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久林山・永昌寺(えいしょうじ、埼玉県久喜市菖蒲町新堀)は室町時代中期頃の開山で500年以上の歴史を有した古刹で、康正2年(1456)古河公方足利成氏(あしかが・しげうじ、1438~1497)の命により菖蒲城を築城した金田氏(生没不詳、後に佐々木氏に改姓)の菩提寺です。最盛期は本堂や庫裏を始めとする観音堂・地蔵堂・鐘楼等を備えていましたが、明治11年(1878)に火災で焼失、わずかに山門だけが免れています。<br /><br />金田氏の出自は足利尊氏側近であった近江六角佐々木氏と伝えられ、その後裔が金田氏と名乗り後に東下し、則綱(のりつな)の頃に新堀に居を構え自らの勢力を広げ菖蒲地域を領有し一族の大塚氏とともに鎌倉府を追われ古河に本拠を構えた足利成氏に仕えることになります。<br /><br />成氏より菖蒲郷を安堵された金田則綱は佐々木姓に戻りその孫が仏教に帰依していた亡き祖母(則綱の妻)の霊を弔うため菖蒲城の北西に永昌寺を開基し、寺号は祖母の法名「久林院殿繁室永昌大姉」に因み以降佐々木(金田)氏の菩提寺として発展します。<br /><br />しかしながら小田原を拠点とする北条氏の武蔵国進出により古河公方の勢力が凋落、そして小田原北条氏との覇権を巡る関宿(せきやど)合戦を経て同氏の支配に変わり、主家とする古河公方を離れ北条氏の傘下に組み込まれ、忍城当主成田氏の寄子として北条氏に従うことになります。<br /><br />天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏は滅亡、忍城開城にあわせて菖蒲城も廃されその結果佐々木(金田)氏は大塚氏と称して帰農したようです。

武蔵久喜 足利尊氏側近佐々木氏を祖と伝え戦国期を古河公方から小田原北条氏方とし生き残りを計った菖蒲城主佐々木(金田)氏の菩提寺『永昌寺』散歩

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2017/11/04 - 2017/11/04

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滝山氏照

滝山氏照さん

久林山・永昌寺(えいしょうじ、埼玉県久喜市菖蒲町新堀)は室町時代中期頃の開山で500年以上の歴史を有した古刹で、康正2年(1456)古河公方足利成氏(あしかが・しげうじ、1438~1497)の命により菖蒲城を築城した金田氏(生没不詳、後に佐々木氏に改姓)の菩提寺です。最盛期は本堂や庫裏を始めとする観音堂・地蔵堂・鐘楼等を備えていましたが、明治11年(1878)に火災で焼失、わずかに山門だけが免れています。

金田氏の出自は足利尊氏側近であった近江六角佐々木氏と伝えられ、その後裔が金田氏と名乗り後に東下し、則綱(のりつな)の頃に新堀に居を構え自らの勢力を広げ菖蒲地域を領有し一族の大塚氏とともに鎌倉府を追われ古河に本拠を構えた足利成氏に仕えることになります。

成氏より菖蒲郷を安堵された金田則綱は佐々木姓に戻りその孫が仏教に帰依していた亡き祖母(則綱の妻)の霊を弔うため菖蒲城の北西に永昌寺を開基し、寺号は祖母の法名「久林院殿繁室永昌大姉」に因み以降佐々木(金田)氏の菩提寺として発展します。

しかしながら小田原を拠点とする北条氏の武蔵国進出により古河公方の勢力が凋落、そして小田原北条氏との覇権を巡る関宿(せきやど)合戦を経て同氏の支配に変わり、主家とする古河公方を離れ北条氏の傘下に組み込まれ、忍城当主成田氏の寄子として北条氏に従うことになります。

天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏は滅亡、忍城開城にあわせて菖蒲城も廃されその結果佐々木(金田)氏は大塚氏と称して帰農したようです。

交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩

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  • 永昌寺・山門<br /><br />かつての隆盛時の面影は失せてやや寂しげな山門となっています。<br /><br />

    永昌寺・山門

    かつての隆盛時の面影は失せてやや寂しげな山門となっています。

  • 永昌寺・寺標<br /><br />山門右横には「曽洞宗久林山 永昌禅寺」と刻された石柱が建っています。

    永昌寺・寺標

    山門右横には「曽洞宗久林山 永昌禅寺」と刻された石柱が建っています。

  • 永昌寺・山門<br /><br />「菖蒲城主佐々木六角大塚家菩提寺」とあります。金田氏はもともと近江国六角佐々木氏の後裔で、菖蒲城の廃城の際は帰農して大塚氏と名乗ります。

    永昌寺・山門

    「菖蒲城主佐々木六角大塚家菩提寺」とあります。金田氏はもともと近江国六角佐々木氏の後裔で、菖蒲城の廃城の際は帰農して大塚氏と名乗ります。

  • 英昌寺・山門天井

    英昌寺・山門天井

  • 英昌寺・参道<br /><br />左側には墓地が広がり、参道の向こうには本堂が控えています。

    英昌寺・参道

    左側には墓地が広がり、参道の向こうには本堂が控えています。

  • 昌勝寺・本堂<br /><br />正式には「久林山 花巌院 永昌寺」と称する曹洞宗の寺院です。

    昌勝寺・本堂

    正式には「久林山 花巌院 永昌寺」と称する曹洞宗の寺院です。

  • 永昌寺・本堂扁額<br /><br />寺号の「永昌寺」が記載されています。

    永昌寺・本堂扁額

    寺号の「永昌寺」が記載されています。

  • 歴代住職墓石群

    歴代住職墓石群

  • 永昌寺本堂落慶記念碑

    永昌寺本堂落慶記念碑

  • 墓地一帯<br /><br />佐々木(金田)氏の菩提寺との認識でしたが、墓所を見つけることができませんでした。

    墓地一帯

    佐々木(金田)氏の菩提寺との認識でしたが、墓所を見つけることができませんでした。

  • 永昌寺・境内

    永昌寺・境内

  • 永昌寺・境内

    永昌寺・境内

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