2017/06/17 - 2017/06/17
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日本百名城の長篠城の紹介です。長篠城址史蹟保存館の展示品の紹介の続きです。長篠の戦いに関連するらしい甲冑類や刀剣、槍などです。負け戦になった、勝頼関連の資料もありました。
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- JRローカル 徒歩
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『武田実記絵巻』のタイトルがあった絵図入りの古文書の写しだったようです。公開禁止のリストに入っていました。右端に、武田勝頼公の討ち死に関する記述が垣間見えました。
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公開禁止のリストに入っていた資料が続きます。『長篠合戦古絵図』のタイトルがあった絵図の写しです。
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イチオシ
四組揃えられて展示された甲冑です。この後、右から順に紹介します。
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『畳具足』
戦国時代
小さく畳むことが出来る具足で、鳶ケ巣山陣地近くの栗衣(くりぎぬ)地区の柿原氏宅で所蔵されていたと紹介されていました。胴具足の繋ぎ目等には、鎖が使われていました。 -
『畳具足』
戦国時代
先程の具足と相似の赤具足です。長篠の戦に纏わる落ち武者伝説と結びついた具足と紹介されていました。畳兜、浅黄縅、頬当、喉輪、籠手、腹巻と鎖縅で構成されています。 -
『紺糸縅五枚胴具足』
胴の前後4箇所にある弾痕は、実戦によるものではなく、強度を試した重弾痕と紹介されていました。強度試験に合格した具足と紹介されていました。 -
『紺糸縅横矧二枚銅』
金粉漆・烏帽子兜、小札しころ、鍬形前立と龍頭越中頬当、小札袖、篠籠手、宝幢佩、篠脛当の組合せです。 -
『赤具足』
長篠の戦で、武田軍の小幡隊が用いた具足と紹介されていました。後に彦根藩が用い、『井伊の赤備』として勇名を馳せました。当時の赤色は高級品である辰砂が使われたとされます。武田信玄が率いた武田家軍で、赤備えを最初に率いたのは後代に『甲山の猛虎』とも謳われた飯富虎昌で、騎兵のみからなる騎馬部隊として編成されました。『甲陽軍鑑』によれば、武田家中では、虎昌の部隊を引継いだ山県昌景のほか、小幡信貞、浅利信種の2名が赤備えとして編成され、総勢千騎だったとされます。 -
『雑兵具足(日の丸赤塗二枚胴具足)』
草摺、白檀縅・素懸、紺木綿縅の重量5.5キロの具足です。
{注記) 『赤具足』と『雑兵具足(日の丸赤塗二枚胴具足)』の説明パネルが入れ替わっているようでしたから、入れ替えて説明しました。 -
長篠城の古絵図です。図中の色分けは、
青:川または沢
黄:畑
赤:太い表示は往還、細い表示は径、赤い囲いは坂?
白;土居
L字の囲い:からほり(空堀)
ギザギザの山型印:土居の残り
浅黄:水ホリ(水堀)
薄黒:田
茶:民家、屋敷
川の流れの文様:川瀬 -
図中の上部の説明文には、『天正10年(1582年)3月、勝頼は信長軍に追い詰められ、甲州の天目山の麓で滅びたことと、同じ年の6月、信長も明智光秀に背かれ、本能寺で自刃した』と紹介されていました。左の写真は、勝頼はじめ50名が自害した景徳院、右の写真は勝頼らの墓です。
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長篠の戦いの総括です。『武田軍の支障は1万余、織田・徳川軍の死傷者も6千人を下らなかった』結ばれていました。長篠城主の奥平貞昌(1555~1615年)は、信長から一字を拝領し、その名を信昌と改めました。天正4年(1576年)、新城城に移り、長篠城は廃城となりました。図面は、『三河新城城』です。
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『武節城址』
『勝頼は段戸山を登り、武節城(現・豊田市稲武町)に入り休んだ』と説明されていました。バスツアーに参加して休憩した道の駅から、この光景を目にしました。小規模な砦のように見えました。 -
『田峰城址』
『勝頼は田峰城に向かいましたが、敗戦を知った家老により門が閉ざされ、武節城に向かった」と説明されていました。 -
図中の左の説明文は、勝頼を逃がすための馬場信房の最後の奮戦、右の説明文には、『勝頼に従うものは僅かに四騎、武節城を経て信州に着き、高坂弾正は数百を率いて、勝頼を甲州に迎え入れたと説明されていました。
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イチオシ
由緒あるらしい、4本の槍や長刀風の展示です。この後、少し詳しく紹介します。上から3本目の展示の『血槍』は、右端に収納箱も展示されていました。
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上から順番に銘板を記しておきます
『長巻』
銘:なし
旧所有者:鳳来町の小笠原氏
『槍』
銘:なし
『血槍(長坂血槍九郎の槍)』
銘:兼門
旧所有者:豊橋の高倉氏
『長巻』
銘:真影
旧所有者:山上氏 -
2本ずつ、刃先のズームアップです。上から2本です。
上:『長巻』
下:『槍』
『長巻』は、薙刀や長刀と類似とされますが、大太刀を振るい易くすることを目的に発展した『刀』とも分類されます。鍔が付いていました。 -
同じく、2本ずつ、刃先のズームアップです。3本目と4本目です。
上:『血槍(長坂血槍九郎の槍)』
銘:兼門
下:『長巻』
銘:真影
こちらの『長巻』には、鍔がありませんでした。 -
更にズームアップした薙刀の刃先光景です。今読んでいる、佐伯泰英さんの長編時代推理小説、夏目影二郎始末旅では、主人公が遣う愛刀を、『法城寺佐常の長刀を切っ先から二尺五寸三分のところを刃区(はまち)として刀造りに直した剛剣』との表現があります。いかにも切れそうです。
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ガラスケースの中の壁に掲示されている写真が、長篠・設楽が原の航空写真です。その下にあるのが、『長篠の戦い』の『戦跡模型図』です。『長篠の戦い』は、『長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦い』とも呼ばれます。
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イチオシ
『長篠の戦い』の『戦跡模型図』のピックアップ光景です。豊川と宇連川が合流する落合付近にある長篠城付近の戦跡です。長篠城の付近には鳥居強右衛門の磔後や、馬場信房の布陣位置も記されています。
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同じく、『長篠の戦い』の『戦跡模型図』のピックアップ光景です。中央やや上に、徳川隊の表示と、家康の本陣が敷かれた弾正山があります。対する武田側の武将の陣では、土屋昌次、山県昌景、内藤昌豊、甘利信康や、原昌胤などの名前がありました。
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ガラスケースの中の壁に掲示されていた、長篠・設楽が原の航空写真のズームアップ光景です。正面からですと、写り込みが激しいので、斜めからの撮影になりました。同じように、長篠城址は右下付近にありました。
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『馬場美濃守源信房』のタイトルがあった肖像画です。信房公から13代目の子孫の方が平成10年(1998年)に寄贈されたものと紹介されていました。信房は、武田3代に仕えた40数年の間、70回を超える戦闘に参加しましたが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったといいます。このため、現代において『不死身の馬場美濃』、『不死身の鬼美濃』と評されています。
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『軍配団扇』
右:室町時代末期
左:江戸時代
軍を指揮する時に使う道具です。 -
展示室内の光景です。『信長公記』によれば、嫡子の馬場民部少輔は、天正10年(1582年)2月の甲州征伐において、織田方に信濃深志城を明け渡したと伝わります。民部少輔のその後の消息は分かりませんが、子孫は、江戸幕臣の他、和泉国淡輪(大阪府岬町)、越後国松岡(新潟県新発田市)、下野国上三川(栃木県上三川町)の富裕郷士となったと伝わります。
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同じく、展示室内の光景です。左手には既に紹介した、各種の兜、右手には火縄銃の展示があった場所です。中央奥は、本丸跡などの発掘調査関連の写真や出土品の展示です。
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左側の展示ケースには、『強右衛門の勇気』のタイトルがありました。捉えられて、後ろ手に縛られた像や磔図がありましたが、これらは公開禁止のリストアップされていました。右側の展示ケースのタイトルは、『決戦の前夜』でした。正面奥の展示は、『たにし祭』と『スネえもん人形』です。
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左側の展示ケースは、武田信玄関連の展示でした。二つの軍配や甲州金貨(レプリカ)(は、ここに展示されていました。中央奥の展示は、奥平家の仙丸関連です。奥平氏が武田に背いて家康方につくと、人質として甲州に送られていた仙丸ら3人の若者が処刑されました。奥平貞昌の弟 仙丸(14歳)、奥平一族の於フウ(おふう:16歳)と虎之助(16歳)です。
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