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JR飯田線・野田城駅から豊川方面に徒歩で約20分の地に造られた野田城(のだじょう、愛知県新城市豊島)は旧勢力の富永氏に後嗣なく、田峯に本拠とする新興勢力の菅沼氏から迎えた定則(さだのり、生誕不詳~1547)によって永正5年(1508)築城され、以後定則・定村(さだむら)・定盈(さだみつ)の3代に亘って居城となります。<br /><br /><br />二の丸入口の野田城に関する説明では次のように記されています。<br /><br />「 野 田 城 跡<br /><br />この城は、永正5年(1508)に築城されたと伝えられる。菅沼定則・菅沼定村・菅沼定盈等がここを居城とした。<br /><br />城郭は南北に長く、北より三の丸・二の丸・本丸と続くいわゆる連鎖式の山城である。東西両側は谷になっており、当時は自然の川をせき止めて堀を形成していた。<br /><br />戦国時代、今川・武田・徳川などによって幾度も争奪戦が繰り返され、天正18年定盈が関東へ移封されるまで続いた。<br /><br />    昭和56年3月1日       新城市教育委員会 」<br /><br /><br /><br />地勢的に東三河は信濃から南進する伊那街道が尾張及び遠江に繋がる交通の要地にあり、このため上洛をめざす戦国大名にとっては当地域を従える事が極めて重要であり、駿河の今川、甲斐の武田、西三河の松平の各勢力が永年に亘って衝突を繰り返し、一方東三国の諸国人(地域領主)は自らの家と本領の存続を最優先とする立場から状況を見ながら各戦国大名と臣従と離反を繰り返す日々を送っています。<br /><br />また野田城は武田信玄最後の攻略の城とも伝えられます。即ち元亀3年(1572)12月に三方原(みかたがはら)合戦で家康軍を敗走させた信玄は翌年正月に野田城に迫り周辺の社寺を焼き払いを始めとして3万とも言われる軍勢で城を完全に包囲します。<br /><br />これに対する野田城は要害堅個な縄張といえども定盈を始め5百余人の将兵では戦いできず、定盈は家康の支援要請の為浜松に使者を遣わします。家康としては織田信長への援軍依頼するも叶わず、自軍から3千を率いて野田城に向かい豊川の対岸まで来ますが結果武田の大軍に圧倒され戦意上がらず引きさがります。<br /><br />その後武田軍による野田城攻撃は続きますが野田城方の籠城は固く、そのため信玄は水の手を断つため甲州の金堀衆を呼び寄せ水脈を切断させ、さすがの定盈らは抵抗叶わず遂に籠城1ケ月持ちこたえて開城する事になります。<br /><br /><br />野田城攻めに関して二の丸入口の説明板では次のように語っています。<br /><br /><br />「 野 田 の 戦<br /><br />元亀4年(1573)1月、上洛を狙う武田信玄は宇利峠を越えて三河に進入してきた。菅沼定盈の守る野田城を攻略するためであった。<br /><br />野田城は小城であるが、そなえが固くなかなか攻め込めない。そこで信玄は、甲州の金堀人足を使って水脈を切り、城内の水をからしてしまった。<br /><br />定盈は、徳川家康の援軍も来ないので、城の運命もここまでと判断し、城を明け渡した。」 新城教育委員会<br /><br /><br />尚城主の定盈の動向については将兵助命を条件に開城となりますが定盈は武田軍に捕虜として連行幽閉、その後徳川・武田との捕虜交換により解放され、翌天正2年(1574)定盈により野田城奪還され城主に復帰します。

三河新城 東三河を歩く 小規模国人(地域領主)ながらも武田大軍包囲攻撃に耐え信玄の西上(上洛)野望の実現を阻止した菅沼定盈居城『野田城』訪問

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2015/03/30 - 2015/03/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR飯田線・野田城駅から豊川方面に徒歩で約20分の地に造られた野田城(のだじょう、愛知県新城市豊島)は旧勢力の富永氏に後嗣なく、田峯に本拠とする新興勢力の菅沼氏から迎えた定則(さだのり、生誕不詳~1547)によって永正5年(1508)築城され、以後定則・定村(さだむら)・定盈(さだみつ)の3代に亘って居城となります。


二の丸入口の野田城に関する説明では次のように記されています。

「 野 田 城 跡

この城は、永正5年(1508)に築城されたと伝えられる。菅沼定則・菅沼定村・菅沼定盈等がここを居城とした。

城郭は南北に長く、北より三の丸・二の丸・本丸と続くいわゆる連鎖式の山城である。東西両側は谷になっており、当時は自然の川をせき止めて堀を形成していた。

戦国時代、今川・武田・徳川などによって幾度も争奪戦が繰り返され、天正18年定盈が関東へ移封されるまで続いた。

    昭和56年3月1日       新城市教育委員会 」



地勢的に東三河は信濃から南進する伊那街道が尾張及び遠江に繋がる交通の要地にあり、このため上洛をめざす戦国大名にとっては当地域を従える事が極めて重要であり、駿河の今川、甲斐の武田、西三河の松平の各勢力が永年に亘って衝突を繰り返し、一方東三国の諸国人(地域領主)は自らの家と本領の存続を最優先とする立場から状況を見ながら各戦国大名と臣従と離反を繰り返す日々を送っています。

また野田城は武田信玄最後の攻略の城とも伝えられます。即ち元亀3年(1572)12月に三方原(みかたがはら)合戦で家康軍を敗走させた信玄は翌年正月に野田城に迫り周辺の社寺を焼き払いを始めとして3万とも言われる軍勢で城を完全に包囲します。

これに対する野田城は要害堅個な縄張といえども定盈を始め5百余人の将兵では戦いできず、定盈は家康の支援要請の為浜松に使者を遣わします。家康としては織田信長への援軍依頼するも叶わず、自軍から3千を率いて野田城に向かい豊川の対岸まで来ますが結果武田の大軍に圧倒され戦意上がらず引きさがります。

その後武田軍による野田城攻撃は続きますが野田城方の籠城は固く、そのため信玄は水の手を断つため甲州の金堀衆を呼び寄せ水脈を切断させ、さすがの定盈らは抵抗叶わず遂に籠城1ケ月持ちこたえて開城する事になります。


野田城攻めに関して二の丸入口の説明板では次のように語っています。


「 野 田 の 戦

元亀4年(1573)1月、上洛を狙う武田信玄は宇利峠を越えて三河に進入してきた。菅沼定盈の守る野田城を攻略するためであった。

野田城は小城であるが、そなえが固くなかなか攻め込めない。そこで信玄は、甲州の金堀人足を使って水脈を切り、城内の水をからしてしまった。

定盈は、徳川家康の援軍も来ないので、城の運命もここまでと判断し、城を明け渡した。」 新城教育委員会


尚城主の定盈の動向については将兵助命を条件に開城となりますが定盈は武田軍に捕虜として連行幽閉、その後徳川・武田との捕虜交換により解放され、翌天正2年(1574)定盈により野田城奪還され城主に復帰します。

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル
  • JR飯田線・野田城駅舎(無人駅)<br /><br />開業は大正7年(1918)豊川鉄道(豊橋~大海)が営業の時で、その後昭和18年(1943)国有化され国鉄を経て昭和62年(1987)国鉄分割民営化によってJR東海に継承されて今日に至ります。<br /><br />

    JR飯田線・野田城駅舎(無人駅)

    開業は大正7年(1918)豊川鉄道(豊橋~大海)が営業の時で、その後昭和18年(1943)国有化され国鉄を経て昭和62年(1987)国鉄分割民営化によってJR東海に継承されて今日に至ります。

  • 野田城・三の丸<br /><br />三の丸跡が視野に入ります。

    野田城・三の丸

    三の丸跡が視野に入ります。

  • 三の丸跡<br /><br />中に入りますが杉の大樹以外何もありません。

    三の丸跡

    中に入りますが杉の大樹以外何もありません。

  • 二の丸跡

    二の丸跡

  • 本丸入口<br /><br />入口には案内板が2本立っています。

    本丸入口

    入口には案内板が2本立っています。

  • 「野田城跡」説明板<br /><br />「 野田城跡<br /><br />この城は、永正5年(1508)に築城されたと伝えられる。菅沼定則・菅沼定村・菅沼定盈がここを居城とした。<br /><br />城郭は南北に長く、北より三の丸・二の丸・本丸と続くいわゆる連郭式の山城である。<br /><br />東西両側は谷になっており、当時は自然の川をせき止めて堀を形成していた。<br /><br />戦国時代、今川・武田・徳川などによって幾度も争奪戦が繰り返され、天正18年      定盈が関東へ移封されるまで続いた。<br /><br />         昭和56年3月1日<br />                       新城市教育委員会 」

    「野田城跡」説明板

    「 野田城跡

    この城は、永正5年(1508)に築城されたと伝えられる。菅沼定則・菅沼定村・菅沼定盈がここを居城とした。

    城郭は南北に長く、北より三の丸・二の丸・本丸と続くいわゆる連郭式の山城である。

    東西両側は谷になっており、当時は自然の川をせき止めて堀を形成していた。

    戦国時代、今川・武田・徳川などによって幾度も争奪戦が繰り返され、天正18年      定盈が関東へ移封されるまで続いた。

             昭和56年3月1日
                           新城市教育委員会 」

  • 野田城縄張(野田城跡説明板より抜粋)<br /><br />東から本丸・二の丸・三の丸が隣り合った蓮郭式の縄張とし、南北にはそれぞれ川を堰きとめた堀を造り防御を堅個にしており、信玄の攻撃に1ケ月耐えたことを示しています。

    野田城縄張(野田城跡説明板より抜粋)

    東から本丸・二の丸・三の丸が隣り合った蓮郭式の縄張とし、南北にはそれぞれ川を堰きとめた堀を造り防御を堅個にしており、信玄の攻撃に1ケ月耐えたことを示しています。

  • 「野田の戦」説明板

    「野田の戦」説明板

  • 二の丸跡<br /><br />

    二の丸跡

  • 《伊奈街道》と題した説明板

    《伊奈街道》と題した説明板

  • 二の丸跡

    二の丸跡

  • 堀切<br /><br />二の丸から本丸は土橋を使って移動します。この仕組みは戦国時代の縄張ではよく見られる姿です。

    堀切

    二の丸から本丸は土橋を使って移動します。この仕組みは戦国時代の縄張ではよく見られる姿です。

  • 空堀<br /><br />土橋から右側の深い空堀を見ます。

    空堀

    土橋から右側の深い空堀を見ます。

  • 空堀<br /><br />同様に土橋から左側の空堀を一望します。

    空堀

    同様に土橋から左側の空堀を一望します。

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 野田城址石碑

    イチオシ

    野田城址石碑

  • 神社と鳥居<br /><br />本丸の周囲は土塁が施され、その中でも半島状に突き出ている一段高い帯状地には神社が建っています。

    神社と鳥居

    本丸の周囲は土塁が施され、その中でも半島状に突き出ている一段高い帯状地には神社が建っています。

  • 野田城稲荷<br /><br />当城を本拠とした菅沼氏を祀る稲荷神社は真新しく出来上がっています。

    野田城稲荷

    当城を本拠とした菅沼氏を祀る稲荷神社は真新しく出来上がっています。

  • 野田城稲荷近景<br /><br />前面には菅沼氏の家紋「品」の横断幕が取りつけられています。

    野田城稲荷近景

    前面には菅沼氏の家紋「品」の横断幕が取りつけられています。

  • 本丸跡に立つ案内板

    本丸跡に立つ案内板

  • 武田信玄が狙撃された場所<br /><br />笛の音に誘われた信玄をこの辺りから火縄銃で狙撃した場所とのことです。通常は信濃伊那郡駒場で病死とされますが、他説として野田城包囲の時に狙撃された傷が原因とする説があります。

    武田信玄が狙撃された場所

    笛の音に誘われた信玄をこの辺りから火縄銃で狙撃した場所とのことです。通常は信濃伊那郡駒場で病死とされますが、他説として野田城包囲の時に狙撃された傷が原因とする説があります。

  • 「城内井戸」案内板

    「城内井戸」案内板

  • 「井戸」案内板

    「井戸」案内板

  • 井戸内部

    井戸内部

  • 本丸跡<br /><br />休憩用に造られた丸太棒の腰掛が並べられています。

    本丸跡

    休憩用に造られた丸太棒の腰掛が並べられています。

  • 本丸跡周辺<br /><br />藪で覆われている空堀と思われます。

    本丸跡周辺

    藪で覆われている空堀と思われます。

  • 深い空堀

    深い空堀

  • 本丸隅部<br /><br />

    本丸隅部

  • 桑渕(水堀)方向<br /><br />本丸跡から桑渕と称する水堀を見下ろしますが樹間の向こうがはっきり見えません。

    桑渕(水堀)方向

    本丸跡から桑渕と称する水堀を見下ろしますが樹間の向こうがはっきり見えません。

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