2014/11/05 - 2014/11/21
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佐々の賢次郎さん
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エヴェレストをこの目で見たいとの思いで、ヒマラヤに行きました。
トレッキングは初めての素人で、心配な事ばかりでしたが、裏山300m登山を重ね一人で計画し行ってきました。
軽い高山病も経験し、カラパタール(5545m)からエヴェレストを見る目標を達成できたので、若干の自信となり次の目標に向かってトレーニングを重ねています。
内容はトレッキングしたときのメモ書きを整理したもので、参考になるか?はなはだ疑問ですが、少しでも記憶に留めて頂ければと思います。
その他のトレッキングブログです。
エヴェレスト街道 トレッキング
上 ; http://4travel.jp/travelogue/11266799
中 ; http://4travel.jp/travelogue/11267028?lid=next_travelogue_from_travelogue
下 ;
アンナプルナ サーキット トレッキング
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中 ; http://4travel.jp/travelogue/11267062?lid=next_travelogue_from_travelogue
下 ; http://4travel.jp/travelogue/11267074?lid=next_travelogue_from_travelogue
チョラ パス、ゴーキョ街道 トレッキング
上 ; http://4travel.jp/travelogue/11267098?lid=next_travelogue_from_travelogue
中 ; http://4travel.jp/travelogue/11267173?lid=next_travelogue_from_travelogue
下 ; http://4travel.jp/travelogue/11267289?lid=next_travelogue_from_travelogue
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2014 、11月 エヴェレスト街道 トレッキング
目 次 ・・・ 上
前 準 備 、一 日目 ~ 六日目
目 次 ・・・ 中
七 日目 ~ 十一日目
目 次 ・・・ 下
十二日目 ; ついに目の前にエヴェレストが
十三日目 ; アマダブラム、橋、イムジャ・コーラの三点セット
十四日目 ; やっと極彩色のダンフェをカメラに
十五日目 ; 戻ってきたよナムチェ・バザール
十六日目 ; いつカトマンドゥへ戻れるの
十七日目 ; お世話になったロッジの親子 -
!!ついに目の前にエヴェレストが!!
トレッキング ; 十二日目 16 / Nov / 2014
ゴラクシェプ から カラパタール往復 し トゥクラ へ
8 時間のトレック 5150 m ~ 5545m ~ 4593m
朝6時 下痢は治まってなくトイレに駆け込む事になった。
7時20分 出発、プモリに向かって登る感じになるが、昨日登った辺りまでは順調だった。しかし その先から足が上がらないで大腿四頭筋に力が入らずもどかしい。10歩でハーハーと空気を吸い込み歩き出し また10歩で休み 最後は5歩で休み それを果てし無く繰り返して目線は浮石を踏まない様に足元だけ見つめ!
目の前50m先にあるタルチョがはためく頂上に辿り着かない。・・・5500m空気半分の世界は厳しい!
10時20分 やっと頂上5545mに到着した。高さ10m近い鉄柱のポールに幾重にも架けられたタルチョが迎えてくれた。先に到着し景色を堪能している白人二人に、ナマステと挨拶したか記憶に無いほど疲労困憊だった。 その上方に狭いスペースの岩場が有りFurbo は登っていたが、流石にそこに登る元気は無く此処で充分に達成したと納得できた。
カメラの電池の使用温度は0℃迄なので低温の場合は抜き出しポケットで暖めて使用するつもりだったが嬉しい誤算で終わった。カメラ全体を覆う防寒カバーも手作りしていたが暖かく之も使用せずに済んだ。
カメラをセットし絞り、露出、焦点距離など色々変えエヴェレストを写真に収め動画で周囲360度のクーンブ山群を撮影し満足した。 -
頂上部分の断層が斜めに走り 上からチェモランマ層(石灰岩)、黄色く見える石灰岩のイエローバンド層(海底の堆積物)、ノースコル層と呼ばれ 5~5.500万年前、ユーラシアプレートにインドプレートが衝突、間にあった分厚い堆積物で出来た海底地層が地殻変動でインドプレートの一部は沈み込み、陸上部分は押潰され褶曲して2.000万年前頃から隆起をはじめ巨大なヒマラヤ山脈や5000mのチベット高原が誕生した事が納得出来るエヴェレストの断層の姿があった。
・・・イエローバンド層はローチェでも確認できたが優美な縞模様で感動する!
今でも年間50mm移動している活発なプレートで衝突前大陸間にあった海底が8000mまで持ち上げられた証拠に 山頂の岩石を調査すると中から三葉虫等の海洋生物の化石が確認できるそうだ。
* 日本の下に潜り込んでいるフィリピンプレートは30~40mm、太平洋プレートは30~70mmでもっと活発!
一億年後にハワイ島は日本の傍に到着するそうだ!!
動画は、白い雲が広がり雪山と識別し難かったので稜線を狙ってピントを合わせる様にしたが オートフォーカスが遅れピント外れとなった。しかし 疲れが勝り取り直す気持ちにはならなかった。
昨日から 昼間にも雲が掛かる様になってきたが エヴェレストに南からのモンスーンが吹き付け煽られ北側に雲が湧き、たなびく様子が見られ 之もあまり目にしない様なのでしっかりと写真に収めた。
此処に来るまで宿泊したロッジの主人達にサインしてもらったバナーを手に エヴェレストとタルチョをバックにFurbo と代わる代わる撮った写真は人生で一二を争う宝物に思える。
この光景を見る為に1年前から準備して来た結果 雲に遮られる事も無く、また積雪も無く登頂出来、目的を達成出来た満足感で気分が高揚! 10時40分下山した。 -
・・・頂上に居たのは20分だったが物凄く長い時間滞在した様な気持ちだった。
12時にロッジに戻る。
昼食の後 ロッジのマスターにサインをお願いすると“OK”とスタンプをポンと押しサインと日付を書く対応に私の他にも多くの人がサインを貰っている様に感じた。
日曜日だったので時差を気にせず自宅に電話“最終目的地に到達したので後は下りるだけで心配ない”と連絡。
もう一泊するつもりで居たがFurbo はトゥクラまで戻ると言うので13時10分出発し16時50分に到着する。
5000m超えの山道を7時間半の長い道のりだったが充実感一杯。
途中 荷物運搬の主役ゾッキョの隊列が来たので道の脇に避難し通り過ぎるのを待つと、首に架けた鈴の音がカラーン、カラーンと心地良く響き安らぐので動画で撮影。
しかしタイミングが難しく音を聞きカメラを準備していると直ぐに通り過ぎる。 -
トゥクラが見えるトゥクラ・パスまで来ると下界は雲海に包まれ幻想的な雰囲気となっている。
トゥクラはロッジの数が少なく部屋が取り難いと聞いていたが11月後半なので客が少なかったのか個室を確保。
ゴラクシェプから550m下りてきたが 手の甲・指のむくみは残ったまま! -
!!アマダブラム、橋、イムジャ・コーラの三点セット!!
トレッキング ; 十三日目 17 / Nov / 2014
トゥクラ から タンボチェ へ
6.5 時間のトレック+ 昼食60分 4593m ~ 3860m
朝7時前には部屋の窓から見える山が朝日に輝いている。
東はエヴェレスト、ローチェ、アマダブラム、西はヌプラ、コンデ・リ
8時10分出発、来る時は丘の上を通ったが 帰りは最短コースでクーンブ氷河から流れ出した川 クーンブ・コーラに沿ってペリチェの村、パンボチェ、タンボチェと下っていくが、ペリチェはエヴェレスト街道トレックで紹介されているルート上なので客も多い様で広くなった川原の上に多くのロッジが並んでいる。
その山沿いの小高い丘に100室近い大規模ロッジ「PUMORI LODGE」が建設中で見晴らしも、日当たりも良いしツアー客に人気のロッジになりそうな感じがする。
此処はシーズン中若いボランテイア医師が開設する診療所があり高山病のレクチャーも開かれている所。
正面;南側は カンテガ、タムセルクの双耳峰、アマダブラムの雪嶺が周りの赤茶けた丘とのコントラストで輝いているその山裾を回り込むと西側が開け タンボチェ、ナムチェ・バザールやその先にコンデ・リも見え出していよいよ終盤に入って来た感じがしてくる。 -
12時10分 ショマレで昼食。
Furbo にゴーキョに行かないかと言われていたので 私の考えではクムジュン経由でルクラに戻る16日間と説明すると“OK”と言ってくれたので一安心。 -
13時20分出発、パンボチェを過ぎタンボチェへ向かう途中の川;イムジャ・コーラの橋を渡ると絶景が拡がっていた。
往路は逆光で朝日に翳っていたアマダブラムが順光でヒマラヤ襞がくっきりと見える。山裾に雲が掛かっているが川と橋と雪嶺,之はトゥクラのロッジ食堂に飾られていた絵の構図そのままだったので、川縁に腰を下ろしカメラを持つ手を両膝でしっかりと支え絞りを深くして何枚も撮影したが本当に絵の様だった。
16時 タンボチェ到着、この頃には全面に雲が広がり視界不良になったが、その前に良い構図の写真が撮影できたので満足しタンボチェ・ゴンパの左奥に入ったロッジに入ると食堂の向かい側の部屋でトイレも近く暖かい部屋だった。
夜はカイロ無しでも暖かく熟睡でき、手の甲・指のむくみの記述がメモに残ってないので完治していたのだろう。
しかし 15日を境にめっきりと風が冷たくなって来たし雲が湧く事も多く晴天の日差しでも汗をかかなくなり、シーズン終盤なのか、行き交うトレッカーの数も少なくなった。
電池の充電をお願いすると200Rs、ミネラルウォータと共に段々と安くなって来た。 -
!!やっと極彩色のダンフェをカメラに!!
トレッキング ; 十四日目 18 / Nov / 2014
タンボチェ から クムジュンン へ
4.5 時間のトレック+ 昼食70分 3860m ~ 3780m
朝6時半 雲もなく本日も快晴、外に出て撮影。
7時から、この地方一番のチベット仏教のお寺;タンボチェ・ゴンパで毎朝のお祈り( プージャ )が行われるのでお堂に入って見学するため7時前にゴンパに行くと、他にインド系3人、白人4人が待っていたので一緒に中に入りお経を30分程聞くが、白人は淡々としたお経に飽いたのか、または出発時間だったのか途中退席して行った。
お経の合間にカメラで内部を撮影するとチョット睨まれたがMove 禁止の張り紙は入口に有ったが写真はOKと思った。
お経の後、ピンク色で華やかなゴンパの外に出ると脇に有るマニ石の経文も他には無い色付けされた綺麗な物だったので撮影していると周りに続々と人が集まってきた。 -
“EVEREST TRAIL RACE”の横断幕が付いたゲートに、デイバッグを背負いストックを持って並び合図と共に30名程一斉に走り出したが何処まで行くのだろう。
・・・ ゴラクシェプからナムチェ・バザールまでのマラソンは聞いた事があるが?? -
ロッジの部屋で荷物をパッキングしていると窓の外にコンデ・リ、ヌプラが見えるので窓枠も一緒に撮影。
8時に朝食、ポテトの味付けが最高に美味しい。隣村のデボチェの焼き飯も最高だった!
9時に出発。来る時にFurbo にバッグを持って貰ったジグザグの坂道は木々が色付き紅葉が始まっているのを眺めながら下って行く途中 黄色に色付いた落葉が大きく綺麗だったので持ち帰ったが茶色に変色していた。
11時半 Lausasa 昼食。この頃はMomo(ギョーザ)にハマっていた。
陽が良く当たる庭先の蛇口を捻りFurbo はシャンプーで頭を洗っているが陽が当たる場所は20℃、日陰は7℃で歩いた後なので水でも気持ち良さそうで 傍にいる犬も日当たりの良い石垣の傍で眠っている。
近所の家の庭先ではお土産品の首飾り、小物入れ、帽子等々を並べてあるが此処で買うと荷物になるので見るだけにする。
12時40分出発、1時間程でエヴェレスト街道のゴーキョ、クムジュンの分岐点、サナサに着くとクムジュンまで20分の表示が有ったが 登ってみると1時間掛かってクムジュンに到着。村の入口までの時間だったのか? -
シェルパ族の里と呼ばれるこの村は人口が多くエヴェレスト初登頂者エドモンド・ヒラリー氏が学校、病院、水道などを50年以上前に建設・整備した村で 屋根の色は緑に統一され落ち着いた雰囲気がある集落。
昨日同様、夕方になると雲・ガスがかかり視界不良になったが、宿の人に ネパールの国鳥“ダンフェ”は何処に行けば見られるかと聞くと 下の畑に朝夕来るよと話してくれたので行ってみると林の方に一羽、畑に4羽、しかし動きが早くピント合せが困難で何十枚撮っただろうか。
帰り際にFurbo が上の畑で発見、この集団は途中で動作を止める事が有るので何とか良い写真が撮れ満足出来た。
1時間程で撮影終了。 ロッジから自宅に電話;全て完了。二日で空港に戻るよ!
此処でも夕食はモモとスプリングロールを注文したがスプリングロールはオムライス並みの大きさで最後は耳の部分を残してしまった。 ロッジの3歳ぐらいの息子がいたので鶴、戦闘機、など折り紙を折ってあげた。 -
!!戻ってきたよナムチェ・バザール!!
トレッキング ; 十五日目 19 / Nov / 2014
クムジュンン から モンジョ へ
5 時間のトレック+ 昼食60分 3780m ~ 2835m
7時から下の畑に行きダンフェを撮影したが 明るさが不足しISO感度を上げても撮れず本日は断念。
9時出発、クムジュンの村を通りヒラリースクール横に造られた二塔のチョルテン( 仏塔 )とストゥーパ( 仏陀の目がある仏塔 )の間にマニ石がずらりと並ぶ通りを一回りして学校に向かう子供たちと別れ、脇道を登り切ると石を積み上げたストゥーパが有り 其処からクムジュン村を振り返ると緑の屋根とシェルパ族の聖なる山(登山禁止)クーンビラも雲の切れ間から覗いている。山の麓に広がる此処クムジュンはこの地方で一番住宅が密集して子供たちも多かった。 -
東側に見えていたエヴェレスト、ローチェ、アマダブラムは長い間眺めて来たが此処で最後となる。
山道を抜けるとナムチェ・バザールの村が見えてくる・・・戻ってきたよ!
こちらの登山道は高所順応のトレッカーが続々と登って来る。三十人以上目にするがカラパタールから戻る途中、すれ違うトレッカーが減っていたが何処に行ったのだろうと不思議な思いがする。
11時10分 来る時に二泊したロッジで昼食を済ませ 12時10分出発、ナムチェ・バザールの出口でポリスチェックが有りカメラを確認された後 陸軍のチェック、ジョルサレで国立公園のチェックを通過し 15時10分 モンジョに到着。
本日は殆んど下りのトレイルを5時間のトレックだったが何か疲労感が有る。
夕食後、食堂のストーブの周りに集まっている人の中に空席を見つけ暫らく暖を取ってから部屋へ行き明日飛行機の、リ・コンファームをして貰う為ルクラのナマステロッジに電話すると“今何処だ”と聞かれたのでモンジョと返事すると “OK”・・・・・ いよいよ明日が最後!
明日はルクラのテンジン・ヒラリー空港に発着する飛行機は絵になるので動画で撮ろう。
Furbo に渡すチップの計算をしてお金を準備し、レインウエアも使用しなかったので彼にプレゼントしようと思う。 -
!!いつカトマンドゥへ戻れるの!!
トレッキング ; 十六日目 20 / Nov / 2014
モンジョ から ルクラ へ
5.5 時間のトレック+ 昼食60分 2835m ~ 2840m
8時10分に出発、
11時50分にタドコシで昼食。途中、日本でも最近良く見かける皇帝ダリヤがあちこちで満開になっている。
12時50分に出発し15時にルクラ到着。 -
しかし ハプニングはこれからだった!!
ナマステロッジの部屋に荷物を下ろしFurbo にポーター費用の残り半額とチップを渡し使用しなかったレインウエアを着て貰うとサイズぴったりだったのでFurbo も満足そうな笑顔を見せてくれた。
すると ロッジの主人が部屋に来て“直ぐに空港に行ってくれ!明日の便は無くなった”と話すが何の事か判らないまま、直ぐに荷物をまとめ慌てて空港に向かいチェックインすると他にも日本人が居て到着便を待っていた。
暫らく他社の便の発着を見ながら待っていたが 荷物の取り扱いが止まり空港の係員が引き上げ始めたので傍の人に聞くと天候が悪くなり最後の便は途中で引き返し 今日の便は終了との事だった。
何で明日の便が飛ばないのか? 良く理解できないままナマステロッジに戻ると 同じように戻って来た日本人 有○さんがガイドの人と相談していたので、パンダ(ストライキ)ですか?と聞くと カトマンドゥで国際会議が来週から開催される為 カトマンドゥのトリブヴァン空港の発着を制限しているらしい。各国首脳の到着便が優先される為24日からの国際線は運航されるが国内線は殆どストップするので、ルクラ便は近くのラメチャップの空港まで飛行機で行きカトマンドゥまではバス移動となるらしい。首脳会議なら前もって判っていなかったのかと思うが此処はネパール・・・仕方無い。
悪天候でのフライトキャンセルも考えて予定していたので、時間は充分にありラメチャップからのバス移動も面白いかも知れない!!・・・空港から少し歩けばバスストップが有り移動は4時間位でカトマンドゥに着くらしい。
明日はロッジで朝から待機する事になった。
部屋に案内してくれた若い人は空港から一緒に来たが??
後で判ったが ここナマステロッジの息子で空港の職員との事だった。
翌日のバス移動は荷物を屋根の上に積み込むだろうから 途中で解ける事が無いように不用品を整理し しっかりパッキングする為 バッグの外に固縛していた寝袋用マット、他もろもろ、処分し三脚をバッグの中に入れ込み準備完了。 -
!!お世話になったロッジの親子!!
トレッキング ; 十七日目 21 / Nov / 2014
ルクラ から カトマンドゥ へ
5.5 時間の待機 + 50分のフライト
朝7時に朝食を済ませ ロッジの食堂で待機。
ロッジの精算を済ませると 1220Rs . 本当!と言いたくなるほど安く良心的な金額で、今まで 1500 ~ 2000Rs支払ってきたが 輸送費が掛かっていないにしても安いので奮発して初めてコーラを飲んだ・・・250Rs
時間が有るので空港に行きフェンス越に傾斜した滑走路に離着陸する様子を動画で撮影したが、到着して荷の積み降ろしがすむと直ぐに出発便の乗客が乗り込み出発・離陸の繰り返し。
今回使用の GOMA AIRは新しい航空会社と言っていたから滑走路の使用枠が少ないのか、機体が少ないのか判らないが飛んで来ず、他社のSITA AIR 等は頻繁に飛んでいる。
ロッジに戻りまた待機。有○さんはパソコンに向かって入力中なので話しを聞くとブログを更新しているとの事。
私のホームページを教え 有○さんのブログを聞くと;旅するフォトグラファー有○と教えてもらった。
8時になっても連絡無く11時になると有○さんのラメチャップ便チケットが確保出来たと連絡が入りガイドと一緒にロッジから出て行った。 ・・・帰国便が迫っているとの事だったので良かった。
昼食を済ませゆっくりしていると ラメチャップ行きではなくカトマンドゥ便の席が入手出来たと連絡が来たが、直行便が楽かな? 次の楽しみに取っておこう。 -
チケットが $152 と言われたが手持ちのドルが $100 しかないので残りはルピーで6000Rs支払い“It was nice meeting you、 Great help thank you so match,”とお礼を言い 直ぐに荷物を持ち空港へ向かう。
この時ロッジの主人が娘にバッグを持って空港に一緒に行く様にしてくれたので助かったが バッグを持って階段を登る女性の健脚について行けず、待ってもらって空港に到着するとナマステロッジの息子が待っていたので荷物を預けチェックイン。
出発ロビーに降りて行き搭乗を待っていると ロッジの息子が昨日使用した帰りのGOMA AIRのチケットを探し出して返しながら10 % back と説明したがチケットにもその様に書いてあった。
飛行機が到着し一番に乗り込み右側の席を確保。帰りもヒマラヤ山脈を堪能できたが眼下に広がる棚田には圧倒された。
13時半出発、14時10分 無事カトマンドゥ到着。
到着口は出迎えやタクシーの呼び込み等で混雑していたので 荷物を持って表通りまで歩きタクシーを捜し交渉してゲストハウスへ戻ったが、満室で別のゲストハウス( 此処もLaxmanさんがオーナー )を紹介され移動する。
往復航空券を購入したゲストハウスのオーナー Laxman さんに国内線Goma Air が運行停止になったのでSita Airの空席を探しチケット購入した旨の話をすると直ぐに $137 支払ってくれた。
片道運賃 $152 の10% Less の金額が戻ってきた。
10% Back は往復運賃 $320 の10%, $32 返金かと思っていたのでちょっぴり得した気分になった。
航空便を手配してくれたルクラのナマステロッジ親子には大変お世話になった。
殆んどの便がストップする24日の前でよかったが 後続のトレッカーは混乱するだろうな!
明日 レンタルした寝袋、大型バックパックを返しに行くので荷物を整理しておく。
・ ・・レンタルした時に支払った保証金 6000Rs を受け取り 厚手のトレッキングパンツは今回使用せず、今後も使いそうに無いので普段着になる薄手のパンツと交換してもらった。 全て完了し久々にビールで乾杯!!
後は ゆっくりと世界遺産の観光とカトマンドゥの町並みを散策しよう!
!!初めてのヒマラヤでしたが 達成感・満足感に満ちたトレッキングでした!! -
カトマンドゥの東;ボダナートの世界遺産“ ストゥーパ ”( 仏陀の目がある仏塔 )
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