2017/06/17 - 2017/06/17
42位(同エリア182件中)
旅人のくまさんさん
- 旅人のくまさんさんTOP
- 旅行記6398冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 5,409,533アクセス
- フォロワー204人
日本百名城の長篠城紹介の締め括りです。長篠城を巡る長篠の戦いは、武田軍が没落するきっかけとなり、織田信長が天下人となるステップとなり、徳川家康が力を付けた戦いともなりました。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
イチオシ
『長篠城本丸跡』の標柱の光景です。模擬本丸らしい、周りより少し小高い場所に建っていました。石垣は使われていません。
-
長篠城本丸跡の西側方面の光景です。険しい崖となっていて、危険防止のためにフェンスが張ってありました。左側のパネルには、『矢沢』の地名が記され、向かい側が『弾正郭』であることも記されていました。
-
『不忍の滝(しのばずのたき)』の説明パネルです。奔流の豊川(寒狭川)が侵食されて出来た滝です。浸食された深い谷は、長篠城の西の守りになっていると紹介されていました。1キロほど北に中央構造線の大断層があり、この辺りも深い谷ができやすい地質と紹介されていました。
-
イチオシ
『史蹟・長篠城址』の石標の光景です。旧法の文化財保護法の時代に建てられた石標のようです。奥平家の当主の方が揮毫された碑だったかもしれません。
-
ソメイヨシノの桜の樹の保護のためでしょうか、本丸址の端の方には、簡易な木の柵が設けられていました。
-
『磔に散る烈士・鳥居強右衛門』のタイトルがあった説明看板です。地図の中に、強右衛門が抜け出すために川に下りた場所、鳴子の網が張られた場所と、戻ってきて『援軍が来る』と叫んだ場所と、磔になった場所などが記されていました。
-
『磔に散る烈士・鳥居強右衛門』のタイトルがあった、本丸西側の説明看板付近の光景です。他にも説明看板がありました。
-
イチオシ
長篠城本丸跡から眺めた、武田軍が包囲の陣を構えた五つの砦方面の光景です。左から『君が伏床(300名)』、『姥が懐(300名)』、『鳶が巣山(500名)』、『中山(520名)』、『久間山(600名余)』です。
-
長篠城本丸跡から眺めた、南側方面の光景です。フェンスに、『渡合(どあい)』の説明パネルがありました。左手の宇連川と右手の寒狭川の合流地点です。右手前方に見える赤い橋は、牛淵橋です。
-
整地され、芝生が植えられた本丸の光景です。正面奥に、模擬本丸の土盛が見えました。『長篠城本丸跡』の標柱が建っていた場所です。
-
三本の大木が揃った、本丸入口付近の光景です。その樹木の先に、保存館の建物が見えています。保存館が建つ位置は、『二の丸(帯郭)』になります。
-
長篠城本丸跡から眺めた、武田軍が包囲の陣を構えた五つの砦方面の光景です。フェンスに設けられたパネルには、『武田軍の五砦』の表示がありました。その説明パネルが手前に見えています。
-
場所は代わって、本丸南側の土塁の上の光景です。左側が『二の丸(帯郭)』になり、土塁に続いて水が張られた堀がありました。
-
本丸南側の土塁の上から眺めた堀の光景です。かつては水堀だったとされます。左手が『二の丸(帯郭)』になります。
-
『城藪稲荷様・移転のお知らせ』の表示です。城址が史跡として保存されるため、ここから約8分のところにある大通寺へ移転されたようです。
-
曲がりくねった土塁と堀の光景です。本丸側から守りやすいように作られているようでした。本丸入り口方面の光景です。左手が本丸、右手が二の丸になります。
-
右側に見えるのは、単線の飯田線の線路です。土塁と堀の東端付近になりますが、線路の部分は、盛土されているようでした。
-
『城藪稲荷様・移転のお知らせ』の表示があった施設の一部で、そのまま残された赤い鳥居の光景です。
-
土塁の上から眺めた、本丸側の光景です。傾斜が緩やかな登り道が設けてありました。その先に本丸入口も見えていましたが、虎口の遺構は残されていないようです。
-
『長篠城址碑』の光景です。大正7年(1919年)の建立とされます。足元は少し乱れていましたが、2~3段積の石垣の上に建てられていました。
-
小山のような規模を持つ、本丸南側の土塁の光景です。土塁の上の通路には、観光用の安全対策に設けられたらしい柵がありました。
-
本丸側から眺めた、土塁の側面光景です。手前が昇降用の緩い傾斜の道、その奥の石垣の上に土塁の最上部が見えています。
-
同じく、本丸側から眺めた、土塁の側面光景です。かなりの高さを盛った土塁ですから、土留めを兼ねて、部分的に石垣が用いられたようです。
-
タイトルがなかった説明文です。線で囲った中の文字の解説でした。その囲いの中には、アラモの砦と長篠城での出来事が似ていることから、志賀重昂氏が、大正3年(1914年)、アメリカのテキサス州アントニオ市にあるアラモの砦跡に両国の勇士を讃える詩碑を寄贈したことがきっかけで交流が始まったことが紹介されていました。1990年(平成2年)11月、アラモの砦で志賀重昂建碑75周年記念式典が行われ、その席で長篠城へライブ・オークの種子が贈られました。その種子から日本で育苗され、1992年に記念植樹が行われたことが紹介されていました。
-
『堅木植樹碑』のタイトルがあった石碑の光景です。七言絶句の漢詩になっていました。難しい漢字を少し置き換えて全文紹介しておきます。
『長篠攻妨弼勝商 阿羅漠戦埔喃翔 昂翁感激爰叉建 日米交流堅木賞』
末尾に泰淳の落款がありました。 -
『堅木植樹碑』の文字を書き写したところで気が付きました。『堅木植樹の碑』の立派な解説が記された立看板がありました。次の文字の意味は、この説明を読まなければ分かりませんでした。
勝商:鳥居強右衛門勝商
埔喃:ジェームス・ポナム
昂翁:志賀重昂
堅木:樫、ライブ・オーク -
立ち枯れた、松の光景です。『久邇宮良子女王「お手植えの松」』の説明看板がありました。大正7年(1918年)にこの地を訪問された時の記念植樹の黒松です。
-
中央に『翠華雅〇園』の文字が刻まれた石碑の光景ですが、周りの文字は、右側の『春開拓』以外はほとんど読み取れませんでした。記念碑のようです。
-
無人駅の長篠城駅に戻って来また。これで日本百名城の46番に登録された、長篠城の紹介はこれでお終いです。飯田線の電車がやってくるのを待ちました。
-
同じく、無人駅の長篠城駅の光景です。豊橋駅で降り、豊橋市内にある続日本百名城に登録された、吉田城に向かいました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2017年、三河の百名城巡り
-
前の旅行記
2017初夏、日本百名城の長篠城(5/6):信玄公像、血染陣太鼓、鬼瓦、本丸、堀、土塁
2017/06/17~
新城
-
次の旅行記
2017初夏、日本百名城の岡崎城(1/6):名古屋から名鉄で岡崎へ、岡崎城址の石垣発掘現場
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(1/6):JRで豊橋経由長篠城駅へ、長篠城址史蹟保存館
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(2/6):長篠城址史蹟保存館、馬のくつ、アラモ砦と長篠城
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(3/6):長篠城址史蹟保存館、冑、火縄銃、槍、土器、陶器
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(4/6):長篠城址史蹟保存館、甲冑類、刀剣類、武田勝頼
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(5/6):信玄公像、血染陣太鼓、鬼瓦、本丸、堀、土塁
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(6/6):本丸跡標柱、堀、土塁、武田軍五つの砦の遠望
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(1/6):名古屋から名鉄で岡崎へ、岡崎城址の石垣発掘現場
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(2/6):船着場、赤い橋を渡って岡崎城へ、天守閣
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(3/6):岡崎城、龍城神社、狛犬、神馬、掘割、アラモの碑
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(4/6):松平元康騎馬像、徳川家康像、本多平八郎像
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(5/6):二の丸跡、家康公のしかみ像、大手門、東隅櫓
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(6/6):二の丸、大手門、東隅櫓、浄瑠璃姫碑、乙川
2017/06/21~
岡崎
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
新城(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2017年、三河の百名城巡り
0
30