2017/11/04 - 2017/11/04
181位(同エリア308件中)
滝山氏照さん
川田谷陣屋(かわたやじんや、埼玉県桶川市川田谷大平)は三河以来の家臣牧野康成(まきの・やすしげ、1548~1599)が天正18年(1590)関東入府した徳川家康より武蔵国足立郡石戸領(現在の埼玉県上尾市北西部から鴻巣市南西部にかけての地域)に5千石の知行地を与えられ、川田谷に陣屋を構えたことに始まります。
康成が陣屋を構えた川田谷は、自然の要害として北及び東に沼状の湿地帯が自然堀として囲まれる戦国時代の居館を再利用したもので、その背景としては周辺には旧小田原北条氏の残存勢力がまだ強力であり臨戦態勢を有する必要があったようです。
その後、康成の三男信成(のぶしげ、1578~1650)が家督を相続し将軍家光の代に二度にわたる加増を重ね寛永10年(1633)に1万1千石を以て大名に列せられ、更に正保元年(1644)には下総国関宿藩1万7千石の城持大名となります。
従い石戸領は信成の関宿藩への転封により二男親成(ちかしげ、1607~1677)が5千石で知行していましたが、正保4年(1647)に信茂は高齢・病気のため隠居となり親成は関宿藩を世襲、石戸領は信茂に隠居料として与えられることになります。
川田谷陣屋の遺構は薬師堂と敷地内に並ぶ石像のみです。薬師堂は牧野康成の弟が関ヶ原の戦いで負傷、知行地に退き剃髪し法名易燃(いねん)と称し、慶長5年(1600)に前年京都で没した康成の戒名を寺名とした見樹院を陣屋近くに創設、薬師堂は江戸時代後期に見樹院跡地に建てた御堂でありました。
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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