2017/06/17 - 2017/06/17
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日本百名城の長篠城の紹介です。長篠城址史蹟保存館の展示品の紹介です。前回見学(2010年)の時には写真撮影禁止でしたが、今回は一部を除いて許可されていました。
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- JRローカル 徒歩
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イチオシ
戦国時代、実戦で使用されていた兜の展示コーナーです。5種類の兜が並んでいました。この後、個々に紹介します。
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先程の写真の左側から順に紹介します。
『日根野頭型兜(ひねのずなりかぶと)』
重量:4.4キロ
鉄砲で兜の強度を実験した窪みがある兜です。『頭形兜(ずなりかぶと)』は、平安時代末期に発生したと考えられている兜の一形式で、筋兜とは別系統で発生した兜と推定されています。当世具足に使用される頭形兜は、大別して日根野頭形と越中頭形の二つに分類されます。当世具足とは、室町時代後期から安土桃山時代に生じた鎧の形式で、単に具足とも呼ばれます。実用的で、比較的安価な品のようです。 -
『毛兜(けかぶと)』
年月を経て、金属の上に貼られていた材料の姿が変わってしまっていましたが、毛が付いた動物の皮が使われたように見えました。 -
『畳兜(たたみかぶと)』
収納に便利な構造の畳兜です。その折り畳み構造から、提灯兜(ちょうちんかぶと)とも呼ばれたようです。 -
『変り兜(かわりかぶと)』
脇立を捕り付ける角本(軸本)があり、『八』の文字は、軍神の八幡大菩薩の略と紹介されていました。 -
『鎖頭巾(くさりずきん)』
内側にも獅子葺きらしい痕が残っていた兜で、設楽原決戦場にある民家に残っていたと紹介されていました。 -
『矢立て硯』
連吾川上流・設楽原大宮前激戦地出土
戦場に臨んだ武将が『えびら』に挿して携帯したと紹介されていました。出土地付近では、真田信綱・昌輝、あるいは内藤昌豊率いる上州の武士の多くが戦死したようです。達筆な毛筆での説明書きでした。 -
『火薬入甕片』
二の丸西方出土
原型:縦85センチ、横190センチ、高さ80センチ
赤土を叩き固めて作った、火薬貯蔵甕と推定されています。 -
発掘調査の紹介写真です。推定ですが、左の写真は、本丸での発掘作業で、多数の土坑跡が検出されている状況のようです。右は土器や陶器類の出土状況のようです。
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『発掘調査により出土した・長篠城址の遺物』のタイトルがあった写真と説明文です。説明文には、平成11年度(1999年)に、主郭(本丸と保存館南側の広場)と帯曲輪(保存館から駐車場にかけての場所)で発掘調査が行われたと紹介されていました。
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出土品の土器や陶器類です。外側が黒い大きな碗や、皿のいくつかは、修復作業が施されていました。土師器(はじき)製品の数々です。
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先程の展示品の左側にあった説明書きです。『土師器(鍋やかわらけの皿)』のタイトルがありました。土師器(はじき)は、陶器よりも低い温度で焼かれた土の製品と紹介されていました。鍋に付いた黒色は、煮炊きで付いたススの色と説明されていました。
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『常滑焼の陶器」のタイトルがあった熱名パネルです。右側にその破片の展示がありました。同じ愛知県の知多半島の常滑で焼かれた陶器で、長篠城址では甕の破片が多く出土したと説明されていました。
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左側の説明パネルには、『輸入陶磁器(青磁、白磁、染付)』のタイトルがありました。城主が使用した、中国製品の数々と紹介されていました。今と違って、輸入品は随分と高価だった品々です。右側にその破片7点が展示されていました。
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展示品の前に、『瀬戸美濃産の陶器』のタイトルがあった説明書きの方から紹介します。『瀬戸美濃産』は、いわゆる『瀬戸物』のことで、日常品と紹介されていました。中国産の輸入陶磁器を真似て作られた品もあったようです。
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『瀬戸美濃産』の陶器の展示です。7点の破片でした。先程の説明文では、16世紀の『瀬戸美濃産』の陶器の時代区分は、四つに区分されることが紹介されていましたが、具体的な説明はありませんでした。古瀬戸後期から、連房式登窯期に移行するまでの、大窯第1段階~大窯第4段階の時代区分のことでしょうか。
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次は銃器の展示の紹介です。長篠の戦いでは、織田家は当時としては異例の鉄砲3,000丁を用意して兵に配布し、新戦法三段撃ちを行ったとされるのが有名です。鉄砲3,000丁はちょうたつできたかのうせいがたかいようですが、三段撃ちについては異論が多いようです。
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イチオシ
上下に4丁並べて展示された火縄銃です。先程の火縄銃に比べますと銃身がかなり短いようですが、口径は大きいように見えました。
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4丁並べて展示された火縄銃の一番上の展示と素の説明文の紹介です。『米沢藩古式砲術』のタイトルがありました。織田・徳川軍ではなく、川中島合戦などで上杉軍が使用した火縄銃でした。長篠城の祭りで昭和43年(1968年)から披露され、その威力が皆を驚かせたようです。
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『井上流30匁玉・大筒』
義高作 銘:信天住
全長:108センチ、銃身長:69.5センチ、口径:2.7センチ、重さ:12キロ -
正面奥のパネルの紹介です。下の展示品の『早合(はやごう)』の説明でした。早合を用いれば、1分間の4~6発が発射できると紹介されていました。長篠の戦の時には、まだ開発されていなかったかもしれません。早合は、木、竹、革または紙を漆で固め、それを筒状に成型し、その中に弾と火薬を入れた筒状の物です。西洋では、1300年頃から、早合に類似の『ペーパーカートリッジ』が使用されていました。
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イチオシ
5本の槍の展示です。上から二番目の槍には、『河内守包貞』の銘がありました。一番下の長槍にも名がありましたが、読み取れませんでした。
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3点の内一番上は、戦場で使用されたらしい『籠手(こて)』です。その下の2点の籠手は、『朱塗篠籠手(しゅぬりしのこて)』です。篠籠手は、碗部の下に篠竹に似た細長い板を用いた籠手です。文禄から慶長時代の品のようです。
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左側は、既に紹介した籠手と篠籠手、右上の展示品は、『馬上杯(ばじょうはい)』です。馬上での水飲みです。
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下側の二つの展示は、『甲かけ』です。馬上で足の甲を保護するものです。その上は『わらじ』です。
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『鞍の前輪と後輪』
『木瓜(もっこう)紋』があったと紹介されていました。木瓜紋では、『五瓜に唐花』の織田家の紋が有名ですが、この門も五瓜タイプでした。また、木瓜紋は、藤紋、片喰紋、鷹の羽紋、桐紋と合わせて五大紋とも呼ばれます。 -
『硯(すずり)』の展示と、その説明文です。明治37年(1904年)、帯郭土居(残欠)の中から発見されたと紹介されていました。蓬来山金鳳石の硯と鑑定されていました。愛知県の産業振興課HPからの紹介です。『鳳来寺の硯は、鳳来寺山開山当時の約1300年前から作られていたと伝えられています。金鳳石、煙巌石、鳳鳴石の三種類があり、金鳳石がもっとも良質』と紹介されていました。
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『馬場信房の最後』の題された模型展示です。武田四天王の一人とされ、家康の援軍に信長が到着することが分かった時、武田勝頼に兵を引くことを進言しましたが聞き入れられず、盟友と水杯を交わして、戦いに臨みました。それでも、最後まで勝頼を守り抜き、逃れることが出来たことを見届けた上での最後の場面です。
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先に、達筆で記された説明文の方から紹介します。天正10年(1582年)、天目山麓の田野の地における武田勝頼最後の場面の図です。資源の書士として生まれましたが、甲斐武田家第20代当主となりました。その死をもって武田家は滅びましした。
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武田勝頼最後の場面は、公表できない写真にリストアップされていましたから、マスクを掛けました。既に自害した夫人は、褥に覆われ、短剣を握った右手だけが描かれています。北条家出身の夫人は、この時19歳でした。
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