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日本百名城の岡崎城の紹介です。

2017初夏、日本百名城の岡崎城(5/6):二の丸跡、家康公のしかみ像、大手門、東隅櫓

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2017/06/21 - 2017/06/21

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旅行記グループ 2017年、三河の百名城巡り

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旅人のくまさん

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日本百名城の岡崎城の紹介です。

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 角度を変えて眺めた徳川家康公の立像です。

    角度を変えて眺めた徳川家康公の立像です。

  • 徳川家康公の立像の頭部のズームアップ光景です。

    徳川家康公の立像の頭部のズームアップ光景です。

  • 花時計の光景です。

    花時計の光景です。

  • 二の丸跡に建つ、からくり時計塔と、『三河武士のやかた・家康館』の建物光景です。

    二の丸跡に建つ、からくり時計塔と、『三河武士のやかた・家康館』の建物光景です。

  • 二の丸址から眺めた、天守閣の光景です。

    二の丸址から眺めた、天守閣の光景です。

  • 二の丸跡に建つ、能楽堂方面の建物光景です。

    二の丸跡に建つ、能楽堂方面の建物光景です。

  • 能楽堂の出入口門の光景です。

    能楽堂の出入口門の光景です。

  • 能楽堂の出入口門を潜った場所から眺めた、能舞台方面の光景です。

    能楽堂の出入口門を潜った場所から眺めた、能舞台方面の光景です。

  • 能楽堂の能舞台の光景です。観客席は屋外になっていました。

    能楽堂の能舞台の光景です。観客席は屋外になっていました。

  • 家康公のしかみ像です。徳川家康公は、三方ヶ原の戦いで敗戦した苦渋の姿を肖像画に描かせ、生涯に渡り自分に対する戒めのため、座右から離さなかったと伝えられています。三方ヶ原の戦いは元亀3年12月(1573年)、現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺で起こった、武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦いです。

    イチオシ

    家康公のしかみ像です。徳川家康公は、三方ヶ原の戦いで敗戦した苦渋の姿を肖像画に描かせ、生涯に渡り自分に対する戒めのため、座右から離さなかったと伝えられています。三方ヶ原の戦いは元亀3年12月(1573年)、現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺で起こった、武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦いです。

  • 家康公のしかみ像のズームアップ光景です。

    家康公のしかみ像のズームアップ光景です。

  • 本多平八郎忠勝公像です。本多平八郎忠勝は徳川四天王のひとりで、豊臣秀吉に『家康に過ぎたるもの』『天下無双の勇士』と称賛された武将です。

    本多平八郎忠勝公像です。本多平八郎忠勝は徳川四天王のひとりで、豊臣秀吉に『家康に過ぎたるもの』『天下無双の勇士』と称賛された武将です。

  • 本多平八郎忠勝公像のズームアップ光景です。鹿角兜と甲冑で身を固め、名槍の蜻蛉切を携えた姿です。

    イチオシ

    本多平八郎忠勝公像のズームアップ光景です。鹿角兜と甲冑で身を固め、名槍の蜻蛉切を携えた姿です。

  • 本多平八郎忠勝公像の頭部のズームアップ光景です。

    本多平八郎忠勝公像の頭部のズームアップ光景です。

  • 大手門の光景です。平成5年(1993年)に再建された、、高さ11メートル、幅16.4メートルの櫓門です。本来の大手門は、北東約200メートルの位置にあったとされます。<br />

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    大手門の光景です。平成5年(1993年)に再建された、、高さ11メートル、幅16.4メートルの櫓門です。本来の大手門は、北東約200メートルの位置にあったとされます。

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2017年、三河の百名城巡り

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