2017/10/01 - 2017/10/03
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ペコちゃんさん
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三日目は、奈良観光定番の東大寺・春日大社・興福寺を回る半日観光です。
これまで関西という括りで考えていた京都と奈良ですが、いろんな点で違いがあります。
奈良の著名な寺院は飛鳥・奈良時代に作られた大寺院が多く、宗派も法相宗・華厳宗・律宗など互いに教義を学び合う学派の役割が強いのに対し、京都の寺は、ほとんどが平安遷都以降に作られ、真言宗・天台宗・浄土宗・臨済宗など比較的新しい宗派がほとんど。
そのため、古い奈良の寺院には庭園はないけど、京都の浄土宗や禅宗の寺院には庭園がある、などなど・・・
飛鳥・奈良時代は遣隋使・遣唐使として多くの留学生が往来し、大陸の文化を広く持ち帰りましたが、894年に菅原道真の建議により遣唐使が停止された以降は、宮廷文化など日本独自の文化が生まれ、京の都を中心に全国に広がったことによるものと思われます。
今回の旅行で、よく分かりました。
因みに、観光客数は、京都が約87百万人、奈良が約15百万人・・・華やかな京都と比べると、地味で渋めの奈良ですが、一度その魅力を知ってしまうと、次々に行きたい場所が増えてくる不思議な街でもあります。
写真は、奈良県庁の屋上から見た古都の街並みと興福寺の五重塔。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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<3日目>
8時のシャトルバスでホテルからJR奈良駅に向かいます。
その前に、奈良ロイヤルホテルのロビーで記念写真を。 -
JR奈良駅の階段に描かれたリニア中央新幹線の絵が素敵でした。
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JR奈良駅発9時5分の定期観光バスに乗り、東大寺 ⇒ 春日大社 ⇒ 興福寺 と回る半日観光に出発。
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バスを降りて奈良公園を散策しながら、東大寺に向かいます。
どこを歩いても、シカ、シカ、シカ・・・外人さんも 鹿せんべいをプレゼント。 -
明治13年(1880年)に開園した奈良公園には、約1200頭の野生のシカが生息しています。
奈良公園のシカは、神の使いとして古くから手厚く保護されてきており、殺めると厳しい刑罰を受けました。 -
東大寺は、聖武天皇の皇子の死を菩提する寺として、733年に若草山麓に創建された金鐘寺が東大寺の起源であるとされています。
大仏の鋳造が始まったのは747年で、この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったようです。 -
南大門(国宝)・・・天平創建時の門は962年に台風によって倒壊し、現在の門は1199年に再建されたもので 、高さは25.46m・・・国内最大の山門です。
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門内の左右に安置された金剛力士(仁王)像・・・1203年に作られた高さ8.4mの巨大な木像ですが、僅か69日間で完成したそうです。
写真右が口を開いた阿形像(快慶作)、左側が口を結んだ吽形像(運慶作)・・・その迫力に圧倒されます。 -
東大寺総合文化センター前にある実物大の大仏様の手。
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大仏殿(金堂)(国宝)・・・最初の大仏殿は、大仏の鋳造が終わった後に始まり、758年に完成しましたが、1181年と1567年の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年に落慶したものです。
創建時に11間(86m)あった建物の間口は、再建時には7間(57m)と約2/3になりましたが、現在でも世界最大級の木造建築であり、往時の壮大さが窺えます。 -
ガイドさんの説明によると、大仏殿の参道には四種類の石が敷き詰められており、黒い石がインド産、茶色の石が中国産、その隣が韓国産、一番外側が日本産で、仏教伝来の経由地を表しているそうです。
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大仏殿のすぐ前に「金銅八角燈籠」(国宝)があります。
大仏開眼とほぼ同時期に制作されたもので、高さは約4.6m。
現在、日本に残る銅灯籠の中で、最大最古のもの。 -
天平時代の面影を今に伝える貴重な文化財で、8面ある「火袋」には東西南北の扉面には獅子が、その他の4面の羽目板面には、音楽を奏でる「音声(おんじょう)菩薩」のレリーフが施されています。
音声菩薩は、とても優しい表情をしています。 -
今日も多くの観光客が訪れています。
1月1日と8月15日には、中央の窓が開かれ、大仏様の顔を拝観できるそうです。 -
聖武天皇の発願で745年に制作が始まり、752年に開眼した奈良の大仏様・盧舎那仏・・・高さは15mで、重さは約250トンもあり、金銅仏としては世界最大で、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円。
盧舎那仏とは、世界を照らす仏・光り輝く仏の意味で、真言宗では大日如来を指します。
左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲を表しながら、人々が思いやりの心でつながって絆を深めることを願っておられます。 -
大仏殿の焼失時に大仏も造り直され、台座や足など下の部分は建立当時のものですが、胴体は鎌倉時代初期の1185年、頭部は江戸時代のものです。
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大仏様の台座の蓮弁(蓮の花弁)に線刻された、華厳経の世界観を表す画像も、天平時代の造形遺品として貴重です。
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大仏様のの前に、蓮が活けられた花瓶が飾られ、両脇に向き合うようにして一対の蝶がとまっています。
昆虫の脚は6本ですが、この蝶は8本・・・どんな意味があるのでしょうか、不思議ですね。 -
大仏様の後ろは、こんな感じになっています。
なぜか、この後ろ姿に心惹かれ、ここに来たときは必ずこの姿を心に刻みます。 -
大仏様の両脇を固める江戸中期作の仏像。
右は虚空蔵菩薩坐像( 像高7.1m )、左は如意輪観音坐像(像高7.22m)。 -
創建当時の伽藍の模型。
大仏殿は今より大きく、左右には七重塔・・・さぞ壮観だったでしょう。 -
大仏様の鬼門の方角にあたる北東にある柱。
この柱の穴は、大仏様の鼻の穴と同じ大きさで「大仏の鼻の穴」と呼ばれ、ここをくぐると無病息災が叶えられるそうです。
ぐるっと柱を取り囲み。無事潜り抜けられて大歓声をあげる外国人の団体さん。
「お願い! ここではもう少し静かにね!」 -
大仏殿の模型にもあったように、創建時の東大寺は薬師寺のように東と西に2つの塔が建っていました。
薬師寺は三重塔で34mほどですが、東大寺は、なんと七重塔で100mもあったそうです。
ところが平安中期に西塔、1180年に東塔が焼失し、13世紀に再建された東塔も14世紀に再び落雷で焼失しました。
再建への思いを込めて作られた相輪のレプリカが、東塔跡地の近くに設置されています。 -
続いて、正倉院へ。
奈良・平安時代には重要物品を納める正倉が各寺院に設けられましたが、現在残っているのは、東大寺正倉院内の正倉院宝庫だけです。 -
校倉造(あぜくらづくり)の高床式倉庫には、聖武天皇ゆかりの品や天平時代を中心とした美術工芸品、唐や西域、ペルシャなどから集められた絵画・陶器・ガラス器・楽器など、古代の美術工芸の粋を集めた多くの作品が収蔵されています。
集合時間まで30分足らずでしたが、係の方が「片道5分で行って来られますよ」と、勧めて下さいました。
でもこれが悲劇の始まり(?)、熟年女性の足で片道5分はあり得ませんでした。往復とも速足で大急ぎ、それでも集合時間に何秒か遅刻でした。 -
「正倉院展」は、10月下旬から約20日間の日程で開催されます。
「鳥毛立女屏風」(とりげりつじょのびょうぶ)は天平文化を代表する樹下美人図で、正倉院に伝わる六扇からなる屏風の一つ。
「漆胡瓶」(しっこへい)は、ペルシャから西安を通して日本の正倉院(奈良)へ伝来した正倉院の数ある宝物の中でも一際、威容を誇る水瓶です。(写真はHPより)
今日は建物を見ただけですが、そのうち、正倉院展で美術工芸品を見たいですね。 -
大仏殿の裏手にある東大寺・講堂跡・・・かつては大仏殿に匹敵する講堂が建っていましたが、917年・1180年・1508年と3回焼失し、その後は再建されず、現在は礎石のみが残っています。
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南大門からバスに戻る途中、シカの親子が・・・おっぱいタイム中でした。
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東大寺の次は、今回の旅行の最大の目的地・春日大社。
♪ いにしへの、奈良の都の八重霞、春日の野辺のさをしかの、角もいつしかおちこちの・・・♪ これが筝曲「春日詣」の最初の一節です。
社伝では、768年に藤原永手が鹿島の武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、香取の経津主命(フツヌシノカミ)と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・比売神(ヒメガミ)を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのが始まりとなっています。 -
藤原氏の隆盛とともに、春日大社社も隆盛を迎えます。
平安時代には、皇族や貴族の「春日詣」も盛んとなり、20年毎の式年造替(社殿の一部または全部を一定年限ごとに建て替える制度)の確立に伴い、本殿や各社殿は現在のような規模になりました。
また中世以降になると、武家や庶民にも信仰が広まり、各地に造られた分社は現在でも1,000社ほどあります。 -
武甕槌命が白鹿に乗って鹿島から来たとされることから、春日大社では古くから鹿を神の使いとして大切にしてきました。
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「二之鳥居」でポーズをとる女性・・・外人観光客の来ていた着物の帯に、びっくり仰天!!
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歴史の重みを感じる灯篭が、心を惹きつけます。
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二之鳥居の先にある「伏鹿手水所」・・・伏せた鹿がくわえた巻物から水が出ている珍しいものです。
ここで手と口を清めた後、左手の祓戸神社にお詣りして本殿に進むのが参拝順序。 -
鳥居のような木。
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南門が見えてきました。
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南門から回廊に入ると、中門の手前にある「社頭の大杉」・・・周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年~1000年の大杉です。
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中門は本殿前にある楼門で、高さは約10m。
正面の唐破風は明治時代に取り付けられ、御廊(おろう)は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。 -
本殿でお祓いを受けています。
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灯籠の台座も、鹿マーク。
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御本社をぐるりと取り囲む、約52mの東回廊と約81mの西回廊には、約800年にもわたって様々な人から奉納された釣灯籠約1,000基がずらり。
じっくり見ると形や意匠が異なっており、中には金色の灯籠も・・・元々は金色ですが、時が経つとともに色が変化していくのです。 -
昔は灯籠と一緒に油料も奉納し、その油が続く限り、毎日火が灯されていたそうです。
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左は直江兼続、右は宇喜多秀家が奉納した釣灯籠。
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これは、新しく奉納された灯籠でしょうか。
因みに、釣灯籠の値段は、制作費や管理、万灯籠時の灯火なども含め、200万円。 -
2月の節分と8月14・15日の年2回、すべての灯籠に浄火をともす「春日万灯籠」が行なわれますが、この万灯籠神事を感じられる場所が北回廊の「藤浪之屋」。
江戸時代まで、神職の詰所だった所です。 -
この部屋は、灯篭の明かりがあっても、足元が見えないくらい暗かった~
でも、本番はこうなるのかと、その幻想的な美しさに感動しました。 -
南門を出て、「社頭の大杉」を通って行く途中・・・
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折角なので、「木」から「気」を頂きます。
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「社頭の大杉」の左側にあるこの通路は、興福寺の方が見えた時に歩く通路だそうです。
丁度、巫女さんが通りかかりました。
藤原氏ゆかりの興福寺と春日大社は、興福寺の発展により春日大社は鎮守社として取り込まれ、江戸時代までは神仏混交で興福寺と一体のものでした。 -
南門前にある「神石」。
この石は
磐座 : 神様が降臨する憑代(よりしろ)として祀られた
出現石: 赤童子(春日若宮御祭神)がここから現れた
額塚 : 宝亀3年(772年)の落雷により落下した社額を埋めた
など、諸説がありますが、いずれにしても神がかりの石。 -
立派な角を持った雄鹿・・・立ち姿が何とも凛々しく、カメラ目線でポーズを決めてくれました。
江戸時代に始まった「鹿の角きり」は、鹿や観光客が角で傷つかないように、雄鹿の気性が荒くなる発情期の秋に先立ち、行われます。
発情期の雄同士の戦いは、時に命がけだそうですが、秋にはこの角も切られるのでしょう。 -
旧春日大社宝物殿は平成28年に春日大社国宝殿としてリニューアルオープン。
春日大社は国宝352点、重要文化財971点をはじめ多くの文化財を所蔵しています。
これは、「春日若宮おん祭」で舞楽の演奏に用いられる、日本最大の「だ太鼓」。 -
春日大社を後にして、猿沢池から興福寺に向かいます。
今回の旅行で、私が一番楽しみにしていた場所です。 -
これは、5年前に奈良を訪れた時の写真。
天気も良く、興福寺・五重塔と猿沢池が緑に囲まれて、鮮やかです。
♪…ふるのやしろの神さびて、けがれ心も猿沢の、池に宿れる月の影…♪
筝曲「春日詣」の一説ですが、昨日の慈光院の住職さんの話では、明日は満月とか。 -
奈良時代の女官(采女)が、仕えていた帝の心変わりを嘆き、池に身投げした伝説は、謡曲「采女」にもなっていますが、その霊を慰める祭事が「采女祭(うねめまつり)」。
中秋の名月の夜、約30個の灯籠を浮かべた猿沢池に、管絃船2隻が優美に回遊するそうです。
観光客を乗せた管絃船が、ゆったりと湖面を走っていました
♪ 昔の人のかたみぞと、見るやうねめが衣かけし、柳も一葉ちる秋の・・・♪
どの柳の木だったのでしょうか? -
猿沢池から興福寺の南大門跡へと続く、通称「五十二段」とよばれるこの石段は、その名の通り五十二段。
大乗仏教の教えの中に、菩薩の修行の階位は一番下の信心・念心・精進心から始まり、一番上の妙覚までの五十二段階に分かれるとあります。
妙覚に達した菩薩は、あらゆる煩悩を断じ尽し、悟りを開いた仏とされ、この階段を上り切って興福寺に入る頃には、私達も仏の境地に到達していることでしょう。 -
法相宗の大本山・興福寺の起源は、藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、669年に京都の山科に創建した山階寺(やましなでら)ですが、平城遷都の際に、藤原鎌足の子・不比等が寺院を現在地に移転し「興福寺」と名付けたので、710年が実質的な興福寺の創建年といえます。
興福寺は、創建以来たびたび火災に見まわれ、1180年には、東大寺とともに大半の伽藍が焼失しました。
現在は、中金堂が再建中(2018年完成予定)で、南大門の再建も計画され、国宝館も耐震補強工事が終わる2018年1月に再開する予定になっています。 -
五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建されましたが、創建以来5度も火災にあったようで、現存の塔は1426年頃の再建です。
高さ50.1mで、木造塔としては東寺の五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。 -
南円堂は813年、藤原冬嗣が父・内麻呂の追善のため創建した八角堂。
現在の建物は、1789年の再建です。
♪ ゆききの人の眺めぬる、南円堂の藤波や・・・♪
残念ながらフジの花の時期ではありませんでした。 -
南円堂の屋根飾り。
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興福寺と言えば「阿修羅像」・・・像高は153.4cmで、3つの顔と6本の腕をもつ少年のような可憐な像ですが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されています。
「脱活乾漆像」は、謂わば「張り子」の像なので、台座を含めても約25kgと非常に軽く、いざという時には担いだり抱えたりして、移動させることが出来ます。
そのため、建物が何度も火災に遭っていながら、734年に制作されたこの像は現在まで残されています。
国宝館が耐震工事中のため、仮講堂で5年ぶりのご対面です。(写真はHPより) -
阿修羅は戦の神で、激しい怒りを表すのが一般的ですが、興福寺の阿修羅像に激しさはどこにも見られません。
興福寺の阿修羅像を作らせたのは、聖武天皇のお后・光明皇后で、生後間もない子供を亡くしています。
恐らく、光明皇后が息子の死を悼む気持ちを考えて作らせた・・・そう思えてなりません。
いつまでも、お顔を見ていたい気持ちです。
係の方が「来年の一月からは国宝館に移されるので、もっとお近くで見られますよ」と、教えて下さいました・・・また、必ず会いに来たいと思います。 -
予定していた観光もすべて終わり、あとは食事とお土産を買うだけ。
市内観光のこのツアーは興福寺で解散ですが、県庁前からJR奈良駅までの市バスの切符もツアー料金に含まれていました・・・至れり尽くせりです。 -
このバス停からJR奈良駅に向かうつもりでしたが、目の前の県庁なら、美味しくてお安いランチが食べられるのではないか、と主婦の勘!・・・早速、行ってみました。
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” シカ注意! ” のマークが奈良らしいですね。
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県庁入り口の「せんとくん」。
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奈良県庁の食堂は、一般の人も利用可能で、かつ興福寺・五重塔などが見える最高のロケーション!!
メニューも、ビーフシチューやカレーなど、ワンコイン中心のお手頃価格で、ナイスチョイス・・・さすが主婦の勘、見事でした。 -
2017年9月1日にリニューアル・オープンした庁舎食堂は、広く取られたガラス窓から奈良公園が一望でき、景色は最高!
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嬉しいことに、屋上から素晴らしい眺望が楽しめます。
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で、早速、屋上に行ってみると、先ほど見学した興福寺・五重塔が目の前に!
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これぞ、奈良!
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若草山も・・・
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東大寺も・・・
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記念写真を撮りたくなる景色です。
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最後は、職員の方が、「せんとくん」の所でシャッターまで押して下さいました。
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思い出いっぱいの奈良を後にして、京都へ。
東山の中腹に見える建物は、何十年か前に私が通った学校かな? -
バタバタした行きと違って、帰りは京都駅で夕食をゲット。
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京都を過ぎて暫くすると、綺麗な夕日が・・・
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今回の旅行のお土産の一部・・・楽しかった旅行の思い出です。
奈良:平宗の柚庵焼鯖ずし 奈良ロイヤルホテルのきざみ奈良漬
京都:かわみち屋の蕎麦ぼうろ 亀屋良長の烏羽玉
今年の旅行は、発表会で演奏した筝曲『春日詣』に因んで奈良でした。
さて、来年はどこに行けるかな?
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