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太平山・芳林寺(ほうりんじ、埼玉県さいたま市岩槻区本町)には徳川家譜代の家臣で、家康関東入府に際し2万石を以て初代岩槻藩主に補された高力清長(こうりき・きよなが、1530~1608)の長男で高力正長(こうりき・まさなが、1558~1599)の霊廟があります。<br /><br />正長は父清長と同じく家康に仕え三方ヶ原の戦い、長篠の戦い更には小牧・長久手の戦いなどで活躍し、天正15年(1587)に大番頭に就任、慶長4年(1599)には従五位下土佐守を叙任しますが同年父に先立って早世します。<br /><br />尚高力氏は源平の戦いで義経に従い源氏方として活躍した熊谷直実(くまがい・なおざね、1141~1207)の後裔といわれ、重長(しげなが、生没不詳)までは熊谷姓を称し、直鎮の時に軍功あったとして足利尊氏より三河国八名郡を与えられ武蔵熊谷郡から移住、正直の代の頃高力郷に移り住み重長から地名をもって「高力姓」を呼称するようになったようです。<br /><br />清長没後は正長の子である忠房(ただふさ、1584~1656)が家督を相続して二代目当主となりますが、元和5年(1619)3万石へ加増遠江国浜松へ移封、新たに元和6年(1620)4万5千石で青山忠俊(あおやま・ただとし)の入部を経て相模国小田原より阿部正次(あべ・まさつぐ、1569~1647)が入封、五代目正邦(まさくに、1658~1715)が丹後国宮津に転封、以降戸田氏・松平氏・小笠原氏・永井氏と歴代藩主が続き大岡氏の八代目忠貫(ただつら)の支配を以て維新を迎えます。<br /><br /><br />正長墓所の傍らには「高力正長公事績」と題した説明碑があり、次のように記されています。<br /><br />「 高力正長公事績<br /><br />徳川家康に仕え仏高力といわれた岩槻城主高力清長の長男として、永禄元年(1558)三河国に生まれ、元亀3年(1572)の三方ヶ原合戦を初陣として、長篠合戦や甲州攻め、長久手合戦等に武功をあげた。<br /><br />天正15年(1587)駿府で大番頭を勤め、慶長4年(1599)従五位下土佐守に任ぜられたが、同年3月22日惜しくも病没。行年42才。<br /><br />法名 快林院殿全室道機大禅定門。」

武蔵岩槻 源平合戦で活躍した熊谷直実の後裔で家康の譜代家臣として軍功をあげた高力正長菩提寺の『芳林寺』散歩

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2018/01/08 - 2018/01/08

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滝山氏照

滝山氏照さん

太平山・芳林寺(ほうりんじ、埼玉県さいたま市岩槻区本町)には徳川家譜代の家臣で、家康関東入府に際し2万石を以て初代岩槻藩主に補された高力清長(こうりき・きよなが、1530~1608)の長男で高力正長(こうりき・まさなが、1558~1599)の霊廟があります。

正長は父清長と同じく家康に仕え三方ヶ原の戦い、長篠の戦い更には小牧・長久手の戦いなどで活躍し、天正15年(1587)に大番頭に就任、慶長4年(1599)には従五位下土佐守を叙任しますが同年父に先立って早世します。

尚高力氏は源平の戦いで義経に従い源氏方として活躍した熊谷直実(くまがい・なおざね、1141~1207)の後裔といわれ、重長(しげなが、生没不詳)までは熊谷姓を称し、直鎮の時に軍功あったとして足利尊氏より三河国八名郡を与えられ武蔵熊谷郡から移住、正直の代の頃高力郷に移り住み重長から地名をもって「高力姓」を呼称するようになったようです。

清長没後は正長の子である忠房(ただふさ、1584~1656)が家督を相続して二代目当主となりますが、元和5年(1619)3万石へ加増遠江国浜松へ移封、新たに元和6年(1620)4万5千石で青山忠俊(あおやま・ただとし)の入部を経て相模国小田原より阿部正次(あべ・まさつぐ、1569~1647)が入封、五代目正邦(まさくに、1658~1715)が丹後国宮津に転封、以降戸田氏・松平氏・小笠原氏・永井氏と歴代藩主が続き大岡氏の八代目忠貫(ただつら)の支配を以て維新を迎えます。


正長墓所の傍らには「高力正長公事績」と題した説明碑があり、次のように記されています。

「 高力正長公事績

徳川家康に仕え仏高力といわれた岩槻城主高力清長の長男として、永禄元年(1558)三河国に生まれ、元亀3年(1572)の三方ヶ原合戦を初陣として、長篠合戦や甲州攻め、長久手合戦等に武功をあげた。

天正15年(1587)駿府で大番頭を勤め、慶長4年(1599)従五位下土佐守に任ぜられたが、同年3月22日惜しくも病没。行年42才。

法名 快林院殿全室道機大禅定門。」

交通手段
JRローカル
  • 芳林寺・山門<br /><br />

    芳林寺・山門

  • 芳林寺門扉

    芳林寺門扉

  • 芳林寺・本堂<br /><br />正式には「大平山芳林寺」と称する曹洞宗の寺院で、天正19年(1591)当該寺院の荒廃ぶりを嘆いた初代岩槻藩主である高力清長が大修理を加えて復旧させています。

    芳林寺・本堂

    正式には「大平山芳林寺」と称する曹洞宗の寺院で、天正19年(1591)当該寺院の荒廃ぶりを嘆いた初代岩槻藩主である高力清長が大修理を加えて復旧させています。

  • 芳林寺本堂扁額

    芳林寺本堂扁額

  • 高力正長墓所案内板<br /><br />当該寺院は戦国時代で目覚ましい活躍をしたものの、主家扇谷上杉氏の暗殺により命を落とした太田道灌(おおた・どうかん)とその後裔の太田氏資(おおた・うじすけ)を弔う菩提寺でもあります。

    高力正長墓所案内板

    当該寺院は戦国時代で目覚ましい活躍をしたものの、主家扇谷上杉氏の暗殺により命を落とした太田道灌(おおた・どうかん)とその後裔の太田氏資(おおた・うじすけ)を弔う菩提寺でもあります。

  • 高力正長公・御霊廟

    高力正長公・御霊廟

  • 高力正長公御霊廟石標

    高力正長公御霊廟石標

  • 高力正長公・宝篋印塔

    高力正長公・宝篋印塔

  • 高力正長公事績

    高力正長公事績

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