2017/06/17 - 2017/06/17
31位(同エリア185件中)
旅人のくまさんさん
- 旅人のくまさんさんTOP
- 旅行記6398冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 5,474,441アクセス
- フォロワー204人
日本百名城の長篠城の紹介です。天正3年(1575年)5月、武田信玄の後を継いだ武田勝頼は、西へ勢力を伸ばすため長篠城を1万5千の軍を率いて包囲し、続いて、設楽原で織田・徳川軍との決戦となり、敗北しました。武田軍が勢いを失ったきっかけとなった戦いでした。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
先に一覧で紹介した馬具ですが、個別にアップして紹介します。『馬のくつ』です。昭和57年(1982年)に東京都の方から寄贈された展示品です。
-
イチオシ
こちらも『馬のくつ』です。麻で造られたくつで、1880年頃の制作のようです。この後紹介する、蹄鉄が使われる以前の馬のくつのようです。
-
『鐙(あぶみ)』です。鞍から左右一対を吊り下げ、騎乗時に足を乗せる道具です。爪先を乗せるようにして使うようです。古くは日本などでは木製のものもが使われましたが、現在は、イギリス系が金属かプラスチック、アメリカ系が革製のようです。
-
『鞍(くら)』です。左が『前輪(まえわ)』、右が『後輪(しずわ)』です。後輪には、萬治2年(1659年)の文字が刻まれているようです。
-
現在の馬のくつ、『蹄鉄(ていてつ)』です。蹄鉄は、主に馬の蹄(ひづめ)を保護するために装着される、U字型の保護具です。日本では明治20年(1887年)頃から使われ始めたことが紹介してありました。
-
『馬具の種類と乗馬の様子」のタイトルがあった説明図です。戦国時代の乗馬の様子と、馬具の各部の名前が記してありました。
-
保存館の名刺帳に残された、『志賀重昂』の名刺と、紹介用の写真です。志賀重昂(重孝:1863~1927年)は、岡崎に生まれた地理学者、評論家、教育者で衆議院議員だった人です。『日本ライン』の名は大正2年(1913年)、『恵那峡』の名は大正12年(1923年)、重昂の命名です。昭和36年(1961年)岡崎市の名誉市民に推挙されました。テキサス州に、アラモの碑を建てた人です。
-
『ホイジー女史から始まった、アラモ訪問』のタイトルの長文の説明文です。拾い読みしますと、ホイジー女史(1942~)は、日本で東大、早大に留学したことがある日本通の歴史学者で、アラモの砦の戦いと、長篠城の戦いの共通性を指摘した人とされます。
-
『長篠とアラモ』のタイトルがあった展示コーナーです。第3番の『鳥居強右衛門の勇気』と題されたコーナーの一部分だったようです。いくつかの公開禁止の図がありましたから、マスクしておきました。
-
『長篠城の今と昔』と題された絵図の光景です。『今』は、この地図が編集された昭和10年(1935年)を指します。
-
『鳥居強右衛門(すねえもん)の勇気』のタイトルがあった3番コーナーです。『磔刑図』が掲示してありましたが、公開禁止の3点に揚げられていましたので、その図にマスクを掛けました。
-
マスクをかけた部分は、鳥居強右衛門の像です。公開禁止の3点には明示されていませんでしたが、自主的に処理しておきました。
-
鳥居強右衛門は、奥平定昌の銘を受け、包囲された長篠城を抜け出し、岡崎の徳川家康公の元に向かいました。この場面は、武田軍が敷いたb鳴子網を破って抜け出す強右衛門を描いたものです。脱出は成功し、家康と、援軍に駆け付けた信長に長篠城の現状を伝え、長篠城への援軍を求めました。
-
イチオシ
『長篠の夜雨』と題された版画です。月岡芳年の作品です。『月岡芳年(よしとし):1838~1892年)は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師です。撃的な無惨絵の描き手としても知られ、『血まみれ芳年』の呼び名でも知られます。江戸川乱歩、三島由紀夫、横尾忠則などが影響を受けた画家ともされます。
-
『強右衛門・水流に泳ぐ』と題された絵です。背中には刀を背負っています。奥平家の菩提寺の京都の建仁寺塔頭の『久昌院』の『流しの合戦図』からの抜粋と紹介されていました。
-
オリジナル品らしい、古色蒼然とした甲冑の展示品です。『紺糸縅五枚胴具足』です。鳥居強右衛門の子孫が奥平家から拝領した品のようです。
-
左:軍弓
黒漆塗りの強弓です。
中央:うつぼ(空穂)
新城藩菅沼家家紋
うつぼ(空穂)は、矢を入れて背負う弓具です。
中央手前:弦巻(鶴巻)
予備の弦です。
右手前:箙
矢尻を受ける箱です。 -
『決戦の前夜』と題された第4番の展示コーナーの光景です。地図上に織田信長の領地が緑、武田勝頼の領地が茶、家康の領地が小さく黄色で記してありました。
-
左:鉄鏃
長篠城本丸(帯曲輪)出土
長さ約13センチ
明治8年に発見。
右:鉄鏃
長篠城本丸出土
全長17センチ、重さ110グラム
手突き矢のようです。昭和38年に発見。 -
『槍』
武田軍の名将、馬場信房の陣地、大通寺に保存されていた品です。馬場信房(1514/5~1575年)は、信春とも呼ばれた、武田軍の四天王の一人です。 -
『鏃(やじり)』です。鳳来町(新城市)長篠の方の寄贈品ですが、地元で発掘、あるいは発見された品かも知れません。保存状態はいいようです。
-
『鏃(やじり)』です。同じく、鳳来町(新城市)長篠の方の提供品です。長篠字殿藪の深田片出土した品であることが記されていました。
-
イチオシ
『大通寺の水さかずき』と題されたジオラマ風の展示です。死を決した武田軍の勇将達です。左から内藤昌豊、馬場信房、山県昌景と土屋昌次の各将です。馬場信房、山県昌景、内藤昌豊の三将は、『武田四天王』と呼ばれましたが、この戦いで討ち死にしました。
-
火縄銃関連の小道具類の展示です。この後個別に紹介します。
-
大小2種類の『火縄』の展示です。竹の繊維や、桧(ひのき)の皮で造ると説明されていました。木綿糸も使われ、硝石を吸収させたようです。
-
『胴火(火縄筒)』の展示です。比縄が消えないように保持する道具で、腰に差して使用したようです。
-
火縄銃の関連道具の展示です。大小の火縄銃用の火薬入れでした。実用で使い古されたような品々でした。
-
現代風に言えば、スプーンと、やっとこ、あるいはヒバサミのような道具の展示です。どちらも火縄銃の玉を造る道具でした。大きいヒバサミが50匁玉を造る鋳型、小さいヒバサミが4匁玉を造る鋳型でした。
-
日の丸の模様が入った陣笠です。皮革の素地で造られ、で、それに漆を塗って仕上げているようです。
-
『設楽原の決戦』と題された、第5番のコーナーの光景です。マスクしたのは、公開禁止に指定されていた『長篠合戦絵屏風』です。原画は徳川園にあり、その複製です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2017年、三河の百名城巡り
-
前の旅行記
2017初夏、日本百名城の長篠城(1/6):JRで豊橋経由長篠城駅へ、長篠城址史蹟保存館
2017/06/17~
新城
-
次の旅行記
2017初夏、日本百名城の長篠城(3/6):長篠城址史蹟保存館、冑、火縄銃、槍、土器、陶器
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(1/6):JRで豊橋経由長篠城駅へ、長篠城址史蹟保存館
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(2/6):長篠城址史蹟保存館、馬のくつ、アラモ砦と長篠城
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(3/6):長篠城址史蹟保存館、冑、火縄銃、槍、土器、陶器
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(4/6):長篠城址史蹟保存館、甲冑類、刀剣類、武田勝頼
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(5/6):信玄公像、血染陣太鼓、鬼瓦、本丸、堀、土塁
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の長篠城(6/6):本丸跡標柱、堀、土塁、武田軍五つの砦の遠望
2017/06/17~
新城
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(1/6):名古屋から名鉄で岡崎へ、岡崎城址の石垣発掘現場
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(2/6):船着場、赤い橋を渡って岡崎城へ、天守閣
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(3/6):岡崎城、龍城神社、狛犬、神馬、掘割、アラモの碑
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(4/6):松平元康騎馬像、徳川家康像、本多平八郎像
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(5/6):二の丸跡、家康公のしかみ像、大手門、東隅櫓
2017/06/21~
岡崎
-
2017初夏、日本百名城の岡崎城(6/6):二の丸、大手門、東隅櫓、浄瑠璃姫碑、乙川
2017/06/21~
岡崎
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
新城(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2017年、三河の百名城巡り
0
30