2017/08/05 - 2017/08/17
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実質観光最終日の今日は骨董品街歩きと天安門広場に隣接している中国国家博物院見学を予定している。
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(2017/8/16 旅行12日目)
実質観光最終日の今日は骨董品街歩きと天安門広場に隣接している中国国家博物院見学を予定している。
朝早くホテルを出て報国寺へ行ってみる。
ここは,小規模であるが門前に青空骨董品屋が市をなしているという情報を得ていたが,実際行ってみると,中国でありがちな宗教性が抜け落ちたような寺があるばかりであり,露店などは見当たらない。
骨董品は,境内にあるいくつかの建物で販売するスタイルになっている(たぶん)ようで,その店舗もまだ開店準備している店がちらほら見かける状況であった。
私が好きなのは,露店式の怪しい骨董品屋だし,開店を待つ時間も惜しいので,中国国家博物院へ地下鉄で移動する。 -
この博物館入場に払った労力は,いままでの中国旅行最大クラスのものであった。
まず天安門広場へ入るためのチェックがある。
次に入場整理券を手に入れる行列・・入館のためのボディチェック・・合計で優に1時間以上は並んだ。
そして最後の土壇場の入館のチェックでは自撮棒が引っかかり,捨てるか(ごみ箱を指差された),(おそらく遠くにある)荷物預かり所に預けなさいと言われる。
荷物預かり所まで行ったら,再度行列に並びなおさないといけないような気もして入口付近にある植木鉢に隠すことにした。
こうしてやっと入場がかなったのだ。 -
とかく巨大と形容される国家博物館であるが,大宰府にある九州国立博物館など足下にも及ばない南京博物館などの中国大都市にある巨大博物館をいくつも見慣れているので,展示面積自体はそんなに驚くほどのものでもない。
たださすがに空間がゆったりとられており,中国の旗艦博物館の風格はある。 -
古代文明コーナーからじっくり見学する。
この大博物館でも目玉の一つとされているのが「司母茂鼎」。
安陽殷墟(2012年に見学してきた)で発掘された古代中国最大の鼎である。
安陽には複製品が置かれていたが,今目の前にあるのはその本物である。 -
もう一つ大型の鼎があり,それは「子龍鼎」と呼ばれているものだ。
名前の由来は内側表面に「子龍」と読める文字(絵に近い)があったからだ。
非常に優美な曲線で形作られているのだが,重量感と安定感を兼ね備え,また通常全体覆う饕餮紋も部分的に施され,「司母茂鼎」の無骨さと対照的ともいえる洗練された美を感じる。
この鼎は,日本人が持っていたのが香港に渡り,国家博物院が買い戻した来歴を有する。 -
山東省で出土した鉞(yue),=「battle-axe」。
人面の透かし彫りは,武器の軽量化とともに敵を威圧する目的もあったのだろう。 -
宋代の木彫りの観音菩薩。
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深い瞑想に耽るかのような16世紀作の「緑度母」坐像。
「度母(tara)」とは,観音菩薩が「自分がいくら修行しても、衆生は苦しみから逃れられない」と悲しんで流した二粒の涙から生まれたとされる女性である(緑度母は左目の涙から)。
発散される慈悲の光のなかにかすかに悲しみの表情が感じられるのは,この由来を語っているのだろう。 -
陶磁器の展示も膨大である。
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見ているうちに,だんだん引き込まれ,特にこのような人物が描かれた青花磁器がほしくなってきた。(実際この後訪れた「潘家園旧貨市場」で,まがい物を買った)
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「新入蔵文物特展」のフロワーもあったが,さすが国家博物院,このコーナーだけでも立派な博物館ができそうなほど充実している。
戦国時代中期のころの金銀で見事に装飾された鼎。
曲面に合わせ,寸分の狂いもなく見事な象嵌が施されている技には驚くばかりである。 -
雁を象った照明灯。
火から出た煙は雁の首を通って胴体にためられた水に溶け込む仕掛けになっている。
前漢時代の作である。
このようなものを見るといつも頭に思い浮かんでくる詩がある。
西門を出,歩みつつこれを思う。
今日楽しみなさざれば、まさに何れの時をか待つべき。
楽しみをなすに及べ。まさに時に及ぶべし。
何んぞ鬱をいだいて、また来時をまたんや。
美酒をかもし、肥牛を炙り、心の歓ぶ所を呼び、もって憂愁を解くべし。
人生は百に満たず、常に千歳の憂いを抱く。
昼短くして夜長く、何ぞ燭をとって遊ばざる。
・・・・・
(漢代 無名氏「西門行」一部改)
他にも数々の青銅器,陶磁器など膨大な展示品を時間をかけてじっくり鑑賞した。
ここに書いたのはそのほんの一部である。 -
アフリカ彫刻の特設コーナーというのもがあり,かなりのショックを受けた。
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「デフォルメ」という言葉があるが,人体や動物などを徹底的にデフォルメしている数多くの彫刻が並んでいる。
見ていくうちに,これは「デフォルメ」(対象を変形・歪曲して表現すること)という言葉の枠をはみ出しているのではないか,というより「デフォルメ」とは何か根本的に異なる精神がそこにあるのではないのかと思い始めた。 -
考えてみれは西洋美術にしても,それとは異質なものと見なされる東洋美術にしても,造形美術というものは,「対象を描写すること」,「対象に似せること」が根底にあり,それを出発点としているということでは共通しているのではないのか。
しかるに,これらアフリカの造形は,その根底からしてそうした発想を異にしているのではないのか。
「対象を描写すること」,「対象に似せること」など最初から眼中にないのではないか・・そんな風にも感じられた。
よく知られているようにピカソもアフリカのこうした造形にショックを受け,その後の作品さらには現代美術の潮流に多大な影響を与えた。
大げさに言うと,そうしたピカソショックの一旦に触れたような思いであった。 -
中国の博物館というものは,約束事のように,「革命」「共産党」「抗日」「人民解放軍」を「お題」にした展示コーナーが必ずあるものである。
ここ国家博物館では「人民解放軍建軍90周年」展が開催されていた。
遵義会議における共産党指導者たち
この会議において毛沢東は共産党の指導権を握ることになる。 -
人民解放軍10大元帥
どの元帥も晴れやかで誇らかな表情であるが,廬山会議や文革でどれほど痛めつけられたことか。
10大元帥にも序列がある。
序列第1位で,解放軍建軍の最大の功労者ともいうべき朱徳でさえ,文革では批判され,常務委員からはずされ平の政治局員へ降格されている。
序列2位の彭徳懐に至っては,1959年の廬山会議で反毛沢東の烙印を押され,更に文革ではつるし上げ,拷問された挙句,血まみれになって息を引き取っている。
序列3位の林彪は,文革の推進者として毛沢東の後継者に指名されるのだが,その後毛沢東から疑惑を受けることになり,飛行機で逃走を図るが墜落死してしまった。
国民に人気が高かった序列5位の賀竜にしても,文革で刑務所に入れられ,むちゃくちゃな病気治療で獄死した。
等など,これらの朗々たる表情とは裏腹に,壮絶な悲劇が繰り広げたのである。 -
さすがに国家博物館は,フフホトの「内蒙古博物院」閉館の穴を埋めてくれるかのような充実した見学であった。
自撮棒を隠していた植木鉢に行ってみると,・・・無くなっている。
無くなっている確率は20%ぐらいかなとは思っていたが。
実はこの自撮棒「pxs-036」,重いし,短いしその内買い換えようと思っていたので,これはある程度のリスク覚悟の行動だったのだ。
おそらく,同じようなことを考え付く人が少なからずいて,それ専門の泥棒でもいるのだろう。
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