新城旅行記(ブログ) 一覧に戻る
日本百名城の長篠城の紹介です。天正3年(1575年)5月、武田信玄の後を継いだ武田勝頼は、西へ勢力を伸ばすため長篠城を1万5千の軍を率いて包囲し、続いて、設楽原で織田・徳川軍との決戦となり、敗北しました。武田軍が勢いを失ったきっかけとなった戦いでした。

2017初夏、日本百名城の長篠城(2/6):長篠城址史蹟保存館、馬のくつ、アラモ砦と長篠城

33いいね!

2017/06/17 - 2017/06/17

31位(同エリア185件中)

旅行記グループ 2017年、三河の百名城巡り

0

30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

日本百名城の長篠城の紹介です。天正3年(1575年)5月、武田信玄の後を継いだ武田勝頼は、西へ勢力を伸ばすため長篠城を1万5千の軍を率いて包囲し、続いて、設楽原で織田・徳川軍との決戦となり、敗北しました。武田軍が勢いを失ったきっかけとなった戦いでした。

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 先に一覧で紹介した馬具ですが、個別にアップして紹介します。『馬のくつ』です。昭和57年(1982年)に東京都の方から寄贈された展示品です。

    先に一覧で紹介した馬具ですが、個別にアップして紹介します。『馬のくつ』です。昭和57年(1982年)に東京都の方から寄贈された展示品です。

  • こちらも『馬のくつ』です。麻で造られたくつで、1880年頃の制作のようです。この後紹介する、蹄鉄が使われる以前の馬のくつのようです。

    イチオシ

    こちらも『馬のくつ』です。麻で造られたくつで、1880年頃の制作のようです。この後紹介する、蹄鉄が使われる以前の馬のくつのようです。

  • 『鐙(あぶみ)』です。鞍から左右一対を吊り下げ、騎乗時に足を乗せる道具です。爪先を乗せるようにして使うようです。古くは日本などでは木製のものもが使われましたが、現在は、イギリス系が金属かプラスチック、アメリカ系が革製のようです。

    『鐙(あぶみ)』です。鞍から左右一対を吊り下げ、騎乗時に足を乗せる道具です。爪先を乗せるようにして使うようです。古くは日本などでは木製のものもが使われましたが、現在は、イギリス系が金属かプラスチック、アメリカ系が革製のようです。

  • 『鞍(くら)』です。左が『前輪(まえわ)』、右が『後輪(しずわ)』です。後輪には、萬治2年(1659年)の文字が刻まれているようです。

    『鞍(くら)』です。左が『前輪(まえわ)』、右が『後輪(しずわ)』です。後輪には、萬治2年(1659年)の文字が刻まれているようです。

  • 現在の馬のくつ、『蹄鉄(ていてつ)』です。蹄鉄は、主に馬の蹄(ひづめ)を保護するために装着される、U字型の保護具です。日本では明治20年(1887年)頃から使われ始めたことが紹介してありました。

    現在の馬のくつ、『蹄鉄(ていてつ)』です。蹄鉄は、主に馬の蹄(ひづめ)を保護するために装着される、U字型の保護具です。日本では明治20年(1887年)頃から使われ始めたことが紹介してありました。

  • 『馬具の種類と乗馬の様子」のタイトルがあった説明図です。戦国時代の乗馬の様子と、馬具の各部の名前が記してありました。

    『馬具の種類と乗馬の様子」のタイトルがあった説明図です。戦国時代の乗馬の様子と、馬具の各部の名前が記してありました。

  • 保存館の名刺帳に残された、『志賀重昂』の名刺と、紹介用の写真です。志賀重昂(重孝:1863~1927年)は、岡崎に生まれた地理学者、評論家、教育者で衆議院議員だった人です。『日本ライン』の名は大正2年(1913年)、『恵那峡』の名は大正12年(1923年)、重昂の命名です。昭和36年(1961年)岡崎市の名誉市民に推挙されました。テキサス州に、アラモの碑を建てた人です。

    保存館の名刺帳に残された、『志賀重昂』の名刺と、紹介用の写真です。志賀重昂(重孝:1863~1927年)は、岡崎に生まれた地理学者、評論家、教育者で衆議院議員だった人です。『日本ライン』の名は大正2年(1913年)、『恵那峡』の名は大正12年(1923年)、重昂の命名です。昭和36年(1961年)岡崎市の名誉市民に推挙されました。テキサス州に、アラモの碑を建てた人です。

  • 『ホイジー女史から始まった、アラモ訪問』のタイトルの長文の説明文です。拾い読みしますと、ホイジー女史(1942~)は、日本で東大、早大に留学したことがある日本通の歴史学者で、アラモの砦の戦いと、長篠城の戦いの共通性を指摘した人とされます。

    『ホイジー女史から始まった、アラモ訪問』のタイトルの長文の説明文です。拾い読みしますと、ホイジー女史(1942~)は、日本で東大、早大に留学したことがある日本通の歴史学者で、アラモの砦の戦いと、長篠城の戦いの共通性を指摘した人とされます。

  • 『長篠とアラモ』のタイトルがあった展示コーナーです。第3番の『鳥居強右衛門の勇気』と題されたコーナーの一部分だったようです。いくつかの公開禁止の図がありましたから、マスクしておきました。

    『長篠とアラモ』のタイトルがあった展示コーナーです。第3番の『鳥居強右衛門の勇気』と題されたコーナーの一部分だったようです。いくつかの公開禁止の図がありましたから、マスクしておきました。

  • 『長篠城の今と昔』と題された絵図の光景です。『今』は、この地図が編集された昭和10年(1935年)を指します。

    『長篠城の今と昔』と題された絵図の光景です。『今』は、この地図が編集された昭和10年(1935年)を指します。

  • 『鳥居強右衛門(すねえもん)の勇気』のタイトルがあった3番コーナーです。『磔刑図』が掲示してありましたが、公開禁止の3点に揚げられていましたので、その図にマスクを掛けました。

    『鳥居強右衛門(すねえもん)の勇気』のタイトルがあった3番コーナーです。『磔刑図』が掲示してありましたが、公開禁止の3点に揚げられていましたので、その図にマスクを掛けました。

  • マスクをかけた部分は、鳥居強右衛門の像です。公開禁止の3点には明示されていませんでしたが、自主的に処理しておきました。

    マスクをかけた部分は、鳥居強右衛門の像です。公開禁止の3点には明示されていませんでしたが、自主的に処理しておきました。

  • 鳥居強右衛門は、奥平定昌の銘を受け、包囲された長篠城を抜け出し、岡崎の徳川家康公の元に向かいました。この場面は、武田軍が敷いたb鳴子網を破って抜け出す強右衛門を描いたものです。脱出は成功し、家康と、援軍に駆け付けた信長に長篠城の現状を伝え、長篠城への援軍を求めました。

    鳥居強右衛門は、奥平定昌の銘を受け、包囲された長篠城を抜け出し、岡崎の徳川家康公の元に向かいました。この場面は、武田軍が敷いたb鳴子網を破って抜け出す強右衛門を描いたものです。脱出は成功し、家康と、援軍に駆け付けた信長に長篠城の現状を伝え、長篠城への援軍を求めました。

  • 『長篠の夜雨』と題された版画です。月岡芳年の作品です。『月岡芳年(よしとし):1838~1892年)は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師です。撃的な無惨絵の描き手としても知られ、『血まみれ芳年』の呼び名でも知られます。江戸川乱歩、三島由紀夫、横尾忠則などが影響を受けた画家ともされます。

    イチオシ

    『長篠の夜雨』と題された版画です。月岡芳年の作品です。『月岡芳年(よしとし):1838~1892年)は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師です。撃的な無惨絵の描き手としても知られ、『血まみれ芳年』の呼び名でも知られます。江戸川乱歩、三島由紀夫、横尾忠則などが影響を受けた画家ともされます。

  • 『強右衛門・水流に泳ぐ』と題された絵です。背中には刀を背負っています。奥平家の菩提寺の京都の建仁寺塔頭の『久昌院』の『流しの合戦図』からの抜粋と紹介されていました。

    『強右衛門・水流に泳ぐ』と題された絵です。背中には刀を背負っています。奥平家の菩提寺の京都の建仁寺塔頭の『久昌院』の『流しの合戦図』からの抜粋と紹介されていました。

  • オリジナル品らしい、古色蒼然とした甲冑の展示品です。『紺糸縅五枚胴具足』です。鳥居強右衛門の子孫が奥平家から拝領した品のようです。

    オリジナル品らしい、古色蒼然とした甲冑の展示品です。『紺糸縅五枚胴具足』です。鳥居強右衛門の子孫が奥平家から拝領した品のようです。

  • 左:軍弓<br />黒漆塗りの強弓です。<br /><br />中央:うつぼ(空穂)<br />新城藩菅沼家家紋<br />うつぼ(空穂)は、矢を入れて背負う弓具です。<br /><br />中央手前:弦巻(鶴巻)<br />予備の弦です。<br /><br />右手前:箙<br />矢尻を受ける箱です。<br />

    左:軍弓
    黒漆塗りの強弓です。

    中央:うつぼ(空穂)
    新城藩菅沼家家紋
    うつぼ(空穂)は、矢を入れて背負う弓具です。

    中央手前:弦巻(鶴巻)
    予備の弦です。

    右手前:箙
    矢尻を受ける箱です。

  • 『決戦の前夜』と題された第4番の展示コーナーの光景です。地図上に織田信長の領地が緑、武田勝頼の領地が茶、家康の領地が小さく黄色で記してありました。

    『決戦の前夜』と題された第4番の展示コーナーの光景です。地図上に織田信長の領地が緑、武田勝頼の領地が茶、家康の領地が小さく黄色で記してありました。

  • 左:鉄鏃<br />長篠城本丸(帯曲輪)出土<br />長さ約13センチ<br />明治8年に発見。<br /><br />右:鉄鏃<br />長篠城本丸出土<br />全長17センチ、重さ110グラム<br />手突き矢のようです。昭和38年に発見。<br />

    左:鉄鏃
    長篠城本丸(帯曲輪)出土
    長さ約13センチ
    明治8年に発見。

    右:鉄鏃
    長篠城本丸出土
    全長17センチ、重さ110グラム
    手突き矢のようです。昭和38年に発見。

  • 『槍』<br />武田軍の名将、馬場信房の陣地、大通寺に保存されていた品です。馬場信房(1514/5~1575年)は、信春とも呼ばれた、武田軍の四天王の一人です。<br />

    『槍』
    武田軍の名将、馬場信房の陣地、大通寺に保存されていた品です。馬場信房(1514/5~1575年)は、信春とも呼ばれた、武田軍の四天王の一人です。

  • 『鏃(やじり)』です。鳳来町(新城市)長篠の方の寄贈品ですが、地元で発掘、あるいは発見された品かも知れません。保存状態はいいようです。

    『鏃(やじり)』です。鳳来町(新城市)長篠の方の寄贈品ですが、地元で発掘、あるいは発見された品かも知れません。保存状態はいいようです。

  • 『鏃(やじり)』です。同じく、鳳来町(新城市)長篠の方の提供品です。長篠字殿藪の深田片出土した品であることが記されていました。

    『鏃(やじり)』です。同じく、鳳来町(新城市)長篠の方の提供品です。長篠字殿藪の深田片出土した品であることが記されていました。

  • 『大通寺の水さかずき』と題されたジオラマ風の展示です。死を決した武田軍の勇将達です。左から内藤昌豊、馬場信房、山県昌景と土屋昌次の各将です。馬場信房、山県昌景、内藤昌豊の三将は、『武田四天王』と呼ばれましたが、この戦いで討ち死にしました。

    イチオシ

    『大通寺の水さかずき』と題されたジオラマ風の展示です。死を決した武田軍の勇将達です。左から内藤昌豊、馬場信房、山県昌景と土屋昌次の各将です。馬場信房、山県昌景、内藤昌豊の三将は、『武田四天王』と呼ばれましたが、この戦いで討ち死にしました。

  • 火縄銃関連の小道具類の展示です。この後個別に紹介します。

    火縄銃関連の小道具類の展示です。この後個別に紹介します。

  • 大小2種類の『火縄』の展示です。竹の繊維や、桧(ひのき)の皮で造ると説明されていました。木綿糸も使われ、硝石を吸収させたようです。

    大小2種類の『火縄』の展示です。竹の繊維や、桧(ひのき)の皮で造ると説明されていました。木綿糸も使われ、硝石を吸収させたようです。

  • 『胴火(火縄筒)』の展示です。比縄が消えないように保持する道具で、腰に差して使用したようです。

    『胴火(火縄筒)』の展示です。比縄が消えないように保持する道具で、腰に差して使用したようです。

  • 火縄銃の関連道具の展示です。大小の火縄銃用の火薬入れでした。実用で使い古されたような品々でした。

    火縄銃の関連道具の展示です。大小の火縄銃用の火薬入れでした。実用で使い古されたような品々でした。

  • 現代風に言えば、スプーンと、やっとこ、あるいはヒバサミのような道具の展示です。どちらも火縄銃の玉を造る道具でした。大きいヒバサミが50匁玉を造る鋳型、小さいヒバサミが4匁玉を造る鋳型でした。

    現代風に言えば、スプーンと、やっとこ、あるいはヒバサミのような道具の展示です。どちらも火縄銃の玉を造る道具でした。大きいヒバサミが50匁玉を造る鋳型、小さいヒバサミが4匁玉を造る鋳型でした。

  • 日の丸の模様が入った陣笠です。皮革の素地で造られ、で、それに漆を塗って仕上げているようです。

    日の丸の模様が入った陣笠です。皮革の素地で造られ、で、それに漆を塗って仕上げているようです。

  • 『設楽原の決戦』と題された、第5番のコーナーの光景です。マスクしたのは、公開禁止に指定されていた『長篠合戦絵屏風』です。原画は徳川園にあり、その複製です。

    『設楽原の決戦』と題された、第5番のコーナーの光景です。マスクしたのは、公開禁止に指定されていた『長篠合戦絵屏風』です。原画は徳川園にあり、その複製です。

33いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2017年、三河の百名城巡り

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP