2017/10/01 - 2017/10/03
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ペコちゃんさん
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2日目は雨の一日でしたが、奈良定期観光バスで斑鳩の里と西ノ京の寺院を見て回りました。
10時に出発して《 法隆寺 ⇒ 中宮寺 ⇒ ⇒ 慈光院 ⇒ 薬師寺 ⇒ 唐招提寺 ⇒ 朱雀門 》と回り、17時に再び奈良に戻る一日コースです。
奈良に来ても、なかなかこちらの方まで足が向きませんが、今回の旅行で古都・奈良の歴史や建物・仏像などに触れることが出来、お仲間の皆さんも満足した様子でした。
写真は、昭和56年(1981)に復興された薬師寺の西塔。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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2日目の朝食を済ませ、ホテルのシャトルバスに乗って近鉄奈良駅へ。
” 今日、行く所は、ココとココよ ” -
10時に観光バスでスタートし、一路、雨の中を斑鳩の里へ・・・稲刈り前の田んぼの中をJR関西線の電車が走っています。
斑鳩は、のどかな田園風景の中に、聖徳太子ゆかりの古刹が点在しています。 -
法隆寺の観光からスタート。
用明天皇(聖徳太子の父)は、自らの病気の平癒を祈って、寺と仏像を造ることを誓願したのですが、その実現をみないまま崩御しました。
用明天皇の遺願を継ぎ、推古天皇と聖徳太子が推古15年(607)に創建したのが法隆寺です。
しかし670年の火災ですべて焼失し、その後(700年頃)に境内の伽藍すべてが再建されたと伝えられています。 -
その後は、天災や大きな戦乱に巻き込まれることもなかったため、境内には金堂・五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に、7世紀後半~8世紀初頭に完成した世界最古の木造建築物が立ち並んでます。
また、法隆寺は仏教美術の宝庫でもあり、国宝・重要文化財に指定されているものだけでも2,300点以上あり、平成5年には姫路城と共に、日本初の世界文化遺産に登録されました。 -
玄関に当たる総門が南大門(国宝)で、ここから西院伽藍に向かいます。
法隆寺の南大門は、東大寺・南大門と日光東照宮・陽明門と共に日本三大門のひとつに数えられ、門の左右に広がる「大垣」(築地塀)が翼を広げたように優美な姿です。
創建時の南大門は1436年に焼失し、1439年に再建されました。 -
築地塀は、後嵯峨上皇が1261年に法隆寺へ行幸される際に造られたと伝えられています。
南大門の参道から続く、パノラマのような景観・・・この風情が大好きです。 -
西院伽藍の中門前にある手水舎。
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この手水は定番の龍ですが、頭にパーマをかけているような髪型で、ちょっとお洒落で愛嬌があります。
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法隆寺で先ず思い浮かぶのは、この五重塔。
焼失後に再建された時期は、はっきり分かっていませんが、五重塔最下層の心柱の四方にある塔本塑像は711年に造られているので、それ以前に完成したことになります。
日本最古の五重塔の塔高は、基壇上より31.5mとそれほど高くはありませんが、その安定感がある美しさは西院伽藍のランドマークになっています。
法隆寺の五重塔は、建物を支えるための木組みを固定ぜずに、各重ごとに独立して組み立てたものを重ねて建てる「積み上げ構造」という建築方法で、耐震性を高めています。
五重塔を1,300年以上も地震から守ってきた技術が「東京スカイツリー」にも採用されたのだから、驚きです。 -
飛鳥時代に聖徳太子が仏教修行の道場として、また新文化研究の学問所として創立した法隆寺は、もともと法相宗という宗派でしたが、昭和25年に聖徳宗として独立し、聖徳宗の大本山となっています。
法相宗・律宗(唐招提寺)・華厳宗(東大寺)など奈良で栄えた仏教の宗派「南都六宗」は、経典の学問的研究を重視した学派仏教。
浄土宗・浄土真宗・日蓮宗などと違って、基本的には檀家もお墓もないので、拝観料・寄進・写経・研修などが収入源のようです。
塔の初層を覗いてみます。 -
内陣の四方にある塑像群。(写真はHPより)
右上(南面):「弥勒仏浄土」(弥勒菩薩の説法)
左上(北面):「涅槃像土」(釈迦の入滅)
右下(東面):「維摩詰像土」(文殊菩薩と維摩居士の問答)
左下(西面):「分舎利仏土」(舎利の分割) -
五重塔と並ぶ金堂(国宝)は正面が5間、側面が4間の正方形に近い建物で、五重塔とのバランスを考慮して2階建てで、高さは16m。
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金堂には、本尊の釈迦三尊像や薬師如来坐像などを安置しています。
釈迦三尊像の右は文殊菩薩、左は普賢菩薩で中央が薬師如来。
薬師如来はアルカイックスマイルと呼ばれる穏やかな笑みを浮かべ、優しさが伝わってくるようです。(写真はHPより) -
金堂の軒を支える柱に巻き付く龍は、元禄時代の大修理の際、大屋根の重さを支えるために耐震補強されたもので、南東と北西には昇り龍、南西と北東には下り龍が配されています。
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屋根瓦の図柄も面白い。
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金堂の壁画を説明するガイドさん。
法隆寺金堂の壁画は、7世紀末頃の仏教絵画でインド・アジャンター石窟群の壁画、敦煌・莫高窟の壁画などとともに、アジアの古代仏教絵画を代表する作品でしたが、昭和24に金堂から出火し、内部を全焼する災難に見舞われ、焼失しました。
建物修復後、昭和15年から行われていた模写をもとに、前田青邨・平山郁夫など当時の一流画家によって復元され、現在は特別公開の時に見ることが出来ます。 -
金堂の壁画・「阿弥陀浄土図」の中で、本尊の右側に描かれた侍者観音像は切手でお馴染みですね。
この切手は、1995年に発行された「第1次世界遺産シリーズ・第2集・法隆寺」の図案です。 -
西院伽藍の奥にある「大講堂(国宝)」・・・法隆寺の再建時には食堂として建てられますが、925年の落雷で再び焼失し、990年に再建されました。
日本の寺院はその後、金堂と講堂の機能を兼ね備えた本堂の建立が主流となりましたが、国宝指定の講堂は法隆寺と唐招提寺の2棟だけです。 -
西方伽藍を取り囲む回廊。
東回廊の長さは約76m、西回廊の長さは約72mと長い回廊となっています。
規則的に並ぶ柱と連子窓の回廊は、静の中に動が介在し、シンプルながら趣きのある光景。
回廊は廊下の役割の他に、外の世界と仏の世界を区切る、つまり俗界を遮蔽するための結界でもあります。
この回廊は、JR東海の『いま、ふたたびの奈良へ(2006年 冬 法隆寺編)』のCMに使われた場所で、 ” 人物のいないシャッターチャンスは珍しい ” とガイドさん・・・なので、皆さん、慌てて写真をパチリ! -
柱にはエンタシスのあるものもあり、飛鳥時代の片鱗を覗かせています。
下から1/3くらいのところが一番太くなっており、柱に少し継ぎ足したような跡がありますが、きっと老朽化に伴い補修をしているのでしょう。 -
西方伽藍を出て、聖霊院前の手水舎の前の横に、正岡子規の句碑があります。
「法隆寺の茶店に憩ひて 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 子規」
生涯に20万を超える句を詠んだ子規の作品のうち、最も有名な句で、「法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べていると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた」という名句です。
柿は食べませんでしたが、私も法隆寺の趣のある鐘の音を聞きました。 -
これは、西院伽藍を出て、聖霊院の前にある手水舎。
ペルシアンポットのような形ですが、瓶に描かれた線刻模様からすると、鳳凰のようです。 -
しかし、牙が鋭く、ちょっと怖い鳳凰です。
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西院伽藍から東院伽藍に入ります。
天平11年(739)に行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで、太子が住んでいた宮殿跡に建てた上宮王院(東院伽藍)の中で、中心となるのが夢殿です。
八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)などが安置されており、春と秋にだけ特別公開されます。 -
国宝の夢殿は、建築家ブルーノ・タウトが「建築の真」と絶賛したように優美な姿・・・基壇や柱、須弥壇とも八角形で統一され、基壇には大理石が使われています。
「夢殿」と命名されたのは平安時代で、何ともロマンチックなネーミングですね。
夢殿は聖徳太子の旧壱万円札の透かしにも使われていました。 -
東院伽藍の手水舎は鳳凰。
古代中国では、麟(りん、麒麟)・鳳(ほう、鳳凰)・亀(き、霊亀)・竜(りゅう、応竜)を四霊(しれい)と呼び、鳳凰も想像上の霊鳥です。 -
丸軒瓦にも、しっかり法隆寺の文字。
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東方伽藍から更に奥に進み、弥勒菩薩・半跏思惟像で有名な「中宮寺」へ・・・ここは聖徳太子が、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の御所を寺に改めたと言われる日本最古の尼寺です。
法隆寺に隣接する中宮寺は、創建当初は400mほど東にありましたが、平安時代に寺運は衰退し、たびたびの火災などのため、室町時代末期に現在地に避難・移転することとなったようです。 -
天皇家の菊の御紋の入った丸軒瓦。
屋根瓦越しに見える植木の形が面白い・・・ -
植え込みの中に、カリンの一種の庵羅樹(あんらじゅ)が実をつけていました。
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ここの手水舎も鳳凰。
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皇后宮御歌(きさいのみやのおんうた)
「中宮寺の 都い地のうち迩 しつも利天 ささん久王の花 清ら可耳 佐久」 女管長 北白川祥子 謹書 -
高松宮妃殿下の発願により、昭和43年に建立された中宮寺本堂。
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本尊の如意輪観世音菩薩像(半跏思惟像)と天寿国曼荼羅繍帳(レプリカ)を見に、階段を上がります。
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扉には、皇室ゆかりのお寺であることを誇るように、菊の御紋が入っています。
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飛鳥彫刻の最高傑作と言われる、アルカイックスマイルの半跏思惟像は、像高132cm・・・エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並び、世界の三大微笑像と呼ばれています。
色が漆黒なのは当初からではなく、長年、お香などに晒されるうちに変色したものです。
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、曲げた右手の指先きが頬に触れそうな優美な造形は、衆生の救いを思惟するようで、清純な気品を湛えています。(写真はHPより) -
これは、京都・広隆寺の半跏思惟像・・・京都で学生生活を送っていた時から大好きな菩薩様です。
日本的な中宮寺の像に比べて大陸的な表情ですが、私はこちらの菩薩様が好きで、京都を訪れた時、この弥勒菩薩を見ないと、何か忘れ物をしたような気がします。 -
中宮寺の土塀の先には、法隆寺・東院伽藍の夢殿。
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中宮寺を後にして、東院伽藍の入り口前を通り、バスに向かいます。
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法隆寺の魅力の一つは、この築地塀・・・大垣とも言う築地塀に趣きを感じます。
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幾多の雨風に耐え、いにしえ人の往来を見つめていた築地塀・・・雨傘をさして歩く築地塀は風情があり、タイムスリップしたような感覚におそわれます。
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オプションの昼食(1,000円)・・・ツアーのランチはこんなものでしょうが、柿の葉寿司には味がなく、初めて食べたお仲間は「柿の葉寿司はこんなもの」と思ったらしいので、最終日に奈良駅前のお店で柿の葉寿司を買い、帰りの列車の中で皆さんに味見してもらいました。
「ワー、これならおみやげに買って帰りたかったわ!」 -
午後の観光は、大和郡山市にある慈光院からスタート・・・表参道にあたる右側の坂道を登って行きます。
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慈光院の庭園は、サツキの植え込みに数十種類の木々を配し、周囲の風景・景観と調和して、季節ごとの風情が楽しめるように造られています。
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入り口の「一ノ門」。
慈光院は、茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が、父の菩提寺として寛文3年(1663年)に建立した臨済宗・大徳寺派の寺院です。
慈光院という寺院名は、父・貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から付けられました。 -
片桐石州は、四代将軍・徳川家綱や水戸光圀に茶の湯を教えた、「茶道石州流」の開祖。
京都「大徳寺」や奈良県葛城市の「当麻寺中之坊」の茶室も作ったそうです。 -
茨木城楼門・・・片桐石州の出生地で伯父・片桐且元が城主であった摂津茨木城は、徳川家康の発した一国一城令により取り壊されますが、その際に櫓門を移築し、屋根を書院に合わせて茅葺に葺き替え、慈光院の山門としました。
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「書院」は慈光院の中心的な建物で、茅葺きの農家風の外観。
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ここで、片桐家の家紋「割羽違い」を模った餡入り落雁とお抹茶を頂きながら、老僧の有り難いお説教を聞きました。
綺麗に手入れされた庭園を眺めながらの抹茶は格別です。 -
書院から見た庭園・・・生垣の向うには蓮池越しに大和郡山市が遠望できます。
寺の敷地全体が庭園として設計され、周囲の風景・景観と調和した庭は、茶席の庭として季節ごとの風情を楽しめるようになっており、満月の夜はここを開放し、誰でも観月を楽しめます。 -
本堂側から見た茶室「閑」と見事な五葉松・・・庭の手入れが行き届いています。
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本堂の天井画は、前田青邨の門下・入江正巳画伯による「墨絵の龍」。
龍の下に立って手を叩くと ” グワ~ン ” と鳴く、とのことで、「やってみても良いですよ」と言う老僧のお言葉にトライしてみたら、本当に ” グワ~ン ” ・・・良い音です。
特別(?)に写真撮影もOKでした。
壁の照明には、家紋の「割羽違い」がデザインされています。 -
トイレの案内にも有難味を感じます。
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バスの車窓から郡山城が見えてきました。
豊臣秀吉の参謀役として数々の功績を立てた秀吉の実弟・羽柴秀長が、天正13年(1585)に郡山城に入城してから、大和郡山の街は大きな発展を遂げます。 -
西ノ京の寺院巡りは、法相宗の大本山・薬師寺から。
薬師寺は680年に天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気回復を祈り、建立を発願したのが始まりです。
飛鳥の藤原京の地に創建され、平城遷都に伴って8世紀初めに現在地に移りました。 -
のちの火災や兵火などでほとんどの建物を焼失し、金堂や講堂は江戸時代後期に仮再建されましたが、創建当時の伽藍を忍ばせるものは焼け残った東塔だけでした。
1960年代以降、名物管長の高田好胤が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められます。
1976年に金堂、1981年に西塔、その後、中門や大講堂などが再建され、2017年に往時の白鳳様式で見事に復興しました。 -
境内の西側に近鉄・樫原線が走っています・・・ちょうど、近鉄特急が通過中。
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西塔が見えてきました。
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南門から入り、昭和59年(1984)に復興された中門へ。
中門の両脇には、二天王像が立っています。 -
二天王像は、1582年の兵火で焼失したまま再建はされませんでしたが、昭和59年の中門の復興に伴う発掘調査により、焼失した二天王像は裸形の仁王像ではなく、武装した二天王像だったことが判明し、平成3年に復元復興されました。
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白鳳伽藍の中心にある「金堂」・・・1528年の戦火で焼失した金堂の再建は、伽藍復興のトップを切って、昭和51年に完成しました。
各層に裳階(もこし)をつけた龍宮造りと呼ばれる壮麗な建物です。 -
堂内には、中央に薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩が安置されています。
現在は黒光りした仏像ですが、造立当初は、鍍金によって金色に輝いていたといわれる古代金銅仏の最高傑作で、まさに浄瑠璃浄土の世界です。
薬師如来は医王如来ともいい、人々に仰がれ、親しまれ、頼られています。(写真はHPより) -
金堂の右側にある東塔は、平成21年~31年まで解体修理中で、工事用シートに覆われています。
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昭和56年(1981)に復興された西塔。
本瓦葺で、高さは33.9mあり、東塔より30Cm高くなっていますが、これから木が縮み、風に吹かれて少しずつ低くなり、200年ぐらいたてば、東塔と同じ高さになるそうです。
六重の塔に見えますが、各階に裳階と呼ばれる小さな屋根があるためにそう見えるだけで、三重の塔です。
「逝く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらのくも」(佐佐木信綱) -
2003年(平成15年)に再建された大講堂は、白鳳伽藍最大の建物。
正面が41m、奥行は20m、高さは17mあり、内部には弥勒三尊像などが安置されています。 -
境内に咲くムラサキシキブとシロシキブ。
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綺麗な献花。
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続いて玄奘三蔵院を見学。
『西遊記』で有名な中国唐時代の僧侶・玄奘三蔵(600または602~664)は、17年にわたるインドでの勉学を終え、持ち帰った経典の翻訳に専念、その数は1,335巻に及びます。
その教えの流れを継承している宗派が法相宗。
この玄奘塔の北側にある大唐西域壁画殿には、平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」が展示されています。 -
薬師寺から徒歩で10分ほどで唐招提寺へ。
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聖武天皇に招かれた鑑真和上は、海難などで5度の渡航失敗を重ね、その苦労で失明しながらも、6度目の航海(753年)で遂に来日を果たします。
翌年、和上は東大寺・大仏殿の前に戒壇を築き、聖武天皇をはじめ400余人の僧俗に戒を授けました。
鑑真和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年に戒律の専修道場を創建し、これが現在の律宗総本山・唐招提寺の始まりとなっています。 -
国宝の金堂の堂内には、本尊の蘆舎那仏坐像や薬師如来立像・千手観音立像などが祀られています。
奈良時代に建立され現存する寺院の金堂としては、唯一のものです。 -
右側の経蔵と左側の宝蔵は、ともに奈良時代の校倉造倉庫(国宝)。
経蔵は唐招提寺の創建以前、ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものとされ、正倉院宝庫(756年建立)よりさらに古く、現存する最古の校倉です。
宝蔵は唐招提寺が建立されてから建てられたものと推定されます。 -
御影堂(みえいどう)には鑑真和上坐像(国宝)が奉安されていましたが、現在は新宝蔵に遷座し、6月5日~7日に拝観できます。
ここには毎日の参拝のために、平成25年にオリジナルと同じ脱活乾漆技法で作られた「身代わり像」が安置されています。 -
鑑真和上坐像は奈良時代に造られた日本最古の肖像彫刻で、 高さ80.1cm・・・鑑真和上の不屈の精神まで感じさせる傑作です。
麻布を漆で貼り合わせ、整形を施した脱活乾漆の像は、今も鮮やかな彩色が残っています。 (写真はHPより) -
御影堂を東に進むと、鑑真和上御廟があります。
古びた趣のある土塀を見ながら、中に入ると・・・ -
杉木立や苔むした地面が広がります・・・ふかふかに生えた苔は、まるで、ビロードのように綺麗な緑の絨毯。
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御廟を取り囲む周濠のように広がる池・・・夏には蓮の花が美しい姿を見せます。
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お墓の周囲には、鑑真和上ゆかりの地である中国揚州市より送られた「瓊花(けいか)」と呼ばれるアジサイに似た花が初夏に美しい花を咲かます。
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池のそばに立派な鑑真和上の墓所(御廟)があり、鎌倉時代後期の宝篋印塔(高さ2.5m)が立っています。
現在でも大勢の拝観者が鑑真和上を偲んで参拝に訪れます。 -
観光の最後は、平城京の車窓観光。
平城京は、710年に飛鳥時代の藤原京から遷都された奈良時代の日本の首都で、平安時代に移るまで政治の中心地でした。
その後、かつての都の中枢部分は、千年以上もの間、田んぼの下で長い眠りに就いていましたが、国は宮跡を国営公園とすることを決め、調査の終わった部分から徐々に整備を進めています。 -
正門である手前の「朱雀門」は、1998年に再建されました。
奥に見える、天皇の即位の儀式などに使われた「大極殿」は9年かけ、2010年に復元。
現在は大極殿を囲む回廊と南門、東西の楼の整備が始まっていますが、あと十数年から20年程度はかかり、費用も数百億円にのぼるという話です。 -
天気には恵まれませんでしたが、一日の観光が終わり、ホテルに戻ると、丸くくるまった新聞紙が用意されています。
「雨で濡れた靴の湿気とりにご利用ください」・・・さすが、奈良ロイヤルホテルの ” おもてなし ” ・・・心まで晴れやかになりました。
明日は奈良市内観光です。
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