2017/11/26 - 2017/11/26
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旅人のくまさんさん
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楠木正成所縁の名城巡りです。その中でも有名な、日本百名城(第55番)に選定されている「千早城」の紹介の続きです。1332年(元弘2年)、正成公によって築城されました。四方を絶壁に囲まれ、要塞堅固を誇った連郭式山城です。(ウィキペディア、日本百名城公式ガイド)
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石段の下から眺めた、千早神社の拝殿光景です。その途中に金属製らしい鳥居の光景がありました。千早神社は、千早城の『二の丸』に位置しています。千早神社は、南北朝時代初期の元弘二年/正慶元年(1332年)、千早城が築城された際、その本丸に城の鎮守として八幡大菩薩を祀って創建されました。後に楠木正成 、楠木正行が合祀されました。通称は『楠公さん(なんこうさん)』です。(同上)
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『千早神社』のタイトルがあった立て看板の紹介です。左手に『標高634米(メートル)』の標識がありました。金剛山地とも呼ばれる標高1056メートルの金剛山の中腹に位置しています。奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境目にある山で、「金剛生駒紀泉(こんごういこまきせん)」国定公園に指定された景勝地です。(同上)
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『千早神社』のタイトルがあった立て看板のズームアップ光景です。御祭神は、次の通りです。(同上)
〇本殿:楠木正成卿・楠木正行朝臣、久子刀自(正成卿御夫人)
〇相殿:大市媛命(おおいちひめのみこと)、 天太玉命(あめのふとだまのみこと)
〇末社:椋本神社(大物主命)、廣内神社(金山彦命)、平神社(応神天皇) -
千早神社の正面手前に祀られていた対の狛犬の紹介です。拝殿に向かって右手に祀られた阿形の雄獅子になるようです。大きく口を開けた姿でした。周りの光景に配慮したのでしょうか、随分と高い基壇になっていました。(同上)
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千早神社の正面手前に祀られていた、対の狛犬のもう片方の紹介です。拝殿に向かって左手に祀られた吽形の雌獅子になるようです。口を閉じた姿に見えました。自然石の上に継ぎ足したような基壇の下部からは、赤錆らしい汚れが流れ出していました。推測ですが、自然石の上に継ぎ足した基壇に使われた留め金具(鉄)が原因のようです。ステンレスなどを使う工夫が欠けていたようです。(同上)
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イチオシ
千早神社の拝殿の正面光景です。屋根の大きさに比べて、随分とコンパクトな本体部分の一階部分でした。中央手前の上部に鈴が掛けられ、紅白の帯が垂れ下がっていました。お賽銭箱が置かれ、拝礼する場所です。紅白や五色の布を揺り動かして鈴を鳴らし参拝するのはどの神社でも共通しています。(同上)
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横から眺めた拝殿の光景です。参拝の際に鳴らす鈴について、『神社本庁』公式サイトから『鈴』についての紹介です。『鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。また、巫女が神楽舞を舞う際に用いる神楽鈴も、社頭の鈴と同様の意味によるものです。(以下略)』、と紹介されていました。(同上)
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拝殿の横から眺めた、奥の方にあった社殿の光景です。千早神社には、神主の方が常駐されていないようですから、儀式などが行われるときに使用される社殿のようです。儀式のときに用いられる品々が保管されている場所かも知れません。特に通風などに配慮した高床の建物のようにも見えました。(同上)
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千早神社の摂社が祀られた拝殿になるようです。一段高くなった基壇の上に3社が祀られているようでしたが、文字は読み取れませんでした。先ほど紹介した立て看板では、椋本神社(大物主命)、廣内神社(金山彦命)、平神社(応神天皇)になるようですが、ほかの場所にも摂社が祀られているようでした。(同上)
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『千早神社の杜』と鳥居の光景です。「森」と「杜」は、どちらも同じ「もり」と読みますが、その違いについての紹介です。「森」は自然にできた樹木の密集地を指し、「杜」は神社などの神域近くの木々を指します。このため、「自然の森に対し、人工の杜」とも使い分けられます。また、「杜」の中国古来の読みは「ト」「ズ」「ヤマナシ」です。「杜(もり)」は日本独自の読み方で、国訓です。(同上)
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左向きの赤い矢印で、『金剛山登山道』、『茶臼台』と『千早神社』の表示があった案内標識の紹介です。千早神社の近くに、『標高634メートル』の表示がありましたから、『標高1056メートル』の金剛山頂上までは、400メートル以上の高低差があります。(同上)
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千早城城内の樹木の根元のズームアップ光景です。樹種によるのでしょうか、地表に大きく根を広げた姿でした。右手に見える、茶色系の二本の樹木は、杉か桧の針葉樹のようでしたが、少し青っぽい左側の樹木は、強いて例えるなら、青っぽい色をしていました。南方の樹林で見かけるガジュマルなどにも似た根元の光景でした。(同上)
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急斜面に設けられた移動用の通路の光景です。足元に十分気を付けながら歩きました。おそらく、機械力がなかった時代に、手造りで設けられた通路のようです。道を作るときに、斜面の一部が削られたのでしょうか、上方の木々の根元が露になっていました。(同上)
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風避けのためでしょうか、一部がコンクリートの低い壁で囲われた東屋の光景です。周りに紅葉か褐葉の葉が散り敷いていました。残念ながら、あまり見晴らしはよくない場所ですから、展望台ではなく、もっぱら休憩所の建物のようです。背後に、落葉が進んだ黄葉の木がありました。(同上)
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同じく、東屋風の建内部光景です。見晴らしは、あまりよくないようでしたが、周りの紅葉・黄葉光景は、中々風情がありました。ネット情報によれば、この東屋は、本丸の南の腰曲輪に位置すると紹介していました。平面図にも、それらしい場所に休憩所と記されていました。(同上)
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千早城が中腹に位置する、「金剛山(地)」についての紹介です。奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境目にある山で、「葛城嶺」とも呼ばれます。金剛生駒紀泉国定公園として大阪みどりの百選に選定されています。中腹には、大阪府の最高地点(1,056メートル)の標識が掲出されています。(同上)
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「金剛山(地)」についての紹介の続きです。かつては高間山・高天山(たかまやま)ともいわれた、金剛山地主峰の標高は1,125メートルです。山頂付近まで林道が整備されていて、年間約50万人が登頂する人気の名山です。山頂付近には宿や売店などもあります。本来の山頂であり、神域となっている御所市の葛木神社本殿の裏手の葛木岳(かつらぎたけ)に立ち入ることはできません。(同上)
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「金剛山(地)」についての紹介の締め括りです。「葛城山」の呼称は、歴史的には南北に連なる金剛山と葛城山(大和葛城山)との総称として用いられました。その第一峰を高天山と称し(大和名所図会)、金剛山の別称は、金剛砂を産出したことによる(大和志料)とも、また金剛山転法輪寺の山号に因むとも言われます(以上)。(同上)
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上から見下ろした針葉樹の植林の根元光景です。良く手入れをされている植林らしく、枝が払われて見通しが良くなっていました。ただし、密生し過ぎて、細い木の数が目立つようにも見えました。下草は、落葉で覆う尽されているようです。(同上)
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イチオシ
既に紹介した光景です。石段を上がった先が、二の丸に位置する『千早神社』です。石段の手前の一対の石造の狛犬と、石段を上がった場所にあった銅の鳥居の光景です。撮影している場所は三の丸エリアかも知れません。(同上)
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文字は読み取れませんでしたが、年代物の寄贈者看板のようです。その周りを、それより年代が新しく見えた、寄贈者名を刻んだ石柵が巡っていました。その右端が、20万円のジェイフーズの山田壽衛門の名前でした。地元の会社で、金剛山の名水を使用、大阪唯一の村で、こだわりの「ロースハム」「ベーコン」を製造・販売されているようです。(同上)
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ジェイフーズの山田壽衛門のお店のことは、ネット情報でも確認できます。『金剛山麓』の名のハムは『塩漬(えんせき)といって、材料を塩を入れた液に漬け込んで熟成させるという、昔ながらの製法で今も作っています。塩漬には時間をかけます。基本を守り、肉のうまみを逃さないのが特徴なんです』、と紹介されていました。(同上)
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千早神社の手水舎のように見えた施設の紹介です。立派な屋根を持った、比較的新しい造りのようでした。足元が泥濘にならないよう、コンクリートを使った土台もしっかりした造りです。(同上)
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ここにも『千早城』の標識がありましたが、千早城の縄張りのどの部分に当たるのかは、分かりませんでした。木々の間から見える紅葉と黄葉、そてに入り混じった常緑樹の光景が見所になっていました。(同上)
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500段以上と言われる石段を登った往きにも紹介した小さな社の光景です。社の正式名は分かりませんでしたが、『楠木正成公顕彰』を目的とする社のようでした。小さいながらも格式ある社に見えました。(同上)
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イチオシ
黄葉の樹木のズームアップ光景です。黄葉樹の代表は公孫樹(イチョウ)と言ってもいいでしょうが、その他にも、黄葉するイタヤカエデ、ヒトツバカエデ、シラカバ、カラマツ、マンサク、カツラ、ブナなど多くの樹木があります。(同上)
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少し高い場所から見下ろした城内下部の光景です。三の丸か、四の丸辺りになるようですが、三の丸の方でしょうか、あるいは本丸の腰曲輪かも知れません。三々五々の見学者の姿がありました。同じ百名城巡りのツアーに参加した人達がほとんどのようでした。(同上)
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同じ方面の右上方面のズームアップ光景です。背後に見えていた土塁か、石塁のようなものの確認です。残念ながら、拡大しても特定することはできませんでした。丸太を並べたような造りにも見えました。(同上)
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複数箇所で目にしましたが、『千早城跡案内図』のタイトルがあった大きな立て看板の光景です。現在位置が、この看板の中央下部に赤く記されています。絵図の中央に丸く記されているのは、左から、本丸、二の丸、三の丸、四の丸です。本丸以外は、いずれも仮称のようです。(同上)
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推測になりますが、立ち入り禁止の印のしめ縄が張られた背後の小高い場所が『本丸跡』かもしれません。左下に見えるのは、『千早城』の白いパネルです。本丸は立ち入り禁止になっていると説明したネット情報がいくつもありました。(同上)
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