2016/10/20 - 2016/11/16
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佐々の賢次郎さん
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エヴェレストをこの目で見たいとの思いで、一昨年;エヴェレスト街道をトレキングして目標達成したので、昨年;アンナプルナ サーキットをトレッキング、 今年は チョラパス、ゴーキョに挑戦しました。
内容はトレッキングしたときのメモ書きを整理したもので、参考になるか?はなはだ疑問ですが、少しでも記憶に留めて頂ければと思います。
その他のトレッキングブログです。
エヴェレスト街道 トレッキング
上 ; http://4travel.jp/travelogue/11266799
中 ; http://4travel.jp/travelogue/11267028?lid=next_travelogue_from_travelogue
下 ; http://4travel.jp/travelogue/11267035?lid=next_travelogue_from_travelogue
アンナプルナ サーキット トレッキング
上 ; http://4travel.jp/travelogue/11267047?lid=next_travelogue_from_travelogue
中 ; http://4travel.jp/travelogue/11267062?lid=next_travelogue_from_travelogue
下 ; http://4travel.jp/travelogue/11267074?lid=next_travelogue_from_travelogue
チョラ パス、ゴーキョ街道 トレッキング
上 ; http://4travel.jp/travelogue/11267098?lid=next_travelogue_from_travelogue
中 ; http://4travel.jp/travelogue/11267173?lid=next_travelogue_from_travelogue
下 ;
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
チョラ・パス、ゴーキョ街道トレッキング ;下
目 次 ・・・ 上
一 日 目 ~ 五 日 目
目 次 ・・・ 中
六 日 目 ~ 十二 日 目
目 次 ・・・ 下
十三 日 目 ; 大地震から見事に復旧していたマチェルモのロッジ群
十四 日 目 ; モン・ラはタムセルク、カンテガが目前に迫る絶景のロッジ!
十五 日 目 ; 13日振りに自宅へ電話が繋がった
十六 日 目 ; それ程増えていなかったエヴェレスト街道のトレッカー
十七 日 目 ; 17日振りのルクラでポーター、スナムとビールで乾杯
十八 日 目 ; ナマステロッジの主人は心使いが行き届いている優しい人
; ネワールの古い町並み;キルティプルを散策 -
十 三 日 目 ; 大地震から見事に復旧していたマチェルモのロッジ群
11月1日(火) ゴーキョからマチェルモへ ;
4時間 のトレッキング
4790m ~ 4470m
朝 7:00 室内 -1℃ 午前中は晴天 午後は雲に覆われる
8時に食堂に行くと皆食事を済ませ出発し 誰もいなく掃除中だったので 外のテーブルで朝食を済ませたが、昨日見た片足のトレッカーにもう一度会いたかった!
09:00 出発 チョ・オユーはイエローバンドが覗く断層、至る所に積雪が氷になって水色に輝いている等 魅力的な山だった。 -
10時には No.2 レイク 11時には No.1 レイクを通過しエメラルドグリーンに輝く氷河湖を目に焼き付けた。
此処が源流となって流れ出すドゥドゥ・コシ河に沿った谷間の西側を下るとモン・ラに行き 対岸の東側を下るとポルチェ、パンボチェへ行く道が平行して走っている。
点々と点在する数軒の集落を見ると 動物の侵入を防ぎ食物を守るため周囲に延々と石垣を築きこの土地に住み続けている歴史を感じるが、4000m以上で冬は耕作出来ないので秋に収穫できるジャガイモを植えているのだろうか?
先の方も見通せる西側の緩やかな下りのルートで目の前にタムセルク、カンテガを眺めながら 後方はチョ・オユーと右手には日本人が初登頂のギャチュンカンと絶景が続くトレイルのアップダウンを繰り返しながら
13:00にはマチェルモに着き YETI LODGE に宿泊
地震の被害が大きかったゴーキョ街道の中でも11軒中9軒が壊滅したマチェルモはその跡が判らない程復旧していたが、資材の運搬、建物の修復、石垣を組みなおし等 トレッカーが来る10月まで必死で再建したのだろう?
Battery Charge の張り紙が有ったので携帯電話をお願いしたが 今は出来ないと断られた。
もう10日間連絡していないので気になるが、エヴェレスト街道での使用領域が広い “ NCELL “ の電話に変更すれば良かったが アンナプルナで使った “ NTC “ のままでも其れなりに通じると思っていたのが失敗だった。 -
十 四 日 目 ; モン・ラはタムセルク、カンテガが目前に迫る絶景のロッジ!
11月2日(水) マチェルモからモン・ラへ ;
6時間半 のトレッキング
4470m ~ 3973m
朝 7:00 室内 -2℃ 午前中は晴天 夕方は雲に覆われる
08:30 出発 谷間のマチェルモから丘の上に登って見ると チョ・オユーからエヴェレストに続くクーンブ山群の白い峰々が輝いているが これでお別れ!! -
前面のタムセルク、カンテガは逆光になり撮影条件としては最悪だが一応撮っておく。
東側ルートのポルチェの集落は20、30軒程で農地も広く、ドゥドゥ・コシ河からは数百メータ登った所にあるが 背後に控える山から豊富な水が湧き出しているのだろう。
11:00 ドーレ着 昼食
このロッジのレストランに テンジン・ヒラリー;エヴェレストマラソンの賞状が飾ってあったので撮影させてもらった。其れを見ると エヴェレストベースキャンプ5364mからペリチェ4252m ,タンボチェ 3867m を経由して ナムチェ・バザール3440m までの 42.195 km を 4h,11min , 25sec で走破したものだったが順位は不明。
大会は初登頂を記念し登頂日と同じ5月29日に開催され 世界一高所で行われるマラソンとの記載があったが酸素が薄い中で走れるのはシェルパ族位で一般人は大変だろうと勝手に想像する!!
壁に並ぶ写真の中に日本人の撮った大きな写真;Three Giants が額に収め飾られていた。
12:30 出発 緩やかな下りを二時間ほどでポルチェテンガに着いたが此処はロッジが少なく満室だったので次のモン・ラに向かう事になりポーターのスナムが指差したロッジ群は150m程登った山の上に見える建物だった。
しかし 歩き出してみると急な坂道だったので距離的にはそれ程遠くない感じがしたがそれなりに時間は掛かり部屋確保で先行していたスナムがロッジの子供と一緒に途中まで迎えに来ていたのでバッグを持ってもらった。
15:50 モン・ラ着 MOUNTAIN VIEW LODGE に宿泊 ・・・ 宿泊客は私一人だった。
迎えに来ていたロッジの子供がレストランで勉強していたので日本から持って来ていた黒糖飴をあげた。
トイレに入ると用済み後、木の葉を落とし込む方式で今回初めてだったが 後でロッジの子供が部屋の横に新設された扉を開け“此処がトイレ”と教えてくれた。 -
山の上に建つロッジでタムセルク、カンテガが正面に見えるが雲に遮られ頂上部分が少し覗くだけ、
-
アマ・ダブラムも同様で数枚撮ってみたが頂上部分が少し見えただけで今年は雲に邪魔され通しだった。
-
十 五 日 目 ; 13日振りに自宅へ電話が繋がった
11月3日(木) モン・ラからナムチェへ ;
3時間 のトレッキング 午前中は晴天
3973m ~ 3440m
朝 7:00 室内 0℃ 午前中は晴天
06:00 起床 外に出て朝焼けとタムセルク、カンテガの写真を撮ってみるが逆光なので??
クーンブ山群の最終日は快晴の朝を迎え最高!!
今日はクムジュンに寄って一昨年の写真を渡したいと思ったが10日以上電話してないので心配しているのではと気になりナムチェへ直行する事にしたが、結局 一昨年の写真は一枚も渡せなかったのが残念だが仕方ない。
07:15分、朝日が差し込み慌てて外に飛び出し写真を撮ろうとするが太陽が眩しく断念したが、モン・ラは山の上に建つロッジで北、東、南側が見通せて絶景のロッジ群だった。 -
09;00 出発 クムジュンとの分岐で一瞬“行こうかな”と思ったが楽な方を選択。
12:00 ナムチェ着 来る時と同じロッジに宿泊
早速、携帯電話の充電をお願いし 4時前に自宅へ連絡すると 孫が良く喋るようになったと言っていた。
高度が下がってきたので気温も上がり 上半身にうっすらと汗をかいたので久し振りにシャワーを浴びようと思いシャワールームに行って温水ハンドルを廻したり色々やってみたが出るのは水だけで、湯沸し器は“NO TOUCH”
となっているので 慌ててシャツを着込み部屋へ戻ったが 先日スナムも慌てて着込んでいたのは、彼も水を浴びたのかな??・・・慣れているのだろうか! -
16:30頃 レスキューヘリが飛んできて広場に着陸した。
ナムチェに飛んで来るのは初めて見たが 夕方になっても高山病の症状が治まらないので呼んだのだろうが二時間の距離をジョサレまで戻れば600m高度が下がり
2800mになるので楽に成り 回復すれば再挑戦出来た筈だが動けなかったのかな??
夕食は ヤクステーキが有ったので注文した。 -
十 六 日 目 ; それ程増えていなかったエヴェレスト街道のトレッカー
11月4日(金) ナムチェからパクデインへ ;
5時間半 のトレッキング
3440m ~ 2610m
朝 7:00 室内 4℃ 午後3時 18℃ 午前中は晴天
08:50 出発 カトマンドゥ便チケット手配の為 ルクラのナマステロッジに電話するが繋がらないのでポーター;スナムに電話して貰い、スマホを借りて手配をお願いした。 -
金曜日なのでハート(金・土曜市)が開催されていて道路脇に店が軒を並べ賑やかな雰囲気になっているその空には早朝にも関わらずパラシュートが開いてスカイダイビングを楽しんでいた。
-
11:00 ジョサレのレストランは来る時の昼食で腹痛になったのでお茶だけ注文。
モンジョの国立公園事務所で今年10月の入場者を見てみると 10,023 人と記載されているが 10月の初めにビッグツアーが来て混雑した割には大幅の増加とはなっていない!! ゴーキョの込み具合は何だったのだろう??
モンジョで昼食にスパゲテイーを注文すると美味しく、本来は何処もこの味なんだけど今年はハズレが多かった。
14:50 パクデイン着 往路と同じ宿に宿泊。最後の宿なので不用品を整理した。
* 防寒スボンは裾が摺れて穴が開いたので廃棄。
* ダウンの防寒着はバッグのマジックテープが絡んで肘の部分が破れたので廃棄。
* トレッキングパンツは引っ掛け傷で穴が開き廃棄。 -
十 七 日 目 ; 17日振りのルクラでポーター、スナムとビールで乾杯
11月5日(土) パクデインからルクラへ ;
3時間 のトレッキング
2610m ~ 2850m
朝 7:00 室内 6℃ 午前中は晴天
計画ではサレリまで歩く事を考えていたが、断念し今日はルクラまでの最終日!! -
・・・途中の分岐でジリ、サレリ方向の看板を見ると残念な思いになってしまう。
トレーニングは従来と同じ日数を行い バッグには前より2kg重い8kg詰め込んでやったのに、体力の低下は思いもよらなかったが 之からはますます難しくなるので帰ったらトレーニングの方法を考え直して見ようと思う。
08:50 パクデイン出発 12:00 にはルクラのゲートを通過しナマステロッジに到着
昼食はヤクステーキを注文し スナムはビールを飲むと言ったので ビールで乾杯した。
ガイド料金を精算すると さっとポケットに仕舞い込んだが、ナマステロッジの主人は見ているだけで私に“彼はどうだった?”と聞いてきたので “He was Nice gay of Any time ” と返事した。
基本的にネパール人は優しい人が多いので安心している。
スナムと話しているとゴーキョから西側へ抜けるレンジョ・パスはロッジも不備でまだ行かない方が良い。 チョラパスは2名女性の4人組をガイドしたが 崖を登り出したら女性が泣き出した等 話してくれた。
彼も17日ぶりにルクラに戻ってきたが 次のトレックガイドの予定を聞くと“まだ決まってない”と言いエヴェレスト街道にまた来るかと聞かれたので “孫が行こうと言えば来るかな”と答えておいたが 来る時はメールしてくれとアドレスをメモしてくれた。 Sanam4nn@gmail.com・・・
ガイドのライセンスを持っていても次々に仕事がある訳ではなく 水商売の様な感じがするが農業しか無い山間部で現金収入の仕事としては魅力的なものだろうと思う。
カトマンドゥで 平均 月収 20,000 Rs と比較すると ポーター料金 1,500 Rs は半月程で同額となる。
ルクラの町を散策していると、カトマンドゥで探したが三角形の小さい物しか無かったCho・La Pass Trekking の丸刺繍ワッペンが有ったので購入し、トレキングパンツも伸縮性のある色合いの良い物を見つけたので値合して1,500 Rs の希望価格で購入したが欲しい物はつい手が出てしまう。・・・高かったので帰ろうとすると希望価格で”OK”
17:00 室内 15℃ 西陽も当たり暖かい。
Air Ticket は $ 166。 カトマンドゥで手配したときより若干高め。
明朝は06:30に朝食を済ませ此処でWaitingと空港に勤めているロッジの息子が説明してくれた。 -
十 八 日 目 ; ナマステロッジの主人は心使いが行き届いている優しい人
11月6日(日) ルクラからカトマンドゥへ ;
Sita Air ; DORNIER ? 228 19人乗り
朝 6:00 室内 5℃
07:00 発の飛行機なので、寝過ごさないように目が覚めた3時頃から起きて待つ事にして朝までの時間に、カメラ・三脚は機内持ち込みのカメラバッグに 残りのトレッキング用具はバックパックに詰め込んで準備完了。
朝食を済ませ食堂で待っていたが動きがないので立ち上がろうとすると それを察しナマステロッジの主人が ランデイングしたら連絡有るよ!そっと話しかけ此方の気持ちを察してくれる。
他にガイド付き日本人客4人組も同じ様に待っていたが 07:40分連絡が入り4人組の部屋から荷物を出して夫々担ぎ空港へ向かおうとすると、ロッジの主人が握手して首に別れのショール?を巻いてくれた。
狭い空港ロビーでは数社のカウンターで搭乗手続きをしているので混雑しているが荷物をてきぱきと捌いて行く。
入場ゲートで手荷物の中身を聞かれ“トレッキング”と説明すると日本人はほぼノーチェックで通過し搭乗口で待っていると4機立て続けに到着したが、私はSita Air 二番機だったので後の便 08:40 発となった。
搭乗口待っている私のところにロッジの息子が荷物の半券を持って来てくれた。・・・混雑して貰っていなかった。
09;20 カトマンドゥ着、空港内で待っているタクシーは高いので 前のリングロードに出て流しを拾い宿へ向かう。
09:40 にはMadhuban G・H に到着 予約は12日からだったので部屋が有るか心配したが何とか部屋を確保。
レンタル品の返却とランドリーサービスに出かけたが 暑く汗が出たのでシャワーを浴びたが水温が低く寒く感じたので、その後は早目に使ったりして見たが 昨年のように熱いお湯が出ることは無かった。
後日、ランドリーを受け取りMadhuban G・Hに戻り中を確認すると他人のものが紛れていたので返しに行ったが今まで何度もランドリーサービスを利用しているが始めての事だった。
自宅に電話すると、町内の文化祭にヒマラヤのパノラマ写真を4枚出展していたのを、たまたま見に来たカメラマンの川○君から電話が有り “迫力ある写真だった“と言っていたそうで展示した甲斐があった。
来年は今回撮影したゴーキョのパノラマ写真を展示しようと思う。
Madhuban G・H のテレビは米国の大統領選挙の中継を映してその結果に注目していたが、ネパールとは関係が薄いのに、これ程興味が在るとは思わなかった。
予想に反しトランプ氏が勝ったのは彼らも意外だった様だ。 -
ネワールの古い家並みが残る“ キルティプル ”
カトマンドゥの南西 5km にある丘の町 -
カトマンドゥを望む
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