一つとして江戸時代から知られており、弟・右衛(うえ)らをアメリカに派遣し、製造技術を学ばせるなどして、自身でも本格的な製造に着手。
そして明治17(1884)年頃に、口付紙巻たばこ「天狗煙草」を発売しました。
明治30年代、外国のたばこ会社の資本を背景に、日本のたばこ業界を席巻しようとした村井吉兵衛の「株式会社村井兄弟商会」が登場すると「明治たばこ宣伝合戦」と称されるほど激しい販売競争が続きました。
やがて、明治37(1904)年に煙草は専売となりました。
「たばこと塩の博物館」のHPに詳しく記述があります。
https://www.jti.co.jp/Culture/museum/exhibition/2005/0501jan/index.html -
江戸時代の服装をした彼らは「乙名(おとな)」といいます。出島の管理を担っていました。
現在は、案内をしてくれます。 -
十四番蔵「乙名詰め所」。表門の真正面にあります。
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新石倉。総合案内所とシアターを兼ねています。無料で出島の歴史を描いた映像を見ることが出来ます。
出島 名所・史跡
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十六番蔵。出島の展示館です。
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かつての出島橋の欄干が出迎えてくれます。
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2階の展示室です。
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蓋の上に女性像が載っている壺。「赤絵金彩鶉草花文大壺 一対」18世紀の有田焼です。
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「赤絵沈香壺 一対」。有田焼がオランダに輸出され、破損した蓋をデルフト焼で補修してあります。
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「染付西洋風景図蓋物・杓子」。イギリス製の陶器です。ヨーロッパの陶器も輸入されていました。
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商館員の住まいであった「筆者蘭人(ひっしゃらんじん)部屋」では、巨大な地図や映像を使って、
出島と世界のつながりが視覚的に学べるようになっています。出島 名所・史跡
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ここ出島で一番のみどころ「カピタン部屋」。外階段が目に付きます。
出島 名所・史跡
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「一番船船頭部屋」。
出島 名所・史跡
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オランダ商館の事務官が暮らしていた部屋です。
出島で亡くなった書記官の遺品が競売に掛けられ、そのリストから再現されています。
家具は、インドネシアのバタヴィア(現ジャカルタ)か長崎で製作されていました。 -
一番船船長の部屋。
オランダからは1年に2隻やって来ました。その1番船の船長が使った部屋です。 -
一番蔵。現在は三番蔵までが復元され、展示ブースとなっています。
19世紀初めには十七番蔵まであったそうです。
オランダ人は各蔵に花の名前を付け、一番蔵は「バラ」蔵だったそうです。 -
展示には、オランダ商館長ブロムホフの模型がたいへん役に立ったことが説明されています。
また、当時出島の建物を建てた長崎の大工たちが長崎市内に残した町屋などを参考にしたそうです。 -
カピタン部屋の内装には、唐紙を貼った様子が説明されています。
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オランダ東インド会社は、本国から貿易地で貨幣の鋳造をすることを許可されていました。
これらは、日本産の銅を使って作られました。 -
輸出品の皿は、こうして運ばれたのです。日本らしいですね。
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オランダ貿易は、始まった当初は生糸が輸入品の中心でしたが、後に砂糖が主力となりました。
この砂糖蔵の再現がされているのは、三番蔵です。
麻袋に入っているのが砂糖、樽には油や酒が入っていました。 -
出島の歴史が様々な展示物で説明されています。
幕末1854年以降、欧米諸国と和親条約を締結し、各地で開港が行われた結果、出島でのオランダだけの貿易は週末を迎えました。
オランダ商館は廃止され、新たに領事館となりました。
これ以降、洋館が新たに建てられるようになります。 -
蔵は、順路に沿って繋がっていて、裏手を見ると出島の形がよくわかります。
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「拝礼筆者蘭人部屋」の展示です。オランダ語と日本語の辞書です。
これだけ美しい書体で全部手書きなのがすごいなあと思いますが、悲しいことに日本語さえ読めない・・・ -
「蘭学事始」。1815年に83歳だった杉田玄白が、回想録として執筆したもの。
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「解体新書」。前野良沢と杉田玄白が、オランダ語の解剖学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳したもの。
前述のような辞書を作っていた時代に、用語もわからない解剖学の本を翻訳したというのがすごい。
これ以前の日本では、解剖することが出来たのは死刑になった罪人だけだったので、首がなかったそうで、脳の研究は「解体新書」以後のこととなるのだとテレビで知りました。 -
なぜ、出島で骨?と思いますが、これは出島菜園跡で発掘された子牛の骨です。5頭分見つかりました。
1796年に天然痘の種痘が発見されました。これを日本で初めて獲得したのが、オランダ商館の医師でした。
牛痘法による種痘の作成に使われた可能性があるとのことです。オランダ医学の日本への貢献は計り知れません。 -
「カピタン部屋」(右)の裏側です。左は「乙名部屋」
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「カピタン部屋」の2階の天井には唐紙が貼られ、そこに電灯の作る模様が投影されています。
いよいよ、一番の見どころに入ってみましょう。 -
夕暮れとなり、照明に灯が灯ります。すると、昼間に見る風景とは違う、味わい深い陰影が一層興味深さを増してくれます。
出島 名所・史跡
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イチオシ
外階段を上がった所の天井です。吊り下げられている照明の模様が、素晴らしく素敵です。
出島 名所・史跡
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外の通りも、火ともし時の風情が漂っています。
これからが、出島の第2ステージです。 -
「15畳の部屋」商館の事務室でした。
江戸幕府に献上するオルゴール付きの時計を検分している様子を再現してあります。 -
様々な形の椅子が置かれています。窓枠の緑色が、和室なのに洋館のような雰囲気にしています。
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ソファと下に敷いた絨毯が如何にも西洋人の空間だと感じさせます。
そして、唐紙の天井が明るい雰囲気にしています。 -
金属製のポットがとても珍しいです。ポットの下に炭を入れて保温するのかな?
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いや~、唐紙の天井、いいなあ。自分の部屋にも貼りたくなります。
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基本は和室の造りなので、各部屋は繋がっています。
普通は襖で仕切られる部分にドアが嵌め込まれています。 -
別の部屋の唐紙模様です。
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それまで白と緑で静かな雰囲気だった唐紙が、この部屋ではとても華やかです。
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シルエットが日本人形のような松がびっしり描かれています。
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照明の影が天井に波紋を広げているかのようです。昼間には決して見られない隠れた見どころです。
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「大広間」。「カピタン部屋」の中で最も広い35畳の部屋。接待や特別な晩餐などで使われました。
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テーブルには、「阿蘭陀(オランダ)冬至」と呼ばれたクリスマスの晩餐の様子を再現してあります。
豚の頭がごちそうなんですね。七面鳥が無かったのかな? -
大広間の唐紙。食事をする部屋だからか、ちょっとアットホームな感じです。
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天井のシャンデリアを真下から見上げました。点灯時にしか、この美しさはわかりません。
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窓から通りを見下ろすと、すっかり夜景に変わっていました。
長崎の夜景は、ここでも綺麗です。 -
「カピタン部屋」は、昼間見学したとしても、点灯されたらもう一度入ってみることをお勧めします。
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「旧出島神学校」の正面には、出島の15分の1のスケールのミニチュア模型が展示されています。
ここは昼間に見た方がいいですね。 -
冒頭でも言及したように、東側のゲートは夕方早めに閉まってしまいます。
わざわざ「カピタン部屋」から反対側のゲートまで歩いて行ったのに、ショックでした。
入場する時も何も言われず、パンフにも書かれておらず、案内の不備が残念でした。
表門に戻って外に出ます。
この橋が架かっている中島川は、1888年に流れを変える工事が行われ、出島の敷地が18mも削られ、後退しています。
同時に石橋は架け替えられた鉄製の橋になっています。
今後、出島の復元は続けられ、第4期工事が行われています。
2050年までに再び海に囲まれた出島の姿を取り戻す計画だそうです。 -
せっかくなので、ホテルから撮った長崎の夜景です。
稲佐山が見えます。ここからの眺めが一番有名なのに、何度も長崎には来ているものの、一度も上ったことがありません。 -
左下のすごく明るい場所が長崎駅。そこから赤と緑のラインが伸びているのが「旭大橋」です。
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長崎湾の玄関口にある「ながさき女神大橋」が、白くライトアップされています。
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「宝石箱に身を投げたような港の夜を抱きしめてごらん」
口ずさみながら、いい夢を見ましょう。おやすみなさい。
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